James Setouchi

2026(R8).2.24   日本古典 『古事記』を読んでみよう(01)  

        イザナキ・イザナミの「修理固成」「国土生成」

    (読書会資料) R8.5~7月実施見込み(未定)

 

1 『古事記』は、神話と文学と歴史が渾然一体となったものとして、何となく読み飛ばすなら、あらすじだけはすぐ読めてしまう。だが、神話と文学と歴史を混同して皇国史観のイデオロギーによって国民を戦場に駆り立て兵士として大勢死なせた過去をしっかり見据えるならば、簡単に読み飛ばして済ませるわけにはいかない。また、「これが日本人の魂の歴史だ」式にイデオロギー化することは絶対にしてはならない。

そこで、どうしても先学の研究等を参照しながら、丁寧に解析しながら読んでいくことが必要となる。だが、それを十分やりきる力は、今の私にはない。私はこの分野において素人だ。賢明なる諸氏は、優れた先学の研究を確かめられることをお勧めする。

 今回はイザナキ・イザナミの「修理固成」「国土生成」を、覗いてみる。不勉強な私がみなさまをミスリードしないように、先学の注釈・解釈を多用する。

 

(基礎知識)

 『古事記』は、天武天皇が舎人の稗田阿礼(28才)に『帝王日継』『先代旧辞』を誦み習わせた。元明天皇が711年(和銅4年)9月18日に太安万侶に対して、これを撰録して献上せよと命じた。上中下三巻にして献上したのが712年(和銅5年)1月28日、と言われる。

 序文は漢文。上中下三巻ある。上巻は神代記で、中巻は神武天皇から応神天皇まで。下巻は仁徳天皇から推古天皇まで。

文体は、漢字を用いているが、漢文をベースとしつつ、漢文と和文を交えたような独特の文体(変態の漢文)。

 8世紀、壬申の乱(672年)よりもあと、奈良時代(710年~)、律令国家の体制を整える過程で、中国の書物にならって作成した。大和王権成立以前の伝承も含むが、書物としては8世紀の律令国家の編集意図が濃厚に存在すると言える。つまりこれをそのまま史実と見てはいけない。史実をねじ曲げて意図的に作られた書物だ。

 一例を挙げると、冒頭は「天地が初めて発(おこ)った時、高天原に出現した神は、天之御中主(あめのみなかぬし)の神。次に高御産巣日(たかみむすひ)の神。次に神産巣日(かむむすひ)の神。この三者はみな独神(ひとりがみ)となって身を隠した。」。どうしてこの抽象的な名の神が三人出てきて直ちに隠れるのか。さらに二人の神が出てきて天の別格の神が五人。次に強調される数字は「神世七代」の七。どうしてこうなるのか。・・抽象的な名前の神が古い時代に置かれたのは、中国の史書のやりかたに習って「加上」という歴史の改ざん・権威化を行っているのだ(詳細は省略)。三、五、七と奇数を並べたのは中国の聖なる数を並べたのだ。そもそも「高天原」という観念自体天武・持統朝の観念の反映だ。「天皇」は中国の「天皇」、また「元始天王」(六朝時代)や「天皇大帝」(北極星=老子=太上老君のこと)など道教の概念から来ている。(新潮古典集成『古事記』付録1(321頁)、福永光司『道教と古代の天皇制』徳間書店1978年、17頁、20頁)

 (ちなみに「神道」という言葉の由来も道教にある。福永光司、前掲書77頁。また江戸期の本居宣長の実証主義的方法は敬意を表すべきだが、記紀を研究すれば日本人本来のあり方が究明できるはずだとするのは、根拠のない形而上学であり、彼の偏った信念でしかないと言うべきだろう。平田篤胤以降も、幕末に外国勢力の姿が見える中でナショナリスティックな情念に囚われて記紀を解釈してしまったのだろう。)

以上は私の乏しい辞書的な知識だが、学者は様々に考察している。朝鮮半島の伝承との関連を言う人もある。トンデモ本も沢山出ている。

 実際の歴史(史実)が何らかの形で「記紀」に記述されているのか。神話・伝説・昔話が記述されているのか。祭儀・演劇(お神楽など)で行っていた内容を文章化したのか。いずれにせよ8世紀初頭の律令体制・支配者層の必要から、加筆や改ざんや隠蔽を重ねて作り上げた書物ではある。古伝承をリライトするにせよお粗末なリライトだと言う方もおられた。

