このごろ、「手塚学」なる学問領域を勝手に作って、あちこちのサイトでしゃべりまくってます。堅い表現なので、「何んだこいつは?」とあきれられたり、警戒されると困るので少しばかり説明したいと思います。
  実は、小生、奈良が好きでよく行きます。学生時代から、ずいぶん通ってます。でも、そんな人は、たくさんいて私なんかは、まだまだ若輩者です。人々が奈良を訪れるきっかけは、仏像、古美術、建築、歴史、お祭りなどなど、いろいろありますが、何回もかよううちに、他の分野にも好きなものができてくるものなのです。また、定宿ができて、知り合いがぽつぽつとできて来ると、ますます、奈良を訪れるのが楽しくなります。

私の場合は、仏像と古代史が好きで奈良に通いはじめ、今はなき「日吉館」という奈良の名物旅館に宿泊してから、古美術、焼き物、音楽、建築、写真、絵画、考古学、工芸などいろんな分野の人と交流していくうちに、はまってしまったんです。

そのようにして、なんとなく奈良そのものが好きになって長逗留したり、何回も訪れる人がたくさんいるんですね、奈良には。そんな人達を「奈良病」にかかったといいます。

そして、奈良に関するいろいろな事柄をまとめて呼んでみようということで、「奈良学」という言葉が生まれました。

インターネットで色々な手塚関連サイトを眺めているうちに、手塚関係も、ちょっと、奈良学に似てる感じがしたんです。マンガ、アニメ、おもちゃ、演劇などについて、いろいろな角度で取り上げられていますが、最終的には、手塚先生自身に回帰し、手塚ということでまとまってるように見えるんです。そこで、奈良学と同じように「手塚学」と呼んでみました。

最近は、大学なんかで、手塚研究の講義があったりしてるんで、そのうち、まじめに手塚学会が開かれたりするかもしれませんね。キャラクターの版権などで、難しいかな。宝塚の手塚治虫記念館あたりが、手塚学の殿堂になるといいんだけどな。学問とか学会なんてとっつきにくいかもしませんが、あくまで、遊びの範疇のつもりです。

私は、おもちゃを研究したいもんです。


(2001.4.8作成)
 僕は手塚作品のファンで、結構長くファンをやっています。小学生の頃から、マンガ、アニメはもちろんのこと、少なくとも手塚関係情報が掲載されている雑誌、書籍は、すべて保存しています。子供のころのものは、何回も繰り返し読んだため、ぼろぼろですが、どうしても捨てられません。先生は、同じ作品でも単行本が出るたびに書き直しをされていたので、同一タイトルでも購入しました。
手塚先生は、「マンガの神様」とか「ストーリーマンガの生みの親」なんて呼ばれてたんで、単純な僕は、しだいにすべてのマンガに対象をひろげました。少年マンガ、少女マンガ、青年マンガ、さらには、すこしエッチな成人向けマンガまで、なんでも読み、また、集め始めたんです。自宅は、自分の部屋がマンガで埋まり、他の部屋までマンガ、マンガ、マンガ。マンガの山です。学生の頃は、バイト代をほとんど、マンガに使っていたものです。最近、一階で寝ていて、二階の息子のマンガにつぶされてしまった方がいらっしゃいましたが、他人事とは思えません。

上京してからも、同じ、本屋さんに行くと、置いてある新刊本をバサバサバサと重ねてまとめ買いです。就職して財力も増大したため、さらに、マンガ本の数の増え方は、加速していきました。すごいマンガマニアでしょ?

ところが、1989年2月9日が、やってきました。手塚先生がなくなられた日です。

あの日から、ほとんどマンガを買わなくなってしまったのです。もちろん、好きな作品は買いますが、二ヶ月に一冊程度というペースです。自分でも、意識していなかったのですが、買おうというものが急になくなっちゃったんです。

ここに至って、実は自分は、マンガファンではなく、手塚ファンだったんだということを自覚しました。そして、自分の趣味は、手塚治虫そのものが対象だったんだとね。本当に魅入られたものです。我ながら。

手塚関係のグッズやおもちゃに入れこむのも、自分の手塚治虫趣味の一環だと思います。普通のおもちゃマニアは、いろんなものを集めますけど、僕の場合、本当に手塚物だけですから。


(2001.3.31作成)
  考えてみると、手塚作品のことをあまりお話ししていませんでした。一番好きな作品は0マンですが、他にもたくさん好きな作品があります。
W3!。タイムパラドックスを織り込んだあざやかなラストシーン。

バンパイヤ!。実は、自分もオオカミ男になりたかったです。

どろろ!。どろろが女の子だったなんて・・・。

ロック冒険記!。ディモン星の伝染病の恐怖。

人間ども、集まれ!。中性人間にとっても、おとうさんは大事。胸がつまりました。

リボンの騎士!。 実は、中学生の頃。サファイアの絵を定期入に入れてました。

きりがありませんが、とにかく、手塚作品が大好きでした。僕だけではないと思いますが、手塚マンガは、他のマンガとは、何かが違っているように感じてました。絵が洗練されていてカッコ良かったし、物語もなんともいえない説得力と魅力がありました。

時々思ってることがあるんです。 手塚先生の作品は、絵がらとか、話の内容も含めて読む人がみんな好きになるんですよね。何故だかわかりませんけど。手塚先生は、天才だったって言われることがありますけど、人に好かれる作品を生み出す才があったんだと思います。

だから、年齢や国籍に関係なく今でも、みんな好きなんじゃないでしょうか?

