ヘーゲルの憂鬱(1) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日1112日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH

 

18世紀後半~19世紀前半に活動したドイツの哲学者ヘーゲルの名前は、高校世界史の近代ヨーロッパ文化史や大学の一般教養で必ず出てくるが、哲学専攻でもしない限り、興味のない人には一生縁のない名前だろう。

何せフルネームは、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルである。

いかにもゲルマン貴族!という感じのプロシア人で、肖像画を見てもイカつく、暑苦しい。さぞや口臭なども強烈だったろうという顔をしている。

こんなオッサン、今のぼくらの生活と何一つ関わりないように思えるのだが、しかし19601970年代にかけて、学生運動や労働運動に携わっていた人でヘーゲルを知らない人は、まずいなかっただろうというくらい有名であった。それは、共産主義の親玉で、同じドイツ人のカール・マルクスが、批判すべき対象として、思想の下敷きにしたからである。

簡単にいえばこういうことである。

18世紀後半にヘーゲルが登場するまで、哲学というものは、現実社会の政治的動きとは関係なく、自然や人間の本質を研究する学問だった。紀元前5世紀~4世紀、古代ギリシアの哲学者プラトンは実のところかなり政治的だったのだが、それ以降は現実政治とはできるだけ距離を置き、「浮世離れ」した神学論争に熱をあげていたのが哲学者という存在だった。

しかし、ヘーゲルは、人間の精神とか意識というものは、社会の変遷=時代とともに変わっていき、「進歩」すると考えた。

一人の人間は、自己と他者の区別さえもつかない幼児期に始まり、自分の力が及ぶ範囲がわかりつつ、保護者に依存せざるを得ない子ども時代を経て、自分のやりたいことを実現するために自立し、自由を欲するようになる。

これと同じく、人間が形成する社会=共同体の精神も、人間と自然の区別さえもつかない原始共同体に始まり、文化圏ごとに異なる宗教や習俗を持つ共同体へと発展し、それらが、衝突や合理的な内省によって徐々に統合され、必然的に、より自由で合理的普遍的な「絶対精神」(der absolute Geist)へと発展してゆく。

ヘーゲルは、同時代に起こったフランス革命~ナポレオンによるプロシアの敗北は、自由を求める「絶対精神」の勝利であり、それ以降、人間が合理精神や自由意志を持って活動する「近代人」の世界となったと考えた。近代にあっては、法律も、宗教も、経済や政治の仕組みも、合理的かつ自由意志を保障するために組み立てねばならない…。

ヘーゲルは、社会の変化(外部)と人間の精神的進化(内省)を、正―反―合という弁証法的な過程と見て、人間は、動物的な状態から、自由を求める合理的・普遍的精神へと歴史的に発展してきたと喝破した。

近代自由主義/資本主義経済を、普遍的で歴史の帰結と考えたヘーゲルに対し、カール・マルクスは、ワケのわからない「絶対精神」なぞ抽象的な「観念論」に過ぎないとみなし、生産手段の所有形態、すなわち「階級」に着目し、人間社会は、原始共産制~アジア的専制(奴隷制)~封建制~資本主義~社会主義~共産主義へと必然的に発展してゆくと考え、『ヘーゲル法哲学批判序説』を書いた。

マルクスにとって、ヘーゲルは歴史哲学を用いて人間を語る偉大なお手本であると同時に、論破すべき敵だったのである。

ヘーゲルが論理展開に用いた「弁証法」に対して、マルクスの方は「唯物的弁証法」という。

こんなわけで、マルクス主義を学ぼうとすれば、ヘーゲル哲学に触れないわけにはいかなかったのだ。

だが、御承知の通り1989年、ベルリンの壁が崩壊し、それに続く東欧革命と1991年のソ連崩壊によって、人間社会は資本主義~社会主義~共産主義へと発展してゆくというマルクスの予言が大外れだったことが、まさに歴史的事実となってしまった。

それと同時にマルクスが下敷きにしたヘーゲルも、抱き着かれたように地位が低下し、ヘーゲルの進化論的な普遍的歴史観は時代遅れとみなされるようになってしまった。

今や、各時代、各地域、各文化圏の社会にはそれぞれの合理性や価値観があり、優劣をつけられるものではないこと、ましてすべての社会が、西欧と同じように直線的に「進歩」するというのは、西欧人の思い上がりではないか、という歴史相対主義が主流となっている。

しかし、ぼくは思いついてしまったのだよ。

BABYMETALって、すごくヘーゲル的ではないか。

このブログのサブタイトルは、「アイドルとメタルの弁証法」というのだけれど、それはアイドルというテーゼと、メタルというアンチテーゼがぶつかり合いながら、アイドルでもメタルでもない別のものに昇華していくのがBABYMETALという現象だと思ったからである。

それで、たまたま本屋で見つけた新刊『ヘーゲルを超えるヘーゲル』(仲正昌樹、講談社現代新書2497)を読んでいたら、ヘーゲルが追求した世界共通の「絶対精神」こそ、「THE ONE」という概念ではないかと思ってしまった。

ヘーゲルは、母国プロシアがフランス革命の完成者、英雄ナポレオンによって敗れ、首都ベルリンが占領されたにもかかわらず、そこに新しい時代の「絶対精神」を見た。

BABYMETALという現象には、例えば「アイドル」、例えば「ヘヴィメタル」、例えば「70年代HR」、例えば「ジャパメタ」、例えば「ハードコア」、また例えば「モダンヘヴィネス」などなど、さまざまな要素が統合されている。そして、その帰結として、世代、国境や言葉の壁を超え、「メタルで世界をひとつにする」という普遍性を追求している。ぼくらメイトは、それそれアイドルオタクだったり、70年代HRファンだったり、メタルヘッズだったりしたが、結局BABYMETALに新しい時代を看て取り、ファンになった。これこそ、ヘーゲルが人類の歴史に見た、文化圏ごとに形成(Bildung)された共同体精神の衝突―内省―統合の過程ではないか。

BABYMETALは、歴史的相対主義が主流の現代にあって、時代遅れなほど、「音楽の進化」にこだわっている。しかもそれは、きわめて西欧的でテクニカルなヘヴィメタルというジャンルである。

ヘーゲルとBABYMETAL

今回はこの2題噺に挑戦する。