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| 1793年 |
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フランス |
クロード・シャップ(Claude Chappe)はフランス革命の時代に、手旗信号のような腕木を使った信号塔=セマフォ(Semafoor)でパリとリールの間(約220Km)で電報通信に成功した。 |
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| 1832年 |
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アメリカ |
サミュエル・モールス(Samuel Morse)は電磁石の導線を延長させて、導線に流れる電流を断続させ、電磁石の磁気が変化することで信号を送ることを考案した。 |
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| 1837年05月 |
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アメリカ |
ウィリアム・クック(William cooke)とチャールズ・ホイートストン(Charles Wheatstone)は共同で電信の特許を取得し、グレート・ウェスタン鉄道に21kmに渡る電信線を設置した。 |
| 1849年 |
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日本 |
松代藩士の佐久間象山が、文献をもとに電磁石、絹巻銅線、地震、ダニエル電池を電源に使い70mの距離で電信の実験を行った。この証言者である五明静雄に対する異論も一部にあるが、否定する論拠までは至ってない。 |
| 1864年 |
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日本 |
佐賀藩精煉方の中村奇輔が指字電信機(ヱーセルテレカラフ)が考案して製作。日本初の公式な送受信記録。 |
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| 1869年12月 |
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日本 |
東京-横浜間の国内電報が開始される。 |
| 1871年 |
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デンマーク |
大北電信会社による長崎-上海、長崎-ウラジオストク間の海底電信線敷設。欧亜陸上電信線経由で国際電報が開始される。 |
| 1874年06月 |
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フランス |
ジャン・モーリス・エミールボドー(Jean-Maurice-Émile Baudot)は自動活字文字の印刷電信(Système de télégraphierapide)の特許を取得した。 |
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| 1876年03月 |
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アメリカ |
グラハム・ベル(Alexander Graham Bell)は、音声を送話器で電流に変え、その電流を受話器で音声にすることに初めて成功した。 |
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| 1877年 |
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アメリカ |
アメリカ合衆国から初めての輸出先として、日本に2台の電話機を送る。 |
| 1878年 |
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日本 |
日本製のベル式の1号電話機が完成。 |
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| 1884年 |
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ドイツ |
パウル・ニプコー(Paul Julius Gottlieb Nipkow)直列式の機械走査を実現する「ニプコー円板」の発明。テレビジョンの先駆け。 |
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| 1886年 |
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日本 |
志田林三郎は、逓信省で隅田川の水面を導体として用いた導電式無線通信実験は、マルコーニの無線実験より9年前に行われたとして評価されている。 |
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| 1887年 |
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アメリカ |
トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison)は静電誘導方式による列車電信を実用化に成功。 |
| 1887年 |
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ドイツ |
ハインリヒ・ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz)は、マクスウェルとファラデーが予言した通り、電磁波が空間を伝播することが証明され、無線の発明の基礎となった。 |
| 1895年 |
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ロシア |
アレクサンドル・ポポフ(Alexander Vladimirovich Popov) は、ロシアのクロンシュタット海軍兵学校で、自ら研究・製作に取り組んでいた雷検知器を改良して空中線(アンテナ)を製作し、無線通信に成功した。 |
| 1897年05月 |
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イタリア |
グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi)は、イギリスのソールズベリー平野で約6kmの距離でモールス符号を伝送する実験に成功した。 |
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| 1897年 |
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ドイツ |
フェルディナント・ブラウン(Karl Ferdinand Braun)は、テレビの受像管に用いる陰極線管であるブラウン管を発明。 |
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| 1897年 |
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日本 |
逓信省電気試験所の通信技師である松代松之助は、無線電信通信の実験に成功する。 |
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| 1899年03月 |
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イタリア |
グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi)は、フランスのウィムルーとイングランドのサウスフォアランド灯台 (en) を結び、イギリス海峡を横断する実験を行った。 |
| 1900年12月 |
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アメリカ |
エジソンの会社の元技師だったカナダ生まれの電気技術者レジナルド・フェッセンデン(Reginald Fessenden)は、高周波火花送信機を使った音声信号の送信実験を行い、約1.6km離れた地点で受信に成功した。 |
| 1900年 |
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日本 |
軍艦「浅間」「敷島」「明石」に無線電信を設置。 |
| 1901年 |
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日本 |
