ノマドランド(2020)

監督:クロエ・ジャオ

 

ノマドランド、とりましたね!!

先週滑り込めたノマドランドの感想を書きたいと思います。

 

 

自然に圧倒されつつ虚しい気持ちになりました。

あらすじをざっくり書くと、夫を病気で失い、住み慣れた街も封鎖され(そんなことあるんですね)、いきなり住む家を終われたファーン。ホームレスならぬハウスレスの暮らしを始めてアメリカ大陸を渡り鳥の如く点々とする。そんな彼女のノマドライフ1年目とは。

 

よくノマドランドの映画紹介で「彼女のたどり着いた生き方とは」とか「彼女の選んだ生き方とは」とか書かれているのですが、厳密には「彼女が選ぶしかなかった生き方とは」というように感じます。人によって受け取り方が異なるラストだと思いますが、私はなんだか寂しい気持ちになりました。

 

①圧倒的自然

ナショナルジオグラフィックのドキュメンタリーかと思いました。

好きか嫌いは別として、アメリカってのはつくづくすごいところだと感じます。ここ5年間で味わった精一杯の自然はマザー牧場か湘南の海という私としては、あの溢れる大自然には猛烈に憧れます。これぞアメリカ!詩的な映像、美しかったです。

特にここが好き。劇場で見るべきネイチャー。

 

②実際のノマドライフ

非常にリアルでノマドの生活を過度に賛否するわけでもなく、過小評価するわけでもない作品。個人的には車どこに停めるか問題、とかトイレ処理問題、とかタイヤパンクしちゃう問題、とか多分耐えられないです。

素人を起用し、ほぼアドリブの状態でこの完成度の映画を作り上げたクロエ・ジャオ監督の力量は考えられないですね。監督賞受賞も文句なしです!フランシス・マクドーナンドも、ありのままの姿でファーンという1人の人間が浮かび上がって来るのが本当にさすがでした。スリー・ビルボードとも違う、力強さと繊細さ。

 

 ちっちゃくニコッとするのがいい

 

③滲み出る矛盾と虚しさ

ここからが本題です。

決してノマドの暮らしを否定したいわけではないんですが、非常に複雑な気持ちになりました。

年に1回開かれるノマドの集会で、サンタさん似のリーダーは資本主義からの脱却を説きます。資本主義に搾取されるのはおかしい、疲れる、人間がイチバンじゃないか、と。

しかしAmazonの配送場や農園、ファストフードで働くことで生きるための糧を得るノマドの生活は、資本主義社会そのものです。むしろ人間が労働者として機械の如く単純労働に従事するという点では、資本主義の最たる姿にすら見えてしまいます。特にAmazonや農園、ファストフードのシーンで引きのショットが続き、状況を俯瞰できるからこそ、この矛盾が強調されたように感じます。

そして劇中指摘されていた「アメリカ人の特権」としてのノマド。

果たしてノマドの暮らしは本当にアメリカ人の特権でしょうか。ノマドはアメリカの社会保障が脆弱であったがために生まれてしまった存在にも見えます。病気になった時、働けなくなった時、仕事先が無くなった時、不況の時、なんの保証もなく移動し続けるノマドはあまりに不安定な存在です。

社会保障や福祉が発達している北欧諸国や日本(日本の社会保障にももちろん思うところはありますが)といった国々では、ノマドである必要がないから人々はノマド生活を選ばないのではないでしょうか。

「勇敢」「アメリカの伝統」と肯定されたノマドの生き方をする人がアメリカでは一部高齢者や若者に限られているのは、ノマドの暮らし方が現代社会に適していないからでしょう。だって開拓者の時代はもうずっと昔に終わったのだから。頼る人がおらず、経済的にも不安定なファーンの姿は見ていて不安な気持ちになりましたし、夫が生きた痕跡を忘れないためには、残すためには、定住するわけにはいかないファーンの気持ちを慮って胸が痛むのです。うーん他の道はないのか、とファーンの姉の如く考えてしまう。

 

