塾に通い始めた息子は、ちょうど反抗期と重なりなかなか強敵です。あーだ、こーだと言ってなかなか勉強してくれません。これを怒るのが私の役割です。実際の勉強の方は、妻にお願いするよりしかたがありません。
 
塾には行ってませんでしたが、教育熱心なお母さん同志がいろいろと情報交換しているようで、そこで教えてもらった結構レベルの高いドリルなどを使って、息子と妻は小学1年生の頃から一定時間お勉強をしていました。内容は、、学校のカリキュラムとはまったく違うものです。当時はゆとり教育だったので、学校で習う内容がもの足りなかったようです。
 
これを5年生まで続けていたので、もちろん、息子の学力アップには役立ったと思いますが、一緒に教えていた妻の学力も、とても上がったようです。特に算数なんかは、XYに置き換えて方程式をたてるような代数の技術ではなく、それぞれの問題のパターンごとに解くための魔法のようなテクニックがあり、これを覚えていくので、短時間に、いきなり解くのは困難な問題が並んでいます。このため、一緒に研鑽してきた妻でないと教えられないのです。何でも続けるということはすごいですね。。。
 
今まで親子で独自にやっていた勉強を塾の力を借りてやりはじめたわけですが、それほど楽になるわけでもないようです。受験コースを選んだせいもあるでしょうが、毎回大量の宿題が課せられるのです。そして、夜遅くまで塾で勉強するので、息子の帰宅時間が遅く我が家の夕食がとても遅い時間になりました。とにかく、自分が小学生の時と比較すると比べられない位勉強しています。
 
さて、最近塾についていろいろな話を聞きました。例えば、知り合いの大学生が就活の準備のため、公務員試験を受けることにしたのですが、早速塾に通い始めたとのこと。それも週に五日も夜学に通うらしいです。彼に聞いたら、公務員試験、司法試験をはじめとするあらゆる資格を取るための試験に対する塾は全部あるそうです。
医師の国家試験の塾もあるそうですが、驚くことに東大理Ⅲの全国的秀才も塾に行く人がいるとのこと。確かにその場で教えてもらった方が効率的だとは思いますが、こうなると、スポーツジム感覚です。体ではなく頭を鍛える場所というわけでしょう。
 
息子の勉強の話に戻ります。息子は塾に通い始めたら。なかなか外で遊べなくなりました。初めに書いたように、息子を勉強モードにするのは大変なのですが、学校が終わった後、友達と遊んで帰って来た時だけは、機嫌良く素直に机に向かってくれます。そんな時、私も何かうれしくなりますね。
 
 
 
 
 
学生の頃よく演奏していたのはディープパープルで、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「ハイウェースター」などは何回やったかわからないほどです。アルバムの録音だけでなく、ライブのコピーもずいぶんやりました。
私のパートはキーボードでしたが、たった1台のコンボオルガンだけで旋律だけなぞっていたため、とても薄っぺらな音で、ディープパープルのキーボード奏者ジョンロードのかっこ良いオリジナル演奏とは似ても似つかないものでした。このため、聴くたびにとても恥ずかしいので、昔のバンドの録音は、まったく聴いていませんでした。
 
ところで、一本だけ今聴くとなかなかいい音のカセットテープがありました。当時は、一台のキーボードでできるだけ色々な音色を出すために、わざと音を歪ませたり、バイブレーション効果をかけたりしてたんですが、このテープの音だけは細かい音色の違いが表現できていて、何故か結構かっこ良く聞こえるのです。他のテープの音は、とてもノイジーで、うるさいだけで今イチです。
 
そこで思い出しました。
このテープはとあるホールを借りてコンサートらしきものをやった時の録音ですが、この時だけは知り合いのプロの演奏家に紹介してもらい、プロ仕様のアンプを借りて、さらに専用のミキサーもお願いしライブで音のバランス調整をした時のものだったんです。アンプの容量が大きくて性能も良いため、本来の楽器の音が出力されていたんだと思います。また、通常は自分の楽器の音だけは聞こえるように、みんなバカでかい音を出していたのが、通常はボーカルの声がよく通り、ソロの時だけそれぞれのパートの音のレベルが大きくなりソロパートが終わると、バックにもどるようミキサーで調整していたのです。当たり前の事ですが、音楽では、道具はとても大事なんですね。
 
