
フランソワーズアルディ一周忌「私があなたより先に逝ったとしたら」

作品作りに取り組むフランソワーズ・アルディさん↑
このくらい紙を書き潰しておられたとか…それにしても
脚が長い✨️✨️ですね
時が経つのは早いもので…
2025年6/11日で🇫🇷歌手のフランソワーズ・アルディさんが 旅立たれてから もう1年になります。
昨年は気持ちに余裕がなくブログ投稿できなかったのですが
アルディさんのご葬儀「お別れセレモニー」の際に ご家族が 特に選んで流されたというアルディさんの作品の中から「Et si je m' en vais avant toi 〜 私があなたより先に逝ったとしたら…」を追悼を込めて ご紹介したいと思います。
この曲はアルディさんがヴォーグレコードを辞めたあと
ご自身で作られた新しいレーベル"ヒポポタン”から出された1972年のアルバム La vie privée のB面最後に入っています。(日本版のタイトルは”私生活”)
作詞も作曲もアルディさんによるもので 愛する恋人 歌手のジャック・デュトロン氏へのメッセージソングなのでしょう。(当時は未婚で息子のトマさんが生まれる前の年でした)
♪もし私が あなたより先に逝ってしまっても
私の居場所はわかるはずよ
私は雨と風と太陽とあらゆる宇宙の要素と調和して
優しくあなたにふれる柔らかい空気になるから…
et si m'en vais avant toi
dis-toi bien que je serai là
J'epouserai la pluie , le vent le soleil et les éléments
pour te caresser tout le temps
l'air sera tiède et léger comme tu aimes
もし理解できなくても すぐに私だと気づくはずよ
なぜなら 私は意地悪さを発揮して嵐と一緒になって
あなたを傷つけ困らせる事をするだろうから…
きっと絶望的な嵐にになるわ
私の苦しみが そうだから
et si tu ne le comprends pas
très vite tu me reconnaîtras
car moi je deviendrai méchante
j'epouserai une tourmente
pour faire mal et te faire froid
l'air sera désespéré comme ma peine
もしも あなたが私(達)のことを忘れてしまったら
雨と太陽、そしてあらゆる宇宙の要素ともお別れして
そして あなたの事を捨て 私自身も捨ててしまう事でしょう…風だけが吹きすさぶわ
忘却がそれだから…
et si pourtant tu nous oublies
il me faudra laisser la pluie
le soleil et les éléments
et je te rai vraiment
et je me quitterai aussi
l'air ne sera que du vent
comme l'oubli ...
アルディさんのご葬儀(お別れセレモニー)はParisのペールラシェーズ墓地 ClimCimetière du Père-Lachaise にて
昨年の6月20日に ご家族と大統領夫妻をはじめ多くの著名人 ファン達に見守られ宗教色のない形式でとり行われたそうです。
ご葬儀後は火葬され かつてデュトロン氏と愛を育んだ
思い出の地 Corse(コルシカ島)の墓地で眠られているとか… 近くにデュトロン氏のお住まいもあります。
アルディさん本人のご希望であえて無宗教の
セレモニー形式を選ばれた理由を推測するに…
熱心な✡️西洋占星術の研究家としても有名だったアルディさん きっと🌠夜空を見あげる度に やがて自らが宇宙と自然のエレメントの中に戻って行く事を感じて安らぎを
得ていたのかもしれませんね。
私達の周りの空気は決して無ではなく宇宙の大切な要素の一部であり その中で自分自身も ずっと生き続ける存在なのだと云う事。 だからと言って決して忘れて欲しくはない事も…愛する恋人ジャック・デュトロン氏に伝えておきたかったのだと思います。アルディさんの歌詞では 見守るだけでなく"時々意地悪をしてしまうかも"
というところが女心で可愛らしい?ですね
※千の風になる…アニミズム(自然崇拝)的なこの感覚。
日本人の多くは共感できるのではないでしょうか…?
以下⬇️AIによる千の風の解説を追記しました。
※千の風になってという曲は、死者が風や光、星などになって生きている者を見守るという内容で、アニミズム的な要素が強いと言えます。アニミズムとは、自然界の万物に霊や魂が宿っていると信じる考え方です。
曲は、死者が風や光、星などになって生きている者を見守るという内容で、アニミズム的な要素が強いと言えます。アニミズムとは、自然界の万物に霊や魂が宿っていると信じる考え方で 風は、目に見えないが確かに存在する存在であり、アニミズムでは、霊や魂が風に乗って旅をするという考え方があります。また、歌詞には「千の風」と複数形が使われており、多くの霊や魂が自然界に存在すると暗示しています。このお別れセレモニーの時 残念ながら音響設備に不具合がでて大切に選んだ楽曲を良い状態で流す事ができなかったそうでした。そこで息子で歌手のトマ・デュトロン氏が ご自身のYouTubeチャンネルでこれらの楽曲とアルディさんのインタビュー音声を⬇️公開しておられます。
😢暫く見れてましたが 残念ながらSMEの著作権の関係でこのYoutubeの動画音源はが非公開になりました⬇️😢

