デイヴィッド・カヴァーデイル・その4 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

元祖!ジェイク鈴木回想録

私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 今回、WHITESNAKEを観に行く予習として、
DCのインタビューが掲載されている月刊『BURRN!』誌2006年5月号を買ってみた
前回、同誌を自らの財布を紐解いて購入したのは2003年1月号・・
即ち、リッチー・ブラックモアのインタビューの掲載号以来だから、これも因縁か(笑)

 そこには現在、WHITESNAKEとDIOの間で揺れ動いていた、
現WHITESNAKEのダグ・アルドリッチの云い訳が延々と掲載されているんだけど、
皆んな、こんな記事読んでいておもしろいの?
 ミッキー・ムーディーとかバーニー・マースデンが復帰するとか、
マイケル・シェンカー・クラスの大物がWHITESNAKEに加入するんだったらまだしも、
ダグ・アルドリッチなんか、どこのバンドにいてもそれ相応の仕事をする、
単なる職業ギタリストじゃんかー
 それならそれで、去年結婚して、来年は子どもが生まれる予定なので、
お金がかかるのでDCに相談したところ、WHITESNAKEには仕事の予定がなく、
DIOのほうでアルバイトしてきてもいいって云われたので、してきました
で、いいんじゃないの?(半分以上創作・笑)

 ぼくが月刊『YMM Player MAGAZINE』を去る直前、
同誌にウォーレン・デ・マルティーニのWHITESNAKE加入の記事があった
“あほくさ”と思ったよ、まじ・・
RATTなんかLED ZEPPELINやDEEP PURPLEやTHE ROLLING STONESがお金なら、
葉っぱか紙みたいなバンドであり(あ、ぼくにとっては)、
その創始者であるロビン・クロスビーならまだしも、何の取り柄もないウォーレンでしょ
現在でも所属しているトミー・アルドリッチや、DIOに移ったルディー・サーゾと共に、
そのあほヅラを並べたWHITESNAKEの写真を観たときに(も)、
ぼくはもうこんな仕事はいいや、と思った

 DEEP PURPLEに話しを戻すと、
イアン・ギランとロジャー・グローヴァーの代わりに加入した、
DCとグレン・ヒューズを形容するのによく“ソウルフル”という言葉が使われてきた

 でも、どうなのかな・・
音楽雑誌なんか創っていると、どーにもこーにも何らかの形容が必要なときがままある
が、その多くは言葉では記しようがない音や唄や声であることが多いのだ
 DCとグレン・ヒューズがDEEP PURPLEに加入した1974年、
ぼくはまだ月刊『YMM Player MAGAZINE』どころか中学1年生だったが、
敢えて記す機会があったとしたら、
このふたりにはイアン・ギランにあった爆発的なノリと勢いのロックンロールがナイ・・

 イアン・ギランからロックンロールを除くと、
エルヴィス・プレスリー直伝の甘さ、即ち日本流で云えば“ソウルフル”が残る

 だが、後々の『L.A. BLUES AUTHORITY 2』で示されたように、
グレン・ヒューズのブルースには大いに納得がいく
(何がブルースで何がブルースでないかは、いよいよ稿が膨らみ過ぎてしまうため、
後日、またの機会に説明できるところは説明します)
そうかと思って、第3期のDEEP PURPLEを聴き直してみても、
それほどブルース色は濃くなく、当時のヒューズのブルースは熟成中だったように思える
致し方がないと云うよりも、元々アメリカ人のデイヴィッド・リー・ロスと違って、
グレン・ヒューズもまた歴としたイギリス人なのだ
(ぼくはデイヴィッド・リー・ロスのようなアメリカンも大好きだけど、
エリック・クラプトンを始め、イギリスで興ったホワイト・ブルースにもまた、
格別の思い入れがある)

 じゃあ、デイヴィッド・カヴァーデイルは何なのさ?

 第3期に於いては何とも云いようがない
代表曲である「Burn」も、もっともスリリングなサビの部分はグレン・ヒューズだし、
イアン・ギランのような灼熱のロックンロールもない

 余談だけど、って本稿は最初から余談だらけだけど(笑)、
一時期、DEEP PURPLEの演奏楽曲で「Lucile」がいちばん好きだったことがある
当時、この曲のライヴ音源はオフィシャルからは発売されてなく、
たまたま録音した、NHKのFM放送からのエア・チェック音源だけだったこともあるけど、
この曲に於けるDEEP PURPLEの皆んなの楽しみようは半端じゃなく、
“ぼくもバンドを演りたい!”と思うに充分な説得力を持っていた
(で、ぼくはDEEP PURPLEのコピー・バンド、DEEP PURPLINに加入する・笑)

 だぶん・・、たぶんなんだけど、
まあ、土方 歳三や織田 信長がうちに来た、などとデタラメを記してるブログなんだから、
デタラメついでに記させて頂ければ、第3期DEEP PURPLEからのリッチーの脱退は、
ロックンロールが演れなくなったからなんじゃないの?(笑)
 もっとも、その後のRAINBOWにそれを証明する部分は何もないんだけど、
ぼくは月刊『BURRN!』誌に於ける、人間の様式美化には大いに疑問を感じている

 リッチーが抜けてトミー・ボーリンが加入した第4期DEEP PURPLEは、
もはやDEEP PURPLEではなかった(この記述は大正解)ものの、
ソウルフルであったり(DC)、熟成中のブルースであったり(ヒューズ)、
元々アメリカ人だったり(ボーリン)が相成って、アメリカ色が非常に強い、
まったく別のバンドとして生まれ変わっている
 これはこれで実は大好きなバンドで、
『LONG BEACH ARENA』でしたっけ?何か凄えライヴ・アルバムがあるよね?

