James Setoushi
2025.8.12
ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』村上春樹訳 文春文庫 再掲
Tim O’brien〝The Things They Carried〟
〝How to Tell a True War Story〟
1 ティム・オブライエン(1946~ )
ミネソタ州生まれ。マカレスタ大学卒業後ハーヴァード大で政治学を学ぶが徴兵でベトナム戦争に歩兵として従軍。復員後政治記者を経て作家に。ヴェトナム体験に基づく作品が多い。著書『ぼくが戦場で死んだら』『カチアートを追跡して』『本当の戦争の話をしよう』『世界のすべての七月』『失踪』『ニュークリア・エイジ』など。(集英社世界文学辞典の解説から)
2 『本当の戦争の話をしよう』
ヴェトナム戦争をめぐる短編集。村上春樹の「訳者あとがき」によれば、これらの大半は『エクスクァイア』などアメリカの雑誌に掲載(けいさい)されたが、単行本化にあたって、各短編の方向性を調整し、統一することを目的として、大幅加筆している。彼は「この本を、一貫したテーマとトーンとを持つひとつの総合体として設定し」た。各作品に登場する人物は共通している。語り手は作家ティム・オブライエン自身として設定された。つまり、これら短篇を個々に読むことも出来るが、集合体・一冊本として読むことが目指されている、ということだろう。
ヴェトナム戦争:世界史用語集によれば1965~73。インドシナからフランスが撤退(てったい)した後、南ベトナム解放戦線と南ベトナム政府軍の戦いにアメリカが介入(かいにゅう)した。1965年の北爆以降アメリカは介入の規模を拡大。北ベトナムと南ベトナム解放戦線は、ソ連や中国の支援を受け、内戦は泥沼化。戦火はラオス、カンボジアまで拡大。1973年パリ協定でアメリカは撤退。1975年南ベトナムの首都サイゴンが陥落(かんらく)、1976年北ベトナムによる南北統一が成し遂(と)げられた。アメリカは最盛期には53万人の兵を派遣(はけん)、最新兵器を用いて大規模な地上戦、空爆(くうばく)を繰返したが、財政赤字の拡大、内外の反戦運動に苦しめられた。(山川の世界史資料集から)あるサイトによると、ベトナム人300万人が死亡、米軍の死者も6万人と言われる。日本の沖縄の米軍基地からも爆撃機が大量に飛び立った。
若きティム・オブライエンは、アメリカ軍兵士としてベトナムに行っていた。本作では語り手「私」の名前はティム・オブライエンということになっている。実作者と同じ名前の「私」を作品に登場させたのだ。本作に登場するエピソードは、どこまでが史的事実でどこからが虚構(想像力の産物)かは分からない。が、戦場はこうだったろう、そこで受けた痛みはこうだったろう、というリアリティーに満ちている。
(登場人物)(ある程度ネタバレ)
私:ティム・オブライエンという名前。ミネソタ州出身。幼い頃リンダという恋人がいた。1960年代に若者で、マカレスター・カレッジを最優等で卒業、ハーヴァード大学の大学院の特待生(とくたいせい)となるが、1968年6月17日に徴兵(ちょうへい)通知を受け取る。この戦争は間違っていると思い、良心にもとづきカナダに逃亡することを正しい選択と考えるが、体面を気にし、良心に従い正しいことをすることを恥ずかしいと感じ、勇気を奮い起こすことができず、結局兵士としてベトナムに渡り、仲間と共に悲惨な戦場を体験。ベトナム人の若者を手榴弾(しゅりゅうだん)で殺害してしまう。帰国後も戦場のつらい記憶を忘れることができない。戦争に行った自分は卑怯者だと考えている。作家となり戦場について書き続ける。1980年代の末か、幼い娘とともにベトナムの戦場を再訪。1990年の今は43歳。
ボビー・ジョーゲンソン:衛生兵。前線に着任直後ティムの手当をするが、それが不手際(ふてぎわ)だったのでティムの傷が悪化。ティムはボビーを憎み復讐(ふくしゅう)を試みる。が、・・
