『いまダ・ヴィンチ』 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

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私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
“またまたへんなひとが来てるのよー・・
きょう、ヨーコが仕事から帰って来たらね、あそこに、ほら”

 細君が指差す方向を見やると、何やら長髪の小汚ねえ外人のおっさんが座っている

“ねえねえ、あれ、レッド・ツェッペリンかディープ・パープルのひとじゃないの?”
“違うな、もっとも歳老いたニッキー・シンパーとかだったら、判別がつかないけど・・”
“じゃあだれ!? クリームのひと?”
“違うよ、JETHRO TULLか何かのひとじゃないかなあ・・”

 すると、その小汚い外人のおっさんは、
こちらを向いてニヤリと笑って、黙ってTVの画面を指差した
TVでは世界的な大ベストセラーとなった『ダ・ヴィンチ・コード』を題材にした、
“天才ダ・ヴィンチ最大の謎と秘密の暗号”なんていう番組が放映されている

“えっ!まさか、レオナルド・ダ・ヴィンチ?”

 土方 歳三だの織田 信長だのがひょいひょいとやって来るうちの押入だから、
もうそれほど驚きも感激もしなかったものの、おっさんは自分の顔を指して、
“そう、あたしが本物のダ・ヴィンチ”などと、いけしゃあしゃあと云う

 細君がぼくの袖をキッチンのほうへと引っ張った

“日本語、喋ってるよ、何か怪しくない?”

 すると、
“あー、心配しなくていいよ、奥さん・・
あたしのここ(自分のあたまを指差して)には、瞬間言語変換装置が内蔵されているから、
世界中のどこの国へ行っても、その国の言葉を一瞬にして理解できるし喋ることもできる
瞬間言語変換装置、これもあたしの発明ね”

“・・・・・・・・”
“何か、ひっじょーに嘘っぽくない?”
“うんうん、怪しいもんだな・・ どこかでぼくのブログを読んだ外人の乞食が、
ダ・ヴィンチになりすまして、めしをタカリに来てるのかも”

“失敬な、旦那さん・・ あたしはダ・ヴィンチ、本物のレオナルド・ダ・ヴィンチ!”

 TVでは丁度『最後の晩餐』の絵が映し出されている

“じゃあおっさん、あの絵は何て云う絵だ?”
“『最後の晩餐』だよ、あたしが45歳のときに描いたんだ”

 番組ではその絵の中で、
イエス・キリストと12弟子のひとりのヨハネの構図が描くMの文字を、
マグダラのマリアのマグダラのMと解釈している

“あはははははは! 考え過ぎ、考え過ぎ! あれはヨハネ!
マグダラのマリアを入れたら12弟子がひとり足りなくなっちゃう・・”
“おい、こら”

 ダ・ヴィンチと名乗るそのおっさんは上機嫌で、
ひとのうちのおやつに勝手に手を出して、むしゃむしゃ喰い始めている

“何ですかー?あなたがたは・・、ひとを疑って・・
こんな番組を本人の解説入りで観られるんですよー、少しは信じなさいな”

 番組では今度はそのマグダラのマリアとされるヨハネをキリストの右側に移した
すると、確かにあたかもキリストに寄り添っているように見える

“わはははははは! 未来人はいろいろなことを考えるもんですなー
おもしろい、おもしろい・・
描いた本人のあたしでさえ、そんなこと思い付きもしなかったのに・・
よっぽどひまなんですね、あなたがたは”
“・・・・・・・・”

 今度は『モナ・リザ』だ

“おおおっ!『モナ・リザ』だ・・
あたしが描いた絵が、こんな後世にまで残っていて、しかも高い評価を得ているとは・・
ありがたい、ありがたい”

 番組ではその当時の肖像画としては異例の背景について触れている
何でも、背景に岩山や河や橋を入れるのは宗教画に多く観られる傾向だという・・

“ぷっ!”おっさんは喰っていた菓子を吹き出した
“きったねーな・・”
“いやいやいやいや、あれはですね、
せっかく来たんですから、あなたがただけに真相を打ち明けていきましょう”
“何なんです?”