 ここでおもしろいのはジョン・ロードとイアン・ペイスだ
この“自分がない(笑)”ふたりは、DEEP PURPLEの全期を通して在籍し、
その後はふたり揃ってWHITESNAKEに就職し、DEEP PURPLEが再結成されれば、
またまた出戻って現在に至って、ロードのほうは既に引退してしまっている
“自分がない”などと、失礼なことを記してしまっているのは、
ロックンロールDEEP PURPLE、アメリカンDEEP PURPLE、さらにWHITESNAKE、
FAMILY PURPLEと、ほんとうに演りたいことがよくわからない所以からだが、
それでもこのふたりがトミー&ダグ・アルドリッチなどと異なるのは、
音楽家として確固たる独自のスタイルを確立して、それを崩さなかったところにある
しかも、そのスタイルは微妙にだが年々変化(進化)しているところもあった

 デタラメついでにもっとデタラメを記しておいてやろう(笑)
ジョン・ロードの音楽家人生とは、改造したオルガンの実験場所の変遷ではないだろうか?
即ち、改造したオルガンをホール・クラスで鳴らせれば、バンドなんかどこでもいい(笑)
 否!ぼくはそういう音楽家人生があったとしても、むしろ自然だと思っている

 さてさて、ここまで知っている僅かなことと、
大半は推測とデタラメばっかし記してきたものの、DC・・、やっぱし影薄い(笑)

 イアン・ギランやグレン・ヒューズほど音楽的な特徴が際立っていることもなく、
リッチー・ブラックモアは元より、ジョン・ロードやイアン・ペイスのような、
職人的な音楽バカでもなさそうである

 だが、それはDEEP PURPLEの終焉に至るまでの彼の印象だ
ぼくに彼を語りきる資格がないのは、その終焉以降、1976年のWHITESNAKE結成から、
『SLIDE IT IN』(1984年)までのいちばん重要な部分をよく知らないところにある

 その期間、もちろんぼくは現存しているし、
ロックを聴いているどころか、自分でギターを弾いたりDEEP PURPLINにも参加している
それなのにWHITESNAKEとは縁がなかったのは、
この期間のぼくの興味は、むしろルーツ回帰に偏っていたからだ
 チャック・ベリーは元より、リトル・リチャード、エルモア・ジェイムス、
マディ・ウォーターズとかB.B.キングなんかも聴いていたからね
それは即ち、大好きなジミー・ペイジやリッチー・ブラックモアやキース・リチャーズが、
いったいどこからやって来たのか、無性に知りたかったからである

 故にいま、もっとも興味が湧いているのは、その空白の期間だ
そこには当然DEEP PURPLEとはまた違った、DCのかっこよさの提示があるはずである
 音楽家としての彼への評価はそれからでなければならない

 けど、『白蛇の紋章』(1987年)以降はもうイイ
月刊『YMM Player MAGAZINE』時代に遭遇した商業ロックにはもううんざりだ
最大ヒット作(?)『SLIP OF THE TONGUE』(1989年)のときだったかな、
日本のTV-CMにまで登場していた彼の姿には、嫌悪感すら覚えていたものだった

 だって、かっこわるいじゃん・・
日本の雑誌に何か都合のわるいことを書かれたことを知ったミック・ジャガーは、
“日本人は生の魚でも喰ってろ!”と毒づいたらしい
 DDEP PURPLEでもTHE ROLLING STONESでも、
我々が崇め奉り上げて止まなかった、海外の崇高なロック・ミュージシャンたちである
それがたかが日本のTV-CMに出演して、ライヴに来てくれ?CDを買ってくれ?
みっともないことやってんじゃねえ!っつうの

 だが今回、彼のステージを観てもっとも感激したのは、
むしろ技術やセンスなんかよりも、いまでもステージに立っているその真摯な生き様だ
月刊『BURRN!』誌のインタビューでも、彼は臆面もなくそれを“仕事”と語っている
 LED ZEPPELINの残り3人や、ほかの元DEEP PURPLEや現DEEP PURPLEの面々よりも、
その仕事量と充分な質を持続している、至って真面目なひとであることは確かなようだ
だからつまらない面も当然あるものの、ぼくは基本的にこういうひとが好きである
 ちんけなアイドルなんかに“癒される”ほどヤワではないが、
尊敬すべき元DEEP PURPLEの力一杯の熱唱、即ち仕事ぶりには大いに感動した

 課題案件だった“ロバート・プラント歌手”としての確認は、
少なくてもWHITESNAKEの全オリジナル作品を聴いた上じゃないと、
その肝心なブルース度と、いったい何を持っているのかよくわからん・・
COVERDALE PAGEでは充分にブルージィーだったような気がするものの、
今回のライヴではそれがいまいちのように感じた
 もっとも、そのCOVERDALE PAGEでさえ、遙か13年も前の話しなのである
体力的に肉体的にDCが衰えて、こっちの耳がやたら贅沢になっていることだってある

 けど、いいライヴだったよ! これからも頑張ってくれ!>DC


※本文中、その名まえで生計を立てていられる公人の敬称は略させて頂いております