党大会における田村氏の結語がかなり騒がれる事態になっています。

 

田村氏の結語を見て思うのは、心理的安全性がない会議であり、傾聴力がない党だということです。

 

私はさすがに全国大会に参加したことはありませんが、都道府県党会議や地区党会議には何度も参加しています。

 

方針への反対討論というのは殆ど見られず、同調圧力というのは、特に日本人なら感じるところでしょう。とりわけ「純度」の高い全国大会において、大山県議が反対討論の発言をするのには相当のプレッシャーがあったと考えるのが自然です。本来ならそうした意見を出したこと自体には歓迎の意を示して反論すべきところ、党員としての姿勢が間違ってるなどと全否定の糾弾モードに入ったわけです。

 

志位議長は「団結を勝ち取った」などと大会の最後に言ったわけですが、普通の国民はこれを見て、異論を受容しての団結ではなく、異論を排除しての団結なのだなと思うでしょう。

党内からすれば、異論を発言しづらい空気がますます醸成されます。言論が委縮します。それが党の発展のためになるんでしょうか?

 

今回の結語を見て何も問題を感じない、あるいは素晴らしいと賛同する「純度の高い」人たちを見つけて党勢拡大をしようということですから、ますます党勢拡大への峰は高くなったと思います。

 

手紙を送っても返事が来ない、会議で反対意見を述べると糾弾される、たとえ結婚相手であろうと他の支部の人間との連絡はダメ、反対意見はSNS投稿もダメ、唯一意見を載せられる機会は数年に一度の大会決議案討論集でありながら「人間の自由」を掲げて民主的運営をしていると自画自賛しているのだからついていけません。

 

小池書記局長の会見によると、あれで「打撃的な表現は避け」たというのだから、一般社会の感覚とは乖離した集団ということを晒してどうするのですか?個人独裁がいいというわけではありませんが、今の集団体制がなんでもかんでも素晴らしいかというとそういうわけではありません。集団で検討したからこそ、逆にエコーチェンバー効果で過激化するような側面もあるのかな、と思います。

 

松竹氏除名の再審査請求却下を是とするかとは分けて考えた方がいい話かとは思っているので、大山氏発言を批判するなということまで言いたいわけではありません。ただその表現の仕方がおかしいと言っています。

 

私の周りでも、異論を言いづらいという声を以前から専従からも聞いているのですが、その原因を考えたことがあるでしょうか?

 

まさに松竹氏が指摘していた「異論を前提とし、異論を尊重するような運営方法をと」っていないことを自ら証明しています。

中央委員会の総意で決めた民主的な結語と言ったところで、(その形式論を真に受ければ)中央委員て異常な集団なんだなというイメージにつながるのです。撤回すべきです。

 

この大会の討論のなかで、元党員の除名処分について、「問題は、出版したことより除名処分ではないか」――除名処分を行ったこと自体が問題だとする意見が出されました。この意見に対して、代議員、評議員から、処分をうけた元党員の言動は、党の綱領と規約の根幹を否定し、党の変質をねらった明らかな攻撃であったこと、メディアを利用して地方選挙の前に攻撃をしかけたのは元党員の側であること、わが党は「異論を許さない党」などでは決してないことなどが、この攻撃を打ち破る論戦を懸命に展開した経験に立って発言されました。

 除名処分が規約にもとづく当然の対応であったことは、すでに、山下副委員長から再審査請求の審査内容として明確に報告され、再審査請求を却下することに異議をとなえるものはなく、党大会で承認をえたことは、党の最高決定機関による、党への妨害者・攪乱(かくらん)者への断固とした回答を示したものとして重要です。

 党大会での発言は、一般的に自由であり、自由な発言を保障しています。しかし、この発言者の発言内容は極めて重大です。私は、「除名処分を行ったことが問題」という発言を行った発言者について、まず、発言者の姿勢に根本的な問題があることを厳しく指摘いたします。発言者は、「問題は、出版したことより除名処分ではないか」と発言しながら、除名処分のどこが問題なのかを、何も示していません。発言者は、元党員が、綱領と規約にどのような攻撃を行ったかを検証することも、公表している党の主張、見解の何が問題なのかも何一つ、具体的に指摘していません。

 発言者が述べたのは、ただ、「党内外の人がこう言っている」、ということだけです。党内外の人が言っていることのみをもって、「処分が問題」と断じるのは、あまりにも党員としての主体性を欠き、誠実さを欠く発言だといわなければなりません。

 発言者は、「希望の党」の小池百合子代表の「排除」発言をもちだして、「あのとき国民が感じた失意が、いま私たち共産党に向けられていると認識すべき」とまで発言しました。反共分裂主義によって野党共闘を破壊した大逆流と並べて、党の対応を批判するというのは、まったく節度を欠いた乱暴な発言というほかありません。

 発言者は、「除名というのは対話の拒否だ」と述べ、「包摂の論理を尊重することは、政党運営にも求められている」と述べました。しかし、対話を拒否したのは誰か、党を除名された元党員は、自分の意見を、一度として党の正規の会議で述べたことはなく、一度として正規のルールにのっとって党に意見を提出したこともない。党内での一切の対話の努力をしないまま、党外からいきなり党攻撃を開始したというのが事実です。ここでも発言者は、批判の矛先を百八十度間違えているといわなければなりません。

