国会議員の総入れ替えの時が来た
昨日はテレビ中継を楽しみにしていたのに期待はずれの結果になってしまった。
丁度サッカーの試合で敵のゴールの直前迄ボールを持ち込んでシュートを蹴ったが、コーナーポストにあたって弾かれ得点ならずに終わってしまい前半戦は引き分けで終わった試合を見た時のような気持ちだ。
それにしても小沢、鳩山は見かけ倒しの男と言う事がハッキリ分かった。
菅直人は「息を吐くように嘘をつく」K国の血筋と言う事もハッキリ確認できた。
国会議員の資質の低下はこれほど酷く成っていたとは驚くべき事である。
この責任は有権者である私にも有るのかもしれない。
私の世代(団塊世代)は小学校の頃から
「言う事と行う事が違う人の事を世間では大嘘つきと言って軽蔑されます」
と教わって育って来た。
しかしどうやら私の世代以降の教育では、
「他人を騙そうが陥れようがそれは騙される方が悪い」
と言う論理に変わってしまったようだ。
そう言えば私の子供の頃は都会でも家に鍵をかけずに外出していた。
田舎の家屋には最初から鍵など無かった。
だから夜中にどこからでも侵入できたわけで、若い衆は狙った娘の寝室に簡単に忍び込んでいけたわけだ。
それがいつの頃からか夜はしっかりと戸締まりをするようになってしまったし外出する時には厳重に鍵をかけるようになって来た。
人を信用できなくなってきたわけだ。
息を吐くように嘘をつく人間が日本の総理大臣になれるという三流の国になってしまったと言う事か。
今回の衆議院の結果を見て思う事は、代議士は自分を支持してくれた有権者より自分の安定したポストの維持や安定した歳費の継続が一番という判断をしたと言う事だ。
納税者の代弁者である代議士と言う職責を全うするという気持ちは全くないようだ。
選挙の時に言った事(公約)は全て偽りだったと言う訳だ。
そして当選した自分は悪くなくその嘘を見抜けなかった有権者が悪いという論理で少しも良心の呵責を感じていないのだ。
このような時代でも少なくとも私は大嘘つきと言われない生き方を貫く。
丁度サッカーの試合で敵のゴールの直前迄ボールを持ち込んでシュートを蹴ったが、コーナーポストにあたって弾かれ得点ならずに終わってしまい前半戦は引き分けで終わった試合を見た時のような気持ちだ。
それにしても小沢、鳩山は見かけ倒しの男と言う事がハッキリ分かった。
菅直人は「息を吐くように嘘をつく」K国の血筋と言う事もハッキリ確認できた。
国会議員の資質の低下はこれほど酷く成っていたとは驚くべき事である。
この責任は有権者である私にも有るのかもしれない。
私の世代(団塊世代)は小学校の頃から
「言う事と行う事が違う人の事を世間では大嘘つきと言って軽蔑されます」
と教わって育って来た。
しかしどうやら私の世代以降の教育では、
「他人を騙そうが陥れようがそれは騙される方が悪い」
と言う論理に変わってしまったようだ。
そう言えば私の子供の頃は都会でも家に鍵をかけずに外出していた。
田舎の家屋には最初から鍵など無かった。
だから夜中にどこからでも侵入できたわけで、若い衆は狙った娘の寝室に簡単に忍び込んでいけたわけだ。
それがいつの頃からか夜はしっかりと戸締まりをするようになってしまったし外出する時には厳重に鍵をかけるようになって来た。
人を信用できなくなってきたわけだ。
息を吐くように嘘をつく人間が日本の総理大臣になれるという三流の国になってしまったと言う事か。
今回の衆議院の結果を見て思う事は、代議士は自分を支持してくれた有権者より自分の安定したポストの維持や安定した歳費の継続が一番という判断をしたと言う事だ。
納税者の代弁者である代議士と言う職責を全うするという気持ちは全くないようだ。
選挙の時に言った事(公約)は全て偽りだったと言う訳だ。
そして当選した自分は悪くなくその嘘を見抜けなかった有権者が悪いという論理で少しも良心の呵責を感じていないのだ。
このような時代でも少なくとも私は大嘘つきと言われない生き方を貫く。
やっと書く気分になりました
3/11以降精神的に不安定で文章を書くと論理手時に書く事が出来ず、感情的な文章になってしまうのでどのブログもこうしんしませんでした。
しかしどうやら自民公明みんなの党の内閣不信任案が成立しそうな状況になって来たのでまた更新を再開します。
どうやら今迄の精神的な抑圧は菅直人が無能な総理大臣やっていたせいだったと言う事がハッキリ分かりました。
今日の夕方不信任案が可決されたら本格的に再開します。
しかしどうやら自民公明みんなの党の内閣不信任案が成立しそうな状況になって来たのでまた更新を再開します。
どうやら今迄の精神的な抑圧は菅直人が無能な総理大臣やっていたせいだったと言う事がハッキリ分かりました。
今日の夕方不信任案が可決されたら本格的に再開します。
久しぶりに心の底から笑ってしまいました
福島原発事故の医学的科学的真実: 稲 恭宏博士 緊急特別講演を見て
福島第一原発の事故を知ってから3日後に5歳の息子を川崎の親戚に疎開させました。
それから毎日福島からの風向きばかり気になって毎日を過ごしました。
出来る事なら関西に一家揃って疎開しようかとも思っていたのです。
当然の事ながら胸の感覚は重苦しく、焦る気持ちが胸を焦がしていました。
政府の発表で最悪の事態はどうやら免れたと言う発表を聞き、一週間後息子を迎えにいきました。
しかしその発表はあやふやで危機的状態は今後も続くみたいで困り果ててしまいました。
稲 恭宏博士の動画を知ったのはそれからしばらく経ってからでした。
動画を観て目から鱗が落ちると言う経験をしました。
思わず笑ってしまいました。
今までの杞憂は何だったんでしょう。
稲 恭宏博士の説は信頼できると言う事は私の胸の感覚で確認できました。
私は普段から自分の胸の感覚で人生を判断してきました。
胸が辛い感覚の時は「それは違うぞ」と魂が訴えていると解釈しています。
胸が楽な時は「そうだよ、それで良いんだよ」と言うシグナルだと解釈しています。
動画の途中で胸が「そうだよ、心配いらないよ」と言うシグナルを感じたのです。
その感覚を感じて思わず笑ってしまったのです。
福島第一原発の事故を知ってから3日後に5歳の息子を川崎の親戚に疎開させました。
それから毎日福島からの風向きばかり気になって毎日を過ごしました。
出来る事なら関西に一家揃って疎開しようかとも思っていたのです。
当然の事ながら胸の感覚は重苦しく、焦る気持ちが胸を焦がしていました。
政府の発表で最悪の事態はどうやら免れたと言う発表を聞き、一週間後息子を迎えにいきました。
しかしその発表はあやふやで危機的状態は今後も続くみたいで困り果ててしまいました。
稲 恭宏博士の動画を知ったのはそれからしばらく経ってからでした。
動画を観て目から鱗が落ちると言う経験をしました。
思わず笑ってしまいました。
今までの杞憂は何だったんでしょう。
稲 恭宏博士の説は信頼できると言う事は私の胸の感覚で確認できました。
私は普段から自分の胸の感覚で人生を判断してきました。
胸が辛い感覚の時は「それは違うぞ」と魂が訴えていると解釈しています。
胸が楽な時は「そうだよ、それで良いんだよ」と言うシグナルだと解釈しています。
動画の途中で胸が「そうだよ、心配いらないよ」と言うシグナルを感じたのです。
その感覚を感じて思わず笑ってしまったのです。
いよいよ物流が経済の要となる時代
子供の頃からの夢だった大型トレーラーのドライバー
に39歳でなる事が出来ました。
しかも製鉄所から鋼材を運ぶ重トレーラーのオペレーターです。
製鉄所はその頃(平成1年)からコンピューターで
受注から高炉の稼働、製品出荷まで管理していました。
時代はバブル景気の終盤。
IT革命のまっただ中。
情報革命の時代でした。
製品には全てIDナンバーがバーコードでつけられ、送り状も
コンピューターに連動したプリンターが打ち出していました。
しかし現場は人の働きが無ければ動きません。
茨城県鹿嶋の製鉄所からエンドユーザーまで
製品を運ぶのは大型トレーラーのドライバーなんです。
その頃を書いた小説「430馬力」はここをクリック
に39歳でなる事が出来ました。
しかも製鉄所から鋼材を運ぶ重トレーラーのオペレーターです。
製鉄所はその頃(平成1年)からコンピューターで
受注から高炉の稼働、製品出荷まで管理していました。
時代はバブル景気の終盤。
IT革命のまっただ中。
情報革命の時代でした。
製品には全てIDナンバーがバーコードでつけられ、送り状も
コンピューターに連動したプリンターが打ち出していました。
しかし現場は人の働きが無ければ動きません。
茨城県鹿嶋の製鉄所からエンドユーザーまで
製品を運ぶのは大型トレーラーのドライバーなんです。
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大型トレーラーを運転したい!