 なお、『日本書紀』は朝廷が認めた正史。(正史はもちろん当時の権力者によって都合良く書かれたものだ。)対して『古事記』は何のためか、色々言われているが、わからない。『日本書紀』の中の「一書に曰く」の一つに『古事記』と重複するものがかなりある。

 

 以下に、引用した本を記号で示す。(読書会には『古事記』本文を持参。岩波文庫でもよいが注釈が多い方がよい。)

S:新潮古典集成『古事記』西宮一民校注、1979年

A:西郷信綱『古事記の世界』岩波新書、青版E23、1967年

B:岩波文庫『日本書紀(一)』坂本太郎ほか校注、1994年(岩波古典体系新装版1993年を文庫化したもの)

C:佐藤正英『日本倫理思想史』東大出版会、2003年

D:坂本勝監修『古事記と日本書紀』青春出版社2009年(一般向けガイド本)

E:溝口睦子『アマテラスの誕生』岩波文庫新赤版1171(2009年)

F:原武史『<出雲>という思想』講談社学術文庫、2001年

 

2 今日はイザナミ・イザナミ二神の「修理固成」「国土生成」のところ

(1)      あらすじ 新潮古典集成による。S27~

 「天地初発」の時「別天つ神」(天之常立神まで)の出現と「神世七代」(国之常立神からイザナキ・イザナミまで)があった。天つ神がイザナキ・イザナミに「このただよへる国を修理(をさ)め固め成せ」と命令し天の沼矛(あめのぬぼこ)を与えた。イザナキ・イザナミは天の浮橋に立ち、沼矛を下ろして海水をかき回し引き上げると、矛の先から塩がしたたり落ちて堆積しオノゴロ嶋ができた。

 二神はその嶋に天降り天の御柱八尋殿(やひろどの)を見立てた。

 イザナキが呼びかけ、国土(くに)を生み成そう、と言った。イザナミは賛同した。イザナキがこの天の御柱について「お前は右から回れ、私は左から回ろう」と言った。

 回り終えて、イザナミ(女)が、「あなにやし、えをとこを」と言い、イザナキ(男)が「あなにやし、えをとめを」と言った。イザナキは「女人(をみな)が先に声をかけたのはよくない」と言った。生まれた子はヒルコ葦船に入れて流し去った。次に淡嶋(あはしま)を生んだ。これも子の例(たぐひ)には入れない

 二神は相談し天つ神に報告した。天つ神はふとまにで占い、「女が先に声をかけたので良くない。改めて言い直せ」と言った。

 そこで二神はオノゴロ嶋に返り降り、天の御柱を回り、イザナキ(男)が「あなにやし、えをとめを」と言い、イザナミ(女)が「あなにやし、えをとめを」と言った。

 こうしてまず淡道之穂之狭別の嶋を生んだ。次に伊予之二名の嶋を生んだ。次に隠伎(おき)の三子の嶋、筑紫の嶋、伊岐の嶋、津嶋、佐度の嶋、大倭豊秋津嶋。以上八つの嶋を生んだので、大八嶋国と言う。

 その後吉備の児嶋、小豆嶋、大嶋・・といくつかの嶋を生んだ。

 国を生み終えて、さらに神を生んだ

 大事忍男(おほことをしお)の神、石土毗古(いはつちびこ)の神、・・・・以下、多数の神を生んでいった。

 (以下略。)

 

(2)      素朴な疑問

・天つ神の命令で二神は働く。天つ神はどうして自分で働かないのだろうか? また二神は自分の意志で動いたのではないのだろうか?

・天之浮橋、オノゴロ嶋とは何か?

・天の御柱、八尋殿とは何か?

・天つ神は「修理固成」を命じた。二神は「国土生成」をなそうとした。どう違うのだろうか?

・どうして女性が声をかけるとダメなのだろうか? 女性差別ではないか?

・「あなにやし」とは?

・ヒルコとは何か? 葦船に入れて流したとは? 障がいのある子を海に流すとは、殺人思想ではないか? 淡嶋とは何か? なぜ子に入れて貰えないのか?

・淡道之穂之狭別の嶋が最初なのはなぜか? この順番に意味があるのか?

・淡路を除けば、日本海側の嶋が先で、本州が最後になっているのは、なぜか?