アザール:ティムがボビーに復讐しようとしたとき手伝った男。ティムはアザールを好きではない。アザールはテッド・ラヴェンダーのかわいがっていた仔犬をふざけて地雷で爆殺したことがある。
カイオワ:先住民出身の敬虔(けいけん)なキリスト教徒。いつも聖書を持っている。ベトナムの泥沼で砲撃に遭い沈降して死亡。
ノーマン・バウカー:ウイスコンシン出身。自分のせいでカイオワは死んだ、カイオワを救えなかった、と苦しむ。帰国後も苦しみ続け、ティムに苦しみを打ち明けるが、1978年に自死。
ジミー・クロス中尉:中尉で小隊長。アメリカの女性・マーサの写真をいつも持ちマーサのことばかり想像するうち、戦場で注意力を失い、カイヨワを死なせることになってしまったことを自責(じせき)している。やがて想像力や愛を否定し規律を重んずる隊長に変容する。(「兵士たちの荷物」)
カート・レモン:ラット・カイリーと親友。歯医者が怖い。ハローウイーンで幽霊のお面をつけてベトナム人の村に「トリック・オア・トリート」をやりに行った。のちラットと遊んでいるとき敵の残した罠(わな)にかかり爆死。
ラット・カイリー(ボブ・カイリー):衛生兵。カート・レモンと遊んでいるときカートが爆死した。情緒が不安定になり現地の仔牛(こうし)を残酷な方法で殺害。負傷して日本へ。
ヘンリー・ドビンズ:大男で機関銃手。良い男。優秀な兵隊。GFのパンティーストッキングをお守りとして首に巻き付けている。「牧師になりたいな」などと言う。
テッド・ラヴェンダー:恐怖からトランキライザーを常時服用。重い荷物を背負い、不意に敵に撃たれて死亡。
ミッチェル・サンダーズ:通信兵。何度も出てくる。
ベトナム人の若い男:ベトナム人兵士。「私」が遭遇(そうぐう)し手榴弾で殺害。
ベトナム人の少女:村か焼かれ家族が殺された焼け跡で踊っていた14歳くらいの少女。
ベトナム人の二人の僧侶:廃墟(はいきょ)となったパゴダに住んでいた。そこに作戦基地を設けた米兵たち、特にヘンリー・ボビンズと仲良くなる。親切な人びと。
ベトナム人の老人:死んでいた。米兵たちはふざけ半分で友人であるかのように扱う。
ママさん:ベトナム人の女性。クロス中尉たちにそこはキャンプする場所ではない、と教えてくれる。
マーク・フォッシー:ラット・カイリーの戦友。ラットの話によれば、アメリカから彼女(メアリー・アン)を連れてくるが・・
メアリー・アン:ラットの話に出てくる、マークの彼女。アメリカの17歳の普通の女子だった。だが、メアリー・アンはベトナムで変容し、グリーンベレーたちと行動を共にし、冷酷な人間になった。最後は行方不明になった。ベトナムのジャングルに今も潜(ひそ)んでいるという噂(うわさ)もある。
エルロイ・バーダール:カナダ国境のレイニー河のほとりに住む81歳の老人。「私」が兵役を逃(のが)れ逃亡しようかと迷っているとき、何も言わず見守ってくれる。
リンダ:「私」ティムの幼なじみ。「私」と愛し合うが、脳腫瘍(のうしゅよう)で死ぬ。幼い「私」は衝撃を受ける。だが、リンダは「私」の中で生きている。ほかの戦友たちも・・
二人の少年、モーターボートの男、四人の作業員、短いズボンの男、ハンバーガー屋の娘、サリー、:1970年代のウィスコンシンの湖のそばにいた人びと。そこはノーマン・バウカーの故郷だが、彼らは戦争について関心がなくそれぞれの日常を生きている。ノーマン・バウカーは疎外(そがい)感を味わう。
キャスリーン:「私」の娘。1980年代末か、作家で43才の「私」とともに戦場を訪れる。
ベトナム人農夫:二十年を経てベトナムを訪れた「私」と娘を、何も言わず厳しい顔でじっと見つめている。
(コメント)(完全ネタバレ)
