shyは一般的に「恥ずかしがりや」という意味がもっともポピュラーなものだが、その原義は「離れていくもの」である。
そこから恥ずかしがりやという意味に派生した。

~shy となれば「~を敬遠するもの」となる。
girl-shy は「女嫌いの」
work-shy は「仕事嫌いの」
gun-shy は「銃声におびえる」
といった具合だ。

決まり文句としては(once bitten, twice shy)というものがある。
苦い経験によって、あるものに警戒するようになることとして用いられる。
ばついちの人が結婚に慎重になるなどはその一例であろう。
'Catch-22'とはJoseph Hellrによる小説の題名である。
1961年に出されたものだが、この題名が日常的に使われるように
なり現在では辞書に掲載されている。その使われ方が面白い。

戦争において、まともなヤツなら誰しも突撃の免除を請う。
しかし上司は insane person、つまり狂ったヤツだけが
突撃免除を受けられるとしていた。
ここにおいて、突撃をなんとか避けたいものはinsaneになる必要
がある。しかしinsaneなヤツは「突撃を免除してください」
なんてことは言わない。でもなんとかお願いをしなければならない。
でもお願いをしたらその時点で自分はsane personだ。上司は許可してくれない。
といった、どうどうめぐりとなる。これがCatch-22 situationだ。

例えば次のような場合もそうだ。
幸せになるために邪魔なものは嫉妬心である。幸せになりたい
ものならみな嫉妬心をなくさなければならない。そして嫉妬心
をなくすための唯一の方法は幸せであることだ。自分が幸せなら
嫉妬心は湧いてこないのである。
さてここで幸せになることを願うものは何ができるだろうか。
これも堂々巡りとなっていることに気づくだろう。

これらを単純化するとこうだ。
つまり「AがおきるためにはBが必要だが、BがおきるためにはAが必要なのだ。」
ということなのである。


最後にこのブログ記事の題名を思い出してほしい。
それもCatch-22 situationと言えるのではないか。
冷やし中華 はじめました
そうだ 京都 行こう
のりか 「格差婚」 語る

上記のような一見まちがった日本語に見える言葉の使い方について、慶應の先生の研究が面白かった。

正しくは
冷やし中華(を)はじめました
そうだ 京都(へ)行こう
のりか(が)「格差婚」(を)語る

であろう。
そしてそれを省くことは消極的なもの、つまりある種の怠惰だと思われがちである。しかし、それは実は積極的省略だといっている。省略することで何らかの効果を生んでいる、というのだ。

その効果は「ライブ感」といえるかもしれない。特に会話の中では助詞を省くことで互いの距離が近くなるということである。

「おまえ、ばかだなー」 / 「おまえ(は)、ばかだなー」
「ぼく、やります」 / 「ぼく(が)、やります」

微妙ではあるが確かに違いが生じている。
よくよく考えてみればフォーマルな場では助詞の省略はあまりみられないかもしれない。
たとえば、日常会話では「おれ、これ、だいじだと思う。」という表現はしぜんに受け止められるだろう。しかし会社のプレゼンなどで「わたし、これ、大事だと思う。」ではなく、「わたし(は)これ(を)大事だと思います。」という言葉遣いが用いられることだろう。

確かに助詞省略は「ライブ感」を生み出すためのワザなのかもしれない。