③サッカーと人間形成は別物

 

アメリカでジュニアサッカー年代を過ごすメリットとデメリット①はこちら

アメリカでジュニアサッカー年代を過ごすメリットとデメリット②はこちら

初めての方はこちらもどうぞ

 

息子が5歳になり週末にリーグ戦やトーナメントに参加できるようなって驚いたのが、おじいちゃん(時にはおばあちゃん)レフリーがかなりの数いるということです。その頃はまだ4人制サッカーだったためフィールドも小さく、ちびっこ達の技術レベルも高くはないので、確かに高齢者でも笛を吹くのはそれほど難しくないな、と納得しました。同時に、そんなおじいちゃん、おばあちゃんレフリーたちを横目に沸々と沸き上がってきた思い。それは.....

 

「俺にだってできるんじゃね?」

 

 

さっそくリーグ戦を運営しているオフィスにに問い合わせてみると、ライセンス取得への流れや必要経費などをすぐに連絡してくれました。そんなわけで、私は2022年の秋季リーグ戦から平日の夜や週末をメインにレフリー活動をしています。利点は、今すぐに挙げられるだけでも

  • 自分のスケジュールに合わせて試合を選べる(U5から成人まで)

  • 色々なチーム、コーチ、プレーヤーを観察することができる

  • アメリカサッカーのジュニアユースシステムの理解を深められる

  • 我が子の試合にレフリーが現れず没収試合になりそうな時、自分が飛び入りすることでそれを防ぐことができる(なのでホイッスルは鍵につけて常に持ち歩く)

  • お小遣い稼ぎになる

  • 健康維持にもってこい

など沢山あります。

 

過去2年間のレフリー活動を通して、サッカー少年のいち保護者としては気づけなかったアメリカサッカーの側面を知ることができ、理解も深められたと思います。しかし一方で、アメリカでサッカーレフリーとして活動する最大にして最悪なデメリットもあるのです。それは...

 

【レフリーに対する圧倒的なリスペクトのなさ】

 

コーチやフィールドプレーヤーはもちろん、サイドラインに陣取る選手の家族や友人達からの罵倒ともいえる声かけに苛立つのは日常茶飯事、心が折れかけたことも一度や二度ではありません。日本でサッカー人生を送った私には想像を絶するアメリカレフリーの世界でした。

 

 

今でもそうであってほしいと切に願いますが、日本ではレフリーのジャッジに対して子どもがあからさまな文句を言ったり威圧的な態度に出ようものなら、イエローカードではすみません。指導者や場合によっては親に即刻交代を命じられて、こっぴどく叱られることがあっても当然でしょう。例外はあれど日本ではサッカーを通して人間形成をすることが、サッカー選手として成り上がっていくことよりも重要視されている、少なくとも同等に大切だと考えられているのではないでしょうか。日本サッカー界に大きく貢献をしたデットマール・クラマー氏は「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」という言葉を残しています。

 

この点、アメリカは全く違うように見受けられます。ジュニアサッカーの現場において、レフリーへの無礼は深刻な問題となっており、それが理由に、アメリカではレフリーの人数が圧倒的に足りていません。あまりにも精神的負担が大きいからだといわれています。

 

散見されるレフリーに対するリスペクトに欠ける態度は、試合中のジャッジに対する抗議という言葉では片づけられないレベルです。報告されている事例の中には、試合後にレフリーが暴力を振るわれたというケースもあります。

実際私もこのケースを身近に体験しました。去年私がレフリー活動をしていた会場で、ある試合後にコーチと数名の親がその試合を担当したレフリーに詰め寄り、暴力沙汰の事件が発生して、最終的には警察が出動するまでになったのです。

 

悲しいことに、このレフリー不足問題はサッカーだけにとどまらずアメリカの多くのジュニアスポーツに当てはまります。レフリー不足が理由でリーグ戦やトーナメントが中止になるという問題が、全米中のジュニアスポーツで発生しているのです。

