James Setouchi
2026.1.2
NHK「西本願寺 伝統と葛藤 密着〝国内最大〟の寺」(2025.1.1(木)(元旦)夕方5時10分~6時)を見た。
(内容の概要)
西本願寺は親鸞ゆかりの浄土真宗の寺で、長い歴史があり、本山(京都)は大きく、国宝もずらりと並ぶ。信者(門徒)は800万人と国内最大。各地の寺からの上納金(?)が支えてきた。
だが、
各地の寺が、人口減少・過疎化で、維持できにくくなっている。檀家が激減している、法事には高齢者が4人しか集まらない、シロアリの食った柱を直せないなど。仏教に関心のある人も減ってきている。従来通りのやり方ではいけないのではないか? 親鸞の教えに従い、お守りや御朱印は発行していない。
では、どうする?
・悩み多き現代を生きる人の支えになる語り方に変える
・親鸞の言葉をわかりやすく現代の人に分かる言葉に直し、SNSで発信する
・「ヤンキーと僧侶」というマンガを書く
・とにかく関心を持ってもらうとっかかりを作る
・全国の寺からアイデアを持ち寄って話し合う
・お経を、わかりやすい現代語に訳して、法要で使う
・お寺で、入場料をとってミュージシャンのライブをする(僧侶としても初体験だが・・)
・手を合わせて拝む子どもの写真コンクールをする(祖父母が安心する)
・寺じまい(廃寺にする)を試みる(檀家に反対された)
などの試みがなされている。
あるご住職は末期癌になり命をかけて門徒の前で話をした。死はむしろ楽しみだ、と。三日後にご住職は亡くなった。
京都の西本願寺で、信者(門徒)たちが盛大な盆踊りや掃除の奉仕活動をしてる映像を示して、番組は終わった。
(JS感想)
NHKが頑張っていた。西本願寺は協力的だった。西本願寺が努力している姿が見え、いい番組だった。
なお、西本願寺が浄土真宗本願寺派、東本願寺が真宗大谷派。もとはひとつだったが、徳川幕府の政策で二つに分けられた、と私は理解している。親鸞を継承するグループに高田派などもある。
上記の窮状は、田舎の神社でも同じことだろう。過疎化で支え手がいない、予算がピンチ、神社は白アリが食う、後継者(宮司さん)もいない。どうすればいいのかな? 寄付を集めて神社を修理するのではなく、その寄付で神社じまいをしよう、という意見を見たことがある。なるほど・・・だが・・・?
親鸞の教えは(法然の教えも同じだが)阿弥陀様はだれでも救う、というものだ。「本尊の前で手を合わせて頭を下げて」と言われたら手のない方は泣きますよ、とあるお坊さんが言っておられたが、全く同感だ。何もできない無力な者をも救いとってくださるので、阿弥陀如来は有難いのだ。(私にとっても。)
私的な感傷だが、昔、大阪の四天王寺を夕刻に訪れたら、しまっていた。夏の蒸し暑い日にそれまでの行程で疲労がたまっていた上に夕立まで降り出したのに耐えながら頑張って行ったのに、ちょうど閉められたところで、残念だった。がっくり来たが、西門(西方極楽浄土の東門と正対している)に行くと、阿弥陀如来が立っておられた。そこは方々から見捨てられて行き場のない者が集まるので古来有名なところだ。私は、四天王寺のような格式の高い寺には入れてもらえず(四天王寺がいじわるをしたわけではない、念のため。係の人が仕事で定刻に閉めただけだ)、どんな人をももれなく救い給う阿弥陀如来に救いとられるべき人間なのだな、と改めて感傷をいだいた次第だ。
もともと法然や親鸞がいた時代には巨大な知恩院や本願寺もなく、当然寺に「国宝」「重文」などなかった。蓮如が本願寺を継承した時にも、他の寺の方が勢力があり、本願寺は風前の灯火だった。それを蓮如が教勢を拡大したのだ。さらに幕府や朝廷に保護されて今の形の基本ができた。これらのことは知られている。明治の廃仏毀釈や戦時中の思想統制で厳しい状況に追い込まれたこともあった。「いつでもピンチだったんだ」とあるお坊さんが言っておられたが、そうかもしれない。
法然や親鸞が(道元もだが)弾圧されて地方にいたとき、今と同様の巨大な本山はなかった。それが本来だしそれでいいという見方もあるが・・・? 寺という建物よりも大事なのは仏の教えだ。寺がなくても教えが伝わればいいではないか、という立場もある。だが・・・?
(突然ですが、ここで問題です!
次のうち、本当は要らないものは、何でしょうか?
A 巨大な大寺院や神社 B 野球やサッカーなどの巨大なスタジアム
C 独裁者の巨大な宮殿と像と墓 D 巨大な核施設
E 巨大なビル、超高層建築で世界一のもの F 巨大な空母
・・・・・
さて、正解は何でしょうか?
正解は、ABCDEF全てです! 全部、要りません!
