親友Matthew Youmansの死 | Adventure D'Rider, jasmine T Cardwellのブログ

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アドベンチャー(ADV)・ド’ライダー、jasmineです!
北米大陸を2輪(バイク)で横断中2回のバイク事故に遭い、4輪で再横断へと新たなチャレンジスタート!jasmine目線で、アドベンチャーな世界を紹介していきます!
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100万人に一人の確率でしか罹患しない珍しい悪性腫瘍(癌)PMP=Pseudomyxoma Peritoneei(腹膜偽粘液種)と10年間戦い抜いたマットが先日11月6日、45歳の若さで天国へと召されました。
http://pmpwarrior.org/video/

マットとは2009年、親友でサンディエゴのお父さん的存在でもあるロスを通して知り合い、ルームメイトとして約1年半、一つ屋根の下で共に生活し、お祝い事や祝日など事あるごとに集まり、家族同様で過ごしてきた仲。

出会った当時は、癌を罹患しているなんて到底思えない、がっちりとした大きな体で、そのポジティブで明るい人柄から友達も多く、私とマイケルも直ぐに仲良くなれた。

サンディエゴにPMP専門の医師がいる事を探し当て、すがる思いでアリゾナ州からサンディエゴへとやって来たマット。当時、アリゾナ州の病院で余命3か月と宣告されていたのだそう...。

それから6年、合計3回の大きな手術を乗り越え、調子の良い、悪いを繰り返し、だんだんと衰えていくマットの姿を目にしながら共に過ごした日々。今年の夏くらいから急激に症状が悪化し、入退院を繰り返す生活を余儀なくされていました。
(PMPの症状は、虫垂や卵巣から粘膜が生産され、他臓器に付着し、それらが内臓を圧迫してお腹がパンパンに膨れ、酷い腹痛や嘔吐を繰り返し、やがて死に至る病。)
正に上記の症状そのもので、パンパンに膨らんだお腹を抱えて腰を屈め、痛みと闘っていました。

そんなマット、どんなに具合の悪い時でも、絶対に弱さを見せず(特に女性には)、真っ白い顔で冷や汗を流しながらも、私が「 How do you feel today?」と聞けば決まって笑顔で、「I am great, jasmine chan! How are you?!」と...。
強さと優しさに満ちたマットが、私を呼ぶ "jasmine-chan" というフレーズが、天国に旅立って10日以上経った今でも脳裏から離れないでいます。

私の大親友Mintから、病気になったと知らせがあった夜、マットの部屋へ飛び込み、息が出来ないくらい泣いていた私。「私はどうしたらいいの?何をしたらいいの?」とマットに尋ねたら、「jasmineちゃん、僕にしてくれているように、彼女にしてあげればいいよ。君が出来ることをすればいいんだよ。」と優しく諭してくれたことは一生忘れない。


(Mintとマット最初で最後の対面)

アメリカ横断に出発する10月当初も、マットは病院の救急病棟で1週間ほど入院しており私とマイケルは、「マットと最後の別れになると思うから覚悟をして出かけよう」と心を決めていました。

しかし、ルームメイトのロス、ミリタリーで看護師のターニャと、ハウスオーナーのスティーブに出来る限り連絡を取り、マットの体調を聞いていた最中、昨日までささやくようにではあるけれど会話が出来ていたマットが、坂を転げ落ちるように危篤状態に陥ったと....

 

(サンディエゴの私の家族。真ん中がロス、一番右がターニャ)

その知らせを受け、急遽予定を変更、戻るつもりはなかったサンディエゴへ「帰ろう。マットの最期を看取ろう。」と決断し、11月4日、デンバーはコロラド州に居た私とマイケルは天候を考慮しながら10時間、丸2日間、祈る想いで車をサンディエゴへと向けて走らせた。この時ほどアメリカの広大さに嫌悪感を抱いた事は忘れない...。

意識のないマットだったけれど、間に合った...。サンディエゴの家族として私達と出会ってくれたこと、共に過ごしてくれた事、彼の人生をShareしてくれたことへの感謝を伝え、私とマイケルの到着を待ってくれていたかのように、それから12時間後の朝6時、痛みも無く、穏やかに、静かに息を引き取った...。

まだあったかいマットの手に触れて、息をしているかのような穏やかさを保ちながら、言葉に出来ない時間がゆっくり、ゆっくりと過ぎて行き、だんだん冷たくなっていくマットに違和感さえ覚えた。

マットが他界してからの一週間は本当に不思議なくらい一日一日が長く感じられた。日本の葬儀しか知らない私にとって、アメリカの葬儀は本当に不思議に満ちたものでした。マットの希望通りに執り行われた一連の葬儀、文化も宗教も違うから当然日本とは全く違うのだけれど、少々ショックと驚きの連続で、マットが私に与えてくれた新しいアメリカでの経験なのだと、前向きに捉えるようにしました。

覚悟はしていたし、マットが痛みからも不安からも、戦いからも解放され、安らかな場所へと旅立ったのは頭では分かっていても、やはり心は張り割かれる想いです。
現在も、マットと共に過ごしたサンディエゴのスティーブ宅に滞在中ですが、急に思い出が蘇り、涙が溢れてしまうときもあります...。

マットの人柄を現すように、温かい人ばかりが集い、そして彼の家族と共に、葬儀の準備に携われた事を心から幸せに思いました。

心の中で永遠に生き続けてくれるマットと共に、サンディエゴが私のアメリカのホームタウンであることをこの先ずっと誇りに生きて行こうと思います。

マット、今日もサンディエゴは美しい夕暮れでした...

Thank you very much for being a great San Diego family member, Matty.
We love you very much...
You will live forever in our heart...

Rest In Peace...