James Setouchi
ジョージ・オ-ウェル『1984年』(高橋和久 訳、早川epi文庫)
George Orwell 〝NINETEEN EIGHTY-FOUR〟
1 George Orwell 1903~1950
イギリスの作家。本名Eric Arthur Blair。イギリス人官吏の子としてインドのベンガルに生まれた。1904年帰国。私立寄宿学校に通うが階級的劣等感を味わう。イートン校を経てインドの警察官となる。1927年帰国、パリとロンドンでどん底生活を送る。イギリスで家庭教師や書店員などをしながら創作活動。『パリ、ロンドンに落ちぶれて』『ビルマの日々』『牧師の娘』などを書く。社会主義に傾き『ワイガン波止場への道』では労働者を賛美、インテリを批判。スペイン内戦では共和国側として参加、人民戦線の内部闘争の苛酷さを体験、『カタロニア賛歌』『政治と文学』『アーサー・ケストラー』『スペイン戦争を顧みて』等を書く。大戦中はBBC放送で働く。対独戦終了後スターリン主義を批判する『動物農場』で有名になる。肺結核で苦しむが1949年『1984年』を完成、全体主義の本質、権力の人間の内部支配の問題を追究、人道主義・個人の尊厳を求めた。1950年死去。(集英社世界文学事典の鈴木建三の記事により作成。)
2 〝NINETEEN EIGHTY-FOUR〟
(ネタバレを含む。)バッド・エンドのディストピア小説。きわめて後味の悪い小説。最後には救われるのではないか、逆転するのではないか、と淡い期待を抱かせつつ、結局最悪の結末を迎える。強いて言えば、しかし、これで終わりではない。巻末に付いている「ニュースピークの諸原理」をよく見ると、ニュースピーク(当時独裁者たちが広げようとしていた言語)は2050年までに完成・普及しなかった、すでに過去のものとなった、つまり独裁者たちの支配は最終的には勝利しなかった、と読める、と解説のトマス・ピンチョンは言う。せめてそうであればよい。主人公たちは救われなかったが、独裁者たちの支配は結局終わる、という見通しをオーウェルは例えば『続・1984年』で書こうとしたが、病のため完成しなかった(オーウエルは47歳で死去)のかという期待を抱かせる。もっとも、バッド・エンドであるがゆえに社会に与えるインパクトも強烈である。
『1984年』は、戦後東西冷戦下の世界において、社会主義ソ連(スターリンの支配下)(および中国や北朝鮮)の暴政・非人間性を弾劾するものとして読まれた、アメリカではマッカーシズムの「赤狩り」の中で反共パンフレットのように販売された、しかしそれはオーウェルの意図するところではなかった、英国左派へのいら立ち、テヘラン会議に基づく世界分割への疑問、精神腐敗・権力中毒といった人間の魂に対する深い洞察、をオーウェルは持っていた。このようにピンチョンは書く。
『1984年』は、1949年に書かれたが、舞台を1984年に設定した、近未来ディストピア小説である。設定によれば、1950年代に世界は核戦争を経験し、オセアニア、ユーラシア、イースタシアに三分割されている。戦争と戦時体制は継続している。人々の暮らしは貧しい。水道管がつまり、日常物資も不足している。カミソリひとつ入手困難だ。しかし、政府の発表する統計では生産高は向上し戦争は絶えず勝利している。情報・報道は完全にコントロールされ、エリートの党中枢と一般の党員と多くの貧しい労働者とは、完全に階層分化している。すべてはテレスクリーンによって監視される。歴史と記録は書きかえられ、抹殺される。思想いや思考すら統制され、男女の恋愛も禁止。子どもが親を密告する。突然の拉致、裁判もなく苛酷な拷問、自白強要、マインドコントロール、人間の尊厳と個性の剥奪。独裁者が2+2=5だと言えば支配された者は自ら進んで2+2=5だと言うようになる。全体主義のありとあらゆる手法が書き込まれ、読者はうんざりする。独裁者たちは何のために支配するのか? それはただ権力を持つことそれ自体のためであった…
救いはないのか。苛酷な監視をかいくぐっての恋人ジュリアとの密会は救いだ。党の支配の網の目の外にある貧しい労働者階級(ここではプロールと呼ばれる)の歌う歌声。そこには人々が忘れかけた過去の記憶がある。叩きのめされても叩きのめされてもなお身体の深奥から蘇る、事実と真実を求める声がある。だがそれも…
上述の如く、ニュースピーク(独裁者たちが作る言語。人々の言語・思考を単純化し歴史と個性を抹殺する)の支配はあるいは完成しなかったのかもしれない。独裁者たちの支配を倒したものは何か? 個人の尊厳と他者への愛、また事実を事実と認定する人間的な判断力が、プロールたちの中に生き残っていたのだろうか?
オーウェルはインドで育ち警察官まで務め、大英帝国の支配者たちがインドの民に何をしたかを内部からよく見ていたのか。イギリスの階級社会の欺瞞を体験していたのか。人民戦線や左派運動に失望していたのか。ナチズムやスターリニムズムは嫌いだったに違いない。オーウェルの生涯が、遺作と言えるこの一冊には詰まっていると言うべきか。そして、管理・監視社会化と支配のための排除の論理の貫徹する現代において、この小説は一層の不気味さを持って我々に迫ってくる。
(イギリス文学)古くは『アーサー王物語』やチョーサー『カンタベリー物語』などもあり、世界史で学習する。ウィリアム・シェイクスピア(1600年頃)は『ハムレット』『ロミオとジュリエット』『リヤ王』『マクベス』『ベニスの商人』『オセロ』『リチャード三世』『アントニーとクレオパトラ』などのほか『真夏の夜の夢』『お気に召すまま』『じゃじゃ馬ならし』『あらし』などもある。18世紀にはスウィフト『ガリバー旅行記』、デフォー『ロビンソン・クルーソー』、19世紀にはワーズワース、コールリッジ、バイロンらロマン派詩人、E・ブロンテ『嵐が丘』、C・ブロンテ『ジェーン・エア』、ディケンズ『デビッド・コパフィールド』『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』、スティーブンソン『宝島』、オスカー・ワイルド『サロメ』『ドリアン・グレイの肖像』、コナン・ドイル(医者でもある)『シャーロック・ホームズの冒険』、ウェルズ『タイムマシン』、20世紀にはクローニン(医者でもある)『人生の途上にて』、モーム『人間の絆』、ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』、ジョイス『ユリシーズ』、オーウェル『1984年』、リース『サルガッソーの広い海』、現代ではローリング『ハリー・ポッター』、カズオ・イシグロ『日の名残り』『私を離さないで』などなど。イギリス文学に学んだ日本人は、北村透谷・坪内逍遥・夏目漱石をはじめとして、多数。商売の道具としての英語学習にとどまるのではなく、敬意を持って英米文学の魂の深いところまで学んでみたい。