とはいえ、ノマドの方々の人生を垣間見、事情を知ることで、彼らがそうしたいのならばそう生きれば良い、と強く思うと同時にフランシス・マクドーナンドの穏やかな笑顔に彼らが優しく包み込まれているのを感じました。つまりダラダラ何が言いたいかっていうと、ノマドライフも素敵だとは思うけど、ノマドにさほどなりたいわけではないのにノマドにならざるを得ない人がいるならそれはちょっと心配だよね、ということです。

関係ないんですけど、「先生ホームレスなの?」と直接聞く神経すごいですよね。私だったら聞けない。

 

アカデミー賞を受賞する作品として地味、と指摘されてはいましたが、個人的にはコロナ禍のアカデミー賞ということで、本作ほどの穏やかさが絶妙に心地良いと感じました。なんともいえない後味も比較的好きです!

早くMinariもPromising Young WomanもThe fatherも観たい♡!!

 

ヴェニスに死す(1971)

監督:ルキノ・ヴィスコンティ

 

 

 

美でガツンと殴られた感覚。

 

ざっくりあらすじは、重い過去を背負った作曲家グスタフ・アッシェンバッハ(ダーク・ボガード)は療養先のヴェニスで、ビューティーの権化のような美少年中の美少年タジオ(ビョルン・アンドレセン)に出会う。すっかり恋に落ちたグスタフだが、ヴェニスには怪しく隠された影が迫っていた、という話。

 

グスタフと友人作曲家アルフレッドによる美の実存主義的な議論。

「美は自然発生的なものである」とするアルフレッドに対して「美は努力によって創造できる」とするグスタフ。

そんなグスタフにとって理解し得ない絶対的なビューティーをまざまざと見せつけた少年タジオ。

初めてタージオが画面に現れた時、息が止まりそうになりました。

初めてティモシー・シャラメを見た時も美しさに衝撃を受けましたが、その上をいく衝撃。

天使、、、?実写版萩尾望都、、?

 

事実萩尾望都に多大な影響を与えたらしいですね。髪の毛のふわっと感!

 

美少年に惚れ込んだオジサンの話ということで、最初はOh...ニッチな世界...と思いつつ鑑賞していましたが、

タジオを見れば見るほどストーカー気味になるオジサンの気持ちが分かっちゃう

ストーカーとか性犯罪に関しては絶対にあってはならないことだと思いますし、被害者には100%非はないと考えます。が!反則だよタージオ!ゆっくり振り返ってゆっくり方向展開しているだけなのに!!

Elleのビョルン・アンドレセンくんに関する記事を読んで大変心が痛みました。周りの大人に搾取され続けた人生を送ってきたようです。美というものを考えさせられますね。。人を狂わせるし、本人にとっても諸刃の刃になる。

タジオ一家が財前教授の総回診ばりに歩いてくるのもカッコよかったです。

グスタフのセリフ「never smile like that to anyone. I love you.」私もその場に飛んで行ってグスタフに代わって呟きたい、と強く感じました。

最初あまりにも話さないので、隠し砦の三悪人の雪姫、上原美佐的理由(演技が絶望的にオモシロ)があるのかと思いましたが、ポーランド人設定のため&至高のミステリアス演出なんですね、きっと。

 

「エリーゼのために」が流れた時のグスタフの苦悩と葛藤が中でも秀逸でした。私までグスタフに感情移入してしまって苦しくなりました。弾いているのが女の子と判明した時のシーン、グスタフの残念感と安堵感が辛かったです。娼館の女の子もそれなりにビューティーで、現代だとメンヘラしか履いてなさそうな感じのシマシマのロングソックス(偏見です)を。退廃的な雰囲気が本当に素晴らしいと思います。

よく平安時代の古典文学であったり和歌を詠むと「恋い焦がれて死ぬ」という文言があって、イマイチピンと来ず、平安時代の貴族は暇だから感情のベクトルがすごいことになっちゃってるのかな、なんて失礼な想像をしていたのですが、本作を見て、なるほどこういうことか、と納得しました。