第三話
決断
喜多村は彼等と別れて試験場の窓口に先週もらったばかりの大型免許証を返し、代わりに普通・大型・大自二・けん引・にマークが入っている真新しい運転免許証を受け取った。大分待たされて時間は午後四時近かった。
普段仕事で乗っている本田アコードを東関東自動車道の佐倉パーキングエリヤに止めた。ここも桜が満開だった。運転席の窓を開けたら冷気が流れ込んで来たので急いで閉めた。エンジンは掛けたままにしてオートエアコンの目盛りを二十八度にする。今日交付されたばかりの真新しい運転免許証を財布から取り出しじっくりと眺めてみる。
先週の事を思い出した。
そもそも先週合格した大型一種自動車運転免許も偶然では無く遠藤をヨイショして、合格のコツを習ったので取れたのだった。
大型免許実技試験は申し込み受付の締め切り間際に申し込んだので試験の順番は最後だった。十八才で普通自動車運転免許取得以来二十一年ぶりの運転免許試験だったので試験の要領がまったく分からなかったのを幸いに、私より先に実技試験を終わってコースを完走した人からコツを教わろうと思ったのだ。
一番目の人は自信ありげにスタートして行った。難所のS字は難なくクリアーした。クランクも無事通過した。踏切に見立てた坂道発進も上手だった。ところが外周路を残り二百メートルも走ればフィニッシュになるという所で試験用車両が急に止まってしまった。
「あれ~どうしたんだ? 順調に走っていたのに」
一緒に成り行きを観ていた受験者たちはつぶやき始めた。
誰から見てもスムーズで失敗は無い様に見えたのだった。暫くして一番目の人はスタート地点に戻って来た。実技試験用車から降りて私達のいる待合所にもどってきた。しきりに首を傾げている。どうやら納得が行かない様子だ。
「おかしいよな。ちゃんと走れたはずなんだけどな。何が悪かったのか試験官に聞いたんだけどあの野郎絶対に教えてくれないんだぜ」
知り合いらしき男と話し始めた。
でも教えないのは当然で試験官がカンニングに手を貸すわけがない。その後連続して七人がコース途中で返された。
次は柄の悪い、見るからに恐そうな男の番だ。ところが意に反してその男が完走出来たのだ。それが遠藤だった。遠藤は試験官から合格を告げられたらしく嬉しそうに車から降りて来た。
私はこいつに聞くしかないと思い、謙虚な気持ちでそれとなくヨイショしながら受かったコツを聞いてみた。そうしたら遠藤は缶コーヒー一本で教えてくれたのである。それによると
「コースの縁石から五十・位の所に鋲が打ってあって、そこよりセンターライン寄りを走ってしまうとどんなに運転が巧くても絶対に落とされる。それはキープレフト違反になる。だからとにかくキープレフトで走ること」
S字の入り口で一度切り返したり、ぎくしゃくと走ったりして決して上手な運転では無かった私が、その教え通りにキープレフトで走ったら何と合格してしまったのだ。その時私の近くで山本、中山、清水も遠藤の話に聞き耳を立てていたのだ。
先週私が受かってしまった大型一種免許実技試験も、遠藤は八回目で受かったと話していた事を思い出した。それでもあの四人の中では一番受験回数が少ない。清水は十四回目だと言っていた。
「みんな凄い情熱だな。悔しがるわけだよ。素人が運とヨイショだけで簡単に免許証を取ってしまったんだからな」
今日運転免許試験場で受け取ったばかりの免許証を見つめて、一週間前の出来事を鮮明に思い出してしまった所だ。
突然地震の揺れを感じた。顔を上げると目の前に鋼材をぎっしりと積んだクリーム色の大型トレーラーが入って来た所だった。先まで進んで大型トレーラーを停められるスペースを見つけて一旦停車し、少し前進してから右バックで器用に狭い場所にぴたっと入れた。
「うーん、かっこいいな~」
思わず呟いた。
大型トレーラーの運転手は運転台を飛び下り、パーキングのトイレに駆け込んで行った。相当我慢していたみたいだ。
「ちょっとだけかっこ悪いな~」
そう思い直している自分に気が付く。
今の私は直ぐにでもそのトレーラーを運転する事が出来るわけだ。
突然楽しいイメージが湧いてくる。
そのトレーラーの運転席に私が座っていて交差点に差し掛かる。狭い交差点を頭(ヘッド)を大きく振って曲るが、交差点に居合わせた乗用車のドライバー達は私の運転を見てきっとこう思う。
「うーん、凄い。さすがだな~。プロは違うよな~。俺もあんな大型トレーラーを運転してみたいな~。でも残念だが持っているのは普通自動車の免許だけで、大型トレーラーの免許を取る暇も無いし・・・、きっと免許取るのも大変だろうな。一体幾ら位費用が掛かるのかな?・・・無理だよな。・・・どうせ俺には出来ないな」
そう思って諦めてしまう事だろう。
免許を手にしただけなのに今の私ははプロのドライバーだ。
男の子なら誰でもそうだろうと思うが、私も子供の頃から大型トラックの運転手に憧れていた。しかし今まで大型免許を取る機会も無く、また当然その必要性も無く、そしてまさか自分が大型けん引運転免許証を手にするなどとは今日の今日まで思いもしなかった。
しかし今日それを手にしている。しかもプロドライバーが憧れる「大型けん引免許証」だ。もう一度発行されたばかりの免許証をじっくりと見る。
私の名前と住所、顔写真、そして今日の日付、免許の種類は先週取ったばかりの大型、普通、(高校三年の時に合格)大自二、(自動二輪で、高校一年の時に取った)、そして今日受かったけん引、そこに印が入っている。
「うーん。やった~。すごいな~」
自分で感心して思わず唸ってしまう。
でも今ふっと気が付いた。
「あれーっ、どうしよう。このままでは到底大型トレーラーの運転など出来ない」
そうだった。免許証を持っているだけでは何の役にも立たないし運転も出来ない。自分で大型トレーラーを買わない限り、一生運転する事も無いわけだ。
試験場で一緒に受験したプロドライバー達の話では、大型トレーラーが地上を走る車の頂点で、プロの運転手なら一生に一度は大型トレーラーの運転を体験したいものだそうだ。
運転手達の話をただ聞いているだけでも大型トレーラーと言う乗り物は、何かとても面白そうな乗り物の様な感じがしてしまったのだ。そのプロ運転手達の憧れの大型けん引免許証がまぎれも無く私の手の中に現実に有るのだ。
ところがせっかくの大型けん引免許証が有るのに、今の私は絶対に運転する事が出来ない。この単純な事を忘れていたのだった。
このまま一度も運転せずに一生を終わったら後悔が残る様な気がだんだんして来た。しかし幾らするか知らないが、大型トレーラーを個人で買うのは今の私にはまず無理だ。
大型トレーラーを確実に運転するには運送屋さんに大型トレーラーの運転手で入社するしか道はない。
