ヘーゲルの憂鬱(2) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日1114日は、2016年、「Live at WembleyDVD&BDのプロモーションとして、西武新宿駅前ユニカビジョンにて15回の街頭LV(~1123日)が始まった日DEATH

 

「世界観」という言葉がある。

例えば、野生爆弾川島 邦裕(くっきー)のシュールなコントの設定とかイラスト、自作の小道具などの異様な造形をみた芸人仲間が「世界観がスゴイ」と言ったりする。

あるいは、椎名林檎、大森靖子、吉澤嘉代子といった不思議ちゃん系アーティストの楽曲の歌詞や歌い方、コスチュームや表現方法を含めて、音楽評論家が「独特の世界観」と言ったりもする。

「世界観」という言葉を最初に使ったのは、ヘーゲルの先輩にあたるドイツ(プロシア)の哲学者イマヌエル・カントである。

カントは『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三部作で、人間の理性=思考力の限界を厳密に定義したことで、ドイツ観念論の巨人となったが、その中で、人間とは、大人になる過程で「この世界は自分にとってどんな意味があるのか」と自問し、「自分はこの世界でどんな役割を果たすべきか」を考えて生きる存在だと述べた。

これが「世界観」(Weltanschauung)のもともとの意味である。

つまり、自分が今生きているこの世界を理性的に認識した上で、自分はどう生きるかという能動的な意志表明をすることが「世界観」という言葉なのだ。

しかし、現代の日本では、前述したように「世界観」とは、「その人独特の世界の見え方」あるいはラノベやアニメの「設定」のようなものとみなされている。例えば「BABYMETALの世界観」とは、「BABYMETALの設定」とほとんど同じ意味で用いられる。

現代の日本語で、カントのいうオリジナルの「世界観」の意味に近いのは、「人生観」という言葉かもしれない。

「人生観」といえば、その人の人生に対する考え方という意味になり、善悪や生きる目的といった道徳的価値観が含まれる。

例えば「愛こそすべて。それがぼくの人生観だよ」と言う人は、彼にとって、人生=世界とは出会いの場であり、出会った人に愛情を捧げ尽くすのが生きる目的なのだという意志表明である。これをカント流に言えば、彼は「愛こそすべて」という「世界観」を持っているということになる。

ヘーゲルにとって、人間が生きる目的とは自由を得ることだった。それも自分一人が思い通りに生きられればそれでいいということではなくて、自分も、同時代に生きる人々や子孫も含めて、人類すべてが自由に生きられる社会を構築しようと願うことが「絶対精神」に達するということだった。それがヘーゲルの「世界観」だったわけだ。

カントやヘーゲルの思想をドイツ観念論というが、「自分だけじゃなくて人類みんなが」という発想をするところに特徴があり、かなり道徳的である。高校生の頃、ぼくは文庫本で難解な文章を勝手に解釈して飛ばし読みしただけだが、いくら口が臭そうでも偉いオッサンたちだと考えていた。

しかし、大学へ入ると、カントやヘーゲルは完全に「過去の遺物」であり、やっぱり「革命」の匂いのするルソーとかマルクスとかサルトルの方がカッコよさげだった。もっとオシャレな人たちはジャック・デリダとかフーコーとかラカンとか、いわゆるポストモダンの哲学書を小脇に抱えていた。

で、今こうして自分のブログで、BABYMETAL現象とヘーゲル哲学とを無理やり結び付けているわけだが、それは結局ぼくには、人類すべてが自由に生きられる社会を構築しようと願う「絶対精神」に達することが人類普遍の目標だというヘーゲルの「世界観」が、やっぱり一番しっくりくるからである。

学生時代からバブル期にかけて流行したポストモダンの言説は、基本的にちんぷんかんぷんだったし、差異とかリゾームとか、難解な概念を用いているけれども、それが世界のしくみを明快に説明しているとはどうしても思えなかった。社会人になってぼくが配属されたクレヨンしんちゃん一家が住む北関東の地方都市は、ポストモダンどころか、のどかな田園風景が広がっていた。

バブルが終わり、手塚治虫が亡くなり、昭和天皇が崩御し、ベルリンの壁が壊れ、ソ連が崩壊する頃には、マルクスをはじめ、社会主義/共産主義を理想としていた思想家すべての権威や価値が暴落した。

当時、ソ連の崩壊を予言し、冷戦における西欧型の資本主義社会の勝利を「歴史の終わり?」という論文で発表したのは、レーガン政権でネオコン派として政策顧問をしていた日系三世アメリカ人のフランシス・ヨシヒロ・フクヤマだった。

確かにヘーゲルが歴史の帰結としたのは、自由主義/資本主義に基づく近代社会だった。ヘーゲルの「世界観」は「人類は自由を求める存在だ」というものだったが、マルクスの共産主義は、それを換骨奪胎したもので、実際、ソ連や東欧諸国の体制は、一党独裁による自由のない社会だったではないか。やはり自由主義/資本主義的な近代社会のしくみこそ、人類が最終的に目指すべき最も優れた統治体制なのだ。冷戦の終結とともに世界は同じ体制でグローバル化し、ひとつになる…。

