お読みいただきありがとうございます。

2019年6月に

結節性リンパ球優位型

ホジキンリンパ腫ステージⅣを発症。

 

2度の抗がん剤治療で寛解に至らず、

2020年10月に1度目の余命宣告

 

2022年2月には

2度目の余命宣告で「余命半年」

を告げられました。

 

病気のことや、

1人娘の風花に向けたメッセージを

綴っています。

 

最初のブログはこちら↓


宣告を受けた時のこと↓





1つ前の記事は↓から



不思議な縁ってあるものですね。


今回の山行で改めて感じました。


初日の登山前に初対面となるスタッフさんに挨拶をしていると、


「加治川クン、久しぶり」


山岳ガイドの方に声をかけられた。


「?」


「俺だよ、俺、F」


「?」


「87年に一緒に働いたことがあるんだけど」


以前の記事に書いたが自分は87年に「燕山荘」という山小屋でアルバイトしていた。

「燕山荘」には系列の山小屋が当時4箇所あった。


客商売に向いていなかったのだろう。

自分は「燕山荘」〜「合戦小屋」〜「大天井ヒュッテ」とたらい回しにされ「大天井ヒュッテ」に居場所を見つけた。

Fさんは槍ヶ岳の近くで働きたい、ということで「ヒュッテ大槍」で働いていた。


8月の終わりのある日、「ヒュッテ大槍」で大口の予約が入っているとかで自分ともう1人が5時間歩いて1泊2日でヘルプに入ったことがある。

どうやらその時に一緒に働いたらしい。


「覚えてないの?」


覚えてるかぁーー‼︎


36年前にたった1回、一緒に働いただけの人を覚えている人がどこにおんねん。


おっ、目の前にいた。


変わった苗字だから覚えていた、との事だったが本当かな?

18歳の自分はかなり未成熟だったから何かやらかしたので覚えていて「実はね……」なんて家族に暴露されないかなと内心ヒヤヒヤしていた。




彼と昔の話やお互いに辿ってきた道のりを話しながら登っているとリラックスできた。

娘の歩幅にあわせて歩き続けてくれたおかげで怪我もなく下山できた。


病人とテレビクルーを引き連れてのガイド。彼にとっては引き受けるか難しい決断だったと想像する。本当に楽しかった。ありがとう。


文字通り山のようにいる山岳ガイドの中から知り合いがガイドについてくれるなんて。

ディレクターの方に「仕込み?」と聞いたが「そんな暇ありません」とけんもほろろだったから奇跡のような偶然だったのだろう。





常念小屋に着いて外でインタビューを受けているとFさんが

「加治川クン、Kさんが来てるよ」

と教えてくれた。


Kさんは大天井ヒュッテの大将だった人だ。今はやはり山岳ガイドをしていると雑談の中でFさんから聞いてはいた。


「嘘?なんで?」

「たまたまガイドしていて今夜泊まるらしい」


インタビューが終わると探し出して挨拶をした。




「おぉー、加治川、久しぶり」


54にもなるとなかなか呼び捨てで呼んでもらえない。

若い頃のお前を知っている、

というギュッと首根っこを掴まれているような感覚が妙に心地よかった。


87年の10月の終わり。

台風の冷たい暴風雨の中、腹痛で悶え苦しむ自分を先導して大天井ヒュッテから燕山荘まで歩いてくれたKさん。(結局、尿管結石で即入院となった)


まさかこのタイミングで再会できるとは。

しかも奥さんとも電話で話せるとは。

あの頃3歳だった娘ちゃんが今は40歳とは。(ここは当たり前か)


不思議な縁を感じる山行だった。


で、昔の自分を知っている同世代、年上の知り合いがまだ現役で山を歩いている。

そんな刺激はこんな状況の自分の世界をグイッと拡げてくれた。



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