マーラーのアダージェットの多幸感の中、自嘲と共に生き絶えるグスタフ。一瞬の幸福を掴みつつも、妻の不倫であったり自らの持病で再び孤独に絶望したグスタフ・マーラーをも感じさせる終わりでした。そして何より最後のグスタフ、顔、白かったですね〜〜。タジオ一向が無防備にヴェニス市内を歩き回っていることよりも何よりも、グスタフの顔の白さが気になってしまいました。

白かったですね〜

 

ヴェニスの異様な雰囲気もやばかったです。謎の伝染病はチャイナウイルスならぬ、アジア・コレラでした。力技的な消毒に、グスタフは異変を気づきつつも、銀行のおじさんに真実を尋ねるとまさかの病院に空きベッドゼロの状況。やだステージ6!などとコロナを重ねつつ視聴しました。銀行のおじさんとグスタフの諦めに近いスマイルが妙にツボりました。

あと何と言っても途中ホテルにやってきた楽団の歌い手顔色悪すぎません?目の前で熱唱する歌い手をガン無視するタジオ達もハート強いなと思いましたが、今すぐにでも倒れそうな歌い手、動く生物兵器アジア・コレラーって感じで恐ろしかったですね。普通に怖かったです。ぜひ見てください。

 

グスタフのもう誰も失いたくないという思いとシャイな人柄を狂わせるタジオ。

ビューティーってすごいですね!

 

お読み下さってありがとうございました!

 

 

あの子は貴族(2021)

原作:山内マリコ 監督:岨手由貴子

 

 

 

 

テーマに興味があり、年末の試写会に応募したものの撃沈。公開すぐに新宿武蔵野館で観てきました!

 

大好きな友達たちを抱きしめたくなりました。

パンフレットも購入!

 

ざっくりあらすじをまとめると、とある階層の開業医の三女華子(門脇麦)は小学校からの仲良しグループの中で、ヴァイオリニストとしてドイツで活躍する逸子(石橋静香)を除き唯一のシングル。友人からも家族からもプレッシャーをかけられる中、家事手伝いとしておっとりのんびり生きつつも結婚には焦りまくる。一方富山の裕福といえない家庭から慶應義塾大学に進学したものの、学費を理由に中退、現在はキャバ嬢時代に出会った客の紹介でイベント関係の仕事に勤しむ美紀(水原希子)。通常であれば交わらない二人だが、華子のハイスペ婚約者でありつつ美紀の大学時代からの友人(都合の良い女と見なされている模様)、青木幸一郎(高良健吾)を介して互いの存在を認識、さりげなく背中を押しつつ、互いに強く生きていく、という話。

 

色々な点で刺さりました。何度でも観たい!

自分語りしちゃう系映画なので、自分のことをダラダラと書いてしまいますね。日本の社会階層的な考察であったり、美紀の賢さ、幸一郎のある種の狡猾さとそういう育ちだから仕方ない的な帰結についても色々思うことはありますが、この感想では触れません。えへへ!

 

①新鮮でリアルなシスターフッド

劇中の逸子のセリフ(うろ覚え)

「日本って女性同士を対立させる風習あるじゃないですか、独身女性を笑ったり、おお怖いみたいな。でも私、そういうの好きじゃないんです。」

華子と美紀が出会うシーンで逸子が語ってこのセリフ、このシーンが映画全てを象徴していたように感じます。周りの期待に応える必要は全くない。

今カノと元カノ、現妻と元妻、妻と不倫相手が対決するシーンは主に古今東西、激しい言葉の応酬や顔面に水をぶっかけたりするドラマチックな演出。テレビでよく見る、女子アナvs女芸人、女性タレントvs女性タレント、「こういう女はムカつく」特集が私はどうも苦手です。第三者の意図で、互いの傷を抉らないといけないのが見ていて苦しい。だから本作はその嫌なセオリーを気持ちよく裏切ってくれたので、すごく嬉しくなりました。

そしてこの映画の面白いところ。華子と美紀は、人生の一瞬ですれ違いはするけれど、タッグを組んだり、奇跡のような友情が生まれることはありません。あくまで人として、思いやりを持って接するのみ。

