火曜日 劣等感
プライドは高いが、自己肯定感がなく劣等感が強い。
褒められるとどうしていいか分からなくなるし、
あしらわれると消えてなくなりたくなる。
自尊心の低さは、謙虚という表現をこねくり回し、
いつからか、自ら癖づけたものかもしれない。
褒められ、嬉しくなり、そこから叩き落されるのが怖い。
でも、地にめり込んでいたら、叩かれることもない。
「嬉しい幸せ」や「平穏な今」、「穏やかな人間関係」を失うのが怖い。
だからいつでも、穴蔵に帰れるように、
頭を出すか出さないところに、私は居る。
月曜日 12月始まり
日中眠かった。昨日疲れていたのに、あまり眠れなかった。
色々思い出して、興奮したのかもしれない。
着物フォトを撮ろうと、今までした事がないアクションをした。
自分の希望を伝えて、予定を立てる。
19-20代の時は、自分の希望のみ伝え、
相手に合わせることはしない、と相手を拒絶した。
30代以降は、自分の望みを伝え、
相手が吞まないと機嫌を損ね、態度で相手をコントロールした。
30代後半は、自分の望みがわからなくなった。
好きな人を思いながら、彼が気に入るであろう自分を演じた。
長いこと、「こんなことがしたい」を自己完結で終わらせることしかしてこなかった。
旅行も、食事も、休日も予定も。
友人と会う時は、こちらが合わせた。付き合った彼氏には、合わせさせた。
お客なのに、問い合わせるだけで不安になり、年齢の負い目を感じる。
でも、撮影なんて、芸能人みたいだなと、わくわくもする。
日曜日 生クリームはまだ早い
昨日の土曜は、作り置きのため7時に起き、病院で風邪薬をもらう→
1人カラオケ後、食料買い出し→ユニクロに仕事着調達→
夕飯の肉焼いてセルフネイル。
対して動いてないじゃんと思うけど、
根が他動なので、他にも無駄な行動が多い。
ユニクロヒートテック、昔と値段が同じな気がする。
8年前のサイズSではインナーが着込めない為、
Mサイズに新調した。悔しい。
ネイルしながら、
「成人式の写真撮れてないから撮ろうかしら」
と思った。19歳の頃、私の母は、私の成人式の
ダイレクトメールを勝手に捨てていた。
そんなお金ない、あなたに相応しくないと
無言で言われていたようだった。
着物なんて着なくていいという言葉は実際言われた。
さらに遡る。
小さい時に、ショッピングモールの店舗に並ぶ浴衣を、
「大人になったら買ってあげるわよ」
と言われて、私は真に受け喜び、記憶していた。
しかし、高校生の体育祭で浴衣が必要になった時、
「高いから諦めなさい。」と言われ、
結局は、姉がいる友人の浴衣を借りた。
体育祭の時も、成人式も、言葉で反抗していない。
多分、とても傷ついていた。小さいとき、約束したのに。
成人式の日、私は夜の仕事に出勤し、繁華街は暇であった。
待機室で
「私におめでとうと言って欲しい」と姉さんにねだった。
その時、大好きな姉さんに、
「いつか私が着せてあげる」と言ってもらえた事が嬉しかった。
翌年、私は実妹に振袖資金を提供し、成人式に出席させた。
人生は短編小説ではないため、ここで綺麗には終わらない。
その後、私は何年も、お着物を着て笑う若者に嫉妬し、目を逸らし続けた。
当時、夜の仕事を選んだのも、
自己肯定感の低さと両親への当てつけであった。
その後、学生へ戻り、社会人になっても
私は私の体と心を使い復讐を続けた。これは
自分の心身を酷使する為、手応えがある。やめられなかった。
母は数年前から脳梗塞を患い、
特別養護老人ホームで車椅子生活をしている。
その前に父も亡くなり、今はもう憎んでいない。
むしろ母を、我が子のように思う程である。
でも、あの時の泣けなかった私は置き去りだ。
母が、私宛のダイレクトメールにしたように、
私は自分の傷を見なかったことにし、悲しみに蓋をした。
記念写真の事を考えていた時、それを思い出して
道を歩いている最中に、泣けてきた。40代の中年である。
私はもう、自立している。
もし、私自身が、私の友人だったら、記念写真を撮らせる。
だから、怖くて悲しかった振袖を着て、写真を残してみようと思う。