「今の時代は価値観・意識を大きく変える時」
 
 
多くの人たちがこう言います
 
 
そのためには あれだ、こっちだ、いやそれじゃない
 
という情報も、幾多出回っています
 
 
その全てに可能性があり
 
その全てが完璧では無い
 
 
と感じています
 
 
人が意識の変換を起こす時
 
 
なにかのきっかけがあることは間違いないのですが
 
それに万人共通のものなどなく
 
マニュアルなどもなく
 
 
外的な何らかの事象 に
 
 
内的な各人の感受性や思考の癖が重なって起こるものですので
 
 
自分に変化があったことを
 
 
「絶対」
 
 
として
 
他者に押し付けたり
 
 
「これだけ与えて変化しないのはおかしい」
 
 
などと
 
 
自分勝手な判断をするのは
 
 
変化における内的な反応を全く無視している考え方ですので
 
 
あまりに無知と言えるでしょう
 
 
 
そういう意味で
 
 
相手の変化や成長に関わる時は
 
 
自分にできることだけをし
 
 
それが 相手の中でどういった反応を起こすのかは
 
 
未知のこととして 結果を手放し
 
 
反応があれば引き続き変化を促し
 
 
無ければ自分では役不足であると引く
 
 
という態度が望ましいと感じます
 
 
これは治療家などにも言えることですので
 
 
患者側としては
 
 
依存がある場合
 
 
手を離されたように感じ、ショックを受けることもあるかと思いますが
 
 
真の自立を意識している治療家の愛として
 
 
この一見冷たいように見える手放しは非常に大切なものだと
 
 
知って置いた方がよいと思います
 
 
 
さて、本題、、、
 
 
今の時代の変換は
 
 
ただ視野が広がったり、物の見方が深まるというようなものではないのは
 
 
ここを見る皆様はご存知の通りです
 
 
 
平面的な視野の広がりでは
 
 
もう限界が生じているのは
 
 
アカデミズムの世界で学問分野の広がりの限界として
 
 
明快になっていると思います
 
 
それが神智学であろうと量子論であろうと同じです
 
 
知識・情報としては出切っている
 
 
という感じでしょうか
 
 
今、必要とされる時代の大きな変換は
 
 
これらの知識や情報の
 
 
「捉え方を変換させる」
 
 
ということだと思います
 
 
言葉にすると平面的になってしまいますが
 
 
自分の感覚・読み解き方を変換させるということです
 
 
 
これが感情をどうにかするということとは次元が違うことはお分かりだと思います
 
 
このブログは感情レイヤーのクリアリングが進んでいる方々が対象ですので
 
 
感情が沸き起こった時に その根源を内観される習慣は
 
みなさんお持ちだと思います
 
 
さらに、思考の癖や双極性・
生まれ持ったフィルター(日本人であるゆえの、世代ゆえの等)
 
も気づき、クリアリングしている方々もいらっしゃいますね
 
 
 
起こった事象から
 
 
自分や周囲の問題点やその時点のテーマを見つけ出し
 
 
気づき、手放し、癒し、学び、進む先の指針にする
 
 
これらは当然とし
 
 
さらに
 
 
その感覚を平常時の 目の前の視野全部へ広げます
 
 
起こったことから気づきを得るというのは
 
 
いわば「言われてから気づく」ということ
 
 
受動的なのです
 
 
そうではなく
 
 
何も起こらなくとも
 
 
能動的に
 
 
目の前に「気づいて」ゆくのです
 
 
分かるでしょうか?
 
 
これは決して目の前を「感じる」ということとは違います
 
 
 
この「意識的な」意識の使い方を
 
 
どうぞ訓練し、習慣になさってみてください
 
 
まずはそれが変換の入り口だと思います
 
 
 
それでは、よい週末を
 
 
 
 
 
 
 
 

人気ブログランキングへ

月天子さまと日天子さまが交わる時

 

 

 

遠くから街の胎動が聞こえ始める

 

 

 

 

宙の明星が優しい光で

 

 

生命の確とした力を与えてくれる

 

 

 

 

幸せは毎瞬の煌めきにあり

 

 

毎瞬に全ての理がある

 

 

 

それを解らぬは 無知故なり

 

 

それを解らぬは 神の祝福なり

 

 

 

 

 

{CF411D9F-C3C2-4E5A-AD37-6D970F25C15F}
 

 

