今年は少年マガジンと少年サンデーが創刊されてから50周年になるそうで、昔の復刻版が出たり、いろいろな商品でのコラポ企画などがたくさん行われています。これもその一環だと思いますが、一二の三四郎、柔道部物語、ホワッツ マイケル?などで今や大家となった小林まこと氏が、デビュー当時から一二の三四郎を描いていたころの話をまとめた「青春少年マガジン」を読みました。

すでにマンガはゆるぎない文化を築いています。終戦直後あたりにデビューした、マンガ文化初期を支えた大家(すでに故人も多い)が書いた回顧録風の本はたくさんありますが、小林先生の世代もこのような昔を回想する話の本を出す時代になったのでしょうか?ちょっと早い気もしましたが、よく考えてみるとすでに30年経ってるんですね。

お話の内容は、ちょうど同じ頃にデビューした小林まこと、小野新二、大和田夏希の新人3バカトリオのエピソードを中心に当時のマンガ界、編集者などが繰りひろげるいろいろな出来事がとてもおもしろくまとめられてています。

当時のマンガ家が身を削るように作品を制作している様子がさりげなく描がかれています。そして、とうとう小野新二、大和田夏希は命までマンガに捧げてしまうのです。この作品は、一人だけ残った小林先生が、仲間に贈った追悼の言葉、最後の(涙の)ジョークのように感じます。

これまで、マンガ界は幾多の才能を飲み込んできたのでしょうか?マンガ家をめざし挫折した名も知れぬ人たちも含め、多くの人たちの汗と涙を吸い込んで今のマンガ界がここまでくることができたのだと思わざるをえません。
5月19日、ようやく両国の江戸東京博物館で開催されている手塚治虫展に行くことができました。混雑を避けるために平日の午前中に行きましたが、ちょうど大相撲が開催されていることもあり、結構お客さんがいました。お客さんは団塊世代が多かったかな、ちょうど手塚先生の作品をリアルタイムに読んで育った人たちで、展示を見ながら、当時の事などを話されていましたが、そのお話がとても興味深かったです。

手塚先生の本格的な回顧展は、1990年に国立近代美術館で開催されて以来だと思います。1990年の時は、とにかく展示された生原稿の数が多く手塚先生の息づかいを直接感じることができる貴重な経験でした。今回は、手塚治虫そのものを主として、その人間から産まれたさまざまなもの、例えば作品、思想などを統合して展示した展覧会でした。

先生が生まれ育ったところの紹介、子供のころの様子、友人など周囲の人々。そしても先生の宇宙観、死生観などがうまくまとめられていたと思います。

いつもながら、先生の原稿のすばらしさには感嘆します。線のすばらしさ、一人一人の登場人物がそのまま単独の挿絵として使えそうです。(今のマンガは、一枚の原稿に描かれている情報が少なくちょっと大味な感じですね。)

個人的には、大阪万博のフジパンロボット館のロボットが展示されていたのに感動しました。その中のジャンケンロボットとは、当時私もジャンケンしたんですよ。約40年ぶりの再会でした。いやー!残ってたんですね。

展示の最後の方に飾られた手塚先生ゆかりの人々の文章と品物の展示も興味深かったです。みんな保存してるんですね。鈴木伸一先生の秘蔵品で手塚先生が描いたジミニークロケットとキンボールが描いたドナルドが共演しているナプキンは、本当に貴重なものですね。

何か記念品は?とグッズの売店コーナーを探しましたが、他でも買えるキャラクターグッズが大半だったので図録とBJのトイレットペーパーだけ買ってきました。

そうそう、グッズーコーナーの入り口にアトム関係のお菓子の箱とおまけを展示した明治製菓のショーケースがひっそりと置いてありました。いずれも貴重なもので、グッズ好きな私にはうれしい展示でした。

結局4時間くらい会場にいたでしょうか?後ろ髪を引かれる気分で帰りました。

両国駅には、たくさんお相撲さんがいました。なんとなく、アトムに出てくるロボットに見えてしまいました。
今回の私の奈良滞在は3/7で終わり。今日中に家に帰らなければなりません。
3/7といえば本当は「小観音」の日でいろいろイベントがあるのですがいろいろ事情がありまして帰る事にしました。

ちなみに二月堂には大小お二方の十一面観音菩薩様がいらっしゃって、お水取りの行事の内の前半(3/1~3/7)は大観音様。後半(3/8~3/14)は小観音様をそれぞれ祭ることになっています。3/7はその切り替わりで小観音がいらっしゃる厨子が二月堂内陣をぐるっと廻り大観音の厨子の前に置かれるイベントがあります。どちらの仏様も絶対秘仏ということになっており厨子を介して拝むことになります。

