こんにちは 私が歌手になった理由 ―②―です。
人生の初期に歌手の夢を断たれた私ですが、そのかわりお芝居に関心を持ち、学校の演劇部に所属するようになりました。
これって今考えると完全な代償行為ですけど、歌がダメならお芝居をやろうと思ったのは、やはり抑圧した感情が出口を求めていたのだと思います。
芝居熱が高じた私は大学生のとき、ついに親に黙ってプロの劇団の養成所を受け、合格後、怒り呆れる親を尻目にアルバイトをしながら歌や踊りのレッスンにも通い、二年後、その劇団の研究生となり、プロとして舞台に上がるようになりました。
さて、養成所では役者が身につけるべき教養の一つとして舞踊や声楽の授業があります。
私はリズム感がない
声楽の最初の授業の時 一人ひとり任意に選んだ曲を皆の前で歌うように言われました。
その時私が選んだ歌は小坂明子さんの「あなた」でした(^.^)
あなた~ あなた~ あなたがい~てほしい~♪
ってご存知かしら?
必死で歌い終わったら先生が
「気持ちがこもっていて素晴らしかったですね」
「でも、先生 私、昔、リズム感がないっていわれたことがあるんです」
「そんなことないわよ リズム感がないっていうのはね 1,2,3・・・という感覚が全くわからない人のことをいうのよ 音痴というのは音の高い低いの区別が出来ない人のことを言うのよ あなたは リズム感ちゃんとありますよ」
と言って下さったのでビックリ
でも、確かにそのクラスの中では一番上手でした(^_^;)
子供のころに高度なレッスンを泣きべそをかきながらやっていたのは無駄ではなかったのです。
大人の何気ない言葉を信じ込んでいたということに気づいた私は
「ああ 私は何年間も無駄に過ごしてしまったな」
と、呪いが解けたような嬉しさとともに、ちょっぴり悔しい思いを抱きました。
自分を否定するような信じ込みを作ってしまう言葉の力というのは怖いものです。
ましてや子供は 言われたまま受け取りますから。。。
その頃は舞台女優だったので カンツォーネやシャンソン、ミュージカルナンバーなどを中心にレッスンしていましたが あるとき出演した舞台でJAZZに出会いました。
ビビビと電流が身体に走り、やっぱり歌で生活費を得たい!と、思い切って歌の世界にトラバーユ(古!)
英語の歌は発音やノリがとても難しく英語が得意ではなかった私は大変だったけど、
レパートリーが増えていくのは嬉しかったし、達成感がありました。
しかし、歌いたい人は山ほどいても歌の仕事の数はそんなにありません。
お仕事を頂いても単発だったり、月に一度か二度の出演。
それではとても食べていけない!
そんな中、ピアノの弾き語りは需要がありそうに見えました。
ピアノを習って、そうしたら本当に仕事が来た!
「弾き語りしたくてピアノを練習中なんです」
と、その頃歌わせて頂いていたスポットで伴奏をしてくれていたピアニストに話したら、なんと彼は
「ちょうどよかった!僕は暫く演奏活動が出来なくなるので代りにやってくれない?ついでにほかの歌手の子の歌伴もやってね」
「え~~~~~っ!!!」
しかし、演奏と伴奏は似ているようで全く違い、演奏者としてはまったくの初心者の私ですが、歌を知っているだけに伴奏は歌手の人は歌いやすかったようです。
おかげで毎晩のようにいろいろな歌手の方のお力を借りて修業させて頂きましたm(_ _ )m
何度も穴があったら入りたいような思いもし、ステージから客席を通ってうつむいたまま逃げるように控室に帰ってきました。
毎日が綱渡りのようでした。。。
あのとき 初めてお酒の力を借りました。
緊張しっぱなしの1セット目が何とか終わり、次の2セット目に向けて他の歌手とお喋りしながら軽食を取るのですが、その時に飲むのおかげで2セット目にステージに出ていく勇気が出ました。
ああ ビール様 私はあなたのご恩を一生忘れません
それでも、だんだん伴奏にも弾き語りにも慣れてきて、私も会場を見渡す余裕も生まれてきました。
その日のお客様の雰囲気を感じ取ってお店の流れを音楽で作っていく仕事は私に悔いていたようで、しだいにホテルのバーやクラブ、レストランやラウンジなどからもお仕事を頂くようになりました。
演奏が終わると あるテーブルに座っていた人が私を呼びとめ
「あの 僕たちの話聞こえていたのですか?」
「は?」
「あなたの演奏を聴きながら
『ああ あの映画を思い出すね~』とか『こんな歌も流行ったね~』
なんて話していたのですが、
するとあなた必ずその曲演奏してくれるんですよ」
お客様の会話なんて弾き語りしていたら全く聞こえてこないので、私は気分のままに歌いたい歌をどんどん歌っていただけなんですが。。。
弾き語りって私に向いているんだな、とそのとき私は気づきました。
とりあえずここで アップ
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