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金曜日 冬の断片

4年前、元旦に脳梗塞になり、母は右半身麻痺となって、

70代という若さで、特別養護老人ホームへ入所した。

 

正月は、私が帰ってくるから、と、救急車をぎりぎりまで呼ばずに耐えていた。

 

ハーセプチンを打ちながら、髪が伸び始めていた私は、

痔や排便コントロールに悩まされ、

リュープリンとタモキシフェンの副作用が出始めていた。

治療しながらの仕事、不安定な状態から、

母が倒れ、私は自責の念に駆られ、毎日悲鳴で目を覚ました。

通勤も退勤も泣いて、車や電柱にぶつかったことも何度かあった。

 

母は、施設を嫌がった。リハビリ施設で、

コロナでガラス越しに話し合いをした。

私が、母に、家へ帰してあげれなくてごめんね、と泣いて言ったら

母は、「分かった、決めた。施設に入ります」。と言い、

私に、「大丈夫大丈夫!」と手を振った。

 

あんなに憎んだ母、許せなかった母、

それでも私のお母さんであった。それも辛かった。

 

母の実の兄である、私の伯父は、

何もできない私に代わり、手続きをしてくれた。

今でも毎週、高齢の伯父を見に行っている。

恩人であり、おおらかな人柄の伯父は

「もしこの人の子であったら、ぐれなかったろうな」と思わせるような人である。

父とはウマが合わず、最後まで、会話をしなかった。

木曜日 ずっと居た

自分を困らせるザワザワ不安感。

それは幼少期から自分を守ってきた防衛本能であるという。

 

橋本翔太著の「わたしが「わたし」を助けに行こう」を読んでいる。

時々涙が出てくるが、職場の休憩室のため、こらえる。

 

本の中に出てくる、自分を過剰に守るナイト君。

まだまだその感情と向き合い、解決することは難しいが、

名前は容易に思いついた。

 

過剰におびえる、まだ子供のゆかり。

感情的になると暴れる、20歳前のとも。

 

昔から、私は一人で自分の中に名前を付けて話していた。

トイレの中、布団の中、一人の時にそれは出てきた。

私の妄想癖、イマジナリーフレンド、色々な言い方はできた。

 

30代の頃、高校時代から飲んでいたデパスを無理にやめてから

突然、暴走し始めた。もう、ゆかりやともの姿ではなくなって

恐怖と不安と、パニックに近い胸のざわざわを感じてからは、「敵」になった。

 

消したい。消したい。そうだ。あの時、不安障害に陥ってから、

彼女達は行方不明になったのだ。今更、自分に捜索願を出している。

水曜日 シャンプー

ぐっと冷えた。アパートのゴミ捨て場、実家のトイレ、知らない人とのやり取り。

不安が募ると、目を逸らしたいことを無意識に、少し強引に思い出してしまう。

まるで「本当に不安はないかい?これは?これは気になってなかった?」と

自分が思い出させているように。

今までは、強く拒絶してきた。「うるせぇ、黙れよ。消えろ、消えろ。」

でも橋本翔太著の本で、この声の主は、私が作り出した

私のボディガードのような存在であると知った。

傷つかないように、不安を数えさせる。怖いことが起こっても、予防できるように。

大丈夫だよ、と言ってあげたいけど、絶対に頑固である。

自分との対話とか、ずっとずっと逃げてきた。

癌になる前は、明け方までやってる発展場やバーに入り浸り、

嫁にGPSを付けられるような人々と、毒にも薬にもならない話をしていた。

コンプライアンスは扉の外。暖かくて、ずれた空間。

お酒が飲めないから、煙草を延々吸う。

私以外の女の子も、「家に帰って、どうするのよ」とは口にはしないが、

今、目の前のことにしか言葉にしない、考えない。

私にとって性行為は、まるでお金と時間であった。差し出せば、居場所がある。

どんな手段を使っても。と、私の選ぶ方法は、いつも捨て身であった。

そこまでして逃げてきた私自身に、私は向き合えるのだろうか。