「あ~、失敗した。免許取らなかった方が良かったかのかな~」
まったくドジな話だがこんな免許証が無ければ、素人の私はこんな事で悩みはしないのだ。免許証が取れたばかりに私は運転手さん達と違って、逆にフラストレーションが溜まってしまう状況になってしまったのだ。
今、事の重大さにやっと気が付いた。
現実を考えると、私の年齢は今月誕生日が来て三十九才になる。占師と、図書と印章の販売会社をやっているけど、会社と言えるほどではなく、五人の社員と私が生活をどうにか維持出来る程度の売り上げなのだ。日常は何の刺激も無くただ毎日を生活の為に決まりきった仕事で過ごしているだけの状態だった。
ところが私の手元には、男なら誰でも子供の頃から憧れの、おもちゃでは無く本物の、しかも私専用の大型けん引免許証がある。
大型トラック? いやいやもっとでっかい大型トレーラーの運転が出来る日本国国家公安委員会発行の「大型けん引免許証」を持っている。免許証をよく見ると千葉県公安委員会発行になっていた。でもこの際それはどうでもいい。
「どうしよう。一度でいいから本物に乗ってみたい。でも今の仕事を直ぐ辞める訳にもいかないし・・・」
自分の年齢の事を考えると、今決心しなければ一生大型トレーラーの運転など出来なくなってしまう。今ならぎりぎり間に合う年齢だ。今の機会を逃せば大型トレーラーを一度も運転しないまま、ただ何の役にも立たない大型トレーラーの免許を持っているだけで、この人生が終わってしまうのだ。しかも毎日フラストレーションを貯めながら。
「どうしよう。今更この歳で運転手になれるものだろうか? 私の会社の経営の問題も有るし・・・」
不思議な事にこの時は、妻の事は全く頭に浮かばなかった。
さきほどのクリーム色の大型トレーラーはプッシューンという音を立ててパーキングエリヤから出て行った。その音で我に返った。その大型トレーラーの運転手はトイレになんとか間に合った様だ。
私は突然やる気がむくむくと沸き出して来た。
「お前は大型トレーラーを運転したかったのだろう? だから免許を与えたんだぞ。ならやってごらん。ほら、ほらほら・・・」
この一週間の不思議な出来事は、神様が私に「子供の時に抱いた夢を叶えなさい」と勧めてくれたものと勝手に解釈した。
「よし、こうなったら絶対大型トレーラーのドライバーになるぞ」
と声を出して決めてしまった。
ところがそう決めたとたんに今まで感じていた胸のしこりがスーと楽になってしまった。
きっとそうする事が私の人生の課題で、それをやる事が正解なのだ。魂が大喜びしているのが全身で感じられた。
ダッシュボードを開けて缶入りピースを取り出し一本くわえてジッポーで火を点ける。少し窓を開ける。紫色の煙が車外に流れ出て暮れかかった春の空に立ち上って行った。その紫煙を見送りながら改めてこの一週間を振り返ってみる。
よく考えると、ここ一週間は何もかもが幸運の連続だった。今までの三十九年間の人生でこんなにラッキーな事が続いたのは今回が初めてである。今の私には何も出来ない事は無い。ここまでは全て私の思い通りになっている事に気が点いた。そうだ。これで良いのだ。
「遠藤さん、山本さん、中山さん、清水さん、私もあなた達の仲間になりますよ」
プロ運転手の憧れ、大型トレーラーの運転を本気でやる事にした。
あとは女房を口説くと言う難問が待っているだけだ。
決断
喜多村は彼等と別れて試験場の窓口に先週もらったばかりの大型免許証を返し、代わりに普通・大型・大自二・けん引・にマークが入っている真新しい運転免許証を受け取った。大分待たされて時間は午後四時近かった。
普段仕事で乗っている本田アコードを東関東自動車道の佐倉パーキングエリヤに止めた。ここも桜が満開だった。運転席の窓を開けたら冷気が流れ込んで来たので急いで閉めた。エンジンは掛けたままにしてオートエアコンの目盛りを二十八度にする。今日交付されたばかりの真新しい運転免許証を財布から取り出しじっくりと眺めてみる。
先週の事を思い出した。
そもそも先週合格した大型一種自動車運転免許も偶然では無く遠藤をヨイショして、合格のコツを習ったので取れたのだった。
大型免許実技試験は申し込み受付の締め切り間際に申し込んだので試験の順番は最後だった。十八才で普通自動車運転免許取得以来二十一年ぶりの運転免許試験だったので試験の要領がまったく分からなかったのを幸いに、私より先に実技試験を終わってコースを完走した人からコツを教わろうと思ったのだ。
一番目の人は自信ありげにスタートして行った。難所のS字は難なくクリアーした。クランクも無事通過した。踏切に見立てた坂道発進も上手だった。ところが外周路を残り二百メートルも走ればフィニッシュになるという所で試験用車両が急に止まってしまった。
「あれ~どうしたんだ? 順調に走っていたのに」
一緒に成り行きを観ていた受験者たちはつぶやき始めた。
誰から見てもスムーズで失敗は無い様に見えたのだった。暫くして一番目の人はスタート地点に戻って来た。実技試験用車から降りて私達のいる待合所にもどってきた。しきりに首を傾げている。どうやら納得が行かない様子だ。
「おかしいよな。ちゃんと走れたはずなんだけどな。何が悪かったのか試験官に聞いたんだけどあの野郎絶対に教えてくれないんだぜ」
知り合いらしき男と話し始めた。
でも教えないのは当然で試験官がカンニングに手を貸すわけがない。その後連続して七人がコース途中で返された。
次は柄の悪い、見るからに恐そうな男の番だ。ところが意に反してその男が完走出来たのだ。それが遠藤だった。遠藤は試験官から合格を告げられたらしく嬉しそうに車から降りて来た。
私はこいつに聞くしかないと思い、謙虚な気持ちでそれとなくヨイショしながら受かったコツを聞いてみた。そうしたら遠藤は缶コーヒー一本で教えてくれたのである。それによると
「コースの縁石から五十・位の所に鋲が打ってあって、そこよりセンターライン寄りを走ってしまうとどんなに運転が巧くても絶対に落とされる。それはキープレフト違反になる。だからとにかくキープレフトで走ること」
S字の入り口で一度切り返したり、ぎくしゃくと走ったりして決して上手な運転では無かった私が、その教え通りにキープレフトで走ったら何と合格してしまったのだ。その時私の近くで山本、中山、清水も遠藤の話に聞き耳を立てていたのだ。
先週私が受かってしまった大型一種免許実技試験も、遠藤は八回目で受かったと話していた事を思い出した。それでもあの四人の中では一番受験回数が少ない。清水は十四回目だと言っていた。
「みんな凄い情熱だな。悔しがるわけだよ。素人が運とヨイショだけで簡単に免許証を取ってしまったんだからな」
今日運転免許試験場で受け取ったばかりの免許証を見つめて、一週間前の出来事を鮮明に思い出してしまった所だ。