セレモニーに使われた"Tant de belles choseはこちら⬇️
Même si je veille d’une autre rive
Quoi que tu fasses, quoi qu’il t’arrive
Je serai avec toi comme autrefois
たとえ私が向こう岸で見守るとしても
あなたが何をしようとあなたが何を考えようと
私は以前のようにあなたといっしょにいるでしょう
この「赤いアルディさんの写真」はかつて彼女の恋人であった写真家ジャン・マリー・ペリエ氏の撮影によるものだそうです。
2021年に刊行されたアルディさんの作品集大成の
歌詞集 Francoise hardy chansons sur toi et nousの表紙としても使われています。
この歌詞集は なかなか入手が難しいのですが
アルディさんの歌う多くの作品の中から彼女のオリジナル作品の歌詞を選んで収録してあり 解説も書いてあります。(フランス語) めちゃめちゃオススメです。
https://www.amazon.co.jp/-/en/stores/author/B001K7GLJQ
こちらもジャンマリー・ペリエ氏の作品)ご紹介した「Et si je m'en vais avant toi 」を収録した下記の⬇️アルバム裏ジャケに掲載されております😊
ジャック・デュトロン☆Bon Anniversaire

4月28日は 昨年6月に惜しまれつつ他界された🇫🇷の歌手フランソワーズアルディさんの夫JACQUES DUTRONC ジャック・デュトロン氏のお誕生日です。 1943年生まれなので82歳になられました。
アルディさんが眠るコルシカ島Corseに今も住んでおられるとか…この島はお2人のラブストーリーが始まった場所でもあり挙式した場所でもあります。(挙式は1981年)
後年のアルディさんの回想によると 2人の最初の出会いは1964年頃でジャック・デュトロン氏がヴォーグレコードでレコード制作助手をしていた頃だったそうです。
ジャックは初期のアルディさんに"va pas prendre un tambour" と"le temps d'a mour"を提供されております☺️
偶然にも2人はパリの9区に住んでいました。でも
まだこの頃は(少なくともアルディさんは)将来恋人になるとは全く予想していなかったとか…ジャックは アルディさんとの出会いの後 1965年に自作の"Et moi et moi et moi"(エモア エモア エモア)⬇️という曲が大ヒットしスターになります。また俳優としても大活躍していきます。
, ※作詞はJacques Lanzmann
お2人が恋人になったのは アルディさんが恋人の写真家と別れた1966年の夏以降でないかと思います。 (前回ブログで深掘りしましたボブ・ディランコンサートの後ですね)
大スターどうしの恋愛☺️💞想像しただけでドキドキしますね

1973年に2人の間に誕生したトマ・デュトロンくんは現在🇫🇷で歌手として大活躍中 ジャックパパとも最近までツアーもしていました。⬇️親孝行息子トマくん☺️merci💞
⬇️アルディさんのかつての恋人写真家ジャン・マリーペリエ氏が撮影した有名な写真(アルディさんの方が少し背が高いと話題)
実は2人が恋人になるきっかけのあったコルシカのお家もペリエ氏の紹介でした。 まさに運命の巡り合せでしたね☺️

大スターの2人は紆余曲折しつつも互いの仕事と生活スタイルを尊重し 別居の形をとりながらも人生の伴侶であり続けたのです✨️そう 人生は難しくとも…
⬇️1967年のお2人(le plus difficile)
2:50頃アルディさん登場(4/30追加)
デュトロン氏作曲のアルディさんの歌⬇️
なぜか一生懸命オールを漕ぎながら歌われるアルディさん😅
話題のパパと息子のアルバム
アルディさん♡デュトロンの曲が交互に入ってます。
1966年のアルバム イエイエ時代を感じます☺️
試聴版はこちらから⬇️
https://artrockstore.com/ja-jp/products/jacques-dutronc-jacques-dutronc-1966-album-artrockstore
参考
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Jacques_Dutronc
深掘りボブ・ディラン♡フランソワーズ・アルディ

