物理学の諸法則は、数学的モデルによって表現される。
では、どうして物理に数学を適用するのがが可能なのだろうか。
極めて基礎的な問題にも関わらず、意外にも説得力がある答えは用意されていない。
恐らく、そう簡単な理由ではないのだろう。
将棋で喩えれば、あと一手で相手を詰めることが出来そうなのに、
何としても詰むことが出来ないような局面、といったところだ。
また、その理由を解き明かした人物は、科学哲学史上の「天才」と評されることだろう。
まあ、それはともかくとして、直感的に思い付く仮説としては、
数学が「人間の持つ先験的な認識能力の一端を表現可能」だから、
なんてことも言えるだろう。
ついつい、私たちは「数学は世界の真理を表現できる」のではないか、
と考えたくなってしまうが、残念ながら、それは正しくない可能性が非常に高い。
実際、あらゆる物理現象を直接・間接的に観察するのは、
所詮、不完全な認識能力しか持たない人間である。
よって、人間の世界に対する認知の在り方が「真理」である保証など、どこにもない。
ヒューム的な懐疑主義
の立場からすれば、
昨日は成立していた物理法則が明日も必ず成立する、という保証もまた存在しない。
(※例えば、ディラックの大数仮説
を考えると分かりやすい)
少なくとも、それは「人間原理
」という都合の良い枠組みの中でのみ
承認され得る「控えめな真理」に過ぎないだろうし、
それを「絶対的な真理」などと吹聴するのは、誇大妄想の類だ。
反実在論
の立場からすれば、数学における概念は、
「人間が生み出した空想の産物」に過ぎないわけだから、当然ながら、
(恐らく同じく脳機能から生み出される)先験的認知能力と相性が良いはずだ。
よって、数学を用いた表現手段は、人間が認識する世界の記述に適している。
まあ、下衆の勘繰りとしては、そんなところで十分だろう。