天国に行かれた後も、みんなに作品が読まれ、また、いろんな所、例えば、インターネットのHPなんかでみなさんの熱い思いに触れるたびに、「ああ、先生の作品は、みんなが好きになっちゃうんだな。」と思ってしまうんです。



(2001.3.19作成)
 実は、先生が元気だった頃は、僕は、主に怪獣のおもちゃを買ってたんです。知る人ぞ知る、マルサン、ブルマァクのソフビ人形が好きで集めてました。ナメゴンなんかもね。手塚関係のおもちゃも、たまには買ってましたが、まんがを読むのが、最高の手塚嗜好でしたからね。だから、先生が亡くなられてから、「ああ。このまま、手塚趣味とおわかれだな。」と思いました。
そして、思い出にと、アトムのおもちゃをひとつ手に入れたんです。

そのアトムをガラスのケースに入れて眺めてたんですが、なんとなく、さびしそうだったんで、レオを買って横におきました。しばらくして、後ろにマグマ大使、前にウラン、そういえば、悟空なんかも並べておくか・・・。とくれば、やっぱり、ビッグXもいた方がいいし、トリトンだって、そうだ、W3は、はずせない。ちょっと後だけど、写楽もいた方がいい。・・・というふうに、どんどん、仲間が増えてしまったんです。

  ひととおり、有名どころがそろったら、ああ、ブリキだけでなく、ソフビもいいな。プラモデルなんかあったんだ。とキャラごとに系統だって集めはじめちゃうんですね。仲間が仲間を呼ぶみたいで、だんだん、レアといわれるものまで、寄って来ました。ただ単に、お金があれば良いというものではなく、縁がなければ、僕のところに来ていないものばかりです。

だから、手塚まんがを好きだという僕の気持ちを、おもちゃの神様が見てくれて、いろんな、手塚物を僕のところに、近づけてくれたんだと、勝手に思ったりしています。

いつか、手塚まんがファンのみなさんに、見ていただきたいと思っていました。


(2001.3.8作成)
日本で、おもちゃの収集が本格的に行われるようになったのは、昭和40年代後半から50年代のはじめころだと思います。ミニカーとかオキュパイドジャパンのブリキを集めていた人はいましたが、怪獣のソフビ人形とかプラモデルを集めようなんて人は、皆無でした。そのうち、ブリキのおもちゃが注目されるようになり、コレクターが増えはじめました。しかし、専門店はまだなく、古物店などでたまにおいてある程度でした。その当時のコレクターは、骨董市をのぞいたり、地方のおもちゃ屋の売れ残りを探したりしながら、手に入れたおもちゃについて一喜一憂していました。
どこかの人が古いおもちゃ満載の倉庫をまるごと買い取ったなんていう伝説が生まれたのもこの頃でした。

今日の古いおもちゃブームは、怪獣コレクターの出現によるところが大きいと思います。たぶん、ウルトラマン世代の人が、経済力を持ちはじめ、マルサン、ブルマークのソフビ人形を買いまくりはじめたんです。熱狂的なマニアが輩出し、少し珍しいものは、驚くほど高額になっていきました。儲かるとなると、専門店がどんどん出現しそれぞれが一生懸命商品を発掘するので、怪獣だけでなく、超合金、変身サイボーグなど他の分野も開発され、専門店は大変バラエティに富んだ品揃えになっていきました。

最初に古いおもちゃを集める人が現れてから20年以上経過し、その頃発売されていたおもちゃがすでに、古いおもちゃとして、専門店に並びはじめています。もう、アンティークトイの分野がほぼ確立したといって良いかもしれません。

ただ、手塚物は、昔からそれほど多くありませんでした。アトムは。人気がありましたが、他のキャラクターのものは、あまり、店頭に置かれていませんでした。むしろ、鉄人28号の方が人気があったように思います。手塚先生というと、マンガの評価が高く、おもちゃに興味を示すファンが少なかったせいかもしれません。

競争相手がいないため、私は、比較的、安価で手塚物のおもちゃを集めることができました。アトム以外は、余り詳しく知っている人がいなかったんです。本当に幸運でした。


 (2001.2.24作成)