 党を除名された元党員の問題は、山下副委員長の報告で詳しく解明したように、「共産党の安保・自衛隊政策が野党共闘の障害になっている」「安保容認・自衛隊合憲に政策を変えよ」「民主集中制を放棄せよ」という支配勢力の攻撃にのみ込まれ、射落とされ、屈服したところに政治的本質があります。党外から出版という形で党の綱領と規約を攻撃したものを除名処分にしたことは当然です。問題のこの政治的本質をまったく理解していないことに、発言者の大きな問題があるといわなければなりません。

日本共産党の会議の問題点のひとつとして、同調圧力が高いというものがあります。

 

つまり、反対意見は言えても抑制的な表現になり、賛成意見には過剰な修飾表現が多くつく傾向があります。

幹部は必要以上に「不規則発言」を恐れています。本当は「不規則発言」こそが会議を活性化させるわけなのですが、分派に繋がりうる脅威と見做しているのか、幹部は嬉しい顔をしません。

 

これによる問題点は2つあると考えています。

 

1つ目に、討論では方針に沿った前向きな発言ばかりで新しい学びがありません。無論、発言者個人は頑張っているわけですが、内容の先が読めてしまうので次第に退屈するわけです。長く活動すればするほど、どこかで聞いた話の焼き直しばかり。弁証法という言葉が好きな党員がいますが、実態は違うのです。

別の言い方もしましょう。内側の良いことしか話さず、しかも内容が似通っている集団は、実は外から見てあまり魅力的に見えないのだということです。

 

2つ目に、こちらの方がより重要な問題ですが、会議で方針を絶賛する発言があっても、「あなた、それどこまで本気で言ってるの?」と内心思ってしまうのです。

 

一例として結構前のことですが、某イベントに参加した時、参加者の1人が「2010年代に民主連合政府をつくれるよう頑張ります!!」と締めくくっていました。「おおお!凄い!」みたいな反応が周りから出ましたが、場の空気に乗せられて勢いで言っているんだろうな、と私は白けた目で見てましたね。

これは極端な例ですが、前向き・積極的な発言をされても、「その本心、裏があるのではないか?」と心のどこかで思ってしまうわけです。冷めた目で見てしまう。暗い話でも地に足のついた発言の方がよほど信頼できるのです。

 

党大会に参加した代議員や中央委員はこういう思考に至ることはないのでしょうか?少なからず同様のことを思っているのではないですか?


同調圧力が高いというのは、党会議に参加したことがある方であれば、程度の差はあれど実感しているはずです。それでも地区党会議レベルであればまだしもですが、専従率が一気に高まる都道府県党会議レベルになると発言は相当勇気がいると思います。

とりわけ「純度」の高い全国大会の場において、除名問題で反対討論を行った大山県議の勇気は凄いと思っています。

 

ただし、大山県議の発言内容は(赤旗には全文が載っていないということもあるでしょうが)中央批判としては明らかに弱いとも思います。

 

「攻撃の理由を与えてしまったのは党の判断」とありますが、具体的にどの判断が誤りなのかがわからない。これは党中央の言う通りです。例えば分派の基準が恣意的だったり、反共勢力との結託云々のカルト的なこじつけだったり、結社の自由のメチャクチャな解釈だったり、私はそういった点をこれまで批判的に言ってきましたが、そうした点を具体的に、明示的に批判すべきだったと思います。

 

以下、大山代議員の発言要旨。

横浜市港北区選出で県議3期目です。地域に見える共産党にしようと、地方選のさなかには1カ月で33時間の宣伝活動を行い、党への信頼につながっていることを感じています。軒並み訪問と「折り入って」作戦を組み合わせた活動もしています。アパートも飛ばさずに訪ね、若者とも出会うことができ、仲間の喜びとなっています。対象者を絞らず、今の世の中を何とかしたいと思っている人全員を包摂する党活動が大事です。

 次に、松竹氏の除名問題で顕在化した党内民主主義の課題についてです。昨年地方選前に松竹氏の著作が発刊され、その後まもなく彼は除名処分となりました。私は本を読んでいませんが、何人もの人から「やっぱり共産党は怖い」「除名はだめだ」と言われました。将来共産党が政権をとったら、国民をこんなふうに統制すると思えてしまうと。問題は出版したことよりも除名処分ではないでしょうか。一時期人気を博した「希望の党」から人心が急速に離れたきっかけは、小池百合子都知事の「排除します」という発言でした。あのときに国民が感じた失意が、いま共産党に向けられています。

 異論を唱えたから除名したのではないと繰り返しわが党の見解が報じられていますが、そのあとには松竹氏の論の中身が熱心に展開されますので、やはり「異論だから排除された」と思わせてしまうんです。

 この問題でメディアによる攻撃論が訴えられますが、攻撃の理由を与えてしまったのは党の判断である以上、党の判断に間違いがないというのであれば、わが党が民主的である証左として、松竹氏による再審査請求を適切に受け止めて、国民の疑念を晴らすべく透明性をもって対処することを要望します。「除名」は対話の拒否にほかなりません。排除の論理ではなく包摂の論理を尊重することは、政党運営にも求められています。

 

 

富田林のハラスメント問題について、関係者への処分をどうするのかを党中央に問うたとのことです。

 

回答の仕方として、地方の委員会を通じて質問者に個別的に行うというのはいつも通りの方法です。しかしながら、この問題は党中央の極めて不誠実、無反省な態度が事態をより一層悪化させています。党中央がまっとうな総括を行わない限り、同様のことが全国で起きる恐れがあると言える問題です。

赤旗にもしっかりと掲載し、全党に対して説明を果たす必要があるのではないでしょうか?