桜の季節は色々想い出す

 

 

一緒に闘病していたOさん

 

 

 

お互い余命宣告されていたから

 

来年必ず

 

一緒に桜を観ようと約束したのに

 

 

あなたはよりによって

 

満開の日に逝ってしまったね

 

 

逝く前日まで自分で酵素ドリンクをネットオーダーして

 

桜吹雪のように

 

一気に逝ってしまったね

 

 

 

数日後にお墓参りに行ったらば

 

遅咲きの桜の花びらが

 

はらはら はらはら と

 

白い可憐な蝶々が

 

ひらひら ひらひら と

 

一緒に私の周りを 舞い

 

 

それが彼女のようで

 

ぽろぽろと 涙が溢れ

 

まるで生きていた時の様に

 

「ゆりこちゃん」 と

 

呼びかける声を聴いたんだ

 

 

 

死んだとは言うけれど

 

あなたは ここにいる

 

 

あなたはいつでもそばにいて

 

私をサポートしていてくれる

 

 

 

それどころか

 

あなたは私に

 

あなた自身を捧げてくれた

 

 

なぜなのかはわからないけれど

 

そう思うほどに

 

逝ってしまってからのほうが

 

あなたを感じる

 

 

”いのちを遺す”ということ を

 

死によって教えてくれた

 

 

 

後日、友人達と一緒に

 

御両親から頂いた形見分けの本

 

 

エドワード・バッチ著作集

 

 「汝、自らを癒せ」 

 

 

スザンネ・フィッシャー・リチィの

 

「天の香り」

 

 

中でもこの2冊は

 

私の宝物になって

 

 

その後のオーガニックコスメ開発に生かされた

 

 

なぜ この本が

 

私の元に来たのかは

 

分からない

 

 

なぜ 頂いた本が

 

見事に活かされるような

 

役目が 与えられたのかも

 

分からない

 

分からなくていい

 

 

 

Oさん、

 

聴こえますか

 

私はあなたと共に

 

生きてます

 

私も

 

いのちを

 

いつか

 

誰かに

 

遺すのかもしれません

 

 

 

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谷中霊園にて 14夜の月

 

 

 

ねがはくは

 

花のもとにて

 

春死なむ

 

その如月

 

望月のころ

 

 

西行 法師(新古今集)

 

 



この時の彼女の死の予感を記録した記事は以下「西行桜」
http://ameblo.jp/japanessence/entry-12160177046.html

 

 

 

 


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「双極性」「二極性」に関して言葉にしておこうと思います

 
この言葉に関して漠然と良いものではない印象を持っている方もいるようなのですが
 
これは私たちが通常「見て」いる物質世界の理(ことわり)として不可欠な根源的要素です
 
 
個人の考えとは関係なく、私たちはこの陰陽で成り立つ世界で肉体を持ち、交流し、生きていますので、否定したところで逃れることはできません
 
 
では「双極性を抜ける」「不二一元」といった言葉は何を表すのでしょうか
 
 
 
これは、私たちの"意識" が
 
この見えている物質世界の "奥" にある大きな一つのエネルギー(チカラや動き・働き)を知り
 
そこに 中心を置くこと を言います
 
("奥"と表現しましたが "外" や "全体" という捉え方もあると思いますし、”中心を置く” ではなく ”その大きなエネルギーに同調して生きる” という表現もできると思います)
 
 
それは、この物質世界を創っている根源のエネルギーや理(ことわり)でもありますので
 
言い換えれば、私たち人間もそのエネルギーで創られているということ
 
 
万物すべてが同じエネルギーから生まれ
物質(カタチ)として表現されているわけですので
 
 
どんなものにも存在する意義があることが理解でき
「否定」の感覚は無くなります
 
 
ただ、勘違いして欲しくないのですが
 
 
意識が徐々に変化し「否定」の感覚が無くなったからといっても
いきなりすべての問題が解決するわけではありません
 
 
と、、、
その先を続ける前に、、、
 
 
私のブログが初めての方は、ブログトップにも書いておりますが、以下をお読みください
 
 
上記投稿にも書いていますが
 
 
森羅万象を司る この世の根源となるエネルギーは「愛」です
 
(これは耳タコですねあせる
 
これを知っただけ、感じただけでは
 
今生の入口に立っているだけで、進化にはなりませんので
 
勘違いなさらないようにしてください
(個人の成長になっているとは思います)
 