ボブ・ディランの若き日々を描いたという伝記映画 「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」ご覧になられましたか?
私は見に行く予定でおりましたが 先月は 立て続けに高齢の家族と親しい友人の突然の訃報を受け…
気持ちに余裕がなくなり気がつけば地元での公開が終わって見れず…とても残念。
いずれ配信されたらいち早く見たいと思ってます。
さて この映画には 恐らく描かれていないと思うのですが…ボブ・ディランがフランソワーズアルディさんの大ファンであった事は ご存知の方も多いかと思います。
本日のブログではアルディさんとボブ・ディランの1966年の2人の出会いをあらためて深掘りしてみたいと思います。
パリのオランピア劇場でのコンサートの1部が終了した時
ディランが「アルディが会いに来ないなら続きの第2部はやらない!」 とゴネました。そこで関係者が大慌てで 会場で観覧ていたアルディさんを楽屋連れて行った…???
実はこの日 5/24はボブ・ディランの25才のお誕生日でした。 このコンサートのあと 宿泊するホテルで大規模なBirthdayPartyが催される予定だったのです。そこで ディラン氏は 自分から大好きなアルディさんにご招待をお伝えたい…という事だったようです。
さて この日から遡ること2年前の1964年発表されたディランの4作目のアルバム 「Another side of Bob Dylan」の裏面にアルディさんへ捧げる詩を掲載されている事はよく知られていました。

フランソワーズ・アルディに捧げる/セーヌ川のほとり/ノートルダムの/大きな影が/僕の足を捕まえようとしている/ソルボンヌの学生たちが/幅の狭い自転車で駆け抜け …
以下略 原文⬇️


※曲としてでなく あくまでも詩作品(poem)としてのDedicateです
なぜディラン氏はこのアルバムにアルディさんへ捧げる詩を掲載したのでしょうか…?
ヴォーグの表紙を飾ってた美しいアルディさんにディランがひと目惚れした?説もありますが…

