12月18日に出された以下の訴え。

 

 

この中にこういう文言がありました。

 

支部総会に多くの同志が結集し、党会議には2万人が参加して、大会決議案を討議し、「大運動」の生きた経験を学びあって、全党に新しい活力が沸き起こりつつあることです。

 

文脈的にここでいう党会議には、支部会議は含まれないようです。

 

一応規約を確認してみると、党会議という単語は何か所かで出てきます。

 

>第十三条 党のすべての指導機関は、党大会、それぞれの党会議および支部総会で選挙によって選出される。

→ここを読むと、党会議と支部総会はandの意味で捉えるのが自然であり、18日の訴えもこの意味でしょう。

 

>第三十九条 支部の最高機関は、支部の総会または党会議である。支部の総会または党会議は、すくなくとも六カ月に一回ひらく。

→一方で、ここでは支部総会と党会議がorの関係になっています。

 

すなわち党会議には、支部の最高機関を含む場合もあればそうでない場合もある=2つの意味があるということになりそうです。わかりづらいので整理した方がいいのではないでしょうか。

 

29大会決議案を読みました。

 

これまでもそうですが、共産党の党建設への認識、評価の仕方は、全く定量的でないのですよね。
常に定性評価なのです。

例えば今回の大会決議案ではこのようにあります。

■職場支部が、困難を抱えながらも"支部の灯を消してはならない"と新たな気概をもって党づくりに立ち上がり、党員拡大数の後退傾向から維持・前進へのきざしが生まれていることも重要である。
→何を持って前進し始めていると判断したんですか?

■党勢拡大の現時点の到達点は、この4年間の党建設の努力を通じて、これまでに1万4千人を超える新たな党員を迎えてきたが、わが党は党員現勢での長期の後退から前進に転じることができていない。「赤旗」読者拡大でも、現時点では、長期にわたる後退傾向を抜本的な前進に転じることには成功していない。
→130%を目指しているが、現状では何%なのか示さないのですか?

定量評価をせずに、「つつある」とか「きざし」という主観的な言葉を毎度のように連発するので、悪い意味の希望的観測の定性評価が党文書の特徴なのです。
一般党員からすれば、毎回このような文書を読まされていては、「言葉遊びをしているのではないか?」と感じられます。これが「科学の党」なのですか?

また、前進した場合も後退した場合も「なぜ?」という原因分析が甘い傾向も強いです(そもそも今年の統一地方選のように後退を後退と認めない大本営体質から改めるべきですが)。
例えば、「学生党組織が長年にわたる党勢の後退から前進に転じることができたことは重要である。」とありますが、なぜ前進できたのかは特に言及がありません。

ここを改善していく必要があると強く思います。

福岡県常任の神谷さんの件について。

 

県委員会幹部は「『松竹氏の処分は間違いだ』と党内で議論するのは自由だが、それを党外に出したら明確な党規約違反となる」と語り

内部で検討している段階の処分の内容を党外に出すのは、党の理屈で言えば規約に反するのではないでしょうか。

しかも産経って「支配勢力」側なんですよね?この幹部こそ処分しないとスジが通らないのではないでしょうか。