West Side Story (2021) 

監督:Steven Spielberg

  

大満足

1961年版ももちろん好きだけど、2021年版も最高。日本での公開は2022年2月ですが、現在留学中につき現地で早めに視聴!イエイ!

 

 

バーンスタインの音楽とハイテンポな展開に酔いしれているうちに、気づいたら2時間45分があっという間に過ぎていました。

 

①最高の音楽、ダンス、そしてキャスト

 初めて61年版を見た時にカッコ良すぎて度肝を抜かれたオープニングのジェット団のダンス、誰もが一度は耳にしている数々のミュージカルシーンは、2021年版ではかなり現代的なカメラワークと色使いで再構成されています。21年版はハンディカメラの使い方であったりとにかく背景を変えていくスタイルであったり、時代の勢いと元気さがより伝わるかも。ただ色使いという面では、2021年版の方がビビッドなエフェクトがかかっていて高画質な分、シャープで芸術的だった前回よりは画面が散漫になっている印象です。これは人によって好みが分かれる気がします。

 色!色!色!というプエロトリカンと色素薄めのアイリッシュ、どちらも非常にカッコよかったです(やっていることは嫌いですが)。

 ニューヨークの街角、地下鉄、市場、デパートといった数々のセットの中で、よりリアルな当時のニューヨークのイメージが浮かび上がるのは、高予算のスピルバーグ映画のおかげ。

 

 

  ダンスパーティーに警察がいるのは結構やだけどね〜

 

 2020年に本作キャストが発表された際に、かのジョージ・チャキリスが61年版で演じたベルナルド役を宣材写真はどう見てもタレ目の優男ダビ・アルバレスが演じることに不安感を覚えましたが、非常に素晴らしかったです。ジョージ・チャキリスよりもガタイがよく人望もありそうで、むしろ地に足のついた若いプエルトリコ移民集団のリーダーを演じていたと思います。

 

 正直なめてたダビ・アルバレス

 

 トニー役のアンセル・エルゴートに関してはベイビー・ドライバーのイメージしかなく、これといった期待はしていなかったのですが、これがどっこい、歌に踊りにマリアにぞっこんな可愛い笑顔に、私のトニーはどこ?と探してしまう程度には魅力的に感じました。

 

 これまたなめてたアンセル・エルゴート。アントン...!♡

 

 そしてとにかくアニタ役のアリアナ・デボーズが素晴らしい。61年版でも印象に残っているのはナタリー・ウッドでもジョージチャキリスでもなくアニタ役リタ・モレノというレベルにアニタが好きなのですが、本作のアニタも最高です。優しく明るく力強い、アニタが義理の姉になってくれたらいいのにな〜と思わされます(兄なんていませんが)。ダンスパーティーでのダンス、"America"での歌とダンス、そしてベルナルドを失った後の力演、どれもこれも本当に素晴らしく、本作でもアカデミー賞助演女優賞受賞に近いのではないかと推測します。

 

 とにかくアニタが好き!黄色似合う!何着ても似合う!

 

 プロットについては特に原作ミュージカルからも61年映画版からも特筆すべき大きな変更はなく、相変わらず脳を通さないで行動するチンピラたちのシンプルな行動や、惹かれ合う2人のキュートさ、避けられないロミジュリ展開、兄の死という事実から1人早めの回復を見せて未だ傷心中のアニタに気軽に頼み事をする身勝手なマリアの様子などが描かれます。

 強いて言えば、トニーとマリアの文化的ギャップ(言葉の壁、文化や価値観の壁)がよりリアルに描かれることで、それを乗り越えようとする2人の愛の力に感動、そして胸キュンしつつ、この先一緒になるとしたらかなり大変だろうな、と思ったりしたくらいです。

 

 

②本作を2021年に映画化し直す意味とは

 正直これがよくわからないんですよね。

 移民同士の憎み合いと負の連鎖が描かれる本作。ラストで今後争いがなくなりそうなことが示唆されますが、これは散々血が流れた結果の憔悴で争う意思がそがれただけ感が強く、マイノリティ同士が互いを認め合って手と手を取り合ってマジョリティに対抗したり、共存する構図にはなっていません。

 クリエイティブで活気のある美しい映像をありがとう、でもなんでわざわざ?と思ってしまうのです。

 

 現代的な解釈はもちろんされていました。

 例えば

①彼らが話す英語のアクセントがプエルトリコとアイリッシュに忠実で、プエルトリコ人同士はスペイン語を話し、英語に苦労するというリアルな移民の苦労が描かれる(言語の壁がポジティブに働くシーンも多数ありました)