だからこそ、映画のメッセージに説得力が生まれます。

お互いがお互いの親友と、背中を預けあって、抱きしめあって、支え合います。美紀が里英(山下リオ)と自転車に乗って内幸町を走り抜けるシーン、華子が逸子と自動車で軽井沢に向かうシーン、グッときすぎて泣きました。雨の日に自転車で新宿南口を走り抜けたり、成人式の日に池袋東口の信号を慣れないピンヒールで叫びながら走って渡ったり、寒い朝スーツケース片手に全力ダッシュで東京駅八重洲口に向かったり、大好きな女友達たちと、東京中を走り抜けた思い出がたくさん浮かびました。

麦ちゃんも石橋静香ちゃんも可愛んだ〜〜

内幸町ニケツする勇気はないけど、ここら辺涙が溢れたよ

 

②東京に潜む階層と、異なる価値観の人間との付き合い方

「東京は棲み分けがされてる」「同じ階層の人としか出会わない」「ずっと東京にいたのにこんな景色見たことない」

これは良い悪いは置いておいて、ある程度事実だと思います。東京に限らず。

華子や幸一郎的な階層の人々は同じ階層と価値観の人に囲まれて一生を終えることも可能だと思いますが、それ以外の私たちは、同じ階層同じ価値観の人としか会わないかと言われればそんなこともなく、遅かれ早かれどこかしらで自分と異なる人間たちと付き合うことになるのです。

かくいう私は、小中高一貫校でぬくぬくと育ち、大学に入って初めて大海と接する状況に大きく戸惑いました。ノリから趣味から話題から、とにかく正解が分からなくて、周りに合わせて振る舞ったり、そんな無理する自分を俯瞰して結局黙りこくったりと迷走しました。結局私は似たような価値観だったり環境の友人を見つけ出して落ち着いたのですが、この映画は、異なる価値観や環境の人々との付き合い方を示してくれます。

親友になる必要もないけれど、傷つけ合う必要もないし、排除する必要もない。お互いをなんとなーく認めて、共存すればいい、と。

さらに本作は、価値観の異なる他者同士の連帯についても示しています。友情ではなく、義理

小説版では、女同士の義理、という言葉がキーワードとして複数回登場しますが、友情以外の人と人とを結びつけ、支え合わせる概念としての「義理」すごく面白いと思いました。

小説に出てくるのは浄瑠璃の「心中天網島」

 

③小道具や演出が凝ってて見どころ満載。楽しい。

話が面白いのはもちろん、登場人物の描き方であったり、育ちの良い演出や華子と美紀の小道具や仕草による比較が楽しいです。

例えばビニール傘。華子が使うのはFULTONのビニール傘に対して美紀が使うのはよくあるビニール傘。

他にも、一切あからさまなブランドものを使わないコーディネートやストールの使い方、のんびりした雰囲気は、華子のお嬢様度を際立たせます。

一緒に見に行った友人は、石橋静香さんのバイオリンの運弓も自然で素晴らしいと絶賛してました。ディティールが凝ってるんですね。

 

同時に華子を始めとした登場人物たちの多面的な描き方もすごく面白かったです。

家での末っ子としての華子や友達の前での大人しく婚活に焦る華子、逸子の前のリラックスした笑顔の華子、幸一郎や青木家の前での育ちの良いお嬢さんとしての華子、登場人物が少ないからこそ奥深くリアルに描写されていて、まるで映画を見ている自分自身すらも赤裸々に暴かれた気になりました。

 

棲み分けが進む東京に住む様々な人々が描かれると同時に、様々な東京が描かれます。東京を美しく描いた数ある傑作の1つになるのではないでしょうかです。ロケーションもあ〜ここ!!という場所が多くて、友達の話を聞いているように映画を観られました。

椿山荘〜〜!

 

誰しも自分の体験をどこかしらに重ねてしまう映画なのではないでしょうか。

老若男女楽しめる作品!のハズ!

 

お読み頂きありがとうございました!