・大八嶋に北海道と沖縄が入っていないが?

・周辺の小島はなぜあとから付け加えられるのか?

・「嶋」「洲」「国」などの使い分けの意味は?

・国を生んだあと神を生んだとあるが、どういうことか?

 

(3)      新潮古典集成から S27~

・「修理固成」は上文の「国稚(わか)く・・ただよへる」をうける。「修理」は浮標を整える。「固成る」は若き土地を固め国土として完成すること。S27

天の沼矛とは、高天の原の、玉飾りのある矛。S2・・JS:けだし、王権の象徴であろうか。

天の浮橋とは、神が昇降するのに使う天界と下界をつなぐ橋。S27・・JS:子どもの頃は誰かの描いた画の影響で虹のことかと思っていたが、水平方向に読み直せば、大陸側から日本列島に攻めてくるときの船団列とも解釈できるよね。

オノゴロ嶋:淤能碁呂嶋:おのずから凝り固まった島。イザナキ・イザナミ二神の国土の修理固成の拠点となった聖なる島。実在の島かどうかよりも、これまでの話が海洋型国生み神話である点が注意される。S28・・JS:「塩を画(か)き鳴(な)し」とある。「塩」か「潮」か。「塩」なら岩塩の島があったのか? それは実在するなら朝鮮半島南部か、日本海か?

天の御柱:天つ神の神霊の依り憑(つ)く聖なる柱。豊饒の呪柱の観念を含む。S28・・JS:諏訪大社の御柱祭りは有名。出雲大社も巨木の柱を用いたとか。元来は神が巨木をヨリシロとして降臨した、それが柱になった、ということか? だがその前は巨木自体が神だったかも? 世界中で何かと高い塔(バベルの塔や教会や五重塔や天守閣やスカイツリーや摩天楼を含む)を建てたがるのも、心性として共通するものがあるかも。

八尋殿:広大な殿舎。新婚のための新室。「八」は多大の意味の日本の聖数。「尋」は両腕を広げた長さ。・・JS:「七」が中国の聖数だった。「八」は日本か。なぜ「八」が聖数なのか? 両手指は「十」では? 朝鮮半島や東南アジアに「八」を聖数とするエリアがあるのか?

・JS:「修理固成」の注はあるが、「国土生成」との違いは新潮古典集成には書いていなかった。海岸線は土壌が柔らかいので固めないと暮らせない(修理固成)。その上で「国土」として支配権を確立した(国土生成)ということか?

・柱をまわり性交をするのは穀物豊饒の予祝儀礼。中国南部からインドシナの山中に住む苗族(びょうぞく)は、春祭りに柱を山上に立て、男女の群れが周囲を旋舞し放縦な歌を唄う。東日本の小正月の日に、夫婦がいろりの周囲を回って予祝する習俗がある。これらの例は多い。S29

女が右回り、男が左回りは、『春秋緯』元命包や『淮南子』天文訓など中国の思想に見える。『古事記』は左(男)を右(女)よりも貴しとする思想が一貫している。・・JS:注意! 『古事記』に書いてあるから日本古来そうだった、とするのは早計だ。『古事記』は8世紀の書物で、すでに(6世紀の聖徳太子のころから後でも)かなり多くの中国の書物・思想が入ってきており、それによって(律令体制に都合の良いように)書き換えられている。大陸渡来の思想で男尊女卑(男性上位)になっているだけで、それ以前は男女平等だったり女性上位だったりしたかもしれないのだ。

・「夫唱婦随」の中国思想の影響もあろうが、万葉集1935のように、求婚に際しては男が女に声をかけるのが通例だった。S29・・JS:これも同上。何の証拠があってそう言うのか? 「男が上だから先に声をかける」という思想が中国渡来のもので、上記万葉集の歌(男が声をかけ女が待っていると解釈するとして)も外来思想の影響を受けた斬新な(トレンディーでポップな)歌ともとれるではないか? どうなのだろうか?