そういえば、何年か前に久々に昔のバンド仲間が集まり演奏したのですが、ミスタッチはあるものの、演っている本人達が意外に思ったほど、かっこ良い音が出ていたのを思い出しました。たぶん、スタジオの機材の性能が昔のものより格段に良くなっていたのと、楽器も良くなってるからなんですね。
 
 
 
 
昔のカセットテープが経年劣化でダメになる前に、カセットテープを直接USBに保存できる小型のステレオで大切にしたい音源をせっせとUSB録音でデジタル化しています。このようなステレオは、あまり無くて、ようやく探し求めました。今の若者にはカセットテープ自体を見たことがない人も多いようで、カセットテープを再生するための機器のニーズが少ないのでしょう。また、今でもカセットテープで音楽などを聞いている人はアナログ人間がほとんどなので、あえてデジタル化しようという人も少ないのでしょうね。
 
このUSB録音ではカセットテープの高速ダビングなどはできません。このため、延々と昔の音源を聞きながら作業をすることになりますが、いずれも、本当に久しぶりに聞くものばかりなので結構面白いです。
 
この間は、学生の頃やっていたバンドの演奏を久々に聴きました。大学の学園祭でライブ喫茶をやった時や、生意気にもコンサートなどという大それた事をやった時の録音テープが6本ほど見つかったのです。実はこのテープはいわゆるお蔵入りにして二度と聴くつもりがなかったものなんです。その理由は、とても稚拙な演奏なので聴くだけでも恥ずかしかったからです。なんといっても、一曲演奏する度に客が半減していくという地獄を味わったことがあるくらいでしたから。。。そしたら、昔のカセットテープを整理した際に、たまたま出てきんです。
 
さて、ウン10年ぶりにあの頃の演奏を聞いてみました。確かにあまりうまくありませんが、今聴くととても懐かしくて、思わず聴き入ってしまいました。やたらとテンポが早く、揃っていない。そして、ミスタッチの山、山。。よく人に聴かせてお金まで取ったなと思います。しかしながら、若々しくて活きだけは良いんです。一生懸命に張り切っているという感じです。聴いている方がドキドキしてきます。
 
そして気がつきました。聴いている時の感覚は、まるで自分の子供の演奏をドキドキしながら聴いている時の親の気持ちに似てるんですね。確かにその頃の自分の年齢と同年代の子供がいてもおかしくない年齢に今の自分がなっているのです。「あちこち間違ってるけど、全体的にはなかなかいいじゃないか!よくやってる! 」という気持ちになっているんですね。一方、当時の自分にとっては、ミスしたところだけが気になってしまい、とても落ち着いて聴けた気分ではなかったんです。
 
というわけで、今はこの演奏を携帯型デジタル音楽プレイヤーに入れて通勤時などに何回も聴いています。そして毎回ドキドキしています。
 
ああ!捨てないで良かった。。。
 
そして、デジタル化して良かった。。。 
 
 
 
 
 
 
 
 
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この本は、東日本大震災復興支援チャリティーコミックです。この本の収益は、被害が大きかった岩手、宮城、福島の震災遺児・孤児のための育英基金に寄付されるとのことで、27名の漫画家が参加したものです。
 
2012年5月に出版されたものです。実際にはそれぞれの漫画家の方々は震災が起こってからすぐに描きはじめたのだと思います。それぞれの作家がいろいろな想いを持ちながら作品を描かれています。背景にはあの震災があるので、全体のトーンはなんともいえない雰囲気です。だって、自分の想いをうまく伝えるのはとても難しいことですから。
 
