受験が終わった後、待っていたかのように、息子はインフルエンザにかかり、少し後に腸炎になりました。受験の時ではなくて良かったと思います。リラックスしていたように見えた息子も大変なストレスを抱えていたようです。
 
受験当日、私も学校までついて行きました。休日で朝の早い時間の電車はすいていました。目立つのは、私たちと同じように受験をする親子連れでした。親たちはもちろん心配そうにぺたっと付き添っていますが、子供たちは一様に押し黙り虚空を見つめている緊張した面持ちでじっとしています。みんな、これまで一生懸命にがんばってきた子供たちです。たぶん、私たちも同じだったのでしょう。
 
発表の光景も忘れられません。発表時間の10分前くらいには、すでにたくさんの人が学校に集まっています。親子はもちろん、孫の替わりに発表を見に来たおじいちゃん、おばあちゃん、塾の関係者などが群衆を形成し集まっています。その場には、たくさんの人がいるのですが、あまりおしゃべりしている人はいなくてシーンとしています。本当に沈鬱な重い空気に包まれていました。長く感じられる時間でした。
そして、発表の時間。合格者の受験番号が書かれた掲示板がオープンになると。。。
 
子供には確かに大変なプレッシャーとストレスがかかっていたでしょう。
今遊びまわっている息子に、少しだけ変化がありました。ちょっとだけ、ききわけが良くなったように思います。
月並みですが、少し、大人になったのでしょうか?
我が家の中学受験は終わりました。
縁あって入れてくれる学校があり、うちのせがれは、今年の春からその中学に通うことになりました。
 
平日はもちろん、土日も塾通いしていたせがれは、今までの分を取り戻そうとしているかのように、毎日遊びまくっています。たぶん、一番大変だったであろう私の妻は、急にすることがなくなり、ほっとしたとたんに、どっと疲れが襲ってきたようで、寝込んだり、ぼーっとしたりで、ぐたっとしています。
 
受験、そして合格発表は容赦なく来て、一瞬で終わったように感じられました。親も含め、子供によっては、3年間、あるいは6年間もがんばってきたことが、本当に短い時間で結果が出るのですね。あっけない感じもします。
 
義務教育の期間でもう一年ということはありえない中学受験は、一生で一回しかできないチャレンジです。そして、それぞれの子供のこれからの生き方に大きな影響を及ぼすものですよね。小学生というまだ幼い子供にとって、その意味を十分に理解することは大変難しいのでは?と思います。本当に過酷な試練を受容させているようにも感じます。今でも、これで良かったのかな?と思う時があり心が痛みます。
 
この中学受験の期間に経験したことは、一生忘れられないものとなりました。
 
  
 
かつて奈良にあった名旅館日吉館の話題です。
 
今日、本当にたまたま「日吉館」でHP検索をしていたら、大阪のMBSラジオ局が昨年放送したインターネットラジオで「ちいさきもののうた」というラジオドラマの情報を見つけました!
 
このドラマは日吉館の女将さんだった田村きよのさん(おばちゃん!)や働いていたノロちゃんが登場し、日吉館で起こったいろいろな出来事を描いているものです。
ありがたいことに、HPに音声コンテンツがリンクされており試聴できます。90分ほどのドラマですが、思わず聴きいってしまいました。ノロちゃんがおばちゃんに聞いたことを語るという設定で、昔日吉館に泊まった人なら、とても懐かしく、そして感動すると思います。
 
「日吉館  ラジオ」で検索すると一番はじめに出てきます。ご興味ある方はぜひ聴かれてください。
 
ちなみにも私は学生時代から社会人になっても日吉館にだいぶお世話になりました。下記URLでその頃の様子を少し書いています。
 
 
本当に偶然でしたが、奈良の神様が教えてくれたのかな?
 
NHKで「ニッポンマンガ創世記」と題し手塚×石ノ森のコラボ企画番組を放送していましたね。現在、東京都現代美術館で開催されている特別展「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」と関連しているのかもしれませんが、簡単にまとめると、マンガの神様手塚先生とマンガの王様石森先生が互いに触発され新しい表現や分野を切り拓きマンガの発展に多大な貢献をしていったという流れで番組が作られていました。
 
 確かにある時は子弟関係、ある時はライバル関係(石森先生の意識は違っていたかもしれませんが。。)となってしまい、それがお二人の創作に大きな影響を及ぼしたのは事実だと思います。COMに連載された「ジュン」をめぐるエピソードは有名です。ただ、話の持っていき方がすこし強引な感じがします。
 
手塚先生は石森先生だけでなく多くの事物に触発された方だったと思います。思い浮かぶものをいくつか列挙してみると、
・人気絶頂だった福井英一先生「イガグリくん」に似たキャラを漫画教室の悪い例に使ってしまう。
・劇画ブームの頃ノイローゼぎみに?
・白土三平先生の忍者物を意識してか「おれは猿飛だ」など時代物を発表。
・ガロに対抗してCOMを創刊。
・水木しげる先生の妖怪物を意識して「どろろ」を創作。
・永井豪先生のエッチ物が流行ると性教育マンガと称して「アポロの歌」などを発表。
・ニューウェーブの旗主と言われていた大友克洋に「このくらい僕にも描ける」と話した。
などなどたくさんあります。そういえば、COM誌上で評論家の石子順造氏と激論を交わした事もありました。
 
大人げないなどと言われることもありましたが、ご本人は、純粋に正直に反応していただけだったかもしれません。マンガだけについては、だれにも負けたくないとの思いも強かったのでしょう。手塚先生が噛みつく相手は、いづれも文句なしの大物ばかりです。そして、その葛藤をバネにして手塚先生御自らが大きく飛躍されているのです。結果的には、手塚先生のエネルギー源はこのようなライバル達の存在だったかもしれません。
 
ところで、この番組の一方の主人公である石森先生は、どのような気持ちで膨大な作品を描かれたのでしょうか?石森先生が誰かに絡んだという話はあまり聞きません。手塚先生のパンチを、ノーガードで受けてもダウンしない底知れぬ超人的なマンガ力を持った巨人である事は間違いないでしょう。