今年の私の夏はこの公演と共に過ぎていったと思います。
7millionsーナナミリオンズー
『ヒトリトヒトリ』
今回、ふたり芝居をご一緒した小叉ぴろこさんと出会ったのは、
私が演劇を始めてたった2年しか経過していない2008年。
シアターキューブリックに客演した『誰ガタメノ剣』という作品でのことでした。
もうすでにその頃、ぴろこさんは開店花火さんという劇団の看板女優でした。
私は当時、客演というものをするのも人生3度目で、
しかも、劇団員さんもベテランもたくさんいる中で、なぜかヒロインで、
わけがわからないなかでずっと緊張していたのを覚えています。
ご縁というのはおかしなもので、その後ぴろこさんとは同じ作品で3回も共演しました。
その作品では、ぴろこさんと私とは1シーンだけ、向き合ってお芝居するところがあって、
それもあったのかなんなのか、ぴろこさんは当時私が住んでいたシェアハウスによく来てくれて、
お酒を飲みながら深い時間までずっと語り合っていました。が、
具体的に何を語り合っていたのかはあまり覚えていません、でも深い話はしていました、きっと。
演劇やってきて、ぴろこさん以上にあんなに語り合った人はいません。
というか、ぴろこさんは本当にものすごくたくさん私の話を無条件に聞いてくれました。
たぶん若かりし私にはとにかく死ぬほどたくさん話したいことと疑問と不安と想像と展望があって、
ぴろこさんはなぜかどんな話でも、あの笑顔で「ん?」って興味深く私の顔を見て聞いてくれました。
心理的安全性。
最近ではもてはやされるこの言葉ですが、ぴろこさんと私の間ではそれがなぜか成立していました。
けっこう突っ込んだことも聞かれたり、突っ込んだ話もしたはずなのに、
私はぴろこさんに100%心を開いてしまっていたし、それでいて傷を負うことがありませんでした。
ぴろこさんの人柄なんだと思う。今思えば。でも、当時はわからなかった。ただただ居心地がよかった。それだけ。
そういうわけで、しばらく同じ舞台に出ることがなくなり、ぴろこさんはお母さんになり、という時代を経ても、
私にとってぴろこさんは特別な人であり続けてきました。
そんなぴろこさんから「ふたり芝居の相手に」という連絡がきたのは、
あっ 2025年8月17日……なんと去年の昨日でした!
私は、1分後に「やらせてください!」と返事をしました。
やるにきまってるじゃん。
1分で決まりました。
はたして、今回、ふたりでお芝居をしました。
私はもう演劇経験2年の私ではなくなり、(演劇経験20年以上になった!こわ!)
……ましたが、変わらず緊張もするし、すぐにセリフがよれてフワフワしています。
でもなーんか、すっごく、楽しかった。
そしてことあるごとにぴろこさんが「こういうのがやりたかった!」ってまたあの笑顔で言ってくれて、
なんだろうか~
やめずにやってきてよかったな、やめずにやってくるとこんなご褒美があったりするんだ~と、
しみじみ、涙が滲んできてしまうのでした。
こんな企画を作ってくれた7millionsさんには感謝しかありません。
私は7millionsさんの大ファンなので、常々「役者なら全員7millionsに出たいにきまってる」と言っており、
これからもそう言い続けていこうと思いました。
そして、ぴろこさんと私のことを大切に当て書きしてくれ、忍耐強く演出してくれた直人(鷲尾直人さん)。
もうこの人も、すごい人間力の人です。
ほんとうに出会えて光栄しかない。
共演は果たせなかったけど、同じ舞台で素晴らしいふたり芝居を繰り広げていた役者のみなさんも最高でした。
どの人も絶対いつか共演したいと思っている。いつなのかな~。楽しみが増えました。
ああ……めっちゃ長文を書いてしまいました。
あとひとつ……。
「ことしのぼんが」で、飛んでる蚊と格闘しているのは私とぴろこさんの演技プランで、脚本にはありません。
最後に、おばあちゃんが涼風の顔をぴしゃっと叩いて蚊を仕留めるのも、「こんなのどうでしょう」で採用されました。
故人のはずのおばあちゃんがめっちゃ生死にかかわるセリフを言い、
涼風は生きてるうちにやってあげられなかったことを悔いているにもかかわらず、目の前の蚊を躊躇なく殺生する、
それが人間ぽくていいのではないかなと、私は我ながら結構気に入っていました。
高齢のお母さんが独り暮らししている一軒家の庭なんて草ぼうぼうで、蚊が出放題だろうし。夏らしいし。
そんなわけで、今年の私の夏はこの公演と共に過ぎていきます。まだちょっとあると思うけど。
いい夏だったな。ずっと思い出せる夏だった。
私はこれからも心を開いてお芝居していきたいと思うし、心を開いて生きて失敗しがちな人の味方でいたいです。
あと、演劇はまだまだ続ける所存です。