②プエルトリコガールズの"America"の歌詞がより彼女たちの自立性に焦点を当てるように変更されている、

③ジェット団にいる性的マイノリティのメンバーの強さが描かれる、

④アニタがレイプされるシーン(61年版含めこのシーンは本当に嫌い)、ジェット団の女の子がアニタを帰すように懇願する姿勢を強調することで女性同士の連帯を申し訳程度に描く、などなど

 

 それでも、これらの解釈は最低限の現代的解釈といった感じで、過去の名作をスピルバーグなりに現代社会に生まれ変わらせた!と拍手を送る程度ではない。

 本来この状況で示されるべきは、マイノリティ集団同士であるアイリッシュとプエルトリカンが社会に包括され、それぞれの個性を認め合うという状況です。

 劇中ジェット団は留置所で歌う”Gee, Officer Krupke(クラプキ巡査どの)”を通して彼らの家庭環境や社会的属性が彼らの非行の原因であると訴えます。こうした社会的ハンディキャップが極端な反抗行動に影響しているのは間違いなく事実。この根本的な問題を解決するわけではなく、「争っても無駄よ!何も生まないわ!」とマリアの美声で状況を解決する結末はむしろ現代的でないと感じます。つまりそもそもこのプロットはどう考えても現代の文脈にはそぐわず、今さら復活させる理由が見当たらない。

 経験と実績で名声と地位を得たおじさん(スピルバーグ)が「大好きだった映画を自分の手でも作りたい!」という長年の夢を叶えたかっただけでは、と推測しています。

 

 

なーんて面倒くさいことを考えなければ本作は豪華で美しくって贅沢な作品!

ラストシーンでは涙するほどに心を動かされ、ミュージカルシーンは思わず一緒に口ずさみそうになり、とっても楽しかったです!!オススメ!

 

 みんな大好きAmerica!

 

みなさんお読みくださってありがとう!大好きです!!

 

 

 

ナイアガラ(1954)

監督:ヘンリー・ハサウェイ

 

 

ざっくりあらすじは、ナイアガラの滝の目の前のコテージに旅行に来た新婚のカトラー夫妻(妻ポリーを演じるのはジーン・ピーターズ)は、泊まるはずの部屋に居座るジョーゼフ&ローズ夫妻となんだかんだ仲良くなる。セクシーな妻ローズ(マリリン・モンロー)とローズ曰く精神を病んだ夫ジョージ(ジョゼフ・コットン)と親しくなるにつれ、面倒ごとに巻き込まれていく。

 

映画ナイアガラ、本日は2つのテーマで考えていきたいと思います。

 

テーマ1ー最大の疑問 なぜローズはジョージと結婚したのか?

なんと言ってもローズ(マリリン・モンロー)が美しい。色気大爆発。13歳からプランしないと着れないドレスよ、とポリーが表現する大胆なドレスを見事に着こなす。

ただなんて言うの、男友達に彼女候補として相談されたらやめときな、って言っちゃうタイプの女子

だって自然あふれる滝に旅行するとき、ショッキングピンクのボディライン強調大胆ドレスをあなたはパッキングしますか?おそらくローズは朝からのディズニーランドにも平気でピンヒールで来るタイプの子です。

 

美しいんだけど、TPO違うだろ!

 

 

こういうタイプの女子は成金タイプの男となら意外と上手くいくと思うんですが、ローズがさげまんであることを考慮してもジョージに成金の要素はあまり見えない。どう考えてもローズとジョージが結婚する姿が見えない。

なぜ2人が結婚したのか、仮説を検証していきたいと思います。

ジョージ:羊牧場を経営。ダンスはそんなに好きではなく、古い音楽が好き。

ローズ:ウェイトレス。ビールを運ぶのが上手く、流行のフォークソングが好き。

仮説①ジョージの牧場主というステータスに惹かれた

牧場に興味があるオーガニック女子にも見えず、どちらかというと「経営者」の肩書きには弱そうに見えます。が、金が結婚の動機なのであれば不動産屋でも銀行員でも謎の資産家の老人でもいいはず。不倫相手を見たところ特別金がある様子もないため、金が一番マテリアルガールではなさそう。

仮説②ジョージのハンサムさに惹かれた

ジョゼフ・コットンはもちろんかっこいいが、浮気相手の顔はちょっと系統が違う。純粋に顔が好きで一目惚れの場合、ジョゼフ・コットンがちょっと落ち目になっても支えると思う。

