ツールとしての歌 | 歌と旅、そして軽井沢@アユーラ

歌と旅、そして軽井沢@アユーラ

軽井沢と東京を行ったり来たりしながらの暮らしを綴っています。
イシス編集学校の師範代ライフもちょっぴりアケています。

子供の頃から身体が弱かった私は、すぐ自家中毒を起こし、風邪をひけば扁桃腺を腫らして高熱を出し、リウマチ熱にも罹りその頃出たばかりのステロイド投与で生命拾いをし、扁桃腺はこのまま放置しておくと却って身体にとってよくない状態になり、摘出手術を受けることになりました。

本来なら自分の身体を守ってくれるはずの扁桃腺ですから、お医者様も温存することを優先しますが、そんな悠長なことは言ってられなくなったようです。

それだけ私は有害物質に満ちた身体になっていた、つまりストレスが高い生活を送っていたのだと思いますガーン

でも、今でこそ心と身体の密接な関係は多くの情報が世間にも出回るようになりましたが、その頃はそんな情報を手に入れるルートは全くと言っていいほどありません。

私は身体が弱いダウン

それは私のコンプレックスとなり、思春期の私の生活をさらに不自由なものにしました。

身体が弱いから無理をしてはいけない、というのは間違っているわけではありませんが、過剰防衛もいいことはありません^^;
知らず知らずのうちに身体が弱いということを、都合のいい言い訳に使うようになり、それに気づいたあとは今度は身体が弱いことに罪悪感を持ち、弱いと思われないように必要以上に頑張るようになります。

会社員だった父のボーナスはほとんど私の病院代に消えてしまっていたと思います。あせる
そんな話も聞くと、さらに罪悪感はつのるばかり。

家で本を読んだり、歌を歌ったり、ぬいぐるみやお人形を主人公に見たててお芝居ごっこをしたり、私の少女時代は、完全にインドア派でした。

小学校4年生になったとき、糖尿病を患っていた祖父が入院先で急に症状が悪化して、認知症を発症し、家で闘病生活を送るようになりました。

祖父の看病の邪魔になるからと、私と弟を連れて両親は祖父母の家を出て、家族4人で住むことになりました。

新居に引っ越してしばらくすると、あんなに病気がちだった私がピタッと病気にならなくなりました。シラー

その時は、さんざん病気をやり尽して病み上がったのだろうと思ったのですが、後々になって、もしかしたら家を出たからかもしれないと思うようになりました。

引っ越し後に口うるさかった母が急に優しくなったわけでもないし、祖父母が嫌いだったわけでもないのですが、おそらく前に住んでいた家は、私に合わなかったのでしょう。
自分の好き嫌いに関係なく、エネルギーの合わない場所はあるのだと思います。
或いは家は関係なく、そこに住む人の発する気のようなものが合わなかったのかもしれません。

私はさんざん大きな病気もしましたが、日常的に悩んでいたのは、鼻炎でした。

そして、後年心と身体のことを学び始めて知るようになるのですが、鼻炎、つまり鼻が詰まった状態というのは、何かを抑圧し、何かに蓋をしている状態なのだそうです。

私は何を抑圧し、なにに蓋をしてしまっていたのでしょう?

私の中に一つの言葉が浮かびます。

私は思考に蓋をして生活していたのです。

身体が弱い私を必要以上に心配するあまりに過剰に私の自由を縛った母、過保護と言われるほど私の世話を焼いてくれた祖母。
彼女たちなりの愛情を精一杯与えてくれたのだと思い、そのことに感謝は感じていますが、大声で人前でも私を叱りつける母は怖かったですし、食べたくないのにミカンの皮を剥いて口元に差し出す祖母の過保護ぶり、そのとき私はもう小学校に通っていたのですよ得意げ

今なら私をそう扱うのはやめてほしい、と彼女たちの気持ちを傷つけないように伝えることはできるでしょうが、10歳に満たない子供には、自分の気持ちも相手の気持ちもわかるわけなく、日々を安全にサバイバルするためにできることはそれだけだったのです。

相手の気持ちを察して、期待にそうような言動を心がける。
私の演じる役割りは、身体の弱い、1人ではなにもできない情けない女の子でした。

父は平日は仕事で帰宅も遅く、休日は趣味のテニスやゴルフに明け暮れ、子供のこと母に任せっぱなし、祖父は女性にモテて華やかでしたから、我が家の女性陣は満たされない思いを抱いたまま、子供にその思いをぶつけていたのでしょう 無自覚なままに‥。

私は今でも頭の中で知らず知らずのうちに歌が鳴り響いていることがあります。
それは、レッスン中の曲だったりすることもありますが、全く関係なく何故か昔聴いた懐かしい歌やなんでこの曲が?と思えるようなものだったりします。
レッスン中の曲はともかくとして、私は思考を止めるとき、歌を利用していたのではないかと思います。

余計なことは考えてはいけない 
何も余計なことは考えずに
ただ受け入れるのだ。

歌は心を解き放つ大切なツールであり、また、自分を守る盾でもあったわけです。

長くなりましたのでとりあえず今日はここまで