サムネ                
終戦後7年目を迎え、朝鮮戦争特需で世の中の景気も上向きになったと思われるが、その一方で前の年(1951年)にGHQから日本政府に統治権が返還された。
この事によって、朝鮮人と共産主義者への重しが取れたように先鋭化して、国民を巻き込む大きな事件が、各々20件以上に急増した。
団塊の世代は、3~5歳。昭和21年生まれの方が、小学校入学の年齢でしょうか?
教えられていれば別だが、戦後生まれの世代には、こうした世情をまったく知る由もなかった。


李承晩ライン(産経新聞)
韓国は講和条約で「戦勝国」扱いになれなかったこともあって、年初には、一方的に李承晩ラインを宣言する暴挙に出た。
当時は防衛体制がまったく整っていなかった時期なので、島根県の竹島を韓国が不法占領して、一方的に漁民の殺害、暴行、拿捕が行わるようにった。
朝鮮戦争のさなかでもあり、増え続ける朝鮮半島からの密入国者に対応するため、遅ればせながら4月に「外国人登録法」を制定した。
 
この年は、朝鮮人による事件、日本共産党に関連する暴力紛争事件が、団塊の世代の親世代への不条理さを、一段と強く与えたことは間違いないだろう。
こうした戦後最大の暴力的事態が、戦後のレジームを形成して行ったとも言える。
その結果、無責任な政治家事なかれの役人見て見ぬふりのマスコミ問題に向い合わない学者と教師倫理観の欠落した企業家が日本に蔓延してしまった。ことわざの「さわらぬ神にたたりなし」だけで、先送りじゃ何も解決しないでしょう。

今でも在日朝鮮人と左翼運動を見ると、マスコミが不安を煽り、活動家が徒党を組んで大げさに騒ぎ立てて、結果には社会的責任を取らない、最後までゴネる…というマッチポンプの体質は、見事なほどに全く変わっていない。
当時の日本弁護士連合会は、「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を提出し、国民4000万人の署名が集まり、国会では社会党、共産党を含む全会一致で、A級戦犯を含む全戦犯の赦免、減刑の決議を行った。
その結果、政府はサンフランシスコ講和条約第11条に基づき、10月までに全戦犯の赦免・減刑勧告を旧連合国に対し行った。
この最悪の時期にこそ、日本人の手で憲法を作ることが必定だったのかもしれない。

掲載した「戦後史 連載リスト」は、リストをご覧ください。

_/_/_/_/_/ 1952年 _/_/_/_/_/
朝鮮人事件=23件 共産系事件=22件
李承晩ラインを宣言 昭和27年01月18日
韓国政府が一方的に日本海・東シナ海に設定した軍事境界線。韓国側によって臨検、拿捕、接収、銃撃を受けるなどした。銃撃により乗組員が殺害される事件も起こっている。
白鳥事件 昭和27年01月21日
午後7時30分頃、札幌市警察白鳥一雄警部が自転車で帰宅途上、路上で併走する自転車に乗る犯人から射殺され、犯人は逃走した。白鳥は、札幌市警警備課課長として当時半ば非合法に活動していた日本共産党対策に従事していたことから、捜査当局は共産党関係者を中心に捜査している。
事件発生2日後に共産党北海道地方委員会が「この事件は愛国者の英雄的行為」と関与を匂わせる旨の声明を発し、党員が市内で「見よ、天誅遂に下る!」のビラを配布していた。事件発生から4か月後、党員の通報により村上国治党札幌地区委員らが共犯として逮捕されたが、指名手配犯3人は当時国交が無い中華人民共和国へ不法出国して逃亡している。
田口村ピストル強奪事件 昭和27年02月03日
長野県南佐久郡田口村でピストルを強奪。逃げ遅れた日本共産党地区委員をその場で逮捕。
東大ポポロ事件 昭和27年02月20日
劇団ポポロ主催の「多喜二祭」のさなか、学生が本富士署の3巡査を暴行、警察手帳を強奪。これを契機に、大学自治とその限界について大論争。
蒲田署警官襲撃事件 昭和27年02月21日
日本共産党が「反植民地闘争デー」を期して軍事方針に基づき行動した集団暴行事件。午後5時すぎ、大田区糀谷の電業社付近に約70人が集まり、不穏な状況に対し蒲田署K巡査が職質したところ、「この野郎、人民の敵だ、殺してしまえ」と襲いかかり暴行、手錠をかけ拳銃を強奪した。その後250人位に増えた暴徒は、2隊に分かれ無届けデモを行った。目つぶし、投石、派出所を襲撃破壊した。