私的なことですが、私の実家は宮城県です。就職で上京するまで宮城県にいました。自分の家や親族、友人達を含め故郷は、今回の震災でとても大きな影響を受けました。今回、改めてこの本を読んで、自分の中からこみあげてくる熱いものを抑えることができませんでした。
 
 
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藤子不二雄(A)先生がビッグコミックオリジナル増刊で連載していた「愛…しりそめし頃に… 満賀道雄の青春」がとうとう最終回を迎えたようです。藤子先生達の「オバケのQ太郎」、石森先生の「サイボーグ009」、赤塚先生の「おそ松くん」の連載が開始し、いよいよトキワ荘グループがご発展というところで話が終わってしまいます。通常、功成りとげた人の話は、成功するまでが一番面白いと言われます。もしかしたら、藤子(A)先生はトキワ荘の先生達が売れ出してからの話は、ご自分が描かなくてもみんな知っていると思われたのでしょうか?でも、まだまだ続きが読みたかったですね。
 
さて、ご存じのようにトキワ荘に集った若者達はその後マンガ界で大活躍しますが、トキワ荘時代はとても素晴らしい経験だったようで、その時の友達の輪は一生の宝物となりました。そして、みんなでアニメを作るという目的で再び集まりスタジオゼロというアニメ制作会社を立ち上げました。メンバーみんなが、また集まって何かしたいと思ったのが一番大きなドライビングフォースだったのかもしれません。敬愛する手塚先生がアニメを作り始めたことに刺激を受けた事も影響したでしょう。
 
この本は、有名だけど実態があまり知られていなかったスタジオゼロの活動内容を詳しく記した貴重な記録です。かつてトキワ荘の住人でアニメ界に飛び込んだ鈴木伸一先生が監修と装画をされています。表紙カバーに描かれたトキワ荘グループメンバーのイラストは一見の価値ありですよ!
 
「最初に拠点とした元ボクシングジムだった建物を、すでに一人前の先生になった連中が掃除し、みんなでわいわい言いながらアニメの構想を練る。」という行為そのものが彼らにとっては。本当に至高の時であったろうと思います。この本を読んでいても、この頃が一番希望に満ちていて楽しそうです。特に最初の頃のスタジオゼロはトキワ荘グループのメンバーの緩やかなコラボを実現する場であり、アニメビジネスを展開するというような事業体の態は成していなかったと思われます。
 
しかしながら、次第に社員が増えていき、これと同時にトキワ荘メンバーがマンガを描くことに忙殺されてみんなで集まることができなくなってくると、スタジオゼロ自身が普通のアニメ制作会社としての自立の道を目指して行くことになります。元々の成り立ちがトキワ荘的ユートピアだったので、いきなり厳しいビジネスの世界に対応するのは厳しかったと思います。基本的にアニメ部門を任された鈴木先生はとても大変だったと思います。
 
そして、ゆるやかに終息へと進むことになります。が、しかし。スタジオゼロは、完全に解散したのではなくその後も会社としては存続していたそうな!今も続いているのかな?これは知らなかったです。
 
たぶん、今もいろいろな新しい会社が生まれる一方で、なくなっていく会社もたくさんあり、それぞれにドラマがあるのだと思います。スタジオゼロの物語もそのようなドラマの一つかもしれません。しかし、手塚先生やトキワ荘グループのような人気マンガ家がアニメ制作に直球勝負でチャレンジしたインパクトが現在のアニメ興隆に至るプロセスにおいて大きな影響を及ぼしたことは間違いがないと思います。なんだかんだ言っても、人気マンガにあやかってテレビアニメが作られ成功していったという事実がなければ、今のアニメの歴史はだいぶ違っていたのではないでしょうか?
 
その意味でも、スタジオゼロの存在はとても重要だったと思います。そして、本に掲載されている写真の中の先生達がみんな楽しそう!この笑顔がスタジオゼロの活力となったのだと思います。やはり、仕事は、そして人生は楽しくやりたいと思ってしまいます。