―May the FOXGOD be with You―
★今日のベビメタ
本日8月30日は、2015年、Leeds Festival 2015@UK/Bramham Parkに出演し、2017年には、5大キツネ祭り in JAPAN 白キツネ祭り@大阪/ Zepp Osaka Baysideが行われた日DEATH。
昨年9月と10月に行われた巨大キツネ祭りで、「謎」として投げかけられたLegend-S-Baptism XX@広島グリーンアリーナの開催には、心底戦慄させられた。
さいたまスーパーアリーナの初日9月26日、12月にSU-METAL聖誕祭を行うことが発表され、2日目の9月27日にはそれが広島であることが明らかになった。さらに大阪城ホール初日の10月14日には、それが12月2日、3日であり、最終日の10月15日には、広島グリーンアリーナであることが判明した。
SU-METALこと中元すず香が広島県出身であり、姉の中元日芽香とともに、アクターズスクール広島(ASH)で、幼いころから鍛えられたキッズタレントであったことはよく知られている。しかし、なぜキツネ様が彼女を選び、BABYMETALのフロントマン=メタルクイーンとして世界に送り出したのかは、実は誰にもわからなかった。並外れた歌唱力があったから?幼い頃からステージ度胸があったから?いやたまたま偶然そうなっただけだろう?
予兆はあった。
さくら学院日誌2011年4月11日分。
「私の住む広島は一度全てを無くして復興した街です。自分の生まれるずっと前のことで、写真でみても信じられないくらい何も無い所から、今の街ができています。だから、きっと今の光景の方が信じられないと思う日がくると思います。それまで、もうこれ以上悲しい事が、おこらないように祈っています。(後略)」
東日本大震災のあった2011年3月11日以降、さくら学院は全員の安否を確認したうえで、回り持ちでブログに感想をアップしていった。
中元すず香は、4月11日の担当となったが、そこで語られたことは広島のことだった。
「一度全てを無くして復興した街」「写真でみても信じられないくらい何も無い所から」という言い方に、万感の想いがこもっている。
2011年5月、ぼくは震災直後の大船渡に行って、ボランティア活動をやった。その時見た光景は一生忘れることができない。人間の世界では、何の変哲もない日常生活、ずっと変わらないと思っていた一つの街が一瞬にして壊滅するという事態が起こり得るのだ。
その4か月後の2011年8月6日分。
「今日は66回目の原爆記念日です。広島では、毎年、学校に行って戦争について学び、平和について考えます。小さい頃からそうやって過ごしてきたので、8月6日は、世界中の人が平和について考えている日だとずっと思っていました。去年、初めて東京でこの日をすごし、「えっ?今日なんかあった!?」って言われて、みんなにとって、普段と変わらない一日だった事におどろきました。広島に生まれていなければ、きっと、考えることはなかったのかな?と思うと、すぅはやっぱり広島に生まれてよかったと思います。そして、どこにいてもずっと変わらずいたいです。」
広島に生まれた中元すず香は、幼い頃から、学校や周りの大人たちから、「全てを無くした」あの原爆の記憶を繰り返し教わったのだと思う。
大震災のおりにも広島を思い、原爆記念日を意識しなくなっている東京の状況に違和感を抱き、ブログに書く「アイドル」がどこにいるだろう?
「広島に生まれていなければ、きっと、考えることはなかったのかな?」という部分に、ぼくはどうしても「大いなる意志」を感じてしまうのだ。
1971年、初来日したブリティッシュ・ハードロックの元祖レッド・ツェッペリンは、山陽新幹線もなかったにもかかわらず、メンバーのたっての希望で、広島まで足を延ばし、9月27日、広島県立総合体育館でチャリティコンサートを行った。
9月27日という日は、2018年、巨大キツネ祭りでLegend-S-が広島で行われることが告知された、まさにその当日であり、広島県立総合体育館とは、現広島グリーンアリーナのことである。
この広島チャリティコンサートは、1970年代に歌謡曲にロック色を持ち込んだ広島出身の歌手で、昨年物故した西城秀樹が観覧していたことがわかっているが、その他にも世良公則、原田真二、よしだたくろう、奥田民生らまだ少年だったアーティストたちが、当時世界最先端のハードロックバンドだったレッド・ツェッペリンを生で見たり、観覧者から話に聞いたりして影響を受けたと思われる。これにより、広島は、ロック色の強いアーティストを輩出する街、ロックシティとなったのである。
ではなぜ、レッド・ツェッペリンは広島に来たのか。
もちろんそれは、広島が、世界で最初に原子爆弾の被害を受けた町だからである。
『ミュージックライフ』(1971年11月号)記事より抜粋。
「この広島チャリティーコンサートを思いついたのは、ロバート・プラントではないかと言われる。ロバートは、広島市役所を訪れる日の朝、ジョン・ポール・ジョーンズを連れ立ってホテルを抜け出し、原爆ドームと平和公園へ足を運んだほどだ(ジミー・ペイジも同行)。