1963年のヴォーグの表紙を飾るアルディさん⬆️
実はこの1964年ディラン氏は失恋の痛手にとても苦しんでいたようなんです。ディランの最愛の恋人
スージー・ロトロさん(スーズとも呼ばれてます)
Suze Rotolo&Dylan♡
ボブ・ディランと同じ🇺🇸生まれだけど 生粋のイタリア系のcuteなスージー・ロトロとディランの出会いは ロトロ17歳 ディランは20歳 青春真っ只中でした✨️
左派寄りの両親の影響で公民権運動など社会活動をしていたロトロはまだ無名だった当時のディランに多いに影響を与えたとか…2人は一緒に暮らすほど愛し合っていたのだけど ディランが歌手として急速に有名になり ロトロは 姉の家で暮らすようになりました。
ところがロトロの姉は ディランとロトロの交際を良く思わず…問題が起き 更にディランは この頃 ジョー・バエズという女性シンガーソングライターとの同志のような関係から恋愛に発展していたとか…😮
この事実はスージー・ロトロをとても傷つけ 「イタリアに留学に行く」とボブの元を去って行った…💔
この失恋を元にした作品「Ballad in plain D」も このアルバム「Another side of Bob Dylan」に入っています。
左派寄りの両親の影響で公民権運動など社会活動をしていたロトロはまだ無名だった当時のディランに多いに影響を与えたとか…2人は一緒に暮らすほど愛し合っていたのだけど ディランが歌手として急速に有名になり ロトロは 姉の家で暮らすようになりました。
ところがロトロの姉は ディランとロトロの交際を良く思わず…問題が起き 更にディランは この頃 ジョー・バエズという女性シンガーソングライターとの同志のような関係から恋愛に発展していたとか…😮
この事実はスージー・ロトロをとても傷つけ 「イタリアに留学に行く」とボブの元を去って行った…💔
この失恋を元にした作品「Ballad in plain D」も このアルバム「Another side of Bob Dylan」に入っています。
ハートブレイクなディランが自分と同じ頃水星の如く有名になった🇫🇷シンガーソングライターフランソワーズアルディに(会った事ないまま)心惹かれたのはわかる気がします
以上は私の勝手な推測です。
雑誌などに掲載されているアルディさんによると…
その日 楽しみにしていたコンサートは期待したほど全然よくなかったそうです。 アコースティックギターのチューニングに問題があり…ディランも困っていて演奏Qualityが良くなく"残念なコンサート"だったそうでした。 そしてお呼びがかかった楽屋での面会では 自分はこの頃 まだあまり英語がよくわからず(アルディさんはドイツ語は堪能でしたが)ディランもフランス語がよくわからず だんだん気まずい雰囲気に…
確かに⬇️の楽屋での写真はなんだか2人ともつまらそうにも見えますね。 座っている箱が小さいからなのか無理やりの距離感を取らされての…パチリ📷️
アルディさんが手に持っているのはこの1966年のツアーパンフレットだと思われます。 実は このパンフレットにもアルディに捧げられた詩が掲載されていたというウワサもあります…(SNS書き込み情報なので真偽未確認です)
コンサートの終了後アルディさんは宿泊ホテルのボブ・ディランのスイートルームのBirthdayPartyにジョニー・アリディなど他の招待されたフランス人アーティストたちと一緒に行きました。
「普段はこんなことはないので本当に恥ずかしいんですが…ボブ・ディランは(Partyの最中に)寝室にいて 私を招き入れました。そして フランスではまだ発売されていなかった彼の最新アルバムブロンド・オン・ブロンドから2曲『Just Like A Woman』と『I Want You』を聴かせてくれました。嬉しかったわ (誤解が多いのですが演奏されたわけでなく試聴版のレコードをディランがかけた) 彼の言いたいことは はっきりわかりました。でも 私は曲を聴くことに夢中でした。それまで聴いてきたものとはあまりにも違う音楽だったので…彼は私に恋していたわけではなく "私のイメージ"に恋していたんです。彼は 舞台裏で見た時よりずっと痩せ細っていて 青白くおかしな様子で… 正直長くは生きられないんじゃないかと思いました。本当にそれで終わりで2度と彼に会うことは ありませんでした。」
確かに⬇️の楽屋での写真はなんだか2人ともつまらそうにも見えますね。 座っている箱が小さいからなのか無理やりの距離感を取らされての…パチリ📷️
アルディさんが手に持っているのはこの1966年のツアーパンフレットだと思われます。 実は このパンフレットにもアルディに捧げられた詩が掲載されていたというウワサもあります…(SNS書き込み情報なので真偽未確認です)
コンサートの終了後アルディさんは宿泊ホテルのボブ・ディランのスイートルームのBirthdayPartyにジョニー・アリディなど他の招待されたフランス人アーティストたちと一緒に行きました。
「普段はこんなことはないので本当に恥ずかしいんですが…ボブ・ディランは(Partyの最中に)寝室にいて 私を招き入れました。そして フランスではまだ発売されていなかった彼の最新アルバムブロンド・オン・ブロンドから2曲『Just Like A Woman』と『I Want You』を聴かせてくれました。嬉しかったわ (誤解が多いのですが演奏されたわけでなく試聴版のレコードをディランがかけた) 彼の言いたいことは はっきりわかりました。でも 私は曲を聴くことに夢中でした。それまで聴いてきたものとはあまりにも違う音楽だったので…彼は私に恋していたわけではなく "私のイメージ"に恋していたんです。彼は 舞台裏で見た時よりずっと痩せ細っていて 青白くおかしな様子で… 正直長くは生きられないんじゃないかと思いました。本当にそれで終わりで2度と彼に会うことは ありませんでした。」
当時 著名なカメラマンのジャン・マリー・ペリエ氏とお付き合いされていたというアルディさん 正直に雑誌記者からの質問には このように答えておりました。
たぶんボブ・ディランさんは これらのコメントを読んで
落胆されたのでは
と思います。
2021年のある日の夜の事
BS朝日でベスト・ヒットUSA「ボブ・ディラン80歳記念特集」を見ておりました。
するとディランのビデオに「アルディさんの姿」が
突然映り
1人で大騒ぎしたことがありました。
前半0分55秒ごろ突然現れるフランソワーズアルディさん⬇️
フル動画⬆️「Just Like Tom Thumb's Blues」
親指トムのブルース
ドキドキしながら司会の小林克也さんのコメントを期待しましたが…
残念ながらスルーでした。(笑)
でも…笑っていますよね?
ちょっとホッとしました
ボブ・ディランはこの時 パリでも もちろん大人気で アルディさん以外に 多くのセレブの方々に会ったそうです。 とても楽しんでたと思います。
しかしながら…
私は気づきました
実はこの時ディランはすでに既婚者でした。お相手はサラロウンズ(Sara Lownds)さんという2歳年上のディランと同じアメリカ生まれの元モデルの美しい女性で 1965年9月からの全米ツアーの休暇中 11月22日 ディランの伝記作家ハワード・スーンズによると 結婚式はロングアイランドの判事事務所前の樫の木の下で行われたとか…サラはすでに懐妊中でした。そして1966年の1月にはジェシー・ディランが生まれていて…つまりアルディさんとの楽屋面会の頃 ディランは
もうパパだったんですよ![]()
プライベートは殆ど公表してなかったとはいえ ニューヨークの新聞には結婚の記事が掲載されていたとか…
アルディさんは ご存知だったのかしら?
もしアルディさんといい感じになれてたら…
全てを捨てる覚悟
ニューヨークのウッドストックの自宅にて妻と子供とくつろぐディランさん@1968 めちゃめちゃ健康そうですよね?
1967年のバイク事故で瀕死のケガから回復した頃かしら?素敵な家庭ですね
しかしながら1977に離婚してしまわれたそうですが…恋多きディランの人生は続く
参考
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Sara_Dylan
アルディさんにディランが聞かせたという曲①
アルディさんにディランが聞かせたという曲②
裏ジャケにアルディさんに捧げた詩が掲載されたレコード⬇️
この1966年のパリ公演の2日後にロンドンで行われた
ボブ・ディラン伝説のライブが2CDで楽しめます
⬇️
スージー・ロトロとディラン♡の写真ジャケットで有名
⬇️
