ヒルコ(水蛭子)・淡嶋(あはしま):出来損ないの子。S29  「ひる」は「萎縮する」「ひるむ」の語幹。S328 邪気を払う葦で作った船で流し捨てる。大祓(おおはらえ)の思想性もある。S29 邪気を払う乗り物に乗って水を渡ることで霊魂の新生を獲得するという信仰に基づいた誕生儀礼か。「淡嶋」も「淡め(軽蔑し)憎む嶋」と解されるが、「薄い頼りない島」ではないか。S328  神代記上に「オホヒルメノムチ」とあるのでそれに対する「日子(ひるこ)」とし、これが流されるのは女尊男卑で母系制の名残とする説がある。S328・・しれっと書いているが、第1子が男子だったら捨てる、ということだろう。なかなかやるな・・・旧約聖書で第1子を神に捧げるのとどうかな。

・「ひるこ」は男性の太陽ではなく「日(ひる)(太陽)の子」と見るべき。日神の子が船で海を漂流する信仰や日神の象徴を船で送迎する民俗もある。「空(うつ)ほ船」説話(貴種流離譚)も古くからある。記紀の文脈を離れれば「日(ひる)の子」と解すべき。元来太陽信仰に基づく「日子(ひるこ)」だったものが、血を吸う水蛭(ひる)に付会されて記紀の説話になった。「えびす」と読むのは、貴種流離譚の流れで、他国(えびす)から到来する客神としてもてましたことによる。S328

・出来損ないの理由は、女が先に発言したことにある。求婚にあたっては男が先に声をかけるという習俗に反したからだ。兄妹近親相姦の結果によるものと見るべきではない。世界の創成譚には近親相姦の例は多いが、ここではそれを主題としてはいない。S30

・・JS:これらの説明でも釈然としない。女性が声をかけても良いとする風俗が先にあり、外来文化(中国渡来の男尊女卑)の観点から「男性から声をかけるべき」と思想を統一しようとした、というあたりが正解かもしれない。それにしてもヒルコと淡嶋は可哀想だ。一体これは何か?(後述)

ふとまに:布斗麻邇:「太」は立派な。「まに」は神意のまにまに。神意を判ずる卜占(ぼくせん)。古くは鹿の肩骨を焼き、ひびの入り方で判じ、奈良時代には亀甲(きっこう)を使った。・・JS:亀甲占(亀卜=きぼく)が中国古代にあるのは有名。長江下流域は巨大な亀が捕れる。また中国では羊、牛、豚、猪、鹿なども使ったと言う。日本では昔は鹿を使ったと上記にあるが、纏向遺跡では猪の骨が出た。なぜ鹿や猪なのか? 牛馬はおらず、狼や熊は捕らえにくかったのだろうか?    参考:寺沢薫・桜井市纒向学研究センター所長の話「弥生時代、農耕などに関する民衆の占いだったとみられる卜骨・卜甲は、古墳時代になると、少なくなるが、律令制度で国家祭祀に取り入れられた今回、ヤマトの王権の中枢で発見され、変化を探る手掛かりになるのではないか。」日本経済新聞2015年1月19日

淡道之穂之狭別の嶋:淡路島。「穂之狭」は淡の穂に因んだ名。「別」は地方に分封せられたの意で男性につける。S30 「別(わけ)」は本来「地方を分け治める者」。5・6世紀の皇族名に多くつく。男子の敬称。のち皇別系の姓(かばね)となる。「八色の姓(やくさのかばね)(天武13年)には入れられていない古い時代の姓。S329

・神代紀上では「先づ淡路洲(あはじしま)を以て胞(え)とす。意(こころ)に快(よろこ)びざる所なり。」とある。「胞(え)」を「兄(え)」と解し第一子は生み損ないで「アハヂ(吾恥)の島」と名づけたとする説があるが、「第一子生み損ない」説には確証がない。「胞」は胎盤(胞衣=えな)で、胎児を守護し、母的な性格ゆえ、父親の側から母的なものが最初になるのは「吾恥」と不快に感じたと解しうる。S329・・JS:『古事記』では淡路島が最初で誇りかだが、『日本書紀』では淡路島はよくないことにされている。どういうことか全く分からない。「淡路」は「タムロ」で朝鮮語、罪人を流した場所だから格が落ちる、と考察していた人がいたが、私には真偽の判定はできない。

・JS:「伊予之二名の」には四つの「」がある。「筑紫の」には四つの「」がある。全八嶋をまとめて大八嶋「」と言う。でも他はすべて「嶋」でしかない。「」とは何か? 「国」を生み終えたので次は「神」を生んだ、と本文は言う。S32「伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、・・」以下を見ると、「国」が「比売」だったり「・・別(わけ)」だったりする。その人(神?)の支配する所、ということなのだろうか? 男性(「別」)の支配する所と女性(「比売」)の支配する所があったということか?