原爆の実際の爪あとを目の当たりにし、「二十数万の人が一瞬にして死を迎えた事実、そして今もなお多くの人々が後遺症で苦しんでいることを実感としてズシンと味わった」と語ったロバート・プラント。ジョン・ポール・ジョーンズは感想を聞かれ、「何も言葉がありません」と一言。ジミー・ペイジは目に涙を浮かべて、「二度と戦争を起こしてはならない」と語ったという。」
もし、広島に原爆が落ちなければ、ジミー・ペイジも、ロバート・プラントも、ジョン・ボーナムも、ジョン・ポール・ジョーンズも、日本の地方都市・広島に関心を抱くことはなかっただろう。
1997年12月20日、人類史上語り継ぐべき、そして二度と起こしてはならない悲劇の街に、たぐいまれなる歌唱力を持って、中元すず香は生まれた。
そして、成人となる20歳の誕生日を迎えるにあたって、47年前、この街がロックシティになるきっかけを作った偉大なロックバンドと同じ場所で、ライブを行うことが発表されたのが、奇しくも同じ日だった。
そこにはキツネ様の「選び」=召命が働いているに違いない。
広島駅南口から広電で5分の「稲荷町」停車場近くに、元和5年(1619年)創建の稲生(いなり)神社がある。
主祭神は豊受大神=ウカノミタマで、火災除け、商売繁盛の神とされているが、現在はコンクリート造りの階段を登っていった本殿前には、やはりコンクリートでできた一対のキツネ様の像がある。
これが、「原爆お守り狐」であり、あの原子爆弾の業火に耐え、今なお市民の思いを受け止めて鎮座している。昨年12月、Legend-S-に参戦した折、お詣りに行くと、おそらく思いを同じくするメイトさんがおひとり、境内にいらっしゃった。
前にも書いたが、昨年は北朝鮮が弾道ミサイル実験や核実験を繰り返し、アメリカや日本を挑発し、緊張が高まっていた。
Legend-S-の数日前、11月27日~29日、広島記念公園の中にある立派な国際会議場では、外務省の呼びかけで、核廃絶に向けた「賢人会議」が行われていたが、核に関する有識者はわずか15名、ノーベル平和賞のI CANなど「世界中から集まった」NGO団体らの代表者を合わせても、参加者は数十人に過ぎなかった。
しかし、12月2日~3日、広島にはBABYMETALを見るために、のべ1万4000人の黒いTシャツを着たメイトさんが集まり、その多くが原爆ドームや広島平和記念公園に足を運んだ。
ぼくもそうだったが、初めて広島の地を訪れた方も多かったと思う。
がれきがそのまま残された原爆ドーム、三角モニュメントの献花台の向こう側に原爆ドームが見られるような位置関係を考え、設計を行った平和記念公園の建築者の想いや、いまだに無数の折り鶴が飾られた学徒動員碑、原爆資料館の展示などを見るたび、涙があふれた。
イデオロギーや思想や理屈ではない。
一瞬で平凡な一般市民の日常生活や、一つの街を壊滅させてしまう兵器など、人間が使ってはならないものなのだ。
「賢人会議」の模様は、朝日新聞、日本テレビなどマスメディア各社が報じた。
だが、Legend-S-にのべ1万4000人のメイトが集まったことは、一切報じられなかった。
確かにぼくらメイトは「賢人」などではない。「アイドル」やメタルバンドに熱狂する、ただの音楽ファンに過ぎない。だが、ぼくらは文字通り世界中から集まったBABYMETALファンであり、あの「紙芝居」を見て、確かにSU-の思いを受け止めた。
どこかの国の独裁的指導者が、たったひとりでも核兵器の保有をあきらめない限り、その他のすべての国が核武装を捨てないだろう。北朝鮮と中国とロシアが、わが国を射程に入れた核ミサイルを捨てない限り、わが国だってそれを打ち落とす兵器を開発しなければならないし、敵基地を攻撃する手段を持たねばならない。核武装しなければならない時が来るかもしれない。それが愚かな人間の現実社会である。
しかし、それとは別に、核兵器とは、決して使ってはならないものなのだという思いは、人類の共通認識にしなければならない。それが常識となったとき、すべての国が使えない武器を後生大事に持っているバカバカしさに、ようやく人類は気づくかもしれない。
いや、人類はそこまで賢くない。どこかに必ず抜け駆けしようとする国があるだろう。だとしたら、「使ってはならない」などと考えない方がいい…。堂々巡りなのだ。いかに「賢人」でも、すっきりした答えなどどこにもない。
それでも、ぼくらメイトは原爆ドームを見た。
原爆資料館の展示を見た。
闇の光と黒い雨の「紙芝居」を見た。
絶望を希望に、闇を光に変える新たな女神=SU-METALの降誕を見た。
1945年の原爆投下を決して忘れず、26年後の1971年にレッド・ツェッペリンを呼び寄せ、さらに26年後の1997年にこの地に中元すず香という魂を生み出し、その20歳の聖誕祭に日本各地、世界各国からのべ1万4000人のファンを呼び寄せたのは、原爆の業火に耐え、じっと時を待っていた、物言わぬ「原爆お守り狐」の意志だったに違いない。
なぜ、中元すず香でなければならなかったのか。
今ならそれがはっきりとわかる。
(つづく)


