James Setouchi

 

老舎『駱駝祥子(らくだしょうし、Luò tuo Xiáng zi』) 中国

 

1 老舎(ろうしゃ、Lăo Shĕ)

 中国の作家。本名は舒慶春、字は舎予。1898年北京生まれ。先祖は清朝満州旗人。父親は義和団事件で戦死。一家は貧しく、北京の裏長屋に住む。幼なじみは多く人力車夫となる。1911年辛亥革命。1912年中華民国建国宣言。老舎は小学校、高等小学校、師範学校と学び、成績が優秀だったので18歳で北京市内の小学校長となる。1919年五・四運動。老舎は教育関係の視学(教育を監督する係)となる。1921年教育界のエリートコースを捨て、平民教育の教育機関である北京教育界の書記となる。このころクリスチャンになる(注1)。1924年ロンドンの東方学院の中国語教師となる。ロンドンで『張さんの哲学』『趙子曰』『馬家の父子』を書く。パリ、シンガポールを経由して1930年帰国。山東省の斉魯大学教授となる。『大明湖』を書くが1932年の上海事変で消失。林語堂のユーモア雑誌『論語』の執筆者の一人となる。1933年『離婚』を書く。1934年山東大学へ。1936~37年『駱駝祥子』を書く。1937年日中戦争勃発。抗日・戦意高揚の作品を書いたりしていた。1943年『火葬』。『四世同堂』(1937~42年の占領下北京市民の生活を描く)を執筆しつつ1946~49年アメリカ滞在。1949年10月中華人民共和国成立。12月帰国。戯曲『方珍珠』。1950年代には文芸界の要職を兼ねつつ『西望長安』『茶店』など。1967年文化大革命の初期に紅衛兵の暴行を受け絶望して自死したと言われる(注2)。今は名誉回復している。(集英社世界文学全集の立間祥介の解説を参照した。(注1高橋由利子(上智大)「北京自主独立教会とロンドン会」(漢文学会『中国文化』2009.6.27)。注2夏宇継「老舎と老舎研究」神奈川大学『国際経営論集』2000.11.25など)

 

2 『駱駝祥子』(ネタバレします)

 老舎三十代の作品。舞台は20世紀初頭の北京。主人公の駱駝祥子は、農村から北京に出てきた貧しい車夫。頑強な体を持ち、口数は少なく、自分の車を持って体で稼ぐことを夢見て歯を食いしばって働く若者だ。だが、革命騒ぎの中で兵隊に車を奪われ、あるいは握っていたわずかな金を奪われ、さらには押しかけ女房と結婚して貧乏長屋に居を構えるも妻が出産時に死亡、絶望の淵に立つ。人間的な曹先生や親切な車夫仲間との交流もあったが、近所の貧しい小福子という女性の死でさらに絶望する。

 

 祥子:駱駝の祥子と呼ばれる。内戦騒ぎの時敗走軍が捨てていった駱駝三頭を引いて歩いたのでこの名がある。農村出身で北京に出てきた。北京を愛している。社会の底辺で暮らしつつ、他とは違った生真面目な生活であったが、社会に踏みつけにされ、人間的な道徳心も失っていく。

 フーニエ(「フー」は虎、「ニエ」は漢字変換できなかった。):祥子が出入りする車宿の娘。虎のような気性と容貌を持ち、男性が寄り付かない。まじめな祥子を気に入り、押しかけ女房になる。贅沢をしすぎて出産時に死亡。

 曹先生:大学教授。祥子をお抱え車夫にした。人間的な情愛があり、祥子を大事に扱う。学生の理不尽な私怨により官憲に追われる。

 二強子:貧乏長屋の車引き。年を取り体が動かなくなり娘を軍人の妾に売り飛ばし、事業を始めるが事業は失敗、酒浸りとなる、女房を蹴り殺す。

 小福子:二強子の娘。軍人の妾に売り飛ばされるが、身一つで捨てられ貧乏長屋に戻る。酒浸りの父親と弟二人を養うため私娼となる。祥子と心の交流があったが、生活のため娼館で働き、自死。

 

 これは悲劇だ。北京の下町の最も貧しい人々が生活苦の中で押しつぶされていく姿を描いている。格差社会。貧困。兵隊の横暴。富裕層の虚飾。強者が弱者を踏みつけにする。貧しい庶民にはこずるいやりとりもある一方親切もある。この社会では貧しい車夫が自暴自棄になるのもやむを得ない、と作家は同情的だ。二強子は娘の小福子を売り飛ばし酒浸りとなる。ドストエフスキー『罪と罰』マルメラードフも娘ソーニャに売春をさせ自分は酒浸りだ。ただしマルメラードフ父娘にはキリスト教信仰がある。二強子と小福子にはそれはない。ラスコーリニコフは知識人だが駱駝祥子には教育がなく言葉を持たない。救いはどこにあるのか? 努力家の祥子、良心的な曹先生、けなげな小福子に可能性を見ようとしたのか。

 

 なお、中国で『駱駝祥子』は何度か改訂され、本文は訂正・削除された。例えば1951年の『老舎選集』本では、末尾の、駱駝祥子が小福子の死を知り最後は祥子自身も死んでいくという結末は、底辺の労働者にとってあまりにも希望がないので、削除したとされる。アメリカでの英訳本は“Rieksaw Boy”(E.King訳)の名で1945年に出版、ベストセラーとなる。結末は改めてあり、駱駝祥子が小福子を救い出す。(集英社世界文学全集解説の立間祥介による。)