James Setouchi

2025.9.22(月)

 

NHKスペシャル「戦国サムライの城」第2集 R7.9.21(日)9時から放送

 

*再放送などで御覧下さい。家康たちは平和な世を作りたかったのだということがわかる。

 

 Nスペ「戦国サムライの城」前回の第1集が面白かったので第2集も見た。

 

(内容を簡単に紹介すると)

・戦国末期わずか15年ほどの間に築城ラッシュがあり、80もの城が建てられた。軍事要塞と思われていたが、最新研究の結果、平和をもたらすものだということが明らかになってきた。

 

・代表例は名古屋城。家康は安土城(信長)、大坂城(秀吉)よりも立派なものを作り権威を見せつけようとした、外様大名たちを競わせ忠誠心を試そうとした、彼らの財力を削ごうとした、という面があるが、

 

中井正清というカリスマ統領のもとに多くの大工が集まり、法隆寺以来の木造建築の到達点とも言える美しい天守を築いた。

 

・朝鮮出兵以降「矢穴技法」という新しい技法で巨石(3トンもの)を切り出し、

 

・石の積み方は大名によって違うが、大名同士が協力し合っている面も見られる

 

・松江城が好例だが、城を中心に城下町を作り掘り割りを含め水運によって商業が発展する形になっている(それまでの山城=軍事要塞)と違う

 

・家康も大名たちも天下太平を願っていた

 

世界の他の城(イギリスのビーストン城、ルーマニアのポエナリ城、スペインのセゴビア城など)と比べても、日本の城は、多くの人が住む都市の中心部とつながっているという特徴がある。そういう城下町が各地にできあがった。政治とは別に経済が発展する礎となった。江戸時代の城下町は明治以降現在まで県庁所在地になる・・つまりここ400年から500年の社会の基礎を築いたと言える。

 

(感想)

・石垣の積み方をコンピュータで解析して、大名同士が協力し合っていたところまで推測するとは、研究方法もすごいことになっている。昔の、(考古学は別として)文書史料で証拠があるないという研究方法から見れば、全く違う新しいやり方で、恐れ入った。歴史学研究にも工学部の技術が応用できるということか・・

 

・家康が平和な(戦乱のない)世の中を作ったことは事実。身分制もあれば富の独占もあれば飢饉などもあったので徳川時代を全肯定することはできないが、少なくとも戦争だけはなかった。お蔭で松尾芭蕉(『奥の細道』ほか)も弥次さん喜多さん(『膝栗毛』)も安全に諸国を旅することができた。明治以降は貧富の差は却って拡大し対外戦争をしばしば行い結局国土は焦土となった。「江戸が悪で明治近代が善」というわけではない。

 

・それにしても現場で働いている人々というのはどのような人々なのだろうか? 流れ者もいたからうまく統率しないといけなかった、などと番組では言っていたが・・私見だが、戦争がなくなり兵士が失業して建設業に流れ込んだとして、彼らもまた「戦乱はもう二度とイヤだ」という厭戦気分を共有していたから、協力し合えたのではないか? という気がする。秀吉の刀狩りあたりですでにそうなっていたのでは?

 

巨大な城を作って自分の権威を見せつけるよりも、皆のために道路、水路、港、田畑、ため池などをメインで作った方がいいのでは? とはやはり思う。行基菩薩、弘法大師空海、市聖(いちのひじり)・空也上人らはそうしたと言われている(伝説かもしれないが)。

 

私の近隣にもお城ではないが小型の石垣が沢山あり、斜面や棚田を支えている。そこに道もあるし人も住んでいる。これらは、いつ誰が作ったのだろうか? 地震や豪雨で壊れないのだろうか? 壊れたとき(または壊れないように)メンテナンスするのは、一体誰なのだろうか? 

 

・名古屋城の建設費は分担する大名の持ち出しだった。有吉佐和子『紀ノ川』では、地元の有力農家が人びとを率いて紀ノ川の堤防を補修するところが出てくる。島崎藤村『夜明け前』には、地元の有力な旅籠が、周囲の人々を率いて中山道を整備するところが出てくる(お上から多少は出ている)。彼らは、日頃から富を集めていて、その財力があったのだろうか。では、現代でも、田舎の石垣の補修や道路の補修は、大企業や富裕層が私財を投じてやれ、と「お上」が命令したら、大企業と富裕層はやるだろうか?(やらないだろう。) ・・他方、何でも地元住民が私財を投じてやれ、と言ってもその力はないので、みんなが逃げ出すだけだ。(現に逃げ出している。)石破さんと森山さんは地盤が田舎なのでそのつらさが分かっていたはずだったのだが・・

 

・戦国期までは我々は愚かな内戦を続けていた。徳川で平和になったが、幕末維新でまた内戦と対外戦争を繰返した。愚かなことだった。それでも1945年以降私たちは戦争をやめた。これが賢明な選択というものだ。世界中で戦争をやめるはずだ。朝鮮戦争もベトナム戦争もカンボジアやユーゴの内戦もやめた。ルワンダ内戦もやめた。キューバ危機も回避した。東西ドイツは平和裡に統一した。フランスとドイツも和解した。冷戦は終わった。どこかで(ほら、あそこやあそこですが・・)まだやっているが、直ちにやめるべきだ。

 突然だが、八神純子という歌手の「ミスター・ブルー(Mr.ブルー)~私の地球~」という歌が突然飛び込んできた。1979年の歌だそうだ。歌詞の2番で「ふるさとを聞かれたら迷わず地球と答える」「争いという文字が辞書から消え去るその日まで」と八神純子は歌う。1979年の段階でこの歌詞は、戦争・紛争・テロのたぐいがなくなることを祈願し予見している。(またこの歌は地球環境問題・生態系の歌でもある。「すべての命がここに生まれここに生きてる」(1番)「かけがえのない海と大地を愛してゆきたい」(2番)と歌っている。)歌詞の言うとおりだ。戦争などしている場合ではないのだ。

 この歌(特に2番)に英訳・各国語訳をつけて(または英訳・各国語訳で歌って)世界中に広めたらいいのではないか? (参考までに、パウロは、私の国籍は天にある、と言った。キリスト教徒なら誰でも知っていて連想する。)この歌は戦争をやめさせる力がある、世界に広がると私は思うのだが・・八神先生、(他の方でもいいが、)あと一踏ん張りお願いできませんか? 東京外大と大阪外大の方、どうですか?