さて、3/7は友人A、友人Bと西の京に行き薬師寺、唐招提寺を拝観した後遅い昼食をとり私だけ京都経由で帰りました。

唐招提寺は平成の大修理中ですが、金堂はほぼ修理が終わり覆い屋はなくなっていました。この金堂は奈良時代の金堂で唯一現存しているというとても貴重なもので、平城宮唯一の遺構である講堂と一緒に見える光景はまさに「天平の甍」といった感じです。私は唐招提寺が一番好きなお寺で、いつも金堂の行動の間のスペースでじっとしながら天平時代に思いをはせていたものです。

金堂の中にいらっしゃった三体の巨大な仏達(盧舎那仏、薬師如来、千手観音)はまだ修理中とのことでしたが、今年の八月に予定されている金堂平成大修理落慶法会までには元の場所に戻られるとのこと。
2005年には唐招提寺展のため史上はじめて盧舎那仏が箱根を越えて東京までお越しになり貴重なお姿を拝見できましたが、仏様はやはりご自分の伽藍で拝見するのがベストなので再び金堂で拝観するのが楽しみです。

京都から新横浜に着いたのが午後4時、自分の家には午後5時ころ戻りました。清らかな二月堂から戻った後しばらくは再び世俗の喧騒にまみえてもちょっと自分が輝いているような気がします。

命の洗濯でした。
お水取り六日目は、お松明から手水までひととおり参観した。内容は実忠忌と過去帳がないだけで五日目とほぼ同じである。法螺貝の音色も心なしか五日目より上手になったように思う。
奈良に残り七日目も観た友人の話では、七日目はさらに上手であったとのことである。要するに事前の練習が足りないのか?

今回は友人たちにできるだけいろいろなシーンを見聞きしてもらうため。結構忙しく二月堂を出入りした。また、ふだんなかなか聞けない午前1時の東大寺の梵鐘の音色を鐘楼のすぐ横で聴いた。日吉館に泊まっていた頃、夕食後に午後7時の梵鐘をよくみなで聴きに行ったものだ。午前1時の梵鐘はお水取りの時くらいしか近くで聴けない。

暗い鐘楼に突然寺の人が現れ、しばらくすると「ゴ~ン。。。」となんともいえない渋い音色で梵鐘が鳴る。深々とした雰囲気の中で梵鐘の音色を聴いていると、時間を超越した不思議な感覚を感じる。
華厳経に書かれているという宇宙の真理の一端を覗いているような感じだ。
これが聴けただけでもとても得した気分だ。

後はちょっと二月堂に戻って久しぶりに人気が少ない局でじっとしていた。
そして午前2時すぎに下堂。
今年は暖かい。地球温暖化と関係あるのだろうか?

(続く)
午前中は睡眠に終始し、昼ころ散策に出る。

その日は、奈良町をぶらぶらし蕎麦屋で遅い昼食。そのまま高畑の方へ迷いながら歩いて、新薬師寺までたどり着く。いにしえは大寺だったが伽藍の大半を消失したため昔の食堂を利用した本堂にあいかわらずギョロ目の薬師さんが窮屈そうに座していらっしゃる。

その周りで十二神将がおもいおもいのポーズできめている。新薬師寺は好きな寺のひとつだ。

ここでゆったりしているうちに時間はもう午後4時になってきた。この日奈良に到着予定の友人Bが宿に来る頃だ。あわててバスで近鉄奈良まで行き宿に戻る。

友人Bはまだ来ていなかったが、予定通り到着との連絡が宿にあったそうな。しばらくしたら友人B到着。お水取りのお松明は7時ですごい人なのでできたら1時間前には二月堂の下まで行きたい。逆算するとあまり時間がない。ついたばかりの友人Bを強引にひきつれ、三人で大浴場に行き、すぐ食事。蕎麦を食べたばかりなのであまり食欲がない。

午後6時過ぎに宿を出て二月堂へ向かう。結局二月堂の下まで着いたのが6時40分になっていた。幸いな事に日中小雨がふっていたせいか、いつもより観衆が少なく、上の方をみるとまだあちこちに空間がある。すこし強引だったが「すいません!」を連呼しながら行けるところまで行く。初めての友人たちにできるだけいいところでお松明をみてもらいたかったのだ。

6日目の行事は前日とほぼ同じだが、過去帳はない。
はじめての友人Bにできるだけいいところを見てもらうため、結構いそがしく二月堂を出入りした。

(続く)