Aは、道元も親鸞も本当は巨大な伽藍(がらん)なしで修行や布教をしました。神社も本来はなかったのであって、信仰心があることの方が大事ですよね。
Bはもちろん要りません。成熟社会においてはスポーツは世界一を目指す必要はなく、歩いて行ける場所にある、生活者の役に立つ小さな広場や公園やグランドの方が大事です。
Cはもちろん要りません。古代の聖なる帝王、帝堯は、小さな家に住みました。像も要らないし墓も小さくてよろしい。
Dはもちろん要りません。あればそこが危険になります。核兵器基地だけではなく核発電所も同じです。核施設を持つ国はその数だけ危険が増大します。ウクライナ・ロシア戦争で、原発が狙われたのをまざまざと見ました。平和交流の方が大事です。
Eも実は要りません。何百メートルもあって電気が止まったら階段で上下します。豪雨で下水が逆流して遡り上階から降りてきたら大変です。地震大国なので本来ダメです。戦争になったら爆撃されます。かつ、人間は大地から離れて暮らしたら大事な感覚を忘れてしまうのですよ。庭付き平屋か二階建ての住宅を配給してはいかがですか? もちろん、東京一極集中は改めます。(大阪副首都構想にも反対。)
Fはもちろん要りません。今日の戦争では、高速のミサイル攻撃・魚雷攻撃によって空母(速度が遅い)はあっさりと沈みます。しかも浅瀬に接近できません。不便です。素人が考えても分かります。真の防衛は平和交流で。
というわけで、A~F全て、実は、要りません。ない方がいいのです。まして税金を投入してそれを作るなど、言語道断。真面目に暮らしている普通の人間(大地にしがみついて暮らしている)に対して、失礼な話です。強いて言えば、Aは辛うじてあった方がいいかもしれません。真の信仰に入るきっかけになるかもしれないからです。釈尊はしかし像法(カタチだけ仏教が栄えている)の時代は本当は正法(真実の仏教が栄えている)の時代とは違うのだ、と言われました。みなさんは、どのようにお考えになりますか? 以上クイズ終わり。)
(もとに戻る)
では、その教えがいかなるものか? と言うと、私は不勉強でよくわかっていない。お坊さん方は勉強しておられるだろうが、私は、法然と親鸞の違いや、本願寺派と高田派の違い、本願寺でも東と西の違いなど、わからない(知らない)。念仏ひとつで阿弥陀様から救済が来る、だれでも救われる、という基本は同じだろうな、というくらいしかわからない。浄土門でなく聖道門や初期仏教の教えならどうなのか、などもよくわかっていない。当然キリスト教とどうかなども。(ややこしいことはわからなくてもいいよ、と法然は教えている。)
現代の人は、
病気やけがの時は寺でなく病院に行く。
仕事を探すときは寺でなくハローワークに行く。
お金がないときは寺でなく生活保護課に行く。
勉強したいときは寺でなく教育委員会やどこかの学校に行く。
物事の因果関係は、仏教の因果や縁起ではなく科学的法則で説明されて納得する人が多い。
地域コミュニティで仲間が欲しければ宗教抜きで会合に参加できる。
趣味のサークルは寺でなくてもできる。最近は若い人にはサッカーやダンス、音楽ライブが人気だ。
では、お寺の役割は?
死について安心立命をあたえる、というのは、わかる。上記番組でもやっていた。
だが、死をあまり意識しない元気な若い人の場合は? 現代の悩みは死の悩みだけではない。
そして、その寺の教えが浄土門(上記なら親鸞の教え)でないといけない理由は?
私見だが、寺や塔を建てる、お経を写して配布する、貧しい人びとに与える、苦しむ人の病を治す、戒律(不殺生、不偸盗、不妄語などなど)を100%守り抜いて清らかに生きる、などの修行(利他行を含む)ができない(できないよね、当然・・)凡人(凡夫)も、極楽浄土行きの指定席券を与えられて、この世を胸を張って生きていくことが出来る。(この世がどうでもいいというのではない。この世をも大事に生きるだろう。)極楽浄土に行けば、そこでは阿弥陀如来の元で、会いたかった人と再会できる(「倶会一処=くえいっしょ」の解釈は微妙に異なるそうだが正確には知らない)楽しい学びの日々が待っていて(世界中の仏国土に瞬時に行って学べると言う)、次は必ず仏になれると言う。仏になればそこが上がりだが、思いのままに自分の仏国土を作って他者救済も出来ると言う。たいへんありがたい教えではないか。
(わかりやすい喩え:高校時代に憧れの大学への指定校推薦の合格切符をもらった。残りの高校生活を胸を張って希望に満ちて生きていける。晴れてその大学に進学すれば自由自在にいくらでも勉強が出来、必ず卒業できる。卒業が上がりだが、その気になれば身についた実力で大いに他者救済が出来る。・・現実の大学への指定校推薦はそうでもないようだけど、それはひとまず措こう。)
全くもって私的な感想だが、像で拝見すると、親鸞聖人は厳しい、鋭いお顔をしておられる。私の母方の曾祖父に似ている。若い頃は親鸞聖人のお顔が好きだった。(顔の印象だけの話で、本当は優しい方だったとかは別とする。風雪に耐えて暮らし、さらに善鸞を義絶したからこそ厳しい顔になるのか、あるいはそれを越えて穏やかな人格になるのか。)法然上人は円満な穏やかなお顔をしておられる。(己に厳しい方だったはずだが。)私の父方の祖父に似ている。年を取ってからは法然上人の穏やかなお顔の方が安心できるので好きになった。
問題は、過疎化・人口減少で地方のお寺が維持できない、という点と、仏教(ここでは浄土真宗の教え)が現代人に理解されにくい(興味を持って貰えない)、という点と、二点が組み合わさっているような気がする。二点とも、経済基盤が揺らぐ、という同じ結果をもたらしている。
アメリカのキリスト教会ではカリスマ宣教師が大集会を開いて熱狂的な信者を集めているとか。もちろん映像も使う。(サッカーやライブで熱狂するのと同じでいいのだろうか? それも怖い)
タイやラオスに行けば現代も生活の中で仏教が生きているとか。
ベトナムにも仏教寺院がある。スリランカにももちろん。
インドに行った日本のお坊さんが、差別された人びとの生活上の悩みに立ち会い、場合によっては日本に留学・就労で送り込み、非常に感謝されているという例を聞いたことがある。
海外布教した宗派もあるが・・?
もちろんカルトは警戒すべきだが・・?