 

 

 

昨晩はAlmanaのみんなと健康中華『青蓮』さんで食事会でした

 

 

二月誕生日のメンバーが二人いるのと、大阪のあっこさんが仕事でビックサイト健康博覧会へ出張中なので、この日に

 

 

みんなからお誕生日プレゼントやらバレンタインのチョコなどを頂きました♥️

 

 

 

{B378B6C5-8039-4EF7-86A3-5C30637B36F8}

 

この奈良県の健一自然農園さんの自然栽培茶  神様シリーズ、ツボりました(笑)

 

 

 

 

近況を語り合い、他愛もない話しをするだけなのですが

 

 

 

その全ての瞬間が、緻密な織物のように必要であったことが分かります

 

 

 

ベクトルが同じであれば

 

 

気づきのシェアだけで、さらなる気づきが生まれ

 

 

 

生命のこと、死のこと、素粒子、意識の転換、子供や出産について、などなど

 

 

書くと難しそうなことが 軽やかに会話され

 

 

 

それが各人のノイズをどんどん減らし

光がクリアになってゆきます

 

 

 

あぁ、これが私が求めていた『場』だなと

 

とても嬉しく感じました

 

 

純粋なベクトルが混じり合う『場』

 

 

たぶん、一昔前なら

井戸端会議と 言われていたのかも知れません(笑)

 

 

 

カタリストとして自覚してからは

不用意には他人との「場」を持たないようにしている私にとって

 

 

 

仲間達は、リラックスして話しができる数少ない生き物で

(こう書くとなんか変ですね、、、動植物、子供は平気です)

 

 

それでも、内面だけでなく、時として体調に影響が出てしまうメンバーもいるのですが、、w

 

 

それも含めて、私を丸ごと受け入れてくれることに深く深く感謝しています

 

 

 

尊い時間でした

 

 

 

 

 

 

 

過ごしゆく瞬間に光を感じれば

 

 

光の中に時があることを知る

 

 

その光の中に全てが存在することを知る

 

 

 

 

 

 

今日もありがとうございます

 

 

 


人気ブログランキングへ

Twitterを始めて10年、

 

FBを始めてもう足掛け8年、、

 

最初は(一丁前にw)日本が健やかさを取り戻すにはどうしたら良いんだろう、みんなの心が幸せになるには何にどう気付けば良いのだろう、、、

 

と模索しながら

伝統文化や伝統工芸品、その作家さん達の在り方、なんかを伝えていこうとSNS活動を始めたのです

 

 

だって、その頃、医療ムラや食の安全性、社会システムの転換なんて発信しても誰も見向きもしなかったもの。゚(゚´Д`゚)゚。

 

 

発信をし始めた頃の私は、怒りの感情がまだまだあって、特に婦人科医療に関しては憤りが冷めやらなかったのよね

 

物申す的な社会活動をしたかった訳ではないし

 

こういう問題は各人のタイミングで気づくしかないと一応頭では分かっていたので

キッカケ作りしか出来ないと思っていた

 

 

何より人ってね、綺麗だったり楽しかったりするものでないと目を向けないし、興味も起こさない

(今だってそうなんだから、東日本大震災前なんて皆無でしたわよ💧)

 

 

2005年辺りから伝統工芸の作家さん達を訪ねて歩くうちに、伝統を守ったり文化を育む土壌や風土にその答えがあるなぁと感じたのよ

 

”感じるしかない” って事ですね

どんなに素晴らしい論説を唱えても無駄が多い

頭で解っただけでは変化に結びつかないことが殆どなのですよ

 

 

腹を割って話させて頂いた中でも、有田焼の作家さんから

 

「収支として捉えたら、全く成り立っていません。けれど、有田は有田に関わる人たち全てで支え合っているのです。ご近所から野菜などの食材を頂くことはしょっちゅうです。食べることはなんとかなる、だから続けられます。そして目一杯打ち込めるのは自分であって、自分だけではないからなんです。」

 

という言葉に光を見つけた思いだった

有難さに涙を堪えるのが大変だった

 

 