・「愛比売」は「かわいい女性」の意味。S329・・JS:「愛」はここでは「かわいい」。アガペの「愛」ではない。

・「伊岐の嶋」の「亦の名」は「天比登都」。S31・・JS:この嶋だけ「柱」になっている。なぜか? 二神はもしかしたら壱岐の嶋にこそ「天の御柱」を立て、そこ根拠地としたのではあるまいか?

「国生み」の思想は、生まれた島々が血脈による人格的な同胞であるとすることにある。S30

・JS:「淡道之穂之狭別の嶋、次に伊予之二名の嶋、次に隠伎(おき)の三子の嶋、筑紫の嶋、伊岐の嶋、津嶋、佐度の嶋、大倭豊秋津嶋。以上八つの嶋を生んだので、大八嶋国と言う。その後吉備の児嶋、小豆嶋、大嶋・・といくつかの嶋を生んだ。」この順番は何か? (史実そのものでなく記述された伝承に過ぎないわけだが、何らかの史実の痕跡、8世紀の『古事記』作者たちの意図が隠れているかもしれないという目で想像すると、)

①     「淡道之穂之狭別の嶋」は淡路島だとみんな思っている。地元でもウチが最初だ、と地元振興に使っている。だが、本当か? 「淡の道」とはもしかしたら(大胆な仮説だが)海路のことでは? 「伊予之二名の嶋」もみんな四国と思っているが、もう一つの総称「阿波国」ともいう(S30)のであれば、ここも海路かも知れない。とすると、海路→海路→隠岐→九州→日本海側の島々→本州と侵攻することになり、筋が通る。「愛比売」「飯依比古」などは後世の付記かも知れない。(暴論だと思うが・・)

②     全く別の仮説としては、難波あるいは大和の政権が淡路→四国と服属させ、ついで九州および日本海側(もともと大陸から来た旧勢力が陣取っていた。難波・大和政権にとって本家筋だったにちがいない)も服属→ついで本州全土が服属、となるのかもしれない。(ここも想像にすぎない。)

・「亦の名は」とあるが、別種の資料中の神・人名を結合したことを表わす。「別名(ことな)」とは別。S31

・「大和」は元来奈良県天理市の一地名。それが奈良県一国の名前となり日本国の名となった。「」は『魏志』『隋書』などに見え、唐代には「日本」の称を用いる。「秋津嶋」は元来奈良県御所(ごせ)市の一地名。第6代孝安天皇の皇居の所在地か。これが奈良県一国の名前となり日本国の名となった。「ヤマト」と「アキヅシマ」が結合して「大倭豊秋津嶋」となった。「秋津」は「蜻蛉(あきづ)」と発音が同じなので、本州の別名となっている次元では、稲の精霊としての「蜻蛉(あきづ)」が意識された豊祝による命名と考えられる。S331  (なお、吉田孝『日本の誕生』(岩波新書)は有益。)

吉備の児嶋以下は瀬戸内海航路及び遣唐使の寄港地。大陸往来という新時代の観点によるとの感が強い。S32

・国土の上に自然神・文化神を次々に生んでいく。人間生活における環境が文化の表象である。古代の宗教的儀礼と深い関係を背景にもつものが多い。S32・・JS:「国」を領有したら、次にそこを担当・支配する「神」(実際にはその「神」を祭る司祭者か)を任命していった、ということであろうか?

大八嶋国:孝徳記白雉元年に「大八嶋」、祝詞(のりと)・宣命(せんみょう)に「大八嶋国」、公式令(くしきりょう)に「大八州国」とある。S31・・①その細かい違いの意味は? ②沖縄と北海道が入っていない。「日本」は時代によって伸び縮みする。当時でも例えば九州南部や本州の山中が入っていたかどうか。