木造地区警察署襲撃事件 昭和27年02月21日~23日
1952年2月21日、国家地方警察青森県本部木造地区警察署は、傷害容疑で在日朝鮮人2名を逮捕した。これに対し、在日朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。2月23日に入り、在日朝鮮人約70名が署内への侵入を図って警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。また同日午後7時、応援に駆けつけていた弘前地区警察署の署員11人が、国鉄五能線木造駅を警備していたところ、在日朝鮮人に取り囲まれ、警棒を奪われる事件も発生している。後に警棒は木造駅近くに捨てられているのが発見された。
京都税務署襲撃事件 昭和27年02月23日
京都税務署を日本共産党員が襲撃
荒川署襲撃事件 昭和27年02月28日
荒川署を日本共産党員が襲撃。
姫路事件 昭和27年02月28日
兵庫県姫路市において、民団広畑分団長ほか3名の民団員宅に旧朝連系約20名が覆面して押しかけ、器物を破壊して逃走した事件。
八坂神社事件 昭和27年03月01日
三・一事件記念の名目で集まった約70名の朝鮮人デモ隊が、大阪市東成区の八坂神社境内に突入しようとしたため、大阪警視庁機動隊と大乱闘になった事件。
宇治事件 昭和27年03月13日
午前1時頃、宇治市警小倉派出所・伊勢田臨時派出所及び警察官宅3ヶ所に、それぞれ5名の朝鮮人が押し入った事件。
京都派出所襲撃事件 昭和27年03月20日
京都の派出所を日本共産党員が襲撃。
多奈川町事件 昭和27年03月26日~30日
大阪国税局は、同局泉佐野税務署・大阪地方検察庁岸和田支部・国家地方警察泉南地区署による、一斉摘発。3月26日午前5時40分ごろ、計10ヶ所の納屋や豚小屋に偽装された密造工場の各所で、朝鮮人による抵抗に遭うも、検察庁職員によって容疑者の逮捕、国税局員によってドブロク・コウジ・蒸留機などの酒造器具を証拠品として差押さえるなどした。この時、婦女子を先頭にした朝鮮人約200人がトラックの前に座り込んだり、大きな石をいくつも道路上に置いて交通を妨害。これを排除しようとした警察官が激しい抵抗に遭っている間、手薄な警備に勢を得た朝鮮人の数はさらに増え、ついには「生活権」を訴える怒号に扇動された朝鮮人が「殺してしまえ」とわめきながらトラックに殺到し、タイヤの空気を抜く、窓ガラスを叩き割る、トラックの運転手を袋叩きにする、差押えた証拠品を叩き落して破壊・強奪する、被疑者を逃がすなどの暴挙に出た。
武蔵野署火炎瓶事件 昭和27年04月06日
武蔵野署を日本共産党員による火炎瓶での襲撃事件。
池上署矢口交番襲撃事件 昭和27年04月17日
池上署矢口交番を日本共産党員による襲撃事件。
田川事件 昭和27年04月19日
4月13日、福岡県の七曲峠で花見に集まっていた日本人グループと朝鮮人グループが喧嘩になり、双方に死傷者が出た。国家地方警察田川地区警察署は両グループを検挙した。
19日になって、朝鮮人の集団が田川地区警察署に押しかけ、犯人の即時釈放を要求した。警察は3名のアリバイを認め釈放したが、朝鮮人たちは引き続き全員の釈放を要求し続けた。午後11時になり、警察が排除に乗り出したので、彼らはガラス戸に向かって投石をし始め、ガラス戸27枚が破損、警察官7名が負傷した。21日に再度、田川地区警察署に押しかけて署長に面会を求め、署内に乱入しようとしたため、催涙弾を使用して鎮圧した。
岡山事件 昭和27年04月24日~05月
阪神教育事件の記念日である4月24日に、朝鮮人約200名が岡山市公安条例に違反する無届デモを敢行し、岡山市役所に突入しようとしたので、岡山市警が制止しようとしたところ、旗ザオに見せかけた竹槍で警察官2名を刺し、プロムアセトン(催涙ガス)入り瓶を投げつけたり投石したので、乱闘になり8名を検挙した。5月1日のメーデーでは、労組による合法デモに入り込んで警察官を追いかけたり、岡山新聞社の写真部員に投石したりした。11日に岡山市警は傷害容疑で英賀朝鮮人学校に乗り込んだが、校内の約300名の朝鮮人の妨害を受けたため、公務執行妨害で8名を検挙した。その後、朝鮮人約500名は飾磨警察署を包囲して気勢をあげた。