突然地震の揺れを感じた。顔を上げると目の前に鋼材をぎっしりと積んだクリーム色の大型トレーラーが入って来た所だった。先まで進んで大型トレーラーを停められるスペースを見つけて一旦停車し、少し前進してから右バックで器用に狭い場所にぴたっと入れた。
「うーん、かっこいいな~」
思わず呟いた。
大型トレーラーの運転手は運転台を飛び下り、パーキングのトイレに駆け込んで行った。相当我慢していたみたいだ。
「ちょっとだけかっこ悪いな~」
そう思い直している自分に気が付く。
今の私は直ぐにでもそのトレーラーを運転する事が出来るわけだ。
突然楽しいイメージが湧いてくる。
そのトレーラーの運転席に私が座っていて交差点に差し掛かる。狭い交差点を頭(ヘッド)を大きく振って曲るが、交差点に居合わせた乗用車のドライバー達は私の運転を見てきっとこう思う。
「うーん、凄い。さすがだな~。プロは違うよな~。俺もあんな大型トレーラーを運転してみたいな~。でも残念だが持っているのは普通自動車の免許だけで、大型トレーラーの免許を取る暇も無いし・・・、きっと免許取るのも大変だろうな。一体幾ら位費用が掛かるのかな?・・・無理だよな。・・・どうせ俺には出来ないな」
そう思って諦めてしまう事だろう。
免許を手にしただけなのに今の私ははプロのドライバーだ。
男の子なら誰でもそうだろうと思うが、私も子供の頃から大型トラックの運転手に憧れていた。しかし今まで大型免許を取る機会も無く、また当然その必要性も無く、そしてまさか自分が大型けん引運転免許証を手にするなどとは今日の今日まで思いもしなかった。
しかし今日それを手にしている。しかもプロドライバーが憧れる「大型けん引免許証」だ。もう一度発行されたばかりの免許証をじっくりと見る。
私の名前と住所、顔写真、そして今日の日付、免許の種類は先週取ったばかりの大型、普通、(高校三年の時に合格)大自二、(自動二輪で、高校一年の時に取った)、そして今日受かったけん引、そこに印が入っている。
「うーん。やった~。すごいな~」
自分で感心して思わず唸ってしまう。
でも今ふっと気が付いた。
「あれーっ、どうしよう。このままでは到底大型トレーラーの運転など出来ない」
そうだった。免許証を持っているだけでは何の役にも立たないし運転も出来ない。自分で大型トレーラーを買わない限り、一生運転する事も無いわけだ。
試験場で一緒に受験したプロドライバー達の話では、大型トレーラーが地上を走る車の頂点で、プロの運転手なら一生に一度は大型トレーラーの運転を体験したいものだそうだ。
運転手達の話をただ聞いているだけでも大型トレーラーと言う乗り物は、何かとても面白そうな乗り物の様な感じがしてしまったのだ。そのプロ運転手達の憧れの大型けん引免許証がまぎれも無く私の手の中に現実に有るのだ。
ところがせっかくの大型けん引免許証が有るのに、今の私は絶対に運転する事が出来ない。この単純な事を忘れていたのだった。
このまま一度も運転せずに一生を終わったら後悔が残る様な気がだんだんして来た。しかし幾らするか知らないが、大型トレーラーを個人で買うのは今の私にはまず無理だ。
大型トレーラーを確実に運転するには運送屋さんに大型トレーラーの運転手で入社するしか道はない。
「あ~、失敗した。免許取らなかった方が良かったかのかな~」
まったくドジな話だがこんな免許証が無ければ、素人の私はこんな事で悩みはしないのだ。免許証が取れたばかりに私は運転手さん達と違って、逆にフラストレーションが溜まってしまう状況になってしまったのだ。
今、事の重大さにやっと気が付いた。
現実を考えると、私の年齢は今月誕生日が来て三十九才になる。占師と、図書と印章の販売会社をやっているけど、会社と言えるほどではなく、五人の社員と私が生活をどうにか維持出来る程度の売り上げなのだ。日常は何の刺激も無くただ毎日を生活の為に決まりきった仕事で過ごしているだけの状態だった。
ところが私の手元には、男なら誰でも子供の頃から憧れの、おもちゃでは無く本物の、しかも私専用の大型けん引免許証がある。
大型トラック? いやいやもっとでっかい大型トレーラーの運転が出来る日本国国家公安委員会発行の「大型けん引免許証」を持っている。免許証をよく見ると千葉県公安委員会発行になっていた。でもこの際それはどうでもいい。
「どうしよう。一度でいいから本物に乗ってみたい。でも今の仕事を直ぐ辞める訳にもいかないし・・・」
自分の年齢の事を考えると、今決心しなければ一生大型トレーラーの運転など出来なくなってしまう。今ならぎりぎり間に合う年齢だ。今の機会を逃せば大型トレーラーを一度も運転しないまま、ただ何の役にも立たない大型トレーラーの免許を持っているだけで、この人生が終わってしまうのだ。しかも毎日フラストレーションを貯めながら。
「どうしよう。今更この歳で運転手になれるものだろうか? 私の会社の経営の問題も有るし・・・」
不思議な事にこの時は、妻の事は全く頭に浮かばなかった。
さきほどのクリーム色の大型トレーラーはプッシューンという音を立ててパーキングエリヤから出て行った。その音で我に返った。その大型トレーラーの運転手はトイレになんとか間に合った様だ。
私は突然やる気がむくむくと沸き出して来た。
「お前は大型トレーラーを運転したかったのだろう? だから免許を与えたんだぞ。ならやってごらん。ほら、ほらほら・・・」
この一週間の不思議な出来事は、神様が私に「子供の時に抱いた夢を叶えなさい」と勧めてくれたものと勝手に解釈した。
「よし、こうなったら絶対大型トレーラーのドライバーになるぞ」
と声を出して決めてしまった。
ところがそう決めたとたんに今まで感じていた胸のしこりがスーと楽になってしまった。
きっとそうする事が私の人生の課題で、それをやる事が正解なのだ。魂が大喜びしているのが全身で感じられた。
ダッシュボードを開けて缶入りピースを取り出し一本くわえてジッポーで火を点ける。少し窓を開ける。紫色の煙が車外に流れ出て暮れかかった春の空に立ち上って行った。その紫煙を見送りながら改めてこの一週間を振り返ってみる。
よく考えると、ここ一週間は何もかもが幸運の連続だった。今までの三十九年間の人生でこんなにラッキーな事が続いたのは今回が初めてである。今の私には何も出来ない事は無い。ここまでは全て私の思い通りになっている事に気が点いた。そうだ。これで良いのだ。
「遠藤さん、山本さん、中山さん、清水さん、私もあなた達の仲間になりますよ」
プロ運転手の憧れ、大型トレーラーの運転を本気でやる事にした。
あとは女房を口説くと言う難問が待っているだけだ。
大型トレーラーを運転したい!
