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日曜日 生クリームはまだ早い

昨日の土曜は、作り置きのため7時に起き、病院で風邪薬をもらう→

1人カラオケ後、食料買い出し→ユニクロに仕事着調達→

夕飯の肉焼いてセルフネイル。

対して動いてないじゃんと思うけど、

根が他動なので、他にも無駄な行動が多い。

 

ユニクロヒートテック、昔と値段が同じな気がする。

8年前のサイズSではインナーが着込めない為、

Mサイズに新調した。悔しい。

 

ネイルしながら、

「成人式の写真撮れてないから撮ろうかしら」

と思った。19歳の頃、私の母は、私の成人式の

ダイレクトメールを勝手に捨てていた。

そんなお金ない、あなたに相応しくないと

無言で言われていたようだった。

着物なんて着なくていいという言葉は実際言われた。

 

さらに遡る。

小さい時に、ショッピングモールの店舗に並ぶ浴衣を、

「大人になったら買ってあげるわよ」

と言われて、私は真に受け喜び、記憶していた。

しかし、高校生の体育祭で浴衣が必要になった時、

「高いから諦めなさい。」と言われ、

結局は、姉がいる友人の浴衣を借りた。

 

体育祭の時も、成人式も、言葉で反抗していない。

多分、とても傷ついていた。小さいとき、約束したのに。

 

成人式の日、私は夜の仕事に出勤し、繁華街は暇であった。

待機室で

「私におめでとうと言って欲しい」と姉さんにねだった。

その時、大好きな姉さんに、

「いつか私が着せてあげる」と言ってもらえた事が嬉しかった。

翌年、私は実妹に振袖資金を提供し、成人式に出席させた。

 

人生は短編小説ではないため、ここで綺麗には終わらない。

その後、私は何年も、お着物を着て笑う若者に嫉妬し、目を逸らし続けた。

当時、夜の仕事を選んだのも、

自己肯定感の低さと両親への当てつけであった。

その後、学生へ戻り、社会人になっても

私は私の体と心を使い復讐を続けた。これは

自分の心身を酷使する為、手応えがある。やめられなかった。

 

母は数年前から脳梗塞を患い、

特別養護老人ホームで車椅子生活をしている。

その前に父も亡くなり、今はもう憎んでいない。

むしろ母を、我が子のように思う程である。

 

でも、あの時の泣けなかった私は置き去りだ。

母が、私宛のダイレクトメールにしたように、

私は自分の傷を見なかったことにし、悲しみに蓋をした。

記念写真の事を考えていた時、それを思い出して

道を歩いている最中に、泣けてきた。40代の中年である。

 

私はもう、自立している。

もし、私自身が、私の友人だったら、記念写真を撮らせる。

だから、怖くて悲しかった振袖を着て、写真を残してみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

金曜日 休憩無し

シティオブエンジェルのサントラが届いた。

サラマクラクランのエンジェルは、

ヘロイン中毒のロック歌手に向けて歌われた歌詞。

そのため、翻訳には、多くの解釈がされる。

 

サラのアルバムの翻訳は、比較的直訳に近い。

シティオブエンジェルのサントラは、

より汎用でドラマチックな和訳。

 

同じアーティストの同じ歌で、

挿入先によって訳を変える丁寧さに感動している。

サントラの和訳を見たときに、

サラのグレーで澄み切った詩に感動したのを思い出した。

 

孤高の歌姫は、多くはロックに仕上げたがる時期がある。

ヒップホップを取り入れたり、エレキ強めの音になったり。

しかしサラは比較的、アコギやピアノメインで、

眠れるメロディーに一貫している。

アイルランドの歌手だと思っていたがカナダの方と後から気づいた。

10代に触れた海外アーティストの和訳が、中年の私も感動させ、癒している。

 

 

 

木曜日 風邪治りかけ

今年はよく風邪をひく。人混みに行く事が多かったかも知れない。

この年では、熱が出なくたって、かなりこたえる。

職場の休憩室で寝て、帰ってきたら、

いつもの、ひまわりの種のオヤツタイムを無くし、

ご飯食べてすぐ横になる。21時には睡眠薬を服用。

仕事して食べて寝るだけの生活。

 

サラ・マクラクランのCD無事届いたけど、

和訳が思っていたのと違う。

そのため、シティ・オブ・エンジェルのサントラも取り寄せた。

オリジナルアルバムとサントラごとに、

和訳変える事なんてするだろうか?と思いながら。

 

中古CDはどちらも送料込みで数百円、お菓子位の値段。

確か、エンジェルの和訳には

「あなたは噓をつき続ける。すべての(もしくは「あらゆる」)・・ために」

というワードが入っていた筈。

思い違いだとしたら、その解釈をした私には才能があったのだ。