外国人登録法の制定 昭和27年04月28日
日本に在留する外国人(この法律における定義は第2条第1項に規定)の居住関係や身分関係の明確化、政府による適正な管理のための諸制度(外国人登録制度等)について規定していた。それまでの旧・外国人登録令(いわゆるポツダム勅令の一つ)に代わるものとして、日本国との平和条約の発効に合わせて制定された。
血のメーデー事件 昭和27年05月01日
東京で暴動化。デモ隊が警察隊と乱闘。「実力を持って皇居前広場に入ろう」と叫ぶ都学連主力の約2000人が日比谷交差点で警官隊と衝突した後、皇居前になだれ込む。更に旧朝連系朝鮮人や労務者の極左分子を加え約5000名となる。投石、棍棒、竹槍にて警官隊と乱闘。自動車13台などに放火29台が大小破、暴徒側に死者1名。
上郡事件 昭和27年05月08日
4月10日に左翼系朝鮮人5名は、兵庫県赤穂郡船坂村で、別の朝鮮人3名に対して日本の学校に入学させていたことを理由に「スパイ」と難癖を付け、巻き割りで殴打した。その事件の容疑で5月8日に国警赤穂地区警察署は、朝鮮人8名を検挙した。その後、容疑者は神戸地検姫路支所に護送されたが、その間朝鮮人の一団が赤穂地区警察署に押しかけ、容疑者の奪還を図ろうと南へ約50m離れた小谷薬局前で警察と乱闘になった。容疑者の身柄は無事護送された。
大村収容所脱走企図事件 昭和27年05月12日~25日
朝鮮戦争による朝鮮人密航者や、在日朝鮮人で犯罪を犯した者を送還するために収容する法務省入国管理庁の長崎県大村市にある入国者収容所で発生した事件。
韓国に強制送還された朝鮮人のうち、125名が手続不備で逆送還されて、大村収容所に再収容された。これに対し、民戦から数回にわたって抗議した後、5月25日になって50名が抗議に押しかけ、代表が当局と会談中、外部の者は盛んに収容者に対し、逃走をけしかけた。そこで約100名は混乱に乗じて逃走を企図し、12名が逮捕されてようやくおさまった。
広島地裁被疑者奪回事件 昭和27年05月13日
4月30日と5月1日に、国警広島県本部安佐地区署古市町駐在所と民家に、それぞれ火炎瓶を投げつけて放火した容疑で逮捕された朝鮮人4人であった。
勾留理由開示は予定通りに開廷されたが、傍聴席には多くの朝鮮人が陣取り、赤旗や北朝鮮旗が掲げられるなど異様な雰囲気での開廷であった。閉廷直前の午後5時20分、傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、被疑者に手錠をかけようとした看守を妨害して、被疑者4人を奪還した。
栃木県那須郡金田村村役場事件 昭和27年05月17日
日共党員らにより三月以来、人糞の投げ込み、集団脅迫、傷害が続いていたが村役場での会議中20名あまりの日共党員が乱入、「山林解放を妨害しているのはキサマか!」「この野郎ふてえ野郎だ、ぶん殴れ!」「ひきずりだせ」など罵声、鎌や鉈をもって迫った。駐在所の警察官にはさらに執拗に、妻や子にまでも行われた。妻の「私が家を離れ(実家に帰っては)共産党に負けたことになるから、死んでも家からは出ていきません」との一言がこの駐在警察官を支えたそうである。
桜井町事件 昭和27年05月25日
午後8時10分頃、奈良県磯城郡桜井町で民団磯城支部書記長が襲撃され、打撲傷を負った。また同日午後11時頃、書記長の兄宅にも賊が押し入り、書記長の兄の妻や、たまたま居合わせていた近所の住民にも暴行を加え負傷させた。
5月26日、国家地方警察奈良県本部は宇陀郡大宇陀町(現・宇陀市)で、犯人の旧朝連系在日朝鮮人2人を逮捕し、国警南宇陀地区警察署に留置した。すると在日朝鮮人が同署を取り囲み、検挙者の即時釈放を要求した。午後9時頃になり、同署の刑事室になだれ込もうとしたので小競り合いとなった。警察は家族のみに面会を許したため、この日はとりあえず解散となった。
5月27日、犯人を奈良地検に送致することになり、南宇陀地区警察署から護送しようとしたところ、在日朝鮮人は護送車を取り囲み、妨害しようとした。一時間ほど小競り合いとなったが、何とか犯人を奈良地検に護送することができた。
高田派出所襲撃事件(高田事件) 昭和27年05月26日