 
この世が愛であると言うことは
2千年以上前から偉大な方々が地球上各地で伝えてきたこと
 
これらを踏まえ
 
さらに、現代のあらゆる知性を統合し
 
私たちは次のディメンジョン(次元)へ進むわけですので
 
今までに殆ど説かれていない、語られていない荒野へ歩みを進め
人類として新しい特質・新しい意識野を獲得することが進化です
 
 
昨今、近現代の知識知性優位の社会が行き詰まり
 
一昔前の「感性」を一旦思い出すために
 
「イマココ」を「感じる」ことが大切だと唱えている各種メソッドで
満足してしまっている方が多いのですが
 
 
それは進化ではありません
 
 
情報化社会や知識に囚われ、知性と感性のバランスが取れなくなって
しまった人たちがバランスを取り戻すためのメソッドです
 
 
「感性」をしっかり持ったまま、知性を獲得して行っているバランスの良い方は
次の進化へ着実に歩を進めていますので
 
 
バランスが取れるようになったら仲間と繋がり
 
共に意識の荒野を探求してゆきましょう
 
 
さて、話を本筋に戻し
 
上記
「意識の中心の置き場所を変える」
ということですが
 
どこからどこへ、どうやって
 
ですよね
 
 
まずは「どこから」

 
 
私たちの意識は、ほとんどの方が肉体と同じところにあると思っています
 
それは、目に見えるもの、耳から聞こえるものなど五感からの情報に反応して生活しているためです
 
というより、それが人生の全てになってしまっています
 
ゆえに、美味しいものを食べたり、美しいものを見に旅へ出たり、上質な音楽を聴いたり
といった五感を満たすことに夢中になります
 
そして、資本主義経済社会では、それにはお金が必要ですから
お金を持っていた方が「満たされる」と思ってしまいます
 
 
こういう世界で生きるのも それなりに楽しいと思います が、、、
 
私も経験があるので分かるのですが
 
この世界では、最初から様々な条件が敷かれ平等ではありません
 
生まれ、育ち、学歴、キャリア、外見、地位、口八丁(笑)などで
優劣があります
 
 
そして、五感は一時的なもので、かつ感情や肉体に左右されますので
常にそれらに合わせて満たし続けていないと不満足、不安、になります
 
 
たとえば、
寝不足で起きてとりあえず朝ごはん食べて、ギリギリセーフで満員電車乗ってホッとして、押されてイライラして悲しくなって我慢して人身事故で遅刻して、会社行って謝って仕事の多さにげんなりしてミスって焦って、ランチ贅沢して自分を上げて、また仕事に追われてコミュニケーションの難しさを悩んで、でもお給料のために頑張って、残業やだなーと思いながら上司の仕事手伝って、トイレ行って化粧崩れ直して、もっと可愛くて要領良かったら玉の輿乗って仕事辞められるのにとか思いつつ、終業してから友人とご飯して喋ってストレス解放して、旅行の計画して現実をしばし忘れてリラックスして、お得なスパやマッサージの予約入れてちょっと幸せ感じて、明日も早いからさっさとシャワー浴びて寝る、と
 
 
慌ただしいし、終わらない(笑)
 

 
1日24時間の中でも、焦ったり、嫌な気分になったり、幸せ感じたり、飢えたり、リラックスしたり、嫉妬してみたり、指示されて自由がなかったりと、、、
 
まるで、六道輪廻のようです
(天道、阿修羅道、人間道、餓鬼道、畜生道、地獄道)
 
 
六道輪廻図 チベット曼荼羅
 
 
 
というか、六道輪廻そのもの なのです
 
 
日々、私たちはこの六道の中をぐるぐるしている
 
この世は愛だと知っても、瞑想や座禅で大いなるものとの一体感を感じても
この中の天道で過ごす時間が多少増えるだけで
ぐるぐるが終わるわけではありませんよね
 
 
この輪の中でどうすれば「満足」するのでしょうか?
どうすれば「安穏」が得られるのでしょうか?
 