伊耶那岐(イザナキ)の神:「岐(き)」は男性を表わす。神代紀上では「伊弉諾」で「諾」は「なき」で清音。別天つ神の命令を受けて「命(みこと)」となる。最後は『古事記』では「淡海」の多賀に鎮座。『日本書紀』では幽宮(かくれのみや)を「淡路」の洲(くに)に作った、とある。「淡海」は「淡路」の誤記か? しかし『古事記』では必ず「淡道」と書き「淡路」とは書かない。(誤記ではない。)そこで「海」とさかしらに改字したとわかる。ではなぜ「淡海(滋賀県)の多賀」に祀られたとしたか? 近江の八州(やす)の多賀の大神は太陽神。太陽が西に沈み翌日新しい生命の輝きをもって上昇する、その「若返り」のために夜隠れている。「宮」はその場所。近江には「日𠮷(ひえ)」「日野」など太陽に因む地名が多い。イザナキ大神は海人族(古代漁民集団)の奉祭神。結局アマテラスの祖神として定着せしめられたのだろう。S326~327

伊耶那美(いざなみ)の神:生産豊饒の神。死後黄泉(よも)つ国で人間の死を掌る「黄泉つ大神」として登場する。S327

 

(4)      B岩波文庫『日本書紀』から

イザナキは天神の性格を持ち、原始的な狩猟採集民と府県的な遊牧民との文化に属する。イザナミは大地母神の性格を持ち、農耕ことに稲作民俗に関係を持つ(沼沢喜市)。但し天父と地母の分離という世界開闢神話の姿は取っていない。B326

・「天神」は、『日本書紀』のここでは高天原にいる神。天神は、もと、中国で神としての天そのもので、帝王が人鬼・地祇と共に祭祀する対象。昊天上帝(こうてんじょうてい)を主として日月星辰風師雨師を含む。日本には、中国で言うような天神は本来無かった。B27

・内陸アジアに、波の泡から最初の神が生まれたという伝承がある。B327蒙古語族カルミュク族の神話では原初の海洋に泡ができ、この泡から全ての生物・人間・神々が出現した。また蒙古人の他の伝承では、天から降った神が一本の鉄棒で原初海洋をかきまわすと、液体の一部がかたまって大地になった。B332

天浮橋:船を並べて上に板を置いた橋。ここでは、ハシは梯(はし)。当時は天地の間に梯子をかけて往来するという観念があった。B23虹の橋の観念は朝鮮、台湾、アッサム、中国、ポリネシア、インドネシア、蒙古にもある。B329

国中の柱:一書第一では「天柱」、記では「天之御柱」。雲南省の苗族が春末祭りで柱を立てる。貴州の狗耳という部族は春に鬼竿という木を立てて男女が旋り踊って相手を択ぶ。婚姻儀礼だろう(松本信広)。B25

・『古事記』の「あなにやし」は、『日本書紀』では、「あなうれしゑや」「あなにゑや」などと訓んでいる。漢字も異なる。(字体が難しいのでここでは書かない。)

蛭児を淡路島付近の暗礁と見る説もあるが、「干(ひ)る」は奈良町では神に暗で連体形は「フル」ゆえ「潮が干(ひ)る子」とはならない。B29

・太占(ふとまに)に近い肩胛骨占いは、北方ユーラシア、内陸アジア、北米北部に分布。我が国では弥生時代から。B333

・「越洲」は能登半島が島だったからだろうとの説もあるが、海抜高度・地形から見てあり得ない(紺野義夫)。B29

佐渡島は古くは二つの島があった。少なくとも氷河時代までは海峡があった。(歌代勤)B33

・大八州の国生みの説話は、天皇登極の「八十島祭」と関係がある。B25八十島祭は難波で行われ、目の前に淡路島がある。難波には葦が多く生える。B332

8を聖数とするのは、北米先住民(インディアン)のナファ族、ポリネシアのイースター島など。B329

『日本書紀』本文では、まず、淡路洲(あはぢのしま)→「意(みこころ)に快(よろこび)ず」とある。次に、豊秋津洲(とよあきづしま)→伊予二名洲(いよのふたなのしま)→筑紫洲(筑紫の島)→億岐洲(おきのしま)・佐度洲(さどのしま)→越洲(こしのしま)→大洲(おほしま)→吉備子洲(きびのこしま)→「是によりて、始めて大八州国(おほやしまのくに)の名起(おこ)れり」→対馬嶋、壱岐嶋、処々の小嶋(をしま)は「潮の沫(あわ)が凝(こ)りて成れるもの」、「亦は、水の沫の凝りて成れるともいふ」とある。この順番は『古事記』と異なる。また淡路・本州・四国・九州などなどは『古事記』では「嶋」だが『日本書紀』では「洲」になっている。対馬や壱岐は「嶋」になっている。どういうことか?