私は渋谷生まれ渋谷育ち、何もかもお金が必要な世界しか知らなかった、さらには父の仕事の影響でマスコミの裏を見て育ってきたでしょ、しかも父が土地の権利書から預貯金全て持ってローンだけ残して蒸発して、よりによって法のスポットに落ち込んだみたいな状態で弁護士さんも打つ手なし、さらに父は私を保証人にして勝手にサラ金からお金を借りて請求はこちらに来るという、夢も希望もなくひたすら稼ぐしかない世界に10年間位いたのね

 

 

ちなみに、サンタさんは子供の時に

「ゆりさん、世の中のどこに見ず知らずの人にプレゼントする人がいるっていうの?それを買うお金はどこから出てくるの?」

とゆー猛烈現実的な躾でしたw

 

 

2006年にガンになって、仕事を全部やめて人生を「利他」へ真逆にシフトチェンジしたのは、助け合いの世界が無いなら私が作れば良いと思ったからなのと、どこかで世界はそんなものではない、ぜったいどこかにあると全く根拠なく信じていたからでもあったので、この言葉を聞いた時はやっと「見つけた・あった」という嬉しさと感動で、もう死んでも良いって思いました、、、って、ガンだってば(笑)

 

 

そこからは「利他の活動」と治療と勉強と仕事を成り立たせる修行のような時間になったのよね

 

今思うと、無謀極まりない(爆笑)

どれか一つでも大変なのにね、若かったから馬力だけはあったねー

( ;∀;)

 

 

 

ここでも多くの人たちに助けてもらい救われたからこそ抜けることが出来たんです

FBでもお世話になった方々と沢山繋がっている

 

 

本当に本当に感謝してます、私の何よりの宝物です

m(_ _)m

 

 

 

それで「この世は全て愛。人は最後、愛することしかできない」というところに行き着いた辺りで東日本大震災が起こり、本格的に慈善活動に本腰入れて、今に至るのだけれど(この辺はがっさり割愛)

 

 

最近、食の安全も、医療の現実も、利他の社会システムが大切な事も、気付く人・知る人や発信する人が増えてきたので、そろそろ本来のベクトルである「次世代の社会を日本の良さを生かして組み上げる」方向へ行こうと思います

 

完全木造5階建てもスタートしたし、去年クリスマスのメディカルタウン構想もあるし、流れがそうなってきている

 

ビジョンが広く深く高く

新しい流れが入りつつ、今までの活動が統合されてきています

 

 

面白いよね

 

こうやって振り返って改めて気付いたけれど、利他の世界が無いなら自分で作れば良いって闘病中に思っていたことが、いま現実化してきている

若い時にずっと理想の上司を求めていて、探しても探してもいなくて、だったら自分が理想の上司になればいいのだ!って思っていたのと同じかな

 

 

病気なんてどっかいっちゃったし、笑

 

今は仲間たちもいる、一人じゃ無いラブラブ

 

 

 

SNSの発信については、A seed for the next も Almana も、メンバーの在り様そのものが十分発信になってきていると感じているので、私の拙い言葉で補完するのはもう必要ではないと感じます

 

引き際が大事ね

 

あ、これも一本書きたいネタです「終わり・終わらせ方」について

 

メディカルタウン構想にも繋がるお話です

 

 

大切なことはブログ中心での発信へ変えていこうと思います

 

 

変化って良いなぁ照れと思う梅春の季節でありました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体調の変化に関して
 
最近はあまり記録していませんでした
 
実は、、表題にあるように物心ついた時から体質だと思っていた
 
 
 
アレルギー性鼻炎がいきなり治りましたーーーーー
 
 
ヽ(*´∀`)ノ キャッホーイ!!
 
 
 
いやー、まさか治ると思っていなかったからびっくり笑い泣き
 
 
私の鼻炎は一年中夕方になると鼻水がー、、というもので
 
空気が綺麗なところだと出ないことも多かったので、デトックスだと思って治す気もなかったのですよ
 
日々の空気の汚れをその日のうちに鼻から出しちゃう体質だったわけです
 
風邪も鼻風邪が多かったですし、蓄膿症気味だったり、副鼻腔炎も何回か体験し
 
鼻に出やすいんだなー、という感じでした
 
特に冬は室内との気温差もあって 毎日ずびずばー汗
 
 
ポケットティッシュは欠かせません
かばん常駐のティッシュケースは丈夫でお気に入りの印伝ですわよラブラブ
(甲州印傳で唯一の伝統工芸士 山本誠氏の「印伝の山本」
 
品質が断然良いにもかかわらず、よく目にする大量生産品と価格はほぼ同じ、みんな印伝はこういった実直な職人さんから直接購入しましょう照れ
 
 
 