 
天道の存在を知り、自らが天道へ居られるように努力することはもちろん大切です
 
神社などパワースポットや大自然の中に行くことも心の平安のために有効です
ですが、それでは「永遠に満たされる」ことはないのです
 
いわば、対処療法です
 
常にバランスをとっていなければならない
 
 
天道で滞在する時間を増やすために、さらに現実社会との矛盾が大きくなったり
 
バランスを崩す本質的な理由を見つめることなしに一時的な対処をし続け
 
現実社会で摩擦を起こしてしまう、など
 
対処できるがゆえに、この輪の中でのバランスが取りにくくなっている人を少なからず見かけます
 
 
この中にいるうちは、バランスが崩れるポイントを見つけ次第クリアリングしてゆくことが非常に重要で、その大部分が感情的なものだと言えるでしょう
 
 
そして、その感情とは
 
「快・不快」「好き・嫌い」「正・誤」「否定・受容」
 
などの
 
「双極性」「二極性」から成り
 
この「双極性」「二極性」は相対的なものということをよく認識しておいてください
 
 
相対的なものですので、絶対値が無い のです
 
 
自分の中に沸き起こる感情や思考が、何を基準に判断しているのかをみつめることは
内観の基本と言えるでしょう
 
 
と、、、ここまでは、色々なところで書かれていることですので
ご存知の方も多いと思います
 
 
 
 
 
(2)へ続く

 
 
 


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奈良興福寺宝物殿にある山田寺の仏頭


山田寺の御本尊だったようですが、後世になぜか興福寺へ


明治時代には床下に置かれていたとのこと


この仏頭を見て、相田みつをが書いた詩をご紹介します


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


宮沢賢治の詩にある
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」
というのは
こんな顔の人をいうのだろうか


この顔は
かなしみに堪えた顔である
くるしみに堪えた顔である


人の世の様々な批判に
じっと堪えた顔である
そして
ひとことも弁解をしない顔である
なんにも言いわけをしない顔である
そしてまた
どんなにくるしくても
どんなにつらくても
決して弱音を吐かない顔である
絶対にぐちを言わない顔である


そのかわり
やらねばならぬことは
ただ黙ってやってゆく、という
固い決意の顔である
一番大事なものに
一番大事ないのちをかけてゆく
そういうキゼンとした顔である


この眼の深さを見るがいい
深い眼のそこにある
さらに深い憂いを見るがいい
弁解や言いわけばかりしている人間には
この深い憂いはできない


息子よ
こんな顔で生きて欲しい
娘よ
こんな顔の若者と
めぐり逢って欲しい


(引用:相田みつお作品集①にんげんだもの(p34~35)文化出版局発行)



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自然療法やホメオパシーを海外で学ぼうと調べていた時、候補に挙がった一つがフランスの学校だったのね

 

 

で、通うとなったら家探さなきゃならないし、闘病しながら住む訳なので、実際に渡航して色々な学校や医療現場を見に行ってみました

(思いたったら即行動ビックリマーク

 

 

現地在住の友人と車で移動、まずはパリを見てから南下し、リヨンという都市まで行ったのだけど

その帰りにドライブ休憩でオルレアンという街に立ち寄りました

 

 

その時のことです

 

 

街に入った途端、なんだか物凄い郷愁というか、愛しさというか、懐かしさに襲われたのです

 

 

あああああぁぁぁぁぁっ! 愛しのオルレアンドキドキドキドキドキドキ

 

ってゆー感じ

 

 

 

もちろん、オルレアンは初めて🔰

 

 

フランスはアルザス地方(東部、ドイツとの境)はご縁があったのだけれど、パリより南がそもそも初めてで

 

 

雰囲気全体が初めてだったのだけど

 

 

全く初めての気がしないどころか

 

帰ってきた~~~✨

 

という馴染み感半端なく、、、

 

 

 

イミフな猛烈幸せ感に包まれつつ、、、はてなマークはてなマークはてなマーク

 

 

 

そして、

 

 

ここに住みたい

 

 

いや、住んでるの、私は帰ってきたの

 

 

みたいな混乱が起きて

 

 

一緒にいた友人に

 

 

「ここから学校通う!」

 

 

って言ったのね

 

 

 

友人は 冷静に

 

 

 

「いま第一希望の学校はパリじゃなかった?ゆりこは車の免許なくてどうやって通うのよ?!」

 

 

という返事、、、

これに私は間髪入れずに

なーーーーーんと!

