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James-kozoのブログ

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【入浴無料】ワイルドビレッジドラム缶風呂の使い方マニュアルです。このお風呂は利用者が自分で準備するルールとなっております

★ドラム缶風呂の使い方で一番重要なのがここです

【排水バルブを後ろに向ける】

↓このバルブを前に向けてお風呂を焚くとバルブのつまみが薪の炎で溶けます。ドラム缶は無料で貰ったものを有効活用していますがこの部品だけは高額です。一番最初に確認願います

バルブを後ろに向けるもう一つの理由は排水のためです

水を抜くときは薪小屋の後ろに置いてある塩ビ管を軽く差し込みます。これで森の外の用水路方向に排水できます

【位置決め】

ブロック上の位置はこれくらいが理想です。後方の排水バルブはコの字型に置いたブロックの上です。これなら炎は当たりません。台座の周囲に落葉がたくさん積もっているときには防火のため清掃をお願いします

井戸は昔ながらのポンプと水道の蛇口の両方使えます。お好きな方で水を汲んでください。この井戸はワイルドビレッジの開拓団が掘ったもので一発で名水の水脈に当たりました。井戸ポンプは頂き物を再生。このお風呂に入ると運気上昇間違いなし

水はこの線が基準です。尚、防火と湯温調整のために水を満たしたバケツ2個をドラム缶風呂の前に置いて下さい。

こちらの「ダブルドラム缶風呂」は2つのドラム缶を溶接して容積を拡大した特製品です。身長2mでも入浴可能。あるいは混浴、親子浴などもOK。ここワイルドビレッジではタトゥーもまったく問題ありません

水が入ったらフタをして薪に着火して下さい。井戸の水は冷たいので左のドラム缶風呂は約2時間、右側が1時間ほど焚くと適温になります。その際、炎が外側に高く上がらないよう調整を。なるべくドラム缶の真下で燃えるように焚くのがコツです。炎が外側に上がるとテーブルやフタが焦げます

★初心者の方は薪が燃えている間このエリアを離れないようお願いします★

スノコはお風呂に入るときでも焚く前でもお好きなタイミングで水に浮かべて下さい。入浴時は足で沈めながら入ります

水面のゴミはこの網で除去できます

テーブルを設置。ここに缶ビールなど置くと絵になります

火吹き棒、バケツ、着替えを入れる籠、脚立、ホースは薪小屋の右側に入っています。自由にお使い下さい

翌朝の排水はこういう感じですが朝風呂も入れます。その際は30分くらい焚くと適温になります

使い終わったらこの置き方でお願いします

↓この置き方は不安定で危険。また外側の塗装面を傷つけて錆びの原因にもなるのでNGです

水漏れを発見したときはスタッフまでお知らせ下さい。定期的に補修を行ってます

井戸とドラム缶風呂はビレッジの南側にあります

それではドラム缶風呂を満喫してください。手ぬぐい、テンガロンハット、サングラス、缶ビール、葉巻などあるとカッコいい写真撮れます。夜は灯油ランタンがあるとムード出ます

風呂に入りながらの昼酒もサイコーです。読書やBGMもあり

女性キャンパーにも人気あり。追い焚きのご用命はビレッジのドラム缶風呂担当通称「バスロマンズ」をスマホで呼び出して下さい。30秒以内に駆けつけます

風呂の名称は、右がワイルドスピリッツNO,1  左がNO,2です。通常のドラム缶を使っているNO,1は身長180㎝以上あると肩までお湯に浸かれません。膝が引っ掛かるんですと。その際はダブルドラム缶風呂のNO,2をお使い下さい

 

みんなで植えた稲が今年も実りました

米作り20年。今年はトイレが完成して初めての稲刈りキャンプとなりました

一夜明けて天気よし  秋晴れですなあ

まずは草刈りトニー。オールドレンズの性能が際立つ1枚。スーパータクマー105mmF2.8 M42マウント

近年は雑草の成長を抑える農薬を1度だけ使っています。それでもこれだけ草が生えてきます。今の農薬は昔と違って極めて安全。一世代だけ雑草を生やさない働きをしたあとその成分は土と水に分解されるので土に残留しません。ゆえにまた草が生えてくる。我が国の研究者の皆さんは日本の環境のために努力して下さってます。ノーベル賞の数はダテじゃない。だからこの田んぼにはメダカもザリガニもカエルも棲んでます。ちなみに完全無農薬にすると雑草はこんなもんじゃなく収獲は半減します。そう考えると韓国や中国の米は怖くて食えねえよな。反日国家だしノーベル賞とはほぼ無縁な国だし。どんな農薬使ってるか分かったもんじゃねえ。高額で効果の弱い農薬を環境のために使うほど志が高いとは思えぬ。画像はブラザーユージ

子供たちは小川の生物の観察に夢中。ここは夏になるとホタルも飛ぶ

スターダストファームには古来から続く高麗郷の自然が残っています。ちなみに我が家の先祖は高句麗からの渡来人。田んぼのオーナーも渡来人の子孫という奇遇。不思議なことがあるもんです。俺たちはこの豊かな自然を後世に伝えたい