“いやいやいや、あれを描いているときに、近所のガキどもが遊びに来ましてね”
“うん”
“やあダ・ヴィンチ、また絵なんか描いているのかい?とか云うんです”
“ふーん”

“でね、あ!また、女のひとを描いてる!
エッチ!スケッチ!ダ・ヴィンチとか云いやがるんです”
“それで?”
“あたしだって、ガキにそんなことを云われたら、ムカつくじゃないですか”
“まあ、そうかもね”

“描けるのは女だけじゃないんだぞ!”
“って云って、岩山だの河だの橋だのを『モナ・リザ』の背景に描き込んだ、ってか?”
“いやいや、背景って云うか、キャンバスの空いているところに、ね・・”

“そんないい加減なもんだったんかいっ!?”
“やっぱ、こいつ、嘘臭いよ”と細君・・
“帰ってもらおうか?”

“いやいやいやいや、旦那さんっ!本当ですよ、本当・・”

 だが、確かに同番組の考察には頷けなくもない部分もなくはないものの、
多少でも絵心なんてある者にしてみれば、こじつけがましいことのほうが多い
特にX線映像で浮かび上がらせた『モナ・リザ』の内部に描かれていたキリスト像・・

“じゃあ、あれはどう説明する?
まさか新しいキャンバスが買えなくて、前にキリストを描いたキャンバスを、
再利用して描いたとか云わないだろうな?”
“ふつう、そう思いませんか?”
 確かに・・
お金がない油絵科の学生などにしてみれば、日常茶飯事的なことである

“あたしだって、教会からお金をもらって絵を描いて生活しているんですよ
この番組では『モナ・リザ』をどうしてもマグダラのマリアに見立てたいみたいですけど、
そんなクライアントを裏切るような真似ができるわけないじゃないですかー”

“じゃあ、何で生涯『モナ・リザ』を手放さなかった?”
“あ、いや、それは、その、あのー・・”
“まさか、売れなかった?”
“はい・・”

“あたしとしては上手に描けたつもりなんですけどね・・”
“リサ婦人に気に入られなかった、ってか”
“ええ、まあ・・ へたくそ!とまで云われちゃいまして・・
でもいいんです、後世のひとにはこんなに評価を頂けているんでしたら・・
けど正直云って、そんなにいいんですかね?この絵が”

 終盤に差し掛かった番組では、再び『最後の晩餐』に戻り、
キリストとヨハネの構図が醸し出すMが、実はMではなくVであり、
それは絵の中に描き込まれなかった聖杯を示す、と・・

“聖杯は何で描かなかった?”
“・・・・”
“まさか”
“・・・・”
“描き忘れちゃった?”
“面目ない話しです、クライアントには気付かれずに済んでいますけど・・”

“どうしてあとで描き足さなかったの?”と、細君から素朴な疑問・・
“あの絵はですね、教会の梁に描かれているので、
描き足すには足場を組まなければならないんです
その費用や手間を考えたら、たぶんクライアントのほうも、
まあいいか、みたいなもんなんじゃないですか・・”

 確かに番組よりもこいつの云っていることのほうが、
俗っぽくはあるけれども、真実って云うか、自然に近いような気がしなくもナイ

“んじゃあ、そろそろ帰ります・・
あたしとしては上手に描けたつもりの『モナ・リザ』が、
どんなふうに後世に伝わっているのか確かめたかっただけなので・・”
“ああ、そう”
“おじゃましましたあ”

 自ら本物のダ・ヴィンチなどと名乗るその小汚い長髪の外人は、
押入の中に入ると、中からピタリと襖を閉めた
そして数分後にぼくたちが開いてみたときには、中にはやはり、ただ布団とか、
もう何年も弾いていないYAMAHAのDX-7が立てかけてあるだけだった

 テーブルの上にあったお菓子はだいたい平らげられている
残ったお菓子をぼくが摘んでいると、

“あ!あの汚いじじいも左手で食べていた!”と細君・・

 左利きの外人が皆んなダ・ヴィンチなわけないでしょ


※文中敬称略