 

 

 

「馬で通えばいいじゃない、私の馬なら大した距離じゃないわ♪」

 

(100km以上あります汗

 

 

 

って答えたのですよ ホホホホホ

 

 

しかも、脳内ではオルレアンからパリまでを馬で走っているシミュレーションまで繰り広げられ

 

パリでは馬をあそこに預けておけば大丈夫よねっていうどこかの邸宅の当てやビジョンまで汗汗汗

 

 

 

どっひゃ~~~~~~~~!(꒪ꇴ꒪|||)⚡

 

 

 

 

 

 

いやー、、、その時の友人の顔ったら、、、

 

 

 

 

鳩が豆鉄砲って、これよね

 

 

 

 

( ゚д゚ )( ゚д゚ )( ゚д゚ )

 

 

 

爆笑

 

 

 

 

言ってから、私も

 

「いま、わたし、なに、言った???汗汗汗

 

 

 

 

ってな感じで

 

 

 

 

友人は本当に真面目な人で

 

 

 

「ゆりこなら本当にやりかねないけど、馬で通学か、、、出来なくは無いけどフランスの道交法とか調べて違反しないようにね、、、ゆりこが馬持ってるのは知らなかったよ、、、それもフランスに運ぶのは大変なんじゃ、、」

 

 

 

いやいやいや、馬なんて持ってませーーーん!

 

 

ごめーん(;▽;)

 

 

自分でも分からないよーーー笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

 

 

っていう摩訶不思議な会話がありました

 

 

こんなの初めてだよ

(あ、空想でもこういうのを考えたことはありません汗

 

 

 

何だったんだろうねぇ

 

 

 

 

帰国した時に、ある知人に話したら

「オルレアンということは、ゆりこさん、やっぱりジャンヌ・ダルクの生まれ変わりなんじゃありませんか?」

 

 

 

と飛躍した見解を言われて、そうか、ジャンヌ・ダルクの土地かー

そう言えばなんか銅像立ってたかも?

 

観光では無かったし、たまたまパリへ向かう休憩として立ち寄った街で、滞在を予定してなかったから、全く知らなかった

 

 

でも、それだけでは何とも言えないよなー

 

 

 

って当時あだ名が「チェ・ゆりこ」だった私は思ったのでした

 

(当時、医療改革を共に考えていた仲間達に付けられたあだ名なんだけれど、闘病中だったし、チェ・ゲバラの名前付けられるなんてどんだけ戦ってたのかしら、今考えると恥ずかしー)

 

 

 

ちなみに、その時に「私の馬」って出てきたビジョンは

 

 

黒鹿毛の大きくガッチリした子でした

首の毛が艶っつやだったのを覚えています


日本競馬の細い子ではなく、ネットで探してみて、こんな感じ

 

 

 

 

 

 

 

 

こういうの、不思議ですね

 

私は過去世は否定しないけれど、誰だったとかは どうでも良い(笑)

 

 

 

それより、かつてオルレアンに住んでいた(と思われる)

馬が大好きで一人で遠出しちゃうお転婆な女の子の存在と触れ合うことができたのが嬉しかったです

(いつの時代か全く不明ですが、女性が一人で馬を駆けるって相当なような、、、)

 

 

そう「嬉しい」と言う表現がぴったりでした

 

 

 

本当に一瞬だったけれど、私は心が通じ合った大好きな大きい馬に乗って

オルレアンからパリを駆け抜け、その当時の空気を吸い、そこに生きたのです

 

 

いまでもありありと思い出せるほど強烈な体感

ある意味、実際の経験より鮮烈かもしれません

 

(この記憶のおかげで、たまに自分はすっごく乗馬が得意だと勘違いしている時があります、危険笑い泣き

 

 

それは、何物にも代え難い素晴らしい体験でした


 

いつか遠い日に もしかしたら 今の私の意識に同調しちゃう娘がいるかもしれませんね

 

 

その時に、その子が同じように嬉しさを感じてくれたら 私も嬉しいなぁ

 

朗らかな意識を残したいですね晴れキラキラ

 

 

 

過去も未来も今ここにある

 

 

そんなことを感じた出来事でした音譜

 

 

 

 

 


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さて、さらに活動や交友関係を絞ります

 

 

利己から利他へ向いたとき、自分の幸せの上に被せた利他が最初のステップ

まずは自分を満たしましょう、とか良く聞きますね

家族のため、周囲のため、クライアントのため

この辺りは利他の入口なので多いと思う

 

 

良い悪いは言ってないよ、段階ねひらめき電球

 

 

利他を意識したり標榜し始めると、我欲とのズレが修正されるような出来事が起こり始めるのはみんな知ってると思います

 

「利他と言ったからには、本当に利他なのか、どこまで分かってるのかあぶりだされる」って感じで、大体は感情噴出(笑)するような事が起こる

 

 

これは本当に有難い成長に繋がり、人間的な学びには欠かせない訳です

 

ただ、それを咀嚼してしっかり腑に落とすには自力では難しく

経験者やメンターが必要になる

ここで「準備ができた時に師が現れる」を実感する方も多いと思います

 

 

でないと自分の都合の良いように捉えて学びにならず、同じようなことを繰り返す

(このケース、最悪なんだけれど、結構多いDASH!