26日早朝、名古屋市瑞穂区にある民団愛知県本部顧問宅へ旧朝連系の朝鮮人数十人が乱入した。そのため、顧問は瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。警察官が顧問を助けようとしたところ、追跡してきた一団は火炎瓶や石を投げつけて派出所を焼き討ちにした。そして、裏口から逃げようとした顧問を追いかけて暴行を加え、全治10日間のけがを負わせた。
他にも同時多発ゲリラとして、米軍基地・民団愛知県本部・中村県税事務所に火炎瓶を投げ込んだり、名古屋簡易裁判所判事宅に投石を行ったりした。最終的に朝鮮人31名が検挙された。
5.30記念日 各地で集団暴行 昭和27年05月30日
板橋署岩之坂上派出所に労働歌を歌いながら棍棒、硫酸瓶、投石などで、なだれ込んだ朝鮮人、労働者、学生風の暴徒約300人。現場より短刀、カーバイト入りラムネ瓶2本棍棒など50数本などを押収。警官発砲他により3名暴徒側死亡。新宿駅前広場、交番で警官100人負傷 火炎瓶使用。全国各地で44件の集団暴行。
大梶南事件 昭和27年05月30日
事件の舞台となった大梶南地区は在日コリアンが多く住む地区で、民団系と民戦系が拮抗しており、地区を縦断する道路を「38度線」と呼び反目していた。
午後7時に、民戦系朝鮮人70人が松原朝連学院に集合した。そして、四列縦隊のスクラムを組んで民団系の韓国人宅を襲撃し、中にいた人に暴行を加えたり窓ガラスを割ったりした。
住民の急報を受け、仙台市警察は地区全体を包囲し、翌日午前8時に一斉検挙をおこなった。6月2日までに20人を逮捕した。
奈良警察官宅襲撃事件 昭和27年05月31日
5月31日、桜井町の奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の在日朝鮮人が覆面姿で押しかけて戸を叩いた。巡査部長の父親が戸を開けたところ、いきなり暴行を加え意識不明の重体にした。そして窓ガラスや障子を破壊して逃走した。
万来町事件 昭和27年05月~06月05日
宇部市には約3100人の在日韓国・朝鮮人が居住しており、大半が生活保護受給者だったが、市当局は彼らが「日中ブラブラしていた」ことから、「潜在収入がある」として、生活保護費増額を見送っていた。
6月5日、宇部市万来町(現在の新町9丁目)において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に宇部興産の工場に乱入、守衛を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて民団の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。
警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は投石などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは催涙ガス弾も導入してようやく鎮圧した。
大分県菅生交番爆破事件(菅生事件) 昭和27年06月02日
大分県菅生村の駐在所が何者かに爆破され、直ちに日本共産党員ら5名が逮捕・起訴された。被告人全員が事件との関係を否定したが、一審大分地方裁判所で全員有罪となる。しかし、その後の弁護団や報道機関の調査で、事件に現職警察官Aが関与していることが明るみに出た。法廷でも警察の組織的関与が立証され、二審福岡高等裁判所は被告人全員に無罪判決を下した。
冤罪事件の1つとして数えられ、公安警察のでっち上げ謀略事件の一種ともされる。なお、Aは事件関与のかどで起訴、有罪となったが、刑は免除されて警察官に復職した。
戦犯の赦免勧告に関する意見書 昭和27年06月07日
極東国際軍事裁判により「戦犯」とされた人たちの早期釈放を求める国民運動が起きた。この運動に連動して、「戦犯の赦免勧告に関する意見書」が日本弁護士連合会の手によって政府に提出された。
これを契機とし、日本国内において4千万人にものぼる署名が集まることとなった。こうした世論の高まりを受けた政府は、サンフランシスコ講和条約第11条に基づき、10月までに全戦犯の赦免・減刑勧告を旧連合国に対し行った。
長野地裁松本支部公廷事件 昭和27年06月09日
朝鮮人被告らが暴れ、検事に椅子を投げる
島津三条工場事件(京都火炎瓶事件) 昭和27年06月10日