私のレフリー仲間やアメリカ人の友達に聞いてみたところ、このような問題行動の背景として考えられるのは、

  • 勝つことが何よりも大切であるから

  • 自己主張をしないことは、いかなる状況においても決して好意的にはみられないというアメリカ人の価値観

  • 自国の代表戦や各国プロリーグにおいて、選手がレフリーに詰め寄ることが当たり前のようになっていて、それを子どもたちが真似している、あるいはそれが当然と思っている

どの理由も一理あるなとは思うのですが、私自身の個人的な考察としては、アメリカにはサッカーと人間形成を結びつけて考えているコーチや親、サッカー関係者が少ないのではないかと思います。

 

語弊がないように説明しておきますが、アメリカジュニアサッカーが選手のハードスキルばかりでソフトスキルすべてをおざなりにしているというわけではありません。闘争心、失敗をおそれず挑戦する気持ち、決してあきらめない心、何度でも立ち上がるタフさといったソフト面を褒めて伸ばすのは、こちらのコーチや親はとても上手です。でもそれらのソフトスキルはあくまでよりよい「サッカー選手」を育成するためであり、感謝や我慢、協調性、リスペクトの気持ちといった一見サッカー選手としてのレベルアップには関係なさそうな(本当は関係あるのですが)「ひとりの人間」としてのソフトスキルはおざなりになっている印象を強く受けるのです。

 

つまり、アメリカではサッカー(その他のジュニアスポーツもそうかもしれません)は上手くなるためにやるもの、選手としてレベルアップしていくためにやるもの、勝負に勝つためにやるものであり、人として成長・成熟していく手段としてサッカーを用いるというという考え方は一般的ではないのだろうと私は考えています。それでなければコーチや親があのような醜態を子どもたちの前でさらすはずがないですし、フィールドの子どもたちの行き過ぎた言動を大人が見過ごすはずがありません。私はこの点を、アメリカでジュニアサッカー年代を過ごすデメリットと捉えています。

 

私は自分自身のサッカー人生を振り返って、サッカーを通して得られた人間形成の部分に心から感謝しています。プロになるという夢をあきらめて高校卒業後に渡米したときも、社会に出て働き、結婚して、子育てをしている今この時も、そこで学んだことや培ったものは私の人生の基盤となっています。それはマナーやルールを守る、敬意をはらう、時間を守る、人の話を聞く、時には自分より他者を優先する・・・といったある意味非常に「日本的」なものかもしれません。でもこれまでアメリカで20年以上生活をしていて、それらがマイナスに働いたことはほとんどありませんし、それどころかマイノリティとしてこの社会で認められたり責任を任せてもらうためにとても役立っていると実感します。サッカーを通して学んだことは、サッカー以外の場所で私にずっと素晴らしい影響を与え続けてくれているのです。

 

今、年齢的に育ててもらう側から育てる側になって、さらには海外に出て日本のサッカーのあり方をより俯瞰できるようになって、こういった素晴らしい財産を享受できたのは、私の人生に関わってくれた多くの人達が「人生にはサッカーの技術や能力よりも大切にしなくてはいけないものがある」という揺るがない信念のもと、意図してそれを伝え続けてくれたからなのだと実感します。

 

いかなる環境においても我が息子にはサッカーを通して、まずはしっかりとした人間に育ってほしいと切に願います。この国でその思いを貫いていくことは簡単でないかもしれません。環境、チームメイト、文化の影響を受けて、年頃になれば調子にのってレフリーに悪態をつく息子がいるかもしれません。そんな時は臆せず息子をゲームから引きずりだし、こっぴどく叱れるジャパニーズダディでありたいです。サッカー選手としてのキャリアはいつか終わっても、その後の人生はずっと続いていくのですから。

 

今回はサッカーと人間形成という点で日米の違いを考えてみました。意見、感想、質問などあればご連絡いただけるとうれしいです。

 

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