 

 

そして、その理解には「世の理、自然の摂理」に対する経験的理解が必要

 

 

だから、慈善活動って「世の理、自然の摂理」を説くので宗教的になりがちだし

実際、宗教や倫理的な学びとして利他の行為が推奨されている

 

 

この辺りが日本はプァだから、東日本大震災の後に慈善活動家を育てる必要あるなぁ

でないと、せっかくの利他の思いが挫けちゃう人も多いだろうなぁ、とボランティア活動を通じての人材育成・教育活動を始めた訳です

 

 

ボランティアで誰かのために何かしたい、と集まってきても

真っ当な活動であればあるほど上記の自然の摂理で

 

自分や、家族や、仕事や、仲間や、、、

もう、それはそれは様々な問題が噴出して活動をストップさせられる(笑)

 

でも、それは悪いことではなくて、

 

自分の一番直さなければいけない部分や

他人へ何かする前にこっちやんなさい、ってところを教えてもらってる訳です恋の矢

 

 

これは有難いサインで 素晴らしい学び

だから人生を有意義な成長の場としたければ、ボランティア活動はとっても有益です

 

問題を、しかもクリアする順に教えてくれるのですから、逃げないでちゃんと紐解いていけば、最短最多最速で学んでいける訳ですドキドキ

 

ですので、そういう時はそれを仲間で共有して、紐解いて、活動はお休みするのが正解

 

 

 

それを知らないと「挫折」と勘違いしちゃったり、活動出来ない自分を許せない、という間違った捉え方をしちゃったり

誰かのせいにして逃げて人間関係壊したり、トラウマ作ったり、、、

 

余計こんがらがります笑い泣き

 

 

利他に踏み込むと、目の前の何年間だけではなく、ながぁ~~~い道程が始まるのです

 

 

だから、利他の活動はチームでやること、そして、最低限自分のことは積極的に仲間に共有すること(でないと事象を紐解けない)

 

一番理想的なのは、経験者によって気づきが最適最善に整えられることです

(関わる人たちのショックや傷が最小限に収まるように場を整える)

 

 

慈善活動は時として自分の理解を超えたことが起こり、事が起こっている渦中や事後に自分で自分を客観視するのは難しいので、慣れるまでは読み解くのは自分では出来ないと思っていた方が良い

 

 

海外で慈善活動家だと言うと私みたいな若年でも、結構なお年を召した方々からめちゃめちゃ尊敬されるのは、その大変さをちゃんとわかっている人が多い事が理由だと感じるし、そういう話をすると、自ずと信仰や宗教の話になります

個人の幸せに対してしっかり考え、自分のエゴや我欲を見つめているってことでもあるので、話していてとても気が楽です

 

 

日本人は知的階級でもその辺りの理解は悲しいくらい貧弱

 

 

 

「子供のため」と言っても「自分の子供のためだけ」っていうこと多い

その辺、もわっと誤魔化しているイヒ

 

 

「利他」をプロモーションとして上手く使う人たち

ファンクラブみたいになっているのをSNSでもよく見かけますね

 

 

最近気になるのが「地球のため」というキーワード

 

まぁ、キャッチーな言葉だし、地球環境問題が大きいので、世界は一つ団結しましょう的な意味もあり、使いやすい

 

利己的に生きてきた人達に訴求するには便利な言葉だと思う

(Flanaでもここを対象としていたので使ってた)

 

 

だけど、本当に利他で「何のために自分は活動しているのか」をしっかり突き詰めて考えていたら分かることだけれど、人間が地球を傷付けても、地球はなんにも困らないのだよ

 

人間の破壊を自然の摂理で淡々とバランスとってゆくだけ

 

地球にとって全ての生き物は表層に生きるちっぽけな存在なので、その摂理が自然災害としてやって来たとき(まさに今の状況)都合悪いのは人間にとって、だよね

 

 

だから破壊してよいとは言ってないよ

 

 

以前はどんな我欲が腹の底にあろうと、表面的な目的が同じなら手を取り合えると思っていたのだけれど、ここ二、三年、こういう、なんと言うか、とっても利他のフリをして自分を売り込んだり稼いだり承認欲求や良いことしたい欲求を満たしている人達にゲンナリしてしまった