 
 
{5C856E0A-E99A-4443-B72E-FF79C8D87657}
 
 
雪月兎がきゃわいーーーカナヘイハート
 
黒の鹿革にベージュの漆でシックでしょードキドキ
 
 
 
 
話が横にそれました、、、w
 
 
 
そんなわけで、
どんなに綺麗にお化粧をしても、お肌に優しい鼻セレブ使っても
 
ぶばーーーんビックリマーク ×2(左右ね)
 
 
って何度も鼻をかむので鼻や口あたりの化粧が剥げちゃうとゆー笑い泣き
 
 
「トイレ行ってかみなさい」
 
 
と言われるほど豪快にかむわけです(すいませんねー、笑)
 
 
 
で、先日ドラックストアで、今年の冬はポケットティッシューまだ買ってない?
 
 
あ? れ?
 
 
と、気づいたわけですーーーアップ
 
 
いつから治ったのかは定かではありませんが
去年の夏の大きな変化が関わっているということは分かります
 
秋頃から食の好みが変わり
 
体型が変化し
 
顔も変化したと言われ
 
素っぴんだったのに化粧がしたくなったり
 
ジャージばっかりだったのにおしゃれがしたくなったり
 
と、色々なところで変化を感じていたのです
 
 
 
そして、
鼻の通りが良くなっただけでなく
 
 
呼吸が全く変化しました笑い泣き
 
 
 
こんなことがあるのかと初めて知ったのですが
 
 
鼻の通りは良くなったのに、、、
 
鼻の奥に巨大な虚空感ができている感覚で
 
呼気がそこにほとんど行っちゃうのですあせる
 
 
しかも、どうやらその奥に邪な氣を入れないように? 呼吸をセーブするので
 
 
意識的に肺へ腹へ呼吸しないと肉体は酸欠気味になるとゆー笑い泣き笑い泣き笑い泣き
 
 
なんとも(泣
 
 
 
最初酸欠になった時は、ただ単に呼吸が浅いのかな? と感じて
 
深呼吸したり、呼吸が浅くなる理由を探したり、、
 
しかし、一時的にはクリアできても繰り返すので
 
呼吸に意識を向け、一時的なものなのか、気のせいなのか
 
なんらかの病気のサインなのか、と
 
 
放って置いたり、色々考えたり試したりした結果
 
 
もしかして呼吸のシステム自体が変化してるはてなマークビックリマーク
 
 
という驚愕の事実に気がついたのですあせるあせるあせる
 
 
 
こんなことが起こるなんて知らなかったよ、ママン笑い泣き
 
 
ま、アレルギー性鼻炎はただの症状なので、肉体の何らかのシステムが変化したことで呼吸のシステムも変化し、それに伴って鼻炎の症状が消失した
 
というのが正しいですね
 
 
暫くは新しい呼吸システムに慣れが必要w
 
 
やっと、頭部の中心(虚空間の入り口とでもいいましょうか)とハラ(これが丹田?)にかけてぶっとい何かの軸があることに気づき
 
 
それを意識していると呼吸も姿勢も新しいシステムに対応するということが分かってきました
 
 
あとは鼻呼吸できるようになったので、鼻奥の乾燥がーーー
 
これはマスクでしょうかねあせる
 
 
そんな変化を楽しんでいた?年末年始でした
 
 
個人的な変化なので皆様の参考になるかどうかは分かりませんが
記録しておきます
 
 
それでは、穏やかな週末を音譜
 
 
 
 

人気ブログランキングへ
 
 
 

自らの人生を 本来の場へ 捧げようと意識している人たちへ

 

 

今日は 選択する時のベクトルについて 書いておこうと思います

 

 

これは日々目の前に現れる 様々な選択を

 

 

  "意識的に" 行えるようになってからでないと

 

 

知っても意味が無い、もしくは余計な判断材料が増えて健やかな成長を遅らせる事になりますので、背伸びしないようにしてください

 

(一応書いておきますが、意識的と論理的は違います)

 

 

理屈や理論で選択する段階を過ぎても

殆どの方は、抑圧や快不快、好き嫌いがまだまだあり

 

日々受動的・反射的、無意識に選択しています

 

