ぶんちゃんの妊娠中の1つの節目の


出来事としてはっち


ゃんのいた病院での合同慰霊祭に列


席してきました。





⚠️解剖のお話でやや深い内容のお話

もあるので、途中お辛くなった

場合は閉じてください。



前回病院に行ったときの事です。







日にちもはっちゃんの誕生日からち

ょうど1か月後の2月16日、降りし

きる雨の中執り行われました。 


この日が来るまでざわざわしていた

私。

ぶんちゃんの事でほっとしたの

も束の間で

どんな顔ではっちゃんのいた病院に

行けばよいのだろ

うとか悶々として過ごしてました。


1年前に解剖の病理結果を聞いてか

ら、病院に入ることはなかった。 

先月、心療科の帰りにお腹のぶんち

ゃんと一緒に練習がてら思いきって

一瞬だけ入ってみました。

一応妊婦だけど、子供がい

ないと入っちゃいけないような空気

を感じました。

(はっちゃん2歳の日にぶんちゃ

んが動いたあの日です。)









はっちゃんがNICUで過ごして旅立っ

た病院なのだから、そりゃ

入りづらくなります。

はっちゃんやぶんちゃんに対してむ

しろ私

勇気あるよねとか思うよう

にして。


一番乗りで病院に早く着いてしまい

ました。 


夢中でNICU通っていたこの感じ、2

年ぶり。

あの時世間では平昌五輪の真っ最中

でした。




今回のご案内。


待ってるとフルートとオルガンの生

演奏がされてました。

献奏というらしいです。


ハロー赤ちゃんで聴いた音楽「白鳥

の湖」が演奏されて、他にはパプリ

カなどがありました。


NICUにいた時も週に一度ピアノの生


奏があってはっちゃん好きで横で聴

いてたな。

当日主治医の先生にはっちゃんが厳

しい

宣告受けて音楽を聴いて悲しくなっ

て搾乳したことあったな。とか思い

出しました。
(母乳ノイローゼになったときかな)


病院長の挨拶、37年前は乳児死亡率

3.7%だっ

たのに平成30年現在乳児死亡率

1.7%だったこと。

(あくまではっち

ゃんのいた病院内での事です。)


最後に病理医の先生の解剖の結果の

お話。


病理の先生は会うのは今回が初めて

でした。


そのうちの死因の7割が1歳未満の

乳児、新生児で未熟性がゆえの疾患


の解剖結果のお話でした。


未熟性がゆえの場合は今の医療が進

んでいる世の中でも

治療できることが限られていて生存

出来ない

ことが今でも多いそうです。


最近周産期の確率のお話よく聞いて

おります。

(ハロー赤ちゃんでも周産期の聞いた

ばかりでしたし)

死亡率の1.7%にはっちゃんが入って

しまった

こと本当は知りたくなかった部分で

すが、医療関係者の方は病院で働い

ている以上、死因の究明を知りたい

と思うものです。


ほとんどの赤ちゃんは助かるのに何

ではっちゃんは助からなかったのだ

ろうと思ってしまいましたが日本の

新生児医療は世

界トップレベルなのに消して0には

できない。


細かく、顕微鏡でみて、画像でみて

臨床医と病理の先生方で時間をかけ

てセッションして解剖の

最終結果が下される。


はっちゃんは約5か月かかりまし

た。



先生方の中ではずうっと心の中に思

い出に残るそうです。


解剖に協力したご献体は先生だとお


しゃってました。



はっちゃんは病院の病理の先生に先

生って思

われてるのかとか。

(はっちゃんは自分で位の低い仏様と

前に語ってたことあったけど)


はっちゃんは病院の解剖の協力者で

あるし

命日の日にはっちゃんが旅立って悲

しい気持ち

の中、嫌だと断ったのに解剖を何度

も依頼されたこと


でも私がごねたので新生児科長の

ご配慮で胸から5センチほどの部分

解剖でどうかとのお話を聞き、病理

医は熟練

してる方だから配慮して行うと言わ

れました。

それだったらと私達夫婦は了承しま

した。
       (実際は7cmでしたが)