 

欲求を隠さない人とは学び合えるんだけれどね

 

 

私はオーガニックコスメのFlanaを開発した時も、自分の欲が製品に乗ることは避けたかったし、この機会をビジネス(取引)ではなく出来る限り別のものにしたかったので、一年更新の契約社員で、派遣社員より安い固定給で、売上に全く関係ない収入にしていた

隠すことでもないので書くと、契約していた期間の約半分は月3〜5万円ほどしか貰ってなかった

たぶん、想像とかなり違うと思う

 

 

このおかげで、ほとんどの人は先入観でコスメプロデュース=お金儲けと捉えていて、いかに歪んだ見方をする人が多いかもよく分かった

 

 

私の中ではFlanaは先にこちらから与えて、

で、たまたまお礼を幾ばくか頂けたと言う感じだった訳です

 

 

そしてモノに乗っかってくるお金に対する欲求の強さを解る人も殆どいないと分かったし、お金欲しいという欲求があった方が共鳴して売れるとゆーこともわかった(苦笑)

(逆にエネルギー分かる人からは今でもすんごい感謝されてます)

 

 

そしてほとんどの人が本物なんて求めて無いということもよく分かったので

自分が生きていく場が鮮明になってきたわけです
Flanaは本当に絶妙なタイミングで ありがたい経験でした


 

結局、そういう(利他のフリをして自分を売り込んだり稼いだり承認欲求や良いことしたい欲求を満たしている)人達は感情的なクリアリングが進まないので(だって自分の我欲の為に活動してるから手柄を欲しいばっかりで、考えないし学ばないんだもの)

幼いままだから、活動も人も、好きとか何か違うとか、感情的な批評が多い

 

 

 

良い例として去年、私を社会的活動のアドバイザーとして雇用しようという企業役員さんとのやりとりで「無言」と「無視」の区別がつかない、幼すぎて深められないというのがあった
それまで色々やり取りがあった最終的に、その人が送ってきたメッセに対して「無言放置」したんだけど、意味が全くわからなかった様子で「ありえない」という感情的な反応だった(しかも本人ではなく部下から伝えてきたw)

こりゃ全く学びにならないな、という事が判明したので契約を解除した訳だけれど

 

 

私の周囲のメンバーは、返信が必要な状況にもし私が既読つけなかったり、意識は向いているのに返答しなかったら

「内容がズレているか、怒りなどの感情エネルギーが満載で見るに値しない、内観して冷静になってから再度連絡」ってすぐ気付きます

(今のメンバーは全員、感情が波立った時点で内観&消化吸収しちゃうので、そもそも感情的な連絡は皆無ですけれど)

 

 

意識向いてなかったら忘れてます(笑)

書いて送ってきた事でエネルギーが動くので「自分一人で深められるな、返信しない方が良いな」と思ったらしません

 

ガイドは最小限

 

それが分からないってことは、私の役目を全く理解していないということで、信用関係がそもそも築けない訳です

 

 

 

口先だけでなく、本当に利他で地球の苦しみや自然界のことを思っているのだったら、自分の感情や欲求なんてどこかにすっ飛ばして共に協力出来る、と思うし

 

ベクトルが利他で世のためを向いているのであれば、批評より解決策を出す

 

 

良い人ぶらないで我欲に素直になれば良いのになーぶー

 

 

で、私はもう、滅私で利他になっている(目指している)人としか活動(時間)を共にしないというか、出来ないな〜、と感じました

これはカタリストを自覚したからでもあるけれど

 

 

自称利他の人と一緒にいても、同じところにずっといて進まないのですよ

変わらないと言うか

 

 

ぶっちゃけ、我欲は丸見えなんです、皆言わないけども

見える人ほど言わないですよ〜

 

 

 

滅私利他で活動している人、たくさんいらっしゃいます

 

 

さらには無為になっている方も複数出てきている

 

もう、利他ですらない

 

何の為でもなく、誰の為でもなく、目の前のことをただ淡々と行っている

 

 

宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の境地

 

 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ

 

 

いるところには居るんです

 

世の中が感情や欲求で濁っている中、

本当に素晴らしい方々に囲まれていて、私は幸せな環境だとしみじみ思います

なので、こういう方々のために活動を深めていこうと思います

 

自称利他の人はサヨナラしま~す   ヾ(´・ω・`)

 

 

 

 

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今朝の月と明けの明星