高校の同級生が、合唱コンクールの時の音源を見つけたといって、ネット上にアップしてくれた。
昨日、それをfacebookでみつけ、電車の中で再生したら、高校2年生の記憶がだだだと広がって、それから何度も何度も繰り返して聴いている。
女声三部合唱の3曲のメドレー。鎌倉の中高一貫女子校に通っていた私たちにとって、校内で毎年行われる合唱コンクールは、大船まで電車で移動し、鎌倉芸術館で歌うという、冬の大きな行事だった。
とっても音響のよいホールだと先生が言っていたけれど、当時の私にはよく分からなかった。けれども、音源を聞いてみたら本当にすごく声が広がっていて、これが「音響がいい」ってやつなんだな、と今更ながら感心するほどの出来栄えに聞こえる。
最初に聴いた時は懐かしさで涙が出て、何度も聴くうちに、指揮をしていたあの子、伴奏の子、そしてソロパートを歌った子とか、みんなの様子や顔が、どんどん思いだされてきた。超ドキドキした本番のことも。銀賞に終わって悔しかったことも。なんだろう、いままで忘れてたのに、本当は忘れてたわけじゃなかったんだ、と思うと余計に、こんな素敵な思い出をもらうことができたいろんな状況や環境や周りの人に、感謝の気持ちが溢れてくる。
ほとんどの子が電車で通学していた。私も電車を乗り継ぎ、1時間かけて通っていた。合唱コンクールは冬の行事なので、朝練だといって家を出るときにはまだ空に星が輝いていた。セーラー服にコートを着て、マフラーと手袋で白い息を吐きながら、合唱曲の「見上げてごらん夜の星を」を口ずさんで歩いていた。
そうやって朝練して、授業の後、放課後も集まって練習した。高校2年の冬は、私はそれまで打ち込んでいた演劇部を引退して、周りもみんな受験一色になろうという時期だった。みんな本当に十人十色の未来を考えていた。おんなじセーラー服に、おんなじ金ボタンのコートを着て、でも、みんなぜんぜん違う個性とパワーを持て余していた。そして、たぶんみんな別々に、不安だった。
今聴くと、合唱は思ったより良く揃っていた。私がこの学校に入学した13歳の春に、教室を見渡して「げげ。みんな女の子だ!」と思った(あたりまえ)のと同じように、今聴いてみてもまず「うわ、みんな女の子だ」と思う。
「みんなで一つの歌を歌う」というのは一体なんだろう。リズムを合わせて、ハーモニーを合わせて、みんなで一つになることをただ目的にして歌うってなんだろう。
わたしは思いだした。「みんなと同じにできない」かもしれないことを、すごく悩んでたなあって。
みんながするように受験して、みんながするように就職して、みんながするように結婚して子供を産むということができると思えなかった。
でも、そのときいっしょにいた「みんな」だって、誰一人おんなじじゃなかったんだ。
そんなみんなが、一つの歌を、一緒に歌ったんだ。
その後、それぞれ違う道に進み、全く別の場所で生きている私たち。だけど同じ空間に集まって机を並べ、一緒に声をそろえて一つの歌を歌った時間っていうのはかけがえがなく、消えることのないものなんだと、しみじみ思う。
それから、この合唱曲の編曲をしてくれた私たちの担任の先生が、先生は英語教師だったんだけど、「私はこれから先も学びたいと思うことがたくさんあって、音楽の勉強は特にしたいと思っているの。何かを始めるのに遅すぎるなんてことはない。私もこれからどんどん学んでいくわ」と言った言葉は、今でも私の心の奥にきちんとしまってあり、何かの時には私のことを勇気づけてくれる。
学生の時って、些細なことがすごくつらかったりしたなあ。でもそれは、大人のように、行く場所や付き合える人を自由に選ぶことができないという苦しさの中にいるからだったんだなあ。そんな中で学校に毎日通う子どもたちを、むしろ私は尊敬しちゃう。子どもたちが素敵な思い出を胸に人生を生きていけるようにするということは、本当に大事なことなんだなと、実感したのでありました。
音源をアップしてくれたかおるん、ありがとう。
……もう一回聴こうっと。