第二話
牽引免許証
喜多村は一週間前の水曜日、普通免許の更新手続きで幕張の試験場に来たが、思ったより早く手続きが済んでしまい午前中に真新しい普通自動車運転免許証を手にした。手続きに一日は掛かると思って仕事を休んだから時間がたっぷりと余り、暇つぶしに午後からの大型免許実技試験を受けたら何と合格してしまったのである。
その日の午後の実技試験は三十人程が受けたが、合格者は、遠藤、山本、中山、清水、そして喜多村の五人だけだった。
その日の夕方には五人とも新しい大型一種自動車運転免許証が交付された。真新しい運転免許証を手にした五人は合格祝いにこの食堂でジュースの乾杯をした。本当はビールで乾杯と行きたかったが、向かいが県警の運転免許試験場なので遠慮したのだ。みな自家用車で来ていて試験場の駐車場に駐ていた。
喜多村は他の四人から翌週行なわれるけん引免許実技受験を誘われ、一週間後の今日、五人でけん引免許実技試験を受けたのである。
今日けん引免許実技試験を受けたのは喜多村達の五人を含んで三十人ほどだったが、合格者は僅か二人だけだった。
「でもさ~、何で喜多村さんは受かったのかな~? 背広のおかげかな~? でもバックの所を見ていたけど切り返し一回だけだったよね。あれって偶然だったの?」
と遠藤が聞いて来た。
けん引の実技試験は方向転換つまりバックが出来るかどうかがポイントでそこさえ通過すれば後は至極簡単なのだ。
しかしそこが信じられない程難しい。大部分の受験者は試験開始の最初のポイント、方向転換で失敗し不合格になってしまう。時間にして開始から五分も掛からない。だから大型の実技試験は試験用車両が三台使われるがけん引の実技試験はたった一台だけだ。
それでも誰もまともに走らないから何人受けても直に試験は終了してしまう。今日も十一時頃には終わってしまった。
「実は偶然でも運だけでもなかったんだよ」
男達は、気だるそうに喜多村の話を聞いている。
「今日も三十人ぐらい受けたよね。俺の他にもう一人合格した人が居ただろ? 俺あのブレザーを着た人から実はバックするコツを教わったんだよ。あの人今日で実技試験二十三回目だって言っていたよ」
皆は一斉に真顔になって身を乗り出した。
「コースの外周から直ぐに右折して一等最初に左にバックする所が有るだろ、方向転換と言うか車庫入れとかって言うやつ。みんなあそこで失敗しているんだよね。でもあのブレザーの人だけが成功して帰って来たわけだよな。そこであのブレザーの人を思いっきりヨイショしたんだ。『さすがですね~。大変だったですね~。お目出とう御座います。御苦労されたんでしょう?』そしたらコツを教えてくれたんだよ。あの人一年がかりでやっと合格したからさ、今日はきっといい気分だったんだろうね。俺は教わったその通りにやっただけなんだよ。そうしたら切り返し一回だけですんなり車庫入れが出来て、その後は先週遠藤さんに教わった様にキープレフトを心掛けて走っただけだよ。本当は受かった俺が一番驚いているんだぜ」
「えーっそうだったんだ。知らなかったよ」
遠藤はいすの背もたれに体重を預けた。
「ねえ、ビールと行きたいけどコーヒー驕るからさ、ねえ喜多村さんそこんとこ教えてくんない?」
と山本。他のみんなも頷く。
「いいよ、俺があの人から聞いた通りに教えるからさ、みんな来週絶対にがんばってね」
運送会社が業務で使っている大型トレーラーは全長が十二メートル有る。バックで方向転換する時はトレーラーが長い分だけハンドル操作に対して反応が鈍くなり実はコントロールがしやすくいのだ。多少コースや角度が外れてもトレーラーの反応が鈍いので十分修正する余裕が残っている。
ところが運転免許試験場の実技試験用トレーラーは普通では考えられない程極端に短く出来ていて、バック時のほんの少しハンドル操作でトレーラーの向きが大きく変化してしまう。
切り過ぎに気が付いてから修正しようとしてもその時には修正する余裕が無くなっていて、もう一度最初から方向転換をやり直すしか無くなる。三回まで試せるが三回目までに通過出来ないと減点が加算されて合格点以下になるのでその時点で実技試験は終了になる。ここまでで約五分だ。その後はスタート地点に戻るだけである。
現役のドライバーでも、試験場の実技試験用トレーラーで実際の実技試験のコースを走って見ればその難しさに直ぐに気が付くはずだ。角を一回や二回曲がった程度では、とても車両感覚など掴めるはずも無く、つまりバックする時に必要な車両感覚などは絶対に掴めないという状態のまま、あっという間に方向転換の所に来てしまう。
実技試験を受ける人は、その状態で何も分からないまま試験官に促されて方向転換のバックをするのだ。そしてすぐに自分の考えの甘さに気が付くと言う仕組みになっている。
たぶん業務で使っている大型トレーラーならぶっつけ本番でも感の良い人ならどうにかなってしまうが、運転免許実技試験はそんなに甘くは無いのだ。
ここのトレーラーは受験者を絶対に不合格にしようという意気込みで設計されている。事実ここで使用しているトレーラーと同じ車量は一般の道路上では絶対に見かけない。そのくらいここの実技試験用トレーラーは特別製なのである。だから一般の人は練習など出来るはずが無い。
おそらく運送会社で使っている車両で実技試験をすれば、喜多村が不合格になり、他の四人は簡単に合格したはずである。合格したブレザーの人から何もコツを聞かない状態の喜多村だったら、おそらく十年掛かっても奇跡でも起きない限り合格の見込みすら無かっただろう。
ところが今日はその奇跡が起こってしまったのである。
この様な実情に全く適わない実技試験が、十何年間も罷り通ると言う事は全く理解に苦しむ次第である。誰も疑問に思わないのだろうか?
