デイヴィッド・カヴァーデイル・その3 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

元祖!ジェイク鈴木回想録

私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 で、やっとそのDCである(笑)

 結論から云わせて頂くと、誠に恐縮だけど、やはりロバート・プラントは凄かった
もちろん、DCにはDCにしかない魅力や得意ワザもある
例えば、低音域を含めたプラント以上の声域幅がいまでもあることとかね
何よりも、いまでもちゃんとこうして、我々の前に姿を見せて、
嘘偽りではやっていけない、ハードロックのステージをこなしてくれていることには、
いちアーティストの表現を超えた感動が確かにあった

 カラオケが異様に普及している日本では、
ヴォーカリストという仕事が、かなり軽く見られているような気がする
唄だけ唄っていればいいんだから、ラクじゃん・・、みたいな?
 だが、想像してほしい
1時間半から2時間、短距離走とは云わないまでも、そうね、
マラソンでもしながら、通常の人間では出せない高音域を主体にして唄を唄う・・
こんな芸当を、スピッツやミスチルの唄を1.5オクターブぐらい下げて唄っている、
キミやアナタに出来るんかい?
 ロックとは、半端じゃねえスポーツだ
ミック・ジャガーなんかもう、既にオリンピックの金メダルを100コぐらいあげていい
あ!だからそうなんだ! 平均60歳代のTHE ROLLING STONESは\17,000で、
平均50歳代のWHITESNAKEはその半分以下の\8,000なわけ(笑)

 DCの超高音域は“アッ!!!”とか“イェーッ!!!”などの瞬間的なワザがメインで、
それじゃあまるで同じデイヴィッドでもデイヴィッド・リー・ロスだぜ(笑)
ただしDCの場合、序盤戦の瞬間的超高音域で咽を馴らしておいて、
中盤以降のブルージィーな曲の唄い廻しに備えていたようにも思える
やるな、DC・・
 それと、これは以前から気付いていたのだが、
低音域から中音域、高音域まではきれいに繋がった声域を持っているものの、
高音域と超高音域の間に欠けている声域がある
 これは低~高音域と超高音域の発声法が異なるんじゃないかと思うが、
ロバート・プラントはもちろん、先述のMr. JIMMYのパーシーMOTO氏にもそれはなく、
その発声法そのものを同氏から教えてもらったこともある
この辺りは次回の研究課題・・

 さらに“ロバート・プラント歌手”たるもの、
その超高音域でも“アッ!!!”とか“イェーッ!!!”だけではなく、
ちゃんと歌詞を唄い廻せなければならないが、それは垣間観られたような気がする

 1987年辺りだったか、DCはプラント同様の金髪になっただけじゃなく、
歌唱法や作曲面でも大いにLED ZEPPELIN化していることは周知の事実である
その代表曲「Still Of The Night」は21日にも最後の曲として演奏されたものの、
ねえねえ、それ演るんだったら「Heartbreaker」演ってくれちゃったほうが、
少なくても楽曲的にはよかったと思うよ(笑)
 何たって、超高音域でも唄えるんだからさ!
だからこそ、こんなキャッチーな曲をラストに廻したとも思えるんだけど・・

 DCの唱法に疑問を感じたところにフェイクのセンス(のわるさ)がある

 どの曲だったか忘れちゃったけど、21日の公演の比較的終盤の曲で、
それを証明できる部分があるよ
おいおいおいおい・・、と案じてしまった

 フェイクとはブルース唱法の真骨頂みたいな部分で、
要するに楽典上に於けるリズムから、わざと外したような唄いかたで、
ヴォーカリストのインプロヴィゼーションのうちに含められよう
 これが抜群に上手くて、また底抜けにかっこいいのがデイヴィッド・リー・ロスだ
皆さん、カラオケで「Jump」とか唄ってみそ?
日本人にはまず唄えないと思う
デイヴィッド・リー・ロスの場合、唄を唄うと云う概念から我々日本人とは異なっている
何て云うのかな、唄いたい歌詞をリズムに合わせて吐き出しているだけみたいな?