仮説③ノリ

私の予想はこれです。音楽の趣味も生活価値観も違いそうな2人なんだけど、たぶん自由奔放なローズちゃんに一目惚れしたジョージの猛アタックを受けるうちにローズもジョージを愛したのではないかと。あるいは気まぐれ的にローズちゃんが落ち着いた年上の大人の魅力にハマってる時期でちょうどよくフォーリンラブしたのではないかと。そうして無事結ばれたものの結婚後に新婚の燃え上がりが冷めてみれば、価値観も趣味嗜好も世代も異なる他人でしかなくギスギス、といったところではないでしょうか。

ショロウに差し掛かってるジョージ

 

テーマ2ー自分がローズだったらどのように身を守ることができたか。

あっさりネタバレですが、不倫相手と夫の殺害を目論んだものの失敗し、激昂した夫に殺されることになるローズちゃん。あまりにあっさり殺されるのは悲しいし、いつ誰が次のローズになるかわからない、ということで、自分がローズだったらどのように身を守るか考えていきたいと思います。

 

現場検証:

夫を殺人未遂にかけた罪で逮捕されるのを恐れたローズは、徒歩でナイアガラを脱出を試みて歩き出すと、待ち伏せしていたジョージと鉢合わせする。ブチ切れ状態のジョージから逃げるべく踵を返し、建物の中に入りエレベーターで逃げようとするもエレベーターは来ない。仕方なく上の階へ階段で逃げるが、最上階から外への出口はなく、行き止まり状態に。ドアを全力で押さえてみるも成人男性相手にマリリンモンローの全力は意味をなさず、あえなく絞め殺される。

ハンドバッグに残るゲランっぽい口紅は妖艶だった

 

反省点:

①目と目が合うことが2回あったが、ローズはただ怯えて逃げ出した。

②人目につかないところに逃げてしまった。

③7階まで階段を駆け上がることで、ジョージも追ううちに感情が高ぶり興奮状態に。

④ジョージを前に無抵抗で殺されるしかなかった。

 

どのようにすればよかったか結論:

反省点①〜④に対応して検討します。

①最初に目があった時に、浮気の証拠が残っていないことをいいことにシラを切り通す。「ジョージ?あなたジョージなの?生きててよかった!」というテンションで抱き締める。そんで会えた喜びで気絶のフリとかをしてみる。ジョージも気絶した者をさらに殺すほどキマってないと予想。この手が通じなさそうだったら、交渉または逃走へ。

バス停やホテルのロビー(何回か足を運んだことがあって勝手が分かっている場所や24時間営業の場所ならなお良し)といった公衆のスペースをウロウロし続け、2人きりになるのを避ける。あるいは覚悟を決めて当局のお世話になる。警官の前で夫が生きていたことを全力で喜ぶ妻を演じてみてもいいかもしれない。とにかく殺人未遂罪より命を優先しよう。

③入ってしまった建物は狭くて上の階か下の階しか逃げる場所がなかった。そこであえて1階に隠れてみるか、ヒールを脱いで全力で上か下の階へ逃げて、時間を稼ぐ。エレベーターは来ないものと考えたほうがいい。

④ドアを体で押さえるということは無理がある。ジョージが来るまでに全力で隠れるか、腹を括ってヒールを武器に応戦、または千夜一夜物語的に、「殺されることは覚悟してるわ、でも最後に言っておきたいことがあるの、これだけは言わせて〜」と延々と話して殺されるタイミングを逸すといいかもしれない。

 

以上、まずは和解・交渉を試みる、2人きりにならない、ということを心がけていきましょう。

その他私、僕だったらこう逃げる、という案があれば教えてください。

 

 

その他感想としては、やたら面倒ごとに巻き込まれるし夫は無邪気だしでポリーがとにかく不憫とか、最後のポリーの生命力がすごかったとか、船上のポリー(というかジーン・ピーターズ)の体張りっぷりに驚愕したとか、社長からのディナーの誘いがとにかく嬉しい無邪気な夫ミスターカトラーがアホ可愛いとかがありました。

ライトで面白かったです。3分の1くらい寝てても問題ない構成ですので気軽に観てみてくださいね!

友達に欲しいポリーとミスターカトラー

 

お読みくださってありがとうございました!

 

 

プリティ・ウーマン(1990) この映画が好きな人、どちらかと言えば好きな人は不快になる可能性があるので読まないことを強くお勧めします...!