やはり学生の頃に人体解剖実習を受

けて

るのでそのときの気持ちも残ってて

何センチはどれくらいとか何となく

感覚で分かるので了承しました。




未だに解剖して良かったのかは

答えが出てません。

だからといって生前のはっ

ちゃんが戻っ

てくるわけではないですし。


1年8か月経ってもこの悲しみは消

えることはありません。

むしろ色々と思い出してしまった。


そしてはっちゃんへの献花、

今でもはっちゃんとは一緒にいるけ

どどうか安らか

に眠って下さいと祈りました。


その後、中々動かなかったお腹のぶ

んちゃ

んが、びくって動きました。

(献奏でも動かなかったから心配して

ましたがただ眠ってただけの様で

す。) 

そして先生方の献花、主治医の先

生、受持看護師さ

ん方の献花、何だか先生お痩せにな


た⁉️と思い、そして私達夫婦が退

場。

40分弱で合同慰霊祭は終了しまし

た。


席でお待ちくださいとの事でしばら

くその場で待機し

ゆっくり帰ります。


病院関係者の方からの献花を受けと

りました。

(自宅で頂いたお花飾ってます)



確かこの病院で生後4日目のはっち

ゃんに会って

から病院の方から初めてママって言

って頂いて、

最初に親になったところだと思う大

事な病院です。

まさにはっちゃんを

産んだ原点でもあります。


私の場合は、早産で産んでるためは

っちゃんママの自覚が出るまでに2

ヶ月かかってます。

自分の事責めながら、搾乳する日々

でした。


そして主治医の先生にご挨拶、

主治医

「終わってから少しお時間良いです

か⁉️」


     「はい。」    


確かにこのまま帰る先生方とお話し

する時間が全くなかったので

むしろお時間作って頂き、感謝で

す。


その後少しして、先生、受持看護師

さん、師長さん、心理士さん方が私

達夫婦の元に来てくれました。


そしてぶんちゃんの妊娠報告をし、

我がお腹をなでなでしてもらいまし

た。(この妊娠で初めてかも(笑))


あと前回の記事で出した横隔膜ヘル

ニアの疑いって言われてたことも先

生方に伝えました。

でもやっぱり話してるうちに泣けて

来ました。
      (弱いはっちゃんママです。)


「ぶんちゃん初めまして」


先生「はっちゃんの事、今でも思い

出してはっちゃんがたまに病院の上


来てるなって分かるんです。

無事のご出産になること心より願っ

ています。

産まれたらぶんちゃんにまた会いた

な」


「先生がはっちゃんの事今でも覚え

ていてくれてて嬉しく思います。

はっちゃんが今朝、先生~って呼

んでたんですよ。」


なんかはっちゃんがそう言ってるよ

うに聞こえました。

きっと主治医の先生とはっちゃんに

は今でも深い絆があるんでしょう

ね。


知らなかったな。

はっちゃんが今でもNICUに時々顔を

見せたなんて。


でもはっちゃんが前に言ってた

未来は明るい。

今から数年以内に起きるはずの未

来。

あの時の先生の笑顔を

僕は忘れられないんだってあの言

葉、お

母さん絶対に信じてるからね。


産んだ私よりはっちゃんの

事をよく知っている先生にぶんちゃ

んに会わせるって決めたから。


私がもし先生だったとしても絶対に

ご対面したいって思うから。

前にとびきり可愛い赤ちゃんだった

と言ってくれてたし


何でかってはっちゃんの出産立ち会

ってくれた方ですからね。


そして受持看護師さん

「こうして会えることってなって

中々ないんです。だから今日お会い

出来るの楽しみにしていました」


ドラマではよく患者さんと先生って

フランクに話してますけど大きい病

院だとセキュリティの関係で中々難

しい様で。

先生方の制服以外のお姿も初めて

でした。平服です。

ぶんちゃんを出産したら報告

にまた伺いますね。


今回は慰霊祭と兼ねて周産期の医

療関係者

の方へのぶんちゃんの妊娠報告にな

っちゃいましたが

はっちゃんの今までの事も全て知っ

てるし安心してお任せできるって知

ってるからです。

最後に先生にお願いして握手してお

別れしました。

2年前に面会の度に厳しいこと言わ

れ続けて先生に会

のも辛かったときありましたが今振

り返ってみると先生は誰よりもはっ

ちゃんの治療をしてくださって

誰よりもはっちゃんの事を強く思っ

てくれたからだというのが伝わりま

した。

そんな先生の熱いお気持ちを久々に

再会して受けとることができまし

た。

長く長く手を握って下さいました。

きっとはっちゃんにも同じことをし

てたのかな。


今後、精神的に辛くなった時は先生

に握って頂いた時の手を思い出しま

ニコニコ


この度は、本当にありがとうござい

ました。