1 「本当の戦争の話」は一般法則はない、抽象論(ちゅうしょうろん)や解析(かいせき)で簡単に片付けられはしない、話のポイントさえ存在しない、「本当の戦争の話」は「はらわたの直観(ちょっかん)にずしりと来る」、「本当の戦争の話を語りたければ、ずっと繰り返しその話をしているしかない」などなどと語る時、「本当の戦争」は、あまりにも重くリアルな現実であるので、安易な説明や分析や一般化では捕らえられないものだ、それは一体何だったのか、何だったのか、と問い続け考え続け語り続けるほかないものだ、という認識が語られている。安易な説明や法則化・教訓化を拒(こば)む姿勢がはっきりしている。かつ生々しい戦場の感触を忘れられない、という現実がある。さらには、忘れはしないぞ、忘れることは人間として間違っている、という思いもあるかも知れない。一方で戦場の苦しみを見ず単純な英雄豪傑譚(えいゆうごうけつたん)、ヒーロー話に還元(かんげん)してしまう人たちもいることを思えば、ティム・オブライエンの姿勢がそれらとは異なることは明白だ。読書会で「安直な物語化を許さない重い現実というものがあるのではないか」という議論が出たが、これなどはまさにそれだろう。
殺してしまった相手にも、殺されなかったもう一つの別の人生があったかも知れない、という想像力、人間に対する思いやり、共感力(「私が殺した男」)は大切だ。だが、戦場は人間を変えてしまう。(「兵士たちの荷物」では小隊長が変容する。「ソン・チャポンの恋人」ではメアリー・アンが変容する。)戦場は(軍隊は)人間的な自由な想像力、共感の力を奪う。それでも人間的な心を失わなかった者はPTSDに苦しみ続ける。(「勇敢であること」「覚え書」のノーマン・バウカーは戦後に自死。)
ティム・オブライエンが狂わずにすんだのはなぜか? 「本当の戦争の話」を書き続けることによって、かもしれない。すでに幼い日、恋人のリンダを脳腫瘍(のうしゅよう)で失い、幼いティムは傷ついた。が、リンダはティムの心の中で生きている。リンダを描き続けることで、幼いティムの心をも救済する。戦場で死んだ人びと(戦友だけではない。自分が殺したベトナムの若者も)を描き続けることでティムは自分の心を救済しているのかもしれない。
なお、三牧史奈氏は「「本当の戦争の話」の狙いとは、おそらく、アメリカ軍事史上最も不名誉なヴェトナム戦争のトラウマの記憶が忘却の彼方へと消え去ってしまうことを防ぎ止めることなのである。」としており、得心した。(「煉獄としての戦場とアメリカ的自我の苦悩―『僕が戦場で死んだら』、『カチアートを追跡して』、『本当の戦争の話をしよう』におけるティム・オブライエンのヴェトナム戦争従軍についての弁明」(博士論文要旨。熊本県立大学大学院文学研究科博士後期課程 英語英米文学専攻 三牧史奈。2020年9月)
2 戦争に行くことが勇気ではなく、戦争に行かない選択をすることが勇気だ、としている(「レイニー河で」)点は注目できる。だが、正しいことをする「勇気」がなく、「体面」のために結局戦争に行き、悲惨な体験をするのだが。
3 短篇「待ち伏せ」では「私」は通りかかったベトナム兵の若者を「条件反射的に」手榴弾で殺害してしまう。その死体は厳然(げんぜん)とした事実として眼前(がんぜん)にある。だが「私」は、その若者を殺さなかった未来を夢想する。「私が殺した男」では、その若い男には恋人がいたかも知れない、大学で学ぶ未来があったかもしれない、などと想像する。(これは「私」自身の自画像の投影でもあるだろう。)大岡昇平『俘虜記(ふりょき)』の冒頭「捉(つか)まるまで」では、ミンドロ島で米兵と遭遇し撃てたのに撃たなかった自分がいることにこだわって考察している。「捉まるまで」にはエピグラフに『歎異抄』の「わがこころのよくて殺さぬにはあらず」が掲(かか)げられている。オブライエンと大岡を比較するとどうなるだろうか。「待ち伏せ」でも「わがこころの悪(あ)しくて殺すにはあらず」となるのか? 殺すも殺さぬも「業縁(ごうえん)」によると?
