願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃
多くの人が知る、西行法師の歌です。
桜の季節になるとこの歌と、まさにこの通りに逝ってしまった美しい友人を想い出します。
彼女は乳がんで、私と同時期に闘病していました。年齢は一回り上、当時四十代半ば。
何不自由の無いお嬢様で、都心のご両親宅で暮らし、お婆さまが少し健忘症である以外はご家族間の問題も無く、20歳頃からマクロビオティックや 玄米菜食などで食養され、中高大学一貫のキリスト教の学校へ縁があったせいで敬虔なクリスチャン、非常に素直で知的で穏やかな女性でした。肉体的にも精神的にも、一体何が原因でガンになったのか彼女自身も見当がつかないほど。
彼女とはホメオパシーの学校で知り合ったのですが、お互いガンという事もあり、情報交換等も活発に行い、妹のようにとても可愛がって頂きました。そして、彼女はそれまでに学んだ全てを私にシェアしようと、深い愛で接してくれました。
その彼女が亡くなる直前にとても不思議な出来事がありました。
結果的には彼女と最後に会う事になってしまった3月頭のある日、妙な感覚が私を襲いました。彼女の最寄り駅で、夕方頃サヨナラをした時の事です。
ホームから改札へ向かう階段を下りていく彼女を、私は階段上から見送っていました。その日の話では彼女の乳がんが小さくなっており、腹水も減り、極めて良好な状態であるとの報告でした。その前年の桜の季節、余命宣告されていた私達は次回の桜は見られるかどうかお互い分からない、という状況でしたので、一緒に再び桜を愛でる事が、本当に、本当に、本当に、心底嬉しく「次回はお花見ね」と溢れる感謝と喜びと共に約束をしました。
そういった、ある意味、とても嬉しい気分だったのですが、彼女が階段を殆ど降りかけたとき、強烈に
「追いかけなきゃ!!!」
という感覚が身体を貫きました。ものすごい衝動でした。
「行ってしまう!」
とも思いました。叫んで呼び止めたい程の衝動と共に、呼ぶだけではダメだ、行かなきゃ!と身体の内から衝動が沸き起こるのです。
理性では「何事?」と動揺しながら、理性ではない部分で、なにかが起こりそうな、その予感めいた感覚に意識は集中していきます。心臓の動悸が勝手に激しくなっていくのが分かります。
そして、その「何か」へ意識を向けると同時に、強烈なブレーキがかかるのです。
あああぁぁぁぁぁ!!!
その「何か」を私は知っている!
“それは” なんだっけ?考えちゃダメ!!!それは、分かっているけれど分かりたくない、、それを記憶の中から取り出しちゃダメ! 想い出しちゃダメ!
といった感覚が一瞬で身体の中を駆け巡りました。
あぁ、でもとにかく行かなきゃ!
手すりに手をかけ、思わず階段へ1、2歩降りかけた所で、彼女が振り返り、バイバイと笑顔で手を振りました。
つられて手を振り、笑おうとして、笑顔が自然でない事に気付きました。そこで我に返り、、、
「私は何を???」
と少し冷静になったのですが、その衝撃はまだ身体に残っており、階段を降りたくてたまりません。
衝動と感情と理性との、瞬間的にものすごい葛藤でした。
今思えば、たとえ降りて追いかけたとしても、他愛無い行動です。降りれば良かったのかも知れません。
けれど、何か不吉な事を感じ取った形相を彼女へそのままぶつけることはしたくありませんでしたし、追いかけるという行為がその「何かの不吉な感じ」を認めてしまう様な氣がして、全力で無視したかった思いもありました。
結果、そのまま階段上で動けずに、次にどう行動すべきか、自分を落ち着けるのに数分はかかったと思います。彼女の姿が見えなくなっても、たぶん改札を出たで在ろう時間が過ぎても、私はしばらくそこを動けませんでした。その後も、この出来事を考え続けたいような、想い出してはいけない様な、忘れたいような感覚に度々捕われました。
そうこうするうちに桜の気配が感じられる時節になり、お花見の打診を友人達とメールで始めましたが、彼女からの返信がありません。