フクヤマの論文は、ソ連崩壊の数か月前に出されたものだったが、ヘーゲルの「世界観」をもとにして社会主義の破綻を歴史の必然であるとみなした点で、いわば西側の勝利宣言のようなものだった。

しかし、米政権内のネオコン派という背景もあって、フクヤマの論文はあまりに政治的で、論理も楽観的に過ぎ、お粗末であるとして、学術的には真面目に受け取られなかった。

むしろ日本の言論界では、マルクスが批判的に下敷きにしたヘーゲルの価値も暴落した。東西冷戦の終結は「科学的共産主義」や「唯物史観」がベースとした「人類は生産性の向上を求めて進歩する」というヘーゲル的な直線的歴史観そのものが間違っていたのだという総括のされ方をしたからだ。

実際、ソ連や東欧諸国が市場原理をもとにした体制に変わり、アメリカが唯一の超大国となると、東欧、中東、アフリカでは、民族内戦が次々と勃発し、西欧型自由主義とはまったく異なる祭政一致を基本としたイスラム教過激派勢力が台頭した。

一方アジアでは、天安門事件を経てもなお、依然、共産党一党独裁を続ける中華人民共和国が次第に経済力をつけ、ついに日本のGDPを上回るまでに発展した。

つまり、フクヤマのいう「歴史の終わり」など実際には来ず、相変わらず世界から紛争はなくならなかった。

そして、ヘーゲル流の西欧型近代自由主義・資本主義社会が人類の歴史上もっともすぐれた体制であるという言説はあまりにも幼稚であるというとらえ方をされ、西欧近代社会もまた、イスラム教社会や社会主義社会や部族社会や中世キリスト教社会や古代専制社会と同じく、さまざまな社会のあり方の一つに過ぎない、と考える歴史相対主義が主流になった。

しかし。

ぼくはどうしてもこの歴史相対主義が理解できない。

いくつかの理由があるのだが、ここらでちょっとBABYMETALの話に切り替えてみる。

BABYMETALのメジャーデビュー時の目標は「世界征服」だった。

20131月の段階では、前年にAFAインドネシア2012に出演しただけだったから、世界進出など夢でしかなかった。しかし、中元すず香のさくら学院卒業と同時に、BABYMETALはさくら学院から切り離された単独ユニットとなり、神バンドを帯同した5月革命、日本各地のフェスへの出演を経て、サマソニ2013でメタリカに見いだされ、ずっ友写真がSNSで世界中に拡散されて、「ギミチョコ!!MVの公開、2014年日本武道館2日間、欧米デビューへと進んでいく。

日本のKawaiiアイドル、それもAKBグループのように日本でNo.1になったアイドルでもないのに、「世界征服」を目標とし、実際にそれを実現できたのはなぜか。

おそらくKOBAMETALには、ヘヴィメタルこそ世界に通じる普遍的な音楽なのだという確信があったのだと思う。

KOBAMETALにとって、日本国内で「売れる」アイドルグループを作るという意識はほとんどなかったのではないか。いや、企業人だからちゃんと採算を取れるように頭をしぼったのは確かだろう。しかし、どう売ればいいのか、先行グループのシステムをどう取り入れるかなどという企画の仕方はしなかったということは、20121031日の「日経TRENDYネット」インタビューからわかる。

彼にとって、唯一の確信は、ヘヴィメタルは世界普遍の究極の音楽であるということだけだったのだと思う。

日本で売れるということは世界で売れるということであり、それが逆になって世界で売れてから、逆輸入で日本にも波及するという可能性も考えられた。いずれにしても、ヘヴィメタルをベースにしたいい楽曲を作りこみ、いい歌唱、いいダンス、いい演奏ができれば、売れるに違いないと思い込むことがすべてだったのではないかと思う。

それは、秋元康のポストモダン的な「アイドル」創出の魔術とは真逆だった。

AKB48グループは、これまで2-3人の固定メンバーだったアイドルを、数10人、数百人の規模に増殖させ、CDを楽曲で売るのではなく、メンバーを「推す」ファンの投票装置にしてしまった。ちゃっかりすべてのシングルには自分の作詞した楽曲として印税を確保しつつ、いわば音楽やアーティスト像そのものを解体してしまったのだ。

これに対して、KOBAMETALの方法論は、歌唱やダンスや演奏の価値は世界共通であり、普遍的なものだという、極めて古風な「世界観」に基づいている。

キツネ様を守護神とし、フォックスサインを掲げ、美少女戦士風なコスチュームを着て、白塗りの神バンドがバックを固めることが、「BABYMETALの世界観」といわれるが、ここに誤解がある。

実は、あれこそヘヴィメタルバンドの多くが取り入れる「ギミック」の典型なのであり、あの異様なたたずまいこそ、ヘヴィメタルこそ普遍的で究極の大衆音楽であり、それで「世界征服」するのだという「世界観」=「この世界で自分たちの役割は何なのか」というカント流の意志表明なのだ。

(つづく)