「お前らがここに来たってけん引免許は絶対にやらねえぞ。試験場なんかに来ないで俺たちの先輩が天下りした教習所で、ちゃんと高い料金を払ってけん引免許を貰え。今日は一応実技試験はやってあげるけど、何度会社の大型トレーラーで練習したって無駄だってことを骨の髄まで教えてやる。早く気が付いて教習所に行った方が利巧だぞ」
と言わんばかりの、ただ落とすのだけが目的の実技試験だった。
大勢の若いドライバーが免許試験場にやってくるが、彼らがどの位けん引免許の取得に対して根性が有るのかをテストする「けん引免許取得根性試し試験場」なのかもしれない。
実際にけん引免許証所持者の大半は教習所の卒業生で占められている。この当時は大型免許所持者が教習所でけん引免許だけを取る場合、十二三万円と最短でも十二日間の時間が必要だった。ちなみに普通免許の教習費用は二十二三万円、大型免許は十五六万円が相場だった。
ドライバーが貰う給料は大型トレーラーでも大型トラックでもさほど変わりはないのだ。だからよほどの車好きか閑人でない限り大型けん引免許証など無用の長物で必要無いものなのだ。それだけにこのけん引免許実技試験は本当に運転好きな人間だけが受けにくる。
でもさすがは法治国家日本である。とても公平な実技試験であった。たとえ誰が受けようが合格基準さえ満たせば喜多村の様なド素人でも合格させてくれるのである。
だからかえって何も練習しない喜多村の方がうまく行ったのかもしれない。コツさえ掴めば実は簡単なのだ。
男達は聞き漏らすまいと緊張した。皆真剣である。喜多村は具体的に紙ナプキンにコースの図を描いて教えた。
「目印が有ったんだよ。そこに左のミラーを合わせて、ハンドルを右に九十度きった状態で二メートルほどバックすると・・・・・・・」
質問に答えたり新しい紙ナプキンに図を書いたりして十五分間程掛けて丁寧に教えた。
「え~~~~そうか、そうだったんだ。でなければあんなに簡単に左バックなんか出来るわけ無えよな。きっと試験官たちもその目印を使って走ったんだよな」
飲み込みの早い遠藤がいった。こいつは本当の所頭が良いんじゃないかと喜多村は思った。
試験開始前に試験官が模範走行を見せてくれるが、喜多村の前に実技走行して合格したブレザーを着た人は、二十回目のけん引免許実技試験の時に目印に気が付いたそうだ。
もし一本だけポールが立っていたら誰にもすぐ目印だと分かってしまう。しかし方向転換の場所にはポールが何本も立っていてどれが目印だか分からない。それより目印かどうかも分からない程一杯ポールが立てられていると言い直した方がいい。つまりそこにはダミーのポールが一杯立っているのだ。
試験官がどれを目印にしているのかを見つけるまで、ブレザーの彼はその後三回試験場に通ったのである。
実技試験用トレーラーのホイールベースを歩幅で測り、紙に車の図面を描き、試験場で販売しているコース図と照らし合わせ、何本も立っているポールの中から目印用の一本を見つけ出したそうだ。それにしても凄い粘りだ。
試験場の待合室では順番を待つ運転手たちの間で諸説が飛び交っている。その「ダミーポール説」も喜多村一人だけでは無く何人も聞いたがその話を本気にしたのは喜多村一人だけだった。先入観の何もない喜多村はその「ダミーポール説」をイメージで覚え込みその通りにバックをしただけだったのだ。
そしてブレザーを着た人の「ダミーポール説」が正しかった事は、喜多村が合格したという事実で証明された。
牽引免許証
喜多村は一週間前の水曜日、普通免許の更新手続きで幕張の試験場に来たが、思ったより早く手続きが済んでしまい午前中に真新しい普通自動車運転免許証を手にした。手続きに一日は掛かると思って仕事を休んだから時間がたっぷりと余り、暇つぶしに午後からの大型免許実技試験を受けたら何と合格してしまったのである。
その日の午後の実技試験は三十人程が受けたが、合格者は、遠藤、山本、中山、清水、そして喜多村の五人だけだった。
その日の夕方には五人とも新しい大型一種自動車運転免許証が交付された。真新しい運転免許証を手にした五人は合格祝いにこの食堂でジュースの乾杯をした。本当はビールで乾杯と行きたかったが、向かいが県警の運転免許試験場なので遠慮したのだ。みな自家用車で来ていて試験場の駐車場に駐ていた。
喜多村は他の四人から翌週行なわれるけん引免許実技受験を誘われ、一週間後の今日、五人でけん引免許実技試験を受けたのである。
今日けん引免許実技試験を受けたのは喜多村達の五人を含んで三十人ほどだったが、合格者は僅か二人だけだった。
「でもさ~、何で喜多村さんは受かったのかな~? 背広のおかげかな~? でもバックの所を見ていたけど切り返し一回だけだったよね。あれって偶然だったの?」
と遠藤が聞いて来た。
けん引の実技試験は方向転換つまりバックが出来るかどうかがポイントでそこさえ通過すれば後は至極簡単なのだ。
しかしそこが信じられない程難しい。大部分の受験者は試験開始の最初のポイント、方向転換で失敗し不合格になってしまう。時間にして開始から五分も掛からない。だから大型の実技試験は試験用車両が三台使われるがけん引の実技試験はたった一台だけだ。
それでも誰もまともに走らないから何人受けても直に試験は終了してしまう。今日も十一時頃には終わってしまった。
「実は偶然でも運だけでもなかったんだよ」
男達は、気だるそうに喜多村の話を聞いている。
「今日も三十人ぐらい受けたよね。俺の他にもう一人合格した人が居ただろ? 俺あのブレザーを着た人から実はバックするコツを教わったんだよ。あの人今日で実技試験二十三回目だって言っていたよ」
皆は一斉に真顔になって身を乗り出した。
「コースの外周から直ぐに右折して一等最初に左にバックする所が有るだろ、方向転換と言うか車庫入れとかって言うやつ。みんなあそこで失敗しているんだよね。でもあのブレザーの人だけが成功して帰って来たわけだよな。そこであのブレザーの人を思いっきりヨイショしたんだ。『さすがですね~。大変だったですね~。お目出とう御座います。御苦労されたんでしょう?』そしたらコツを教えてくれたんだよ。あの人一年がかりでやっと合格したからさ、今日はきっといい気分だったんだろうね。俺は教わったその通りにやっただけなんだよ。そうしたら切り返し一回だけですんなり車庫入れが出来て、その後は先週遠藤さんに教わった様にキープレフトを心掛けて走っただけだよ。本当は受かった俺が一番驚いているんだぜ」
「えーっそうだったんだ。知らなかったよ」
遠藤はいすの背もたれに体重を預けた。
「ねえ、ビールと行きたいけどコーヒー驕るからさ、ねえ喜多村さんそこんとこ教えてくんない?」
と山本。他のみんなも頷く。
「いいよ、俺があの人から聞いた通りに教えるからさ、みんな来週絶対にがんばってね」
運送会社が業務で使っている大型トレーラーは全長が十二メートル有る。バックで方向転換する時はトレーラーが長い分だけハンドル操作に対して反応が鈍くなり実はコントロールがしやすくいのだ。多少コースや角度が外れてもトレーラーの反応が鈍いので十分修正する余裕が残っている。
ところが運転免許試験場の実技試験用トレーラーは普通では考えられない程極端に短く出来ていて、バック時のほんの少しハンドル操作でトレーラーの向きが大きく変化してしまう。
切り過ぎに気が付いてから修正しようとしてもその時には修正する余裕が無くなっていて、もう一度最初から方向転換をやり直すしか無くなる。三回まで試せるが三回目までに通過出来ないと減点が加算されて合格点以下になるのでその時点で実技試験は終了になる。ここまでで約五分だ。その後はスタート地点に戻るだけである。
現役のドライバーでも、試験場の実技試験用トレーラーで実際の実技試験のコースを走って見ればその難しさに直ぐに気が付くはずだ。角を一回や二回曲がった程度では、とても車両感覚など掴めるはずも無く、つまりバックする時に必要な車両感覚などは絶対に掴めないという状態のまま、あっという間に方向転換の所に来てしまう。
実技試験を受ける人は、その状態で何も分からないまま試験官に促されて方向転換のバックをするのだ。そしてすぐに自分の考えの甘さに気が付くと言う仕組みになっている。
たぶん業務で使っている大型トレーラーならぶっつけ本番でも感の良い人ならどうにかなってしまうが、運転免許実技試験はそんなに甘くは無いのだ。
ここのトレーラーは受験者を絶対に不合格にしようという意気込みで設計されている。事実ここで使用しているトレーラーと同じ車量は一般の道路上では絶対に見かけない。そのくらいここの実技試験用トレーラーは特別製なのである。だから一般の人は練習など出来るはずが無い。
おそらく運送会社で使っている車両で実技試験をすれば、喜多村が不合格になり、他の四人は簡単に合格したはずである。合格したブレザーの人から何もコツを聞かない状態の喜多村だったら、おそらく十年掛かっても奇跡でも起きない限り合格の見込みすら無かっただろう。
ところが今日はその奇跡が起こってしまったのである。
この様な実情に全く適わない実技試験が、十何年間も罷り通ると言う事は全く理解に苦しむ次第である。誰も疑問に思わないのだろうか?