前年に海軍に無線電信調査委員会が設置された。そして船に搭載して通信試験を行い試験完了し三四式無線電信機と呼称。アレクサンドル・ポポフ(Alexander Vladimirovich Popov)が無線機をロシア海軍は採用が遅れ、日露海戦の雌雄に関わったとの見解もある。 |
| 1901年12月 |
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イタリア |
グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi)は、ポルドゥーから発信した信号を、ニューファンドランド島のシグナルヒルで凧で吊り上げたアンテナを使って受信することに成功したと発表。2地点の距離は約3500km。 |
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| 1902年 |
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日本 |
海軍が横須賀-焼津間60海里(111Km)の通信に成功した。 |
| 1903年 |
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デンマーク |
パウルハウゼンは、水素ガス中の銅電極に強い磁界を加えて直流アークを放電させ、この放電回路に並列に設けられたLC共振回路に直列に送話器を挿入、発生した高周波電流の振幅を音声信号で変調したアーク放電式の改良が行われた(電狐式送信機)。 |
| 1904年 |
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イギリス |
イギリスで無線電信法制定。 |
| 1904年 |
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日本 |
海軍,長崎-基隆(台湾)間630海里(1160Km)の通信に成功。 |
| 1905年05月 |
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日本 |
日本海海戦で哨戒艦「信濃丸」(火花式36式無線電信機搭載)から「敵艦見ゆ」の信号を発信した。日本海軍連合艦隊・東郷平八郎司令長官は「直ちに出動、これを撃滅せんとす、本日天気晴朗なれども浪高し」と打電。 |
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| 1906年08月 |
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日本 |
日米間太平洋横断国際電信海底ケーブルが開通した。 |
| 1906年10月 |
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ドイツ |
ベルリンでの第1回国際無線電信会議で国際遭難信号「SOS」の採用。 |
| 1906年10月 |
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ドイツ |
ミュンヘン大学の物理学教授コルンが1800km離れた場所へドイツ皇太子の肖像写真を電送。 |
| 1906年12月 |
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アメリカ |
GE社のレジナルド・フェッセンデン(Reginald Fessenden)は、アメリカ・マサチューセッツ州の自己の無線局から、アーンスト・アレキサンダーソン(Ernst Alexanderson)が製作した高周波交流発電機(360本の電極を毎分8500回転=50KHz)を使用し、発電された電流振幅を送話器で変調した。クリスマス・イヴににニューヨーク近郊の実験所から演説と音楽の実験放送を行った。この放送はあらかじめ無線電信によって予告されたもので「世界初のラジオ放送」だっただけでなく「最初のクリスマス特別番組」でもある。 |
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| 1908年05月 |
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日本 |
わが国初の海岸局として銚子無線電信局が開局(JCS)。太平洋航行中の丹後丸と初の無線電報取扱い。 |
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| 1911年 |
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ソビエト |
ボリス・ロージング(Boris Lvovich Rosing)は、世界で初めてブラウン管を用いたテレビの送受信実験を公開。撮像に機械式のニプコー円板と受像に電子式のブラウン管を用いた。簡単な図形の輪郭の受像に成功。 |
| 1912年04月 |
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アメリカ |
当時、世界最大の汽船タイタニック号が処女航海の途上で沈没。マルコーニ無線会社の通信手がひっきりなしに無線救助信号を送り出したが、周辺に無線設備を備えた船舶がなかった。 |
| 1912年 |
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日本 |
横山英太郎、北村政治郎が、TYK無線電話機を発明し、実用無線電話の先端を切る。1917年無線通信の双方向通話に成功した。 |
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| 1915年01月 |
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アメリカ |
ニューヨーク-サンフランシスコ間に、米大陸横断電話が開通。 |
| 1915年11月 |
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日本 |
無線電信法第2条第5号の施行で、個人や法人が無線電信または無線電話の実験を目的とする無線施設を逓信大臣の許可を受けて開設できることになった。日本国内でも私設無線局が次々と誕生した。 |
| 1917年 |
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アメリカ |
エドウィン・アームストロング(Edwin Howard Armstrong)が、スーパー・ヘテロダイン受信方式を発明。無線機やラジオの性能が飛躍的に向上する。 |
| 1918年 |
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アメリカ |
ウェスティングハウス社のフランク・コンラッド(Frank Conrad)がアマチュア無線によって定期的な音声放送を始めた。 |
| 1920年11月 |
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アメリカ |
公共放送(商業放送)の最初は、ペンシルベニア州ピッツバーグで放送開始されたKDKA局と言われる。最初のニュースは大統領選挙の情報で、ハーディングの当選を伝えた。 |
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| 1922年02月 |
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イギリス |
イギリスで英国郵政庁はチェルムスフォード郊外のライトルのマルコーニ科学機器社MSIC(Marconi Scientific Instrument Company, Ltd.)にラジオ放送を許可し、公式なラジオ定時放送が開始された。 |
| 1922年03月 |
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日本 |
上野公園で開催された平和記念博覧会場と東京朝日新聞本社との間でニュースや音楽の実験放送を行った。 |
| 1922年 |
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ソビエト |
モスクワ放送局、モスクワ地方の送信所RV-1で国内向けラジオ放送を開始。 |
| 1922年 |
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フランス |
1889年5月6日に開幕したパリ万博においてエッフェル塔は目玉となり1909年には解体される予定だったが、パリ名物として観光客も増加し、長波による官設ラジオ局が定時放送を開始された。 |
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