水辺の野草を撮影。俳句の季語にもなっている「赤まんま」まさに今の季節の野草。思わず一句

「みちくさの赤のまんまや咲き誇る」  Jamesタナベ

ツチガエル発見  子供が見つけました。自然の中にいると観察眼も鋭くなるようです。よく見つけたなこれ

あぜ道を走る少年  いい風景だなあ。子供たちにはこういう体験をさせたいんだよな。この子はビレッジのキャンプの夜にムササビを見つけた少年。あれからずっとヒーロー

子供たちは自分たちの植えた田んぼに向かう。手には鎌を捧げ持つ。道具を大切にすることも教えています

大人も田んぼの角から手刈りを開始。この雑草の多さが微農薬農業の証

余談ですが、プリンターの再生トナーが「再生なのに値段が高い」と声高に批判するひといますがそれは間違ってます。再生品は高くてあたりまえ。それだけ手間がかかってる。環境を大切するということはカネをけちることではありません。その逆です。カネも手間も惜しまないということです。といっても決して大した値段の差はないんだよな

そしてコンバインガールズ現る その①

コンバインガールズ現る その② 2人とも大型2輪免許を持っているのでコンバインも難なく操縦

袋詰めした玄米を担いで運ぶマーク。まだ水分が多いので重さは50キロくらいある

合計16袋を収獲 今年は70キロ収獲が増えました。さて次は乾燥。この米ホント旨いぜ!

稲刈り参加者の記念撮影。皆さんお疲れ様

稲刈りは午前中に完了。畑の野菜を見に行くと秋植えジャガイモが絶賛成長中。里芋とサツマイモはもうじき収獲

昼はびっくりラーメンのチャーハンセットで大満足。塩分ミネラルの補給バッチリOK。コンバインガールズも同じメニュー完食。この店はスターダストファーム推奨のラーメン屋さん

これだけ遊んでもまだ半日残ってるぜ。さあて午後はなにやるか

50年前に叔父が連れてきてくれた宮城県牡鹿半島 十八成浜(くぐなりはま)。ここは鳴き砂の砂浜です。いつかまた行きてえなあとつぶやいていたら息子が旅行を計画してくれました。車に乗ってあれこれ昔話をしているうちに仙台、石巻、女川と過ぎて牡鹿半島へ。投稿が前後しちゃいますがこれは8月の旅行

レンズはスーパータクマー105mmF2.8(1962年発売の初期型)このレンズの初期型は最近ウワサの放射線レンズの前のもので名玉だけにセーフで助かった

50年前は中学生でした。その同じ砂浜に奥さんと息子夫婦と孫と旅行に来れるとは。ここは良いビーチなんですよ。今も海の家は1軒もなし。トイレやシャワーは新築になった。鳴き砂はもう鳴かないけどね。11時になるとキッチンカーが来ました

叔父は高校の教員をしながら写真屋さんのお婿さんとなり当時は女川に住んでいました。写真屋の名前は「女川フォト」。たしか近くに備前屋というスーパーがあった。生まれてはじめて所有したカメラは叔父がプレゼントしてくれたミノルタのカッパ。写真の趣味がはじまった記念すべきカメラ

カッパはカバーのストッパーが破損するまで使い込んだ愛機の1号。次がキャノンオートボーイで、これも動作不能になるまで使い込み、いつも同じような写真しか取れない「広角レンズ」の特性にやっと気づき、そこからPentaxのMEへという流れです

支倉常長公が出航した月浦

泊まったのは民宿めぐろさん。料理が最高に旨い

漁船をお持ちのようです。魚よし酒よしムードよし

おお!貴重な資料が置いてある。じっくり拝読させてもらいました。牡鹿半島は狩りの名所だったそうでこのあたりは伊達政宗もよく来ていた記録あり。政宗の孫の時代に生類憐みの令が出たことにより狩りが出来なくなったと書いてある。当時の60歳以上の人口は1%ですと

早起きして民宿の回りを撮影。同じ地名は奥多摩にもありますね

今日も良い天気

翌日はサンファン館へ。伊達政宗が仙台の船大工を動員して建造させたサンファンバティスタ号の図面あり。マスト長30m、全高48m。当時、遭難したスペイン船の船員を保護して謁見した政宗は「世界最大の船はどれくらい大きいのだ」と尋ね、「これくらいです」とスペイン人が答えると「ではそれと同じものをここで造れ」と造らせたのがこの船です。日本には外洋に出る船は当時なかったので、スペイン人に工法を聞きながら日本の船大工が造ってしまったという当時としては世界最大級の帆船。スペイン海軍の戦艦と同じ大きさでちゃんと大砲まで装備されてる。時に1613年、使節団一行は月浦から中継地のメキシコを目指して出航する

資料館には建造時の様子が詳しく解説されています。材料は仙台藩の木で、船大工と大工も仙台藩で集めた職人たち。そしてこの船は太平洋を横切ってメキシコまで行きまた無事に日本に帰ってくる。その後、鎖国政策となり船は不要となってスペインが統治していたフィリピンへ回航され、頑丈な船だったのでスペイン海軍の戦艦として引き渡され、なんと英国海軍との海戦に臨むことになる。すでに世界は英国の時代となっておりスペイン軍には勝ち目は無かったと言われるが、誇り高きスペイン艦隊は降伏を拒否して英国艦隊へ突撃して全滅するのである。その中の1隻がこの船だ。どうして映画化されないのか不思議なほどドラマチックである。この船は簡単には沈まなかったはずだ。日本の職人たちが造った船だからね

この道具は興味深い

こういうふうに使ったらしい

船員たちの食事の様子。食器は木製なんだな。そして三毛猫がいた。オスの三毛猫は難を避け必ず無事に港へ帰れるとされていました。ちなみに英国でも猫は船乗りにとって幸運の動物だったそうで、あちらは黒猫を大事にしたとか

さて俺たちは埼玉へ帰るとしよう

帰り道は常磐道経由で。無事帰宅。良い旅でした