私は元、場面緘黙症。

 

子どもたちも元場面緘黙症。

 

場面緘黙は「自我感覚」に関係がある。

 

「わたし」がする

「わたし」はこう感じる

 

そういうこと。

だけど、それだけじゃない。

 

他人のスペースを脅かしているんじゃないかと

恐れてしまうことも、

自我感覚に関係がある。

 

自我感覚は触覚から育ってくるもの。

 

どこに自分の空間の終わりがあり、

どこから世界が広がるのか?

 

その境界を知るのは触覚があってこそ。

 

そして自我感覚は、筋肉とも関係する。

 

自分の意志の力で身体を動かし、筋肉を動かすことは、

消化分泌機能に働きかける。

 

そして感覚を受け取ることで

自律神経に働きかける。

 

意図もまた自律神経。

 

意志の力は、最初は生まれ持った遺伝のようなもの。

そこから反射で身体を動かし、

そこに物があることを知り、

 

そのうち自分の身体をコントロールして

対象物を触れるようになる。

 

感覚で情報をそうして受け取ることで

ゆっくりと、環境と関わり合うことに目覚めていく。

 

意志の力を伴う行動が肉体と繋がり

肉体の動きをコントロールできるようになると、

感覚機能が活動の中で自由になる。

 

意志の力の中で内なる自分のモチベーションのようなものが動き始め

それが自分の外側の環境に向かい、

やがてそれは世界に向かう。

 

そうして「わたし」という感覚が育っていく。

 

関わりがもてるようになる。

 

「わたし」という自我感覚が育たないままだと

感覚の世界が私たちを蝕むように脅威となりかねない。

 

場面緘黙は社会不安の一つの形。

「わたし」が環境と関わることが危険である状態。

 

環境と関わることを安心してできるようになるには

訓練じゃない。

母子分離不安をメリメリはがすわけではない。

 

かといって、母親がずっと子どものそばにいればいいというわけでもない。

 

筋肉を動かす。

美しいものに触れる。

 

そして子どもがその空間を安全であると

感じ始める環境をつくる。

 

子どもは、

子どもの全てが「感覚器官」。

 

環境を全て吸収する。

場面緘黙を訓練でマスクさせない。

訓練だけで慣れても

「機能」はできても

 

人としての健全性がそこに伴わない。

 

社会的に機能するだけのために

努力して、

「承認」を求める存在に

子どもを絶対に育てないこと。

 

努力で承認を満たされるだけのために

存在する子どもは

不安定な大人になっていくから。

社会的奴隷と言う意味で

「働ける人間」を成功と呼ぶ大人にしか育たたなくなる。

 

 

人としてホールサムであるために

本当の意味で健やかに育っていくためには

 

子どもを訓練しないこと。

 

安全な環境の中で美しさを体験させ

意志の力を使って身体を動かすこと。

 

そうすれば、

こどもは「わたし」を見つける。

 

「わたし」が肉体にアラインすれば

人と関わることができるようになる。

 

 

 

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