この度はお祝いコメントやいいね👍をありがと

うございます。

涙が出たとおっしゃって下さった方まで本当に

感謝でがいっぱいです。

皆様の暖かいお気持ちにうるっと(;o;)来ま

た。



今、はっちゃんは私のお腹に戻ってきてぶんち

ゃんとしてこれから誕生すべく、日々一緒に過

ごしています。

つたない表現になりますが

これからBlog上ではお腹の子の事をぶんちゃん

と呼び区別することにしました。


 お空のはっちゃん
    お腹のぶんちゃんです。


でも話を語るのはあくまではっちゃんです。

いわゆるぶんちゃんは胎児ネームです。

ややこしくてすみませんが暖かい目で見ていた

だけると幸いです。



はっちゃんの入院していた病院から私の名前宛

で合同慰霊祭のご案内が届きました。

命日から節目の1年半というタイミングに届い

てビックリ‼️


はっちゃんの結果を1年前に聞きに行ってカウ

ンセリングに行って、以

来、一度も足を踏み入れていません。





   


はっちゃんのいた病院は私が子供の頃からよく

知ってるこども専門病院です。

いわゆるかつては私の地元にある病院でした。

なんか手紙見た途端、急に泣いてしまいまし

た。色々思い出して。

前回はっちゃん最後の日を載せたばかりという

事もあり。

夏頃に実家に行ったときその病院は解体作業を

していました。

移転してるとはいえかつてその場所にあった大

病院を解体するのを間近で見るのは心が苦しか

ったです。


はっちゃん旅立ってから子供の頃から慣れ親し

んだ

病院の建物がなくなっちゃったんだという気持

ち。

更地になっちゃう、そのあとはただの草原にな

っちゃうのかなとか考えて。

実家にいくたびに旧病院が通り道にあるので毎

度のことながら気になります。


今回は

はっちゃんが昨年の6月頃に語っていたお話を

載せようと思います。



未来の世界では今いるお腹のぶんちゃんが大き

くなっ

て、合同慰霊祭に行くんだと話していたはっち

ゃん。

ぶんちゃんが幼稚園か小学生に新生児科の主治

医の女医さんに再会したときのお話を語ってい

たことがありました。


その時に


「先生が僕(ぶんちゃん)に向かって大きくなっ

ね。

やっと会えたね、◯◯先生(主治医)が泣いて言

ってくれるんだニコニコ


1年前にはっちゃんのいた病院の心理士さんに

このお話をしたときに、


「合同慰霊祭の事言ってるんですね。

解剖にご協力頂いた方に合同慰霊祭のご案内を

しているんです」


と言われたことがありました。


正直、解剖に協力したことで合同慰霊祭のご案
         
内がくるというの

にはやや複雑な気持ちもあります。


きっと今でも病院との繋がりがあるのもはっ

ちゃんが繋いでくれたご縁だと思ってるからで

す。

でもはっちゃんの語っていたこのお話がいつか

現実になる日が来るように

ずうっと祈ってました。


昨年はご案内が無かったので今回のご案内のお

手紙が届いて来年あるん

だ。いよいよかと思いました。

きっと大きくなったねというのは、数年後に

なるのかな。


お腹に戻ってきたはっちゃんとは未だに対話し

てます。(今回のお話を載せたときほど小学生

になってからの話は減ってしまいましたが)


実は未だにはっちゃん、主治医の先生の名前を

時々、呼ぶんです。

生きてたときは親の私よりもずうっとはっちゃ

んの命を守るためにずうっとはっちゃんとNICU

に一緒にいた主治医の先生。

「はっちゃん、主治医の先生に会いたいよ

ね。あと受持看護師さんにもね。

そして再びお腹に戻ってきた報告をしなくては

。」

行く頃には1年経過してるし、先生や看護師

さん方、はっちゃんの事覚えてるとよいな。

確か当時、新生児科の先生方は赤ちゃんが大好

きな

先生方が集まってるプロの集団だとおっしゃっ

ていました。

きっとこのNICUにいなかったらはっちゃんは

4か月間、生きられなかったし、先生方が寝

る間を惜しんで懸命に治療してくれたのだか

ら。

来年、慰霊祭に行くときはハンカチ必須になり

ますが、家族全員で笑顔で病院の方々にお会い

出来るといいなと思っていますニコニコ