オブライエンの「人を殺してしまった」という苦しみを、①「業縁」で説明し他力の念仏で解決(?)するか、あるいは他の宗教信仰で? ②心理学・精神医学で説明し解決(?)するか、③文学(物語)で語り解決(?)するか? ④社会構造の分析と改革によって解決するか、あるいは? (誰かが言っていたが、戦争は科学の実験と違い再現できないからこそ、文学小説で語る意義がある。なるほど。同時に、語ることが語り手にとっても聞き手にとっても癒し=人間的回復=になるのかも。)
4 旧日本軍の戦場と比べてしまう。ベトナム戦争のアメリカ兵は、食糧・弾薬などが豊富にある。医療の手当もある。歯医者が来る。負傷すれば後方に下がる。これらは旧日本軍と全く違う。敗走する日本軍は、食糧も武器も医薬品も衣服や靴もなく病になり最後はバンザイ突撃で全滅、など悲惨な死に追いやられた。対して本作では、アメリカの普通の若者のメンタルな苦しみが前面に出ている。ベトナムの戦場はアメリカの若者を狂わせる。武器弾薬食糧などが豊富にあっても、戦場で人は心身共に傷つく、とわかる。旧日本兵も戦争神経症など精神的な病に冒された例があったが、今まで私が読んだ本などでは食糧や武器弾薬の欠乏が前面に出ていて、その分戦争神経症の話は陰に隠れていたかも知れない。(吉田裕『日本軍兵士』中公新書、2017年を御覧下さい。)
5 ノーマン・メイラー『裸者と死者』は太平洋の孤島でのアメリカ兵の戦いを描く。将軍が出世のために理不尽(りふじん)な命令を下す。それとの軋轢(あつれき)がある。兵隊同士の軋轢もある。ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』には、将軍は出てこない。兵隊同士の軋轢もなくはないが、それよりも、誰もがベトナムの闇の中で脅(おび)える姿が前面に出ている。『裸者と死者』はメルヴィルの『白鯨(はくげい)』に刺激を受けラストにカタストロフ(大破局)を設定する、劇的な構造を持つ。『本当の戦争の話をしよう』はひとつの作品にしようして一応構造らしきものはあるが、見えにくい。むしろ構造化できないところから出発し構造化できないものとして提示しようとしている印象がある。
6 それにしても・・・! アメリカは、対英独立戦争、対先住民(「インディアン」)戦争、南北戦争、第1次大戦、第2次大戦、ベトナム戦争、さらには湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争などなどと、随分戦争をしている国だなあ(ほかにもある。対スペイン戦争など)と改めて感じる。
日本も明治から昭和20年までは戦争ばかりしていたが、昭和20年以降はピタッとやめた。日本は、戦後80年間とにもかくにも戦争をせず平和を維持してきた、世界でも最も素晴らしい国の一つだと言える。国民も指導者も偉かったのだ。「平和ボケ」ではない。リアルポリティックスの中で、きわめて現実的で賢明な選択をしてきたのだ。
アメリカは戦争をしてきたが、戦争はダメだという言論や良心的兵役拒否の制度を許容している。あの国やその国はどうかな?
戦前の日本は反戦・非戦を唱える者を弾圧し投獄し前線に送った。今は大きな声で平和を言える。政府が(政府を動かす利権集団が=軍産複合体が)国民を兵として使い捨てるのはダメだ。日本やドイツにはその反省がある。
・・・どこかの国で軍事予算に膨大なカネを投入し巨大なミサイルを作りおおげさな軍事パレードを行うのは、大国化の幻想に囚われているのだろう。それが愚かなことで国民生活を圧迫することだと、早く気付くべきだ。ミサイルより食糧。第1次大戦ではドイツでもロシアでも国民=兵士が腹が減った、戦争はもういやだ、と怒って革命が起きた。