「お前らがここに来たってけん引免許は絶対にやらねえぞ。試験場なんかに来ないで俺たちの先輩が天下りした教習所で、ちゃんと高い料金を払ってけん引免許を貰え。今日は一応実技試験はやってあげるけど、何度会社の大型トレーラーで練習したって無駄だってことを骨の髄まで教えてやる。早く気が付いて教習所に行った方が利巧だぞ」
と言わんばかりの、ただ落とすのだけが目的の実技試験だった。
大勢の若いドライバーが免許試験場にやってくるが、彼らがどの位けん引免許の取得に対して根性が有るのかをテストする「けん引免許取得根性試し試験場」なのかもしれない。
実際にけん引免許証所持者の大半は教習所の卒業生で占められている。この当時は大型免許所持者が教習所でけん引免許だけを取る場合、十二三万円と最短でも十二日間の時間が必要だった。ちなみに普通免許の教習費用は二十二三万円、大型免許は十五六万円が相場だった。
ドライバーが貰う給料は大型トレーラーでも大型トラックでもさほど変わりはないのだ。だからよほどの車好きか閑人でない限り大型けん引免許証など無用の長物で必要無いものなのだ。それだけにこのけん引免許実技試験は本当に運転好きな人間だけが受けにくる。
でもさすがは法治国家日本である。とても公平な実技試験であった。たとえ誰が受けようが合格基準さえ満たせば喜多村の様なド素人でも合格させてくれるのである。
だからかえって何も練習しない喜多村の方がうまく行ったのかもしれない。コツさえ掴めば実は簡単なのだ。
男達は聞き漏らすまいと緊張した。皆真剣である。喜多村は具体的に紙ナプキンにコースの図を描いて教えた。
「目印が有ったんだよ。そこに左のミラーを合わせて、ハンドルを右に九十度きった状態で二メートルほどバックすると・・・・・・・」
質問に答えたり新しい紙ナプキンに図を書いたりして十五分間程掛けて丁寧に教えた。
「え~~~~そうか、そうだったんだ。でなければあんなに簡単に左バックなんか出来るわけ無えよな。きっと試験官たちもその目印を使って走ったんだよな」
飲み込みの早い遠藤がいった。こいつは本当の所頭が良いんじゃないかと喜多村は思った。
試験開始前に試験官が模範走行を見せてくれるが、喜多村の前に実技走行して合格したブレザーを着た人は、二十回目のけん引免許実技試験の時に目印に気が付いたそうだ。
もし一本だけポールが立っていたら誰にもすぐ目印だと分かってしまう。しかし方向転換の場所にはポールが何本も立っていてどれが目印だか分からない。それより目印かどうかも分からない程一杯ポールが立てられていると言い直した方がいい。つまりそこにはダミーのポールが一杯立っているのだ。
試験官がどれを目印にしているのかを見つけるまで、ブレザーの彼はその後三回試験場に通ったのである。
実技試験用トレーラーのホイールベースを歩幅で測り、紙に車の図面を描き、試験場で販売しているコース図と照らし合わせ、何本も立っているポールの中から目印用の一本を見つけ出したそうだ。それにしても凄い粘りだ。
試験場の待合室では順番を待つ運転手たちの間で諸説が飛び交っている。その「ダミーポール説」も喜多村一人だけでは無く何人も聞いたがその話を本気にしたのは喜多村一人だけだった。先入観の何もない喜多村はその「ダミーポール説」をイメージで覚え込みその通りにバックをしただけだったのだ。
そしてブレザーを着た人の「ダミーポール説」が正しかった事は、喜多村が合格したという事実で証明された。
2004-11-13
連載小説
大型トレーラーを運転したい!
第一話
免許更新
「いいな~喜多村さんヨー。もう今日からあれの運転ができるんだぜ~」
遠藤の指差す方を見ると窓の外に鋼材を積んだ濃い緑色の大型トレーラーが地響きを立てて走り去って行くのが見えた。
昭和六十三年四月一日。天気は快晴。風も無く穏やかな陽気だ。
その日差しで千葉市幕張の千葉県自動車運転免許試験場の桜も満開になっている。
ここはその向いに在る食堂だ。隣は申請書類の代書屋とかメガネ屋が数軒並んでいる。昼時なので店内は込み合っていた。奥のテーブルを囲んで五人の男達がそれぞれの昼食を食べている。
よく見るとその一行は奇妙な組み合わせだ。喜多村さんと呼ばれた男だけが白のワイシャツに紺のスーツ、紺地に白の水玉模様をあしらったシルクのネクタイ、磨き込まれた黒の革靴。年齢は三十代後半から四十才位、涼しそうな目元で頭髪は七三に分け、サラリーマン風だ。眼鏡は掛けていない。
後の連中は二十代後半からせいぜい三十才位、皆作業服姿である。作業服のデザインは四人とも違っているが胸ポケットの所に○○運送株式会社とか△△運輸とかの縫い込みが有る。スーツ姿の喜多村を取り囲む様に座っていた。
喜多村に話し掛けた遠藤は大柄小太りで紺の作業服だ。パンチパーマで品を落としている上に顔に傷跡が有るので近寄りがたい風貌だ。でも笑顔は可愛い。歳は二十四五才位だ。喜多村の右隣に座っている。
「いいよな~、喜多村さんは絶対に運が強いんだよな~。俺なんか会社で毎日トレーラーの練習をしてたから絶対合格する自信有ったんだよな~」
遠藤の向かいに座る山本が言った。
クリーム色の作業着の袖を二の腕まで折り上げている。色白の優男で頭はパンチパーマだが遠藤ほど下品では無い。彼がその気なら今直ぐにでも錦糸町辺りでホストになれそうだ。金縁の眼鏡をかけているがメッキのようである。遠藤より老けて見えるがせいぜい二十六七才位だろう。
「俺、来週また受けてみるわ。来週は俺も喜多村さんみたく紺の背広着て来ようかな。今日受かったもう一人の奴もブレザー着ていたからさ。ここの試験官は見かけ重視かもしれねえからな」
と遠藤が言った。
「あっ、それいいかも知んない。遠藤さんが背広着たら試験官間違いなくビビってしまうぜ。絶対にその筋に見えちゃって運転手なんかに見えなくなってしまうもんな。でもそれで合格するかどうかは分からねえけどな。でも試験官に覚えてもらえる事は間違いねえよ」
山本が言う。男達が声を上げて笑う。
遠藤がダークスーツを着込んだ姿を皆が想像したみたいだ。
「しょうがねーよ、俺五年前までマジで族やってたからさ~。ビシッっと決めたらよけいに柄悪くなっちまうわな~」
遠藤が笑いながら答えた。