そういった方は 湧き出る感情を優先し

感受性によって充分自らの内面を知ることを優先させてください

 

 

自らの内面を知らずして 意識を「意識的に使う」ことは不可能です

ご存知のように今の時代はまだ 内面は 形としては見えません

 

それを観えるようにしてくれるのが感受性です

 

どうぞ、ご自分の感受性を大切にしてください

 

 

 

 

 

さて、では ”意識して” いかに選択するか

 

 

もう選択の必要すらない人も少なからずいらっしゃるとは思いますが

 

 

いまは時代の節目でもあり、それに伴い移行期で不安定な方もまだまだ多いでしょう

 

そういった方々は「どう選択するか」の問題が出てくると思います

 

 

全ての「意識的な創造」には二つのベクトルが混在していると捉える事ができると思います

 

それは「維持」「変化」の二つです

 

これに関して以下の質問がありましたので 少し触れておきたいと思います

 

 

質問

「最近周囲に縄文時代に学ぼうといった意見が多くなってきました。自分としては現代の様々な問題は解決しなければと思うものの、パーマカルチャーや縄文時代のような生活にはなぜか抵抗があります。そういった生活を実践している人たちは凄いと思いますし、そういうワークショップなどに行って学ぶことはたくさんあります。けれど、どうしても自分がそういう生活をしたいかと言われると抵抗感が出てしまうのです。しかし、近代的な生活をしていることが良いとも思えず、どこでバランスをとって良いか分かりません。藤池さんはどうお考えになっているか教えてください。」

 

 

ありがとうございます。

 

うんうん、バランスを取るための指針(ベクトル)が見えていない事で「どうバランスを取るか」が分からないのかもしれません

 

 

まずは、この方は、自然栽培などのワークショップなどにも積極的で、俗世的な物欲なども少なく、決して近代的な生活に執着があるわけではないことを明記しておきます

 

 

こういった状況を上記二つのベクトルで考えてみましょう

 

 

まず、私たちの日常をざっくり分けてみます

 

「維持」に関しては最低限やらなければならないことが結構あることに気づきます

 

・排泄

・睡眠

・飲食

・心身を清潔に保つこと

 

 

次に「変化」

 

・勉強

・育児

・仕事

・思考

 

などでしょうか

 

 

 

維持しつつ変化しているんですね

どちらも「100:0」は存在しませんので

 

全く変化しない存在は無く

維持無くして変化はあり得ません

 

 

何をどの程度の優先度で行うかは

殆どの方が 各自の価値観に応じて無意識に判断していると思います

 

 

変化や進化へ強く意識が向いていて、寝食をあまり重要視しない方もいるでしょうし

丁寧に生きることを意識して食に意識の中心がある方も多いと思います

 

 

正解はなく、一人一人違って当然です

 

 

私たちはこれらのバランスで人生が形成されてゆきますので

 

自分がどこにどの程度の比重を持っているのか

見つめてみると参考になると思います

 

 

 

 

平面的にしかここでは表せませんが イメージするためにちょっと図にしてみました

 

X軸が維持、Y軸が進化とします

 

オレンジの矢印線が中心になるとは思いますが、直線で進むことはあり得ませんのでブルーの波線を上にかぶせてあります

 

こう進めば問題は少ないとは思いますが、、、笑

 

 

人間の進化も、社会の進化も、文化文明も、地球も

 

黄色い矢印のように進むということがお分かりかと思います

 

 

 

 

 

そして、どんなに極端であろうと、この図のどこにいる人も必要なのです

 

 

 

現代は様々な面で 生命を維持することが危うくなっていますので

 

 

ご質問にあるような「縄文」などのキーワードが意味する、維持(持続可能な社会)を極めることも大切で意味ある事だと思います

そこから学ぶことも多くあると思います

 

 

しかし、それが全員一致の正解ではありあません

 

 

全ての人は役割が違いますので

自分の生き方を

自分が心地よく「感じる」もので見つけてください

 

そうすれば自然と、どうバランスを取れば良いのか分かってくると思います

 

 

バランスが取れているかどうかの目安としては

 

調和を伴った各々の美しさ、穏やかさだと思います

 

 

 

維持も変化も等しく尊いもの

 

 

一人一人のバランスを尊重する社会となりますように

 

 

 

 

 


人気ブログランキングへ