都内のソメイヨシノが満開になってしまい、春の穏やかな陽射しに桜の花弁が舞い散る庭を眺めながら、「なにかあったのでは?」と友人達と話していたある日の晩、夢に彼女が出てきました。
「ゆりこちゃん」といつもの優しく穏やかな音で、声をかけられた次の瞬間、私が寝ている布団の中に、ほとんど透明の身体の彼女がスルッと入ってき、フッと私と一つになりました。
一つになる事に何の抵抗も躊躇も無く、自然でした。
「あぁ、私はこんなに彼女を愛していたんだ」と、深く深く感じ、それがとても心地良く、絶対的な安心の中で、その愛に身を浸して浮かんでいました。
私ってレズビアンだったかしら?と一瞬混乱する理性もかすかにあります。
しかし、お互いが等しく溶け合うというよりは、彼女が私に入ってしまった、という感覚でした。
何にせよ、その時の感覚は、愛、でしかなかった、としか言えません。
今でも、言葉に上手く表現出来ません。巷のいわゆる恋愛感情とは全く違う、深い、深い、純然たる「愛」
表現しようとしても、どんな言葉でも陳腐な表現になってしまう。
幸せで、嬉しくもあり、また、理性では「女性と?」といった複雑な感情もありました。(その頃の私は、まだワンネス(?)の感覚を知らなかったので)
ただ、彼女と一つになった瞬間に分かった事がありました。
「私は彼女と、知覚出来ない深い部分で”永遠"に一つになった」「彼女は私に命がけで何かを伝え、残そうとしている」「生体エネルギーは他のエネルギー体に情報を移したり伝える事が出来る」
そして、彼女のすべてを感じ取れてしまった故に、彼女のガンの全ても感じ取れてしまったのです。
「ガンになった理由は、罹患した場所に全て現れている」「治るだけが正解ではない、病は学ぶ為にある」「深い部分で完治を望んでいない事もある」「(顕在意識では分からないけれど)望んで病気になっている」「死は、ただ”死”であり、生と共に常に在る」
など、言葉にすると誤解されてしまう事も多く、非常に難しいのですが。
一瞬にして「彼女の全て」を体感してしまいました。
最初の「彼女と”永遠に”一つになった」の感覚が何を意味するか、そして「命がけで何かを伝えようとしている」と気付いた私は、何とも言えない気持ちで起きたのを覚えています。
(その体感から得た情報量は余りに多く、8年ほど経った未だに気付く事も多くあります。)
その数日後、、、、、彼女の訃報を受け取りました。亡くなったのは、まさに私が夢を見た日でした。
「やっぱり」
という想いと、あの不吉な予感が当たってしまった事、そして、それは私の祖母が倒れたときと同じ感覚だったので、想い出したくなかったのだと気付きました。
あまりにも穏やかな春麗かな日、満開の桜舞い散る中、彼女は眠るように逝ってしまいました。不思議に悲しみは無く。
「だって、、いるじゃない、感じるじゃない。」
でも、彼女の身体はもう無い。
私は何故あの時追いかけなかったのか。
追いかけていれば、何か現実は変化したのだろうか。。
もしそうだとしたら、そんなこと(他人の生死に影響を与える様な事)が私の言動に委ねられているなんて恐ろしくて認めたくありませんでした。
私は生死に関しては大いなる存在に委ねています。生と同じように死も尊重しています。
ガンジーのように、死の瞬間の意識の持ち様で魂を高みへ登らせる方もいらっしゃいます。
死は尊い。
決して忌み嫌う事ではありません。
(不安や恐れを持つ人はいるかと思いますが。)
がんと言う疾病で「死」をリアルに捉える事が出来、この体験によって「死」というダイナミズムを考えるきっかけを頂きました。
がんで生活や人生が変わり、この出来事で意識のベクトルが定まりました。これはまた、私の第二の人生への扉が開いた瞬間でもありました。
彼女の四十九日のお寺参りを済ませると、目の前に、余りにも鮮やかな山吹が咲いていました。
「 冴え渡る 緑清けき 山吹の 力強さに 夏覗きけれ」(ゆりこ)
FB2015年5月14日投稿
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