1952年6月10日午後4時頃、トラックに乗った祖国防衛隊所属の在日朝鮮人約50人が、京都市中京区にある島津製作所三条工場に押しかけ、守衛の制止を振り切って中に突入、破防法反対のアジ演説を行った。工場側の要請を受けた京都市警察堀川警察署の署員約15人が現場に急行、五十代くらいの朝鮮人が妨害したため、ただちに検挙し京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。
すると、付近にいた朝鮮人約100人が騒ぎ出した。パトカーがサイレンを鳴らして発進し、春日通三条にさしかかったとき、多数の朝鮮人が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込んだ。パトカーはたちまち火の車となり、道を大きくそれて京都市バスの車庫に入り込み、バスに激突した。乗っていた8人の警察官は重軽傷を負った。検挙者も火傷を負ったが逃走した。
醒井村事件 昭和27年06月13日
民団系と民戦(在日朝鮮統一民主戦線)系の在日韓国・朝鮮人間で対立が起きており、1952年6月13日午前5時頃、国家地方警察滋賀県本部坂田地区警察署の警察官は、被疑者逮捕のために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知し、ピケを張るなどして自宅に立て篭った。
朝鮮人側が、投石や棍棒を投げつけるなど被疑者の逮捕を妨害したため大乱闘となったが、警察はこれを鎮圧し公務執行妨害罪で48人を逮捕した。
葺合・長田事件 昭和27年06月24日
神戸市葺合区の東神小学校に約50名の朝鮮人が集まり、竹槍を持って無届デモを行ったので、2名を公安条例違反で検挙した。これに対して9時半ごろ、葺合警察署に約100名の朝鮮人児童が押しかけて投石したため、実力で排除したが、別の一団が乱入し乱闘となった。
一方、長田区では、朝鮮人約150名が神楽職業安定所に向かったので警官隊が追跡したところ、投石したため、デモ隊を包囲して11名を検挙した。
吹田事件(吹田・枚方事件) 昭和27年06月24日~25日
朝鮮動乱2周年記念集会、前夜祭のデモ隊が、石橋駅に入ったが、最終電車が発車した後「人民電車」を動かし、吹田で警官隊と大乱闘。デモ隊は暴徒化し、在大津南西司令官陸軍准将の車に石や硫酸ビンを投げ、顔に全治2週間の傷を負った。
また午前7時ごろ茨木市警察のウィーポン車にむかって、7・8名のデモ参加者が石や火炎瓶を投げて、転げ落ちた警官が火傷や打撲傷を負った。この後、デモ隊は道路沿いにある駐在所や派出所に投石などした。吹田駅のホームは追い付いた警察官と大混乱となり、デモ参加者や一般乗客に負傷者が出た。事件では200人を超える大量逮捕が行われ、111人が騒擾罪で起訴された。
新宿駅事件> 昭和27年06月25日
国際平和デー閉会後、朝鮮人約3000名が新宿駅東口に到着し、駅玄関や駅前派出所に向かって火炎瓶を投げ込んで、窓ガラスや電線等を焼失させた。そのため、警官隊約600名が催涙ガスを使ってデモ隊を押し返した。また、デモ隊の一部は新宿駅7番線ホームに入って、そこにいたオーストラリア兵4名を取り囲み、殴打・暴行を加えた。
立命館地下室リンチ事件 昭和27年06月26日
1952年6月25日~27日に行われた第5回全学連(武井委員長)大会の最中に、全学連による立命館地下室リンチ事件が発生している。京都府委員会(所感派)の指導による学生党員「人民警察」が、反戦学生同盟員に対する3日2晩にわたるリンチ査問事件となり、被害学生は関大、立命館、名大、東京学芸大、教育大、津田塾のら延べ11名に及んだ。
高萩町助役宅爆破事件 昭和27年07月02日
高萩炭鉱賃上げ要求無期限ストライキ。宇部興産が山一炭鉱を買収し向洋炭鉱と改称する。炭鉱炭鉱所長宅ダイナマイト爆破事件発生。
破壊活動防止法施行 昭和27年07月21日
暴力主義的破壊活動を行った団体に対し、規制措置を定めると共に、その活動に関する刑罰規定を補正した法律。
大須事件 昭和27年07月07日
名古屋大須球場で訪ソ・中視察報告大会後、デモ隊火炎瓶で警官隊と衝突、路上車放火 121人検挙。
舞鶴事件 昭和27年07月08日