 ロバート・プラントももちろん抜群に上手い
全盛期のあの、リズム的には信じられないタイミングで醸し出される超高音フェイクは、
まさに超人的ヴォーカルであり、スクリーミング・ヴォーカリストの異名は伊達ではない
高い声が出なくなったとか何とか、如何にも日本人的な評価がされている、
LED ZEPPELINの末期は元より、HONNY DRIPPERSやPAGE PLANTなどでも、
音域の高低はともかく、そのセンスはますます味わい深くなっている
 そーいうところをもっとよく聴いてくれよ!>日本の皆さん

 せっかく金髪にして(笑)、「Heartbreaker」もどきをヒットさせているんだから、
DCにはロバート・プラント唱法の真髄をとことん追求してもらいたい

 が・・、こればっかしはかなり過剰な要求か?
野球のセンス、絵を描くセンス、楽曲を創作するセンス、洋服を選ぶセンス・・
ひとにはそれぞれいろいろなセンスがあるものの、
良くなるようにしようとして、そう簡単には良くなれるものでもないのが、
そのセンスというものの尊ばれる最大の理由でもある
 キヨハラが“よおーし、守備のセンスを磨こう”などと思ったとして、
あしたとは云わないまでも、数年のうちにショートやセカンドを守れると思いマスカ?
これもまた反対に云えば、あんな外角のくそボールをライト・スタンドに運べる、
あの技術もまた、彼が持っている特有のセンスと云えよう

 さて、ここでDCのキャリアを遡ってみるけど・・

 第2期DEEP PURPLEのイアン・ギランは、
云う迄もなくブリティッシュ・ハード・ロックンロール・ヴォーカリストの最高峰だろう
「Speed King」だの「Fireball」だの、あのテのハード・ロックンロールには、
10代から40代までの人生を今でも一瞬にして吹き飛ばしてしまう底力がある

 そもそもDEEP PURPLEというバンドは、
その根底にクラシック・ミュージックのちゃんとした教育を持ちながら、
ポップ・ミュージックに近付いて女の子にモテたかった(笑)ジョン・ロード(key.)と、
反対にブルースやロックンロールの影響を持ちながら、
クラシック・ミュージック的な創作を試みたかったリッチー・ブラックモア(g.)という、
お互いに相反しながらも、実は足りない部分を補い合えるふたりが結成したバンドだ
 しかし悲しいことに、ふたりとも偉大な創作者ではあっても、
オルガニストとギタリストという、所詮バック・ミュージシャンに過ぎなかった

 いいかい? 日本ではギターという楽器商品を販売していくために、
エリック・クラプトンや、ジミー・ペイジや、ジェフ・ベックや、リッチー・ブラックモアや、
エドワード・ヴァン・ヘイレンや、スティーヴ・ヴァイを神格視させている傾向があるが、
母国語である英語で唄われている英国や米国ではヴォーカリストの影響力が絶大なのだ
 VAN HALENの全盛期、デイヴィッド・リー・ロスは国民的な英雄だったとしても、
エドワード・ヴァン・ヘイレンなんて、一部のギター小僧にしか知られていなかった
全盛期のジミー・ペイジの華美なステージ衣装や異様なほどのパフォーマンスが、
ステージ上のギタリストの存在をアピールするための手段だったことからも頷けるでしょ

 DRED ZEPPELINという、LED ZEPPELINの楽曲をレゲエのリズムと、
プレスリー唱法で唄い上げたアーティストを初めて聴いたとき、目から鱗が落ちた
何と!ロバート・プラントもイアン・ギランも基本的にはプレスリーじゃん!
(ひまがあったら「Blackdog」とか3オクターブ下げて聴いてみそ?笑)

 エルヴィス・プレスリーはLED ZEPPELINやDEEP PURPLEよりもちょっち前に、
世界中で“かっこいい!”と認められた前世紀最高の歌手である
そのハードロック版を前面に押し立てたLED ZEPPELINやDEEP PURPLEは成功したが、
そのエルヴィス・プレスリーに黒人音楽の影響がない、などというバカはいないだろう
 ここで、リッチー・ブラックモアが元々持っていたブルースやロックンロールと、
イアン・ギランが結びつく

 DEEP PURPLEの歴代のすったもんだはたぶん、
月刊『BURRN!』誌の常套文句のようになっている“音楽的見解の違い”などではない
リッチーもギランも、それに憧れたジョン・ロードや便乗したかったイアン・ペイスも、
実は音楽的には同じ穴のムジナだったに違いナイ(でなきゃ、バンドなんかデキナイ・笑)
 ただ、あのバンドは後々、あちこちからレコードがリリースされているように、
ミュージシャンたちの権利や収入がしっかり保証されていなかったように思える
 同じ会社にいて、同じ仕事をしているのに、
その給料や待遇に差があれば当然、ブータレるやつも出てくることだろう
そして、イアン・ギランとロジャー・グローヴァーがバンドを去っていった


 つづく

※本文中、その名まえで生計を立てていられる公人の敬称は略させて頂いております