私は子供の頃から歌うことが大好きで、毎日のように床の間を舞台にして大声で歌っていました。
聴くことよりも歌うことのほうが好きでした
上手だね~と大人たちが褒めてくれるのが嬉しくて それだけが私の生きる支えだったような気もします。
あの頃は多くの家庭がそうでしたが、三世代同居でした。
そんな家庭の中の緊張感や確執などが満ちた微妙な空気がイヤだったことと、心配過剰の母に自由を縛られ、鬱々とした心を歌うことで発散させていたのだと思います。
その頃の私は、アデノイドや中耳炎、扁桃腺炎、肥厚性鼻炎の症状に悩まされ続けていました。
後年になって身体や心のことを勉強するようになり、私は鼻や咽喉に症状が出る原因の一つに、言いたいことが言えなかったり感情を抑圧したりすることが関係しているということを知りました。
とてもとても納得がいきました。
「あなたは歌っていたからそれぐらいですんだのだよ」と言われ、歌っていなかったらどうなっていたのだろう?と思うとちょっと鳥肌が立ちました。
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ある日、両親は私をある歌の教室に入れてくれました。
週に2回だったかな~ 30人くらいの歌の大好きな同じ年齢の子たちと童謡を元気に歌っていました。
しかし、身体の弱かった私は盲腸炎やら肺炎やらで休みがち。
大好きな教室も幼稚園に上がった頃2年ほどお休みしなければならなくなりました。
2年後、教室に戻ったら、30人ほどいた同級生は年齢が上がるにつれてどんどん高度になるレッスンについて行けず、ほとんど辞めてしまっていました。
そして、♯や♭のいっぱい付いたソルフェージュや先生がババババ・・・と弾いたメロディを書きとるデクテーションなどに家にピアノのなかった私は予習も復習もできるわけなく、あえなく挫折。
「この子は鼻も悪いし、リズム感がないから音楽家は無理です」
と、ある先生が母を呼んでそう言いました。
「そういう子に音楽の勉強を強要するのは可哀そうです。」
今考えると、先生は親ができない私を一生懸命通わせているように見えたのでしょうし音大を目指すようなレッスンには耳鼻咽喉科系の病気は致命的だと言うことを言いたかったのでしょうが、子供は歌が好きなので通っていたわけで、別に音大受験なんか全然考えていなかったにしても やはりその言葉はショックでした。
確かに、音楽教室に行く時間になるとそれが苦痛で、家の時計の針をこっそり進ませてさぼったこともありますけれど~。。。(^_^;)
しかし、劣等性であっても歌は大好きだったので、大きくなったら歌手になりたかった私はその先生の話を親から聞いて「もう絶対歌手にはなれない」と信じ込み、その後高校を卒業するまで音楽活動のようなことはまったくしませんでした。
ちょっと長くなりそうです。
続きはまたあとで書きます。