1952年6月25日、朝鮮人約180名が舞鶴飯野造船所に侵入しようとして、それを阻止しようとした所員に怪我を負わせた事件が発生した。7月8日にその事件の容疑者が舞鶴から綾部に逃走しようとしているのを警察が察知し、先回りして逮捕しようとしたところ、竹槍等で抵抗したため警官が発砲するなど大乱闘となった。双方合わせて27名の重軽傷者を出し、12名を逮捕した。同日午後5時ごろ、朝鮮人数十人が、棍棒、石、ノコギリを持ち「逮捕者を返せ」と舞鶴西署に押しかけ同署のガラス数十枚を破り、警官ともみあいになり、8名を逮捕した。
相馬ヶ原駐屯地事件 昭和27年07月12日
北朝鮮系の祖国防衛隊が暗躍し始め、「朝鮮出兵反対」のアジビラを県内各地に配付したり、駐屯地の内偵工作が行われるようになった。
1952年7月12日に在日朝鮮人約10人が竹槍をもって警察予備隊の相馬ヶ原方面に向かったという情報が入ったため、直ちに出動・職務質問を行い、火炎瓶や硫酸を不法所持していたため、これらを押収し参加者を逮捕した。
その後、祖国防衛隊の軍事工作班が駐屯地の爆破を計画しているという情報が入り、祖国防衛隊がアジトとしている山小屋が判明したため、7月29日早朝にアジトを急襲、5人を逮捕した。
曙村山村地主襲撃事件(曙事件) 昭和27年07月30日
山梨県曙村山村地主宅に10人の山村工作隊が竹槍や棍棒を持って押し入り、就寝中の小中学生3人を含む家族を竹槍で突き刺す。3人は血の海の中に息も絶え絶えになって横たわっているところを駆けつけた警官に救われた。
金森駐在所投石事件 昭和27年08月06日
都下町田町の朝鮮人集落とマーケットより、時限爆弾製造法等が書かれた日本共産党秘密文書「料理献立表」など押収、金森駐在所投石事件などの有力証拠を得た。日本共産党員の容疑者8人を逮捕。
横川元商工大臣襲撃事件 昭和27年08月07日
横川元商工大臣が埼玉県河村で襲撃され重傷。日本共産党員の容疑者3人を逮捕。
大村収容所脱走企図事件 昭和27年11月09日~12日
再び民戦活動家数十名が押しかけ代表が当局と交渉中、654名の収容者が一斉に脱出を企図したので、催涙弾と消防車でこれを阻止し、首謀者12名を検挙した。
五所川原税務署襲撃事件 昭和27年11月19日~26日
仙台国税局は青森県内の警察官の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の在日朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、密造酒約100石、酒粕約400貫、その他容器約200点など証拠物件を押収、酒税法違反として45名を検挙した。また、摘発を妨害したとして、在日朝鮮人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。
その後、在日朝鮮人は「生活権の保障」と「職の斡旋」を要求し、国警板柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行った。11月26日には約60名が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署内を占拠する事態にまで至っている。
川辺村強盗殺人事件 昭和27年11月21日
早朝、長野県道小諸南御牧線の宮沢トンネル近くで頭を鈍器で殴打された他殺体が発見された。
近くの村の人間であったので身元はまもなく判明した。遺族によると、被害者は前日に小諸町のえびす講に出かけ、その帰途に襲われて殺されたらしいこと、また、えびす講で飲み食いするために現金の入った財布を持ち出したはずであることが判明し、その財布が見当たらないことから、現金を奪う目的で殺した強盗殺人事件であることが分かった。
1953年4月に入り、飲食店の従業員から「事件当日夜明けに馴染みの朝鮮人客が現れ、ワイシャツに血のようなものが付いていた。以前に薬用人参の商売をしているという話を聞いたが、あの日以降来なくなった」という情報がもたらされた。
捜査を進めた結果、その人物は神戸市に住所を置く前科3犯の朝鮮人で、今回の事件発生直前まで薬用人参が盗まれる事件が川辺村で頻発していたことが分かった。

戦後史 連載リスト
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