「俺も来週受けてみるわ。普段はなかなか休みが取れないけど来月は仕事が暇になるからな。来週受けて合格出来なかったら会社に相談して教習所に通うよ。今うちの会社ヘッドが空いているんだ。会社は車を遊ばせたく無いから、教習所代位出してくれると思うよ」
山本が言った。後ろの台車の事をトレーラーと呼ぶ。そしてどうやらトレーラーを牽引する車の事をヘッド(頭)と言うらしい。
「おれも来週受けます・・・だけどバックが思う様にいかないですよね~」
無口な中山がやっと口を開いた。角刈りで背丈は低いが筋肉質の身体だ。切れると恐いタイプである。目つきが鋭い。鋭い目つきで右隣の山本の方を見る。山本と同年代だ。
「そうなんだよ、ここのトレーラーはちょっとばかし、みじかすぎるんだよな。前進は何とか大丈夫だけどバックする時なんかグジャグジャになって、どうやったらいいか全く見当もつかないよ。何回も何回も通って車の感覚を掴まなければ絶対に合格は無理だよな。」
山本が答えた。
「ヨシ、俺ももう一回受ける事にするよ。これでは諦めきれねえよな」
パンチパーマの清水も受けるようだ。身長は高く痩せている。視線が落ち着かない。神経質そうだ。三十才位であろう。
皆それぞれ違う運送会社に勤めているので一人一人仕事の内容や待遇、それに会社の事情は違っているが、共通するのは皆の免許取得に対する前向きな情熱と車好きと言う事だ。
喜多村以外の全員が彼らの話に依ると車好きの元暴走族だった。車を改造したりその改造車で走ったりするのが大好きで、気が付いたらグループに入っていたと言う訳だ。ただ遠藤だけは少し違って、ちょっとだけ頑張って自分のグループを結成して頭をやっていた。就職は当然の様に車に縁のある運送会社となった訳だ。
そしてどうやらこの五人の中で紺のスーツ姿の喜多村だけが運転手でも元暴走族でもないけど、けん引免許実技試験に合格した様だ。
大型トレーラーを運転したい!
第一話
免許更新
「いいな~喜多村さんヨー。もう今日からあれの運転ができるんだぜ~」
遠藤の指差す方を見ると窓の外に鋼材を積んだ濃い緑色の大型トレーラーが地響きを立てて走り去って行くのが見えた。
昭和六十三年四月一日。天気は快晴。風も無く穏やかな陽気だ。
その日差しで千葉市幕張の千葉県自動車運転免許試験場の桜も満開になっている。
ここはその向いに在る食堂だ。隣は申請書類の代書屋とかメガネ屋が数軒並んでいる。昼時なので店内は込み合っていた。奥のテーブルを囲んで五人の男達がそれぞれの昼食を食べている。
よく見るとその一行は奇妙な組み合わせだ。喜多村さんと呼ばれた男だけが白のワイシャツに紺のスーツ、紺地に白の水玉模様をあしらったシルクのネクタイ、磨き込まれた黒の革靴。年齢は三十代後半から四十才位、涼しそうな目元で頭髪は七三に分け、サラリーマン風だ。眼鏡は掛けていない。
後の連中は二十代後半からせいぜい三十才位、皆作業服姿である。作業服のデザインは四人とも違っているが胸ポケットの所に○○運送株式会社とか△△運輸とかの縫い込みが有る。スーツ姿の喜多村を取り囲む様に座っていた。
喜多村に話し掛けた遠藤は大柄小太りで紺の作業服だ。パンチパーマで品を落としている上に顔に傷跡が有るので近寄りがたい風貌だ。でも笑顔は可愛い。歳は二十四五才位だ。喜多村の右隣に座っている。
「いいよな~、喜多村さんは絶対に運が強いんだよな~。俺なんか会社で毎日トレーラーの練習をしてたから絶対合格する自信有ったんだよな~」
遠藤の向かいに座る山本が言った。
クリーム色の作業着の袖を二の腕まで折り上げている。色白の優男で頭はパンチパーマだが遠藤ほど下品では無い。彼がその気なら今直ぐにでも錦糸町辺りでホストになれそうだ。金縁の眼鏡をかけているがメッキのようである。遠藤より老けて見えるがせいぜい二十六七才位だろう。
「俺、来週また受けてみるわ。来週は俺も喜多村さんみたく紺の背広着て来ようかな。今日受かったもう一人の奴もブレザー着ていたからさ。ここの試験官は見かけ重視かもしれねえからな」
と遠藤が言った。
「あっ、それいいかも知んない。遠藤さんが背広着たら試験官間違いなくビビってしまうぜ。絶対にその筋に見えちゃって運転手なんかに見えなくなってしまうもんな。でもそれで合格するかどうかは分からねえけどな。でも試験官に覚えてもらえる事は間違いねえよ」
山本が言う。男達が声を上げて笑う。
遠藤がダークスーツを着込んだ姿を皆が想像したみたいだ。
「しょうがねーよ、俺五年前までマジで族やってたからさ~。ビシッっと決めたらよけいに柄悪くなっちまうわな~」
遠藤が笑いながら答えた。
「俺も来週受けてみるわ。普段はなかなか休みが取れないけど来月は仕事が暇になるからな。来週受けて合格出来なかったら会社に相談して教習所に通うよ。今うちの会社ヘッドが空いているんだ。会社は車を遊ばせたく無いから、教習所代位出してくれると思うよ」
山本が言った。後ろの台車の事をトレーラーと呼ぶ。そしてどうやらトレーラーを牽引する車の事をヘッド(頭)と言うらしい。
「おれも来週受けます・・・だけどバックが思う様にいかないですよね~」
無口な中山がやっと口を開いた。角刈りで背丈は低いが筋肉質の身体だ。切れると恐いタイプである。目つきが鋭い。鋭い目つきで右隣の山本の方を見る。山本と同年代だ。
「そうなんだよ、ここのトレーラーはちょっとばかし、みじかすぎるんだよな。前進は何とか大丈夫だけどバックする時なんかグジャグジャになって、どうやったらいいか全く見当もつかないよ。何回も何回も通って車の感覚を掴まなければ絶対に合格は無理だよな。」
山本が答えた。
「ヨシ、俺ももう一回受ける事にするよ。これでは諦めきれねえよな」
パンチパーマの清水も受けるようだ。身長は高く痩せている。視線が落ち着かない。神経質そうだ。三十才位であろう。
皆それぞれ違う運送会社に勤めているので一人一人仕事の内容や待遇、それに会社の事情は違っているが、共通するのは皆の免許取得に対する前向きな情熱と車好きと言う事だ。
喜多村以外の全員が彼らの話に依ると車好きの元暴走族だった。車を改造したりその改造車で走ったりするのが大好きで、気が付いたらグループに入っていたと言う訳だ。ただ遠藤だけは少し違って、ちょっとだけ頑張って自分のグループを結成して頭をやっていた。就職は当然の様に車に縁のある運送会社となった訳だ。
そしてどうやらこの五人の中で紺のスーツ姿の喜多村だけが運転手でも元暴走族でもないけど、けん引免許実技試験に合格した様だ。