 

(5) 参考(当ブログ『古事記』(1)にも既掲載。:山田宗睦「『記紀』の原典を探る」(別冊歴史読本「『古事記』『日本書紀』総覧」新人物往来社、1989年6月)(146頁以下)を紹介する。別冊歴史読本は、日本史オタクの中高生が読む雑誌だ。山田宗睦は尊敬されている人。

 山田氏は、『古事記』『日本書紀』には「もとの本」(原典)があったと思う、とし、その原型を想像している。第一に、諸氏の天皇記や物語。第二に、史料として利用された内外の文献。第三に、文飾のため利用された多くの中国文献。だが、それら以外に、「もとの本」があった。

 それは、大和朝廷以前に北九州に存在した倭国の歴史と史書だ。まず倭国があり、倭国史書を作った。のち大和国が成立し、倭国などを統一併合した。その支配の正統性を示すために、倭国史書を取り込み、「記紀」を作った

 さらに、もっと前がある。

 隠岐、壱岐、対馬、姫島、五島列島、沖ノ島など朝鮮半島と九州との海峡の島嶼(とうしょ)には「アマ・・」の名がついており、これを「アマクニ(天国)」と呼ぶ。天国神話で日神(ヒルメ)、月神、ヒルコとされたものが、天皇家の高天原神話ではアマテラス、ツクヨミ、スサノヲとされた。

 オオタマルワケ(大国)を「記」は大嶋と書き「紀」は大洲と書く。洲をクニと読んで出雲の西南、石見の北東にあて、その主を大国主命と見るのは古田武彦この大国の版図は出雲(大国)と朝鮮半島南岸と筑紫に広がっていただろうと古田は論証する。「記紀」の葦原中国は、この大国のことだ。『古事記』のいわゆる「出雲」神話は、この大国=葦原中国の神話

 すると、倭国史には、①天国史・神話と、②大国史・神話とが、別々にあり、③天国と大国の統合史・神話が、記された、と考えられる。①が国生み神話と高天原神話、②が葦原中国(出雲)神話で、③が国譲り・天孫降臨神話にあたる

 天国が大国(の筑紫)併合を行った。その逆ではない。天国の神が天神、大国の神が国神。天孫降臨は、海の彼方から天国の神が筑紫へ上陸してくる形。

 「もとの本」では、夫(ニニギ)が天国から筑紫へ上陸したがすぐ死んだ(神功記で仲哀天皇がすぐ落命)、妻(カシツヒメ)が筑紫一円を平定(神功記)、子(ヒコホホデミ)が筑紫を拠点に九州一円を平定、という話が続いていたと考えられる。

 刺激的な視点だ。古田武彦の考察に多く拠っている。古田武彦は『邪馬台国はなかった』『幻の九州王朝』などの著書で一世を風靡した歴史家だ。古田史学という言葉すらある。

 今の歴史学や考古学から見てそれらの当否がどうか、を判定する学力は今の私にはない。

 

(6)付言

 戦前は義務教育では日本の歴史をイザナキ・イザナミ二神による国生みから教えた。旧制中学の校歌にもあった。石器時代など教えなかった。だが高等教育(大学など)では石器時代なども教えた。つまり教育と研究の最前線が分離していた。一握りのエリートには真実を教えるが、一般大衆は兵士や工員になって使い捨てればいい存在だから真実を教えなくてよい、と考えていたのだろう。一種の愚民化政策だ。

 戦時中は旧制中学では英語を教えなかった。中学生や女学校生は学徒勤労動員などで軍需工場で働いていて、英語などやる時間が無かった。どうせ兵隊になって20才までに死ぬと思っていた。対して、海軍兵学校などエリート養成機関では、英語を教えた。敵の暗号を読み解く必要のためだし、敗戦を必至と見抜いていたので、アメリカ軍に占領されてから対応・交渉する人が一定数必要と見越していたからだ。(敗戦で退職金も出た。)ここでも一部の超エリートとそうでない人の受けた教育・待遇が異なっていた

 戦後は、その反省の上に立ち、研究の第一線を義務教育にも反映する。考古学上の発見があり学説が変われば教科書も変わる。民主主義」では一般の「国民」こそが「主人」であるから、愚民化政策ではダメだからだ。

 現代の私たちは、自ら愚民化に陥ってはいないだろうか? では、それを脱し賢良な国民になるためには、具体的には何が必要だろうか?