監督:ゲイリー・マーシャル

 

  

 

 

 

 あらすじをざっくりまとめると、娼婦のビビアン(ジュリア・ロバーツ)と金持ちビジネスマンエドワード(リチャード・ギア)が契約を結んで、1週間だけ恋人のふりをする。この間エドワードはビビアンのピュアな魅力に気づき、ビビアンもエドワードの余裕に憧れ、距離感が近づく...

 

おなじみプリティ・ウーマンの主題歌や随所に流れるプリンスの曲は最高だし、より現実的なマイフェアレディ。ジュリアロバーツ演じるビビアンの格好もすごく可愛かったです。特に後半のオレンジのセットアップとか白Tと黒いジェケットにデニム。真似したくなっちゃいます。

ほかにも当クラブのおきまりの芝を踏む奴も楽しかったです。私もやってみたい。

このシーンも一緒にお風呂入るシーンも見られて大満足、ジュリア・ロバーツかわええ..

 

それ以外の部分は主にリチャード・ギア(というか映画製作陣)にちょっとした嫌悪感を覚えつつ視聴しました。

「愛と青春の旅立ち」のリチャード・ギアは最高に好きなんですが、なんで?

Fifty shades of greyくらい下品にしてくれればいいのに、中途半端に品を保とうとするリチャードに耐えられなかったです。バツイチパパ活おじさんにしか見えない。。。

 

前提として私はなにも男女格差がある映画の構造に不満があるとかいうわけではないんです。石油王とうっかり道端でフォーリンラブしたいですしIT社長に見初められたい。フィフティシェイズオブグレイも別に嫌いではないです。友人と馬鹿らしさに爆笑しながら映画を見たり(特に3作目フリードのしょうもなさはツボです)、高校時代に意味もなく原文で3巻読破して受験におよそ必要のない英単語を大量に覚えたりしました。(自ら望んだわけではなくなぜか通っていた英語塾の塾長に手渡されて読んだ)

しかし、今作「プリティ・ウーマン」に関してはハリウッドのおっさんのファンタジーとしか思えない。(もちろんプリティ・ウーマンが好きな女性もたくさんいると思うので否定はしません)

品も金も教養もない女を道で拾って金を与え、服を与え、知識を与え、屈辱を与えて傷つけつつ、自分のために自分好みの女に変える。

しかも何が嫌ってエドワードのあの素知らぬ高潔感?ていうの?

「君は僕を驚かすね」だの「君はspecialなウーマン」だの、誰にでも言ってるだろお前は、と責めたくなってしまう。高みの見物フェイスが腹立つんだよ、最初に3000ドル交わしてるくせに!!!

さらに言いますと、ビビアンが車に詳しいウブな美女という設定、嫌いです。娼婦でありながら、特に擦れずピュアな価値観を持っており、オペラで泣くような豊かな感受性を持ち、娼婦という仕事にも毎度屈辱を感じている。だからこそエドワードも嬉々として自分の世界に連れ出して「こんなの初めて!」を引き出す。え、なにこれ?と思うのは私だけ?ほんでもって口にキスしたら好きになっちゃう...みたいな設定も、妙に車に詳しくて親しみやすい美女みたいな設定も結構気持ち悪かったですし、最後のホテルの支配人の謎のファインプレーも嘘くさくてなんか嫌でした。

 

出自の違いからトラブルも生まれるんだけど(親友にshe is a hookerと口を滑らせる)、なんだかんだ親友をボコって信頼回復、彼女も許してくれてハッピー!展開。

私がビビアンの友達だったら全力でビビアンを止めます。「悪気はなかった」からの「謝っているだろう?」のシャウトもドン引きじゃないですか。

さらに文句つけて申し訳ないんですけど、最後の展開もやばすぎません?

エドワードはビビアンを囲いたいだけだったっていう。百歩譲って結婚するにしても、繰り返しますが私がビビアンの友達だったらビビアンを殴ってでも止めます。この後に及んで価値観が根本的に違うから幸せになれない。やめておいた方がいい、まだ間に合う。

 

 とは言いましたけど、うーん、現実的には正直ビビアンが現状を脱して職業選択の自由なりを掴むには、エドワードと結ばれるのが最短距離なのかなー、とも思いますし、難しいですね。

ビビアンがいいならいいのか...

 

なーんて、敵しか作らなさそうな文章をつらつら書いてしまいましたが、ここまでお読みくださった方いらっしゃったら、本当にありがとうございました!

みなさん大好きです。