無能な人間だからこそ、前向きに努力しなければならない。
無能な人間だからこそ、努力を怠ってはならない。
無能な人間が努力を怠れば、生きている価値はない。

努力の仕方を考えよう。
効率の良い努力を考えよう。

日経ビジネス2011.9.19号「強敵!BRICs企業」を読んだ。記事によると、日本企業は新興国企業を3つの観点で意識しなければならない。これらを怠ると世界の動きに取り残されるという。

 1.急成長する競争相手として
 → ハイアール、三一重工、マインドレイ、インフォシス、カスペルスキー、コチ、セメックス

 2.互いに果実を得るためのパートナーとして
 → 日産と東風

 3.先進国の常識を超えるビジネスモデルの研究対象として
 → インドの医療革命、ケニアの金融革命、ドバイの教育格差

確かに記事を読むと、先進国の企業にない革新性とエネルギーを持って邁進している。旧来のしがらみや先進国の常識に染まった日本企業、グローバル化の必要性を理解しながらも十分に実践できていない日本企業。新興国企業から学ぶことは多い。欧米企業ばかり見ていてはいけない。
 芸術作品を鑑賞し、人はなぜ美しいと思うのだろう。
脳内の神経を快感に関する神経伝達がドバドバ流れているからなんだろうけど、作品のどんな因子がきっかけでそんなことが起こるんだろうか。美しいってなんだろうか。

 先日、ふらりと書道の展示会へ。芸術というと、絵画、彫刻、書道、写真、音楽といろいろあるけれど、ふと考えるといろいろ違いがあるもんだ。まずは目で楽しむ書道。書道は紙に黒い線を書く。でも書いてない部分の面積の方が圧倒的に多い。でも書いていない部分は無視されているのかというとそうでもなく、その空間も作品の一部じゃあないだろうか。これは素人の勝手なイメージだが、書道は精神を集中して一気に書き上げる感じ。仕上げるのに時間はかからないが、やり直しはきく気がする(そんなことないんだろうけど)。絵画や彫刻はやり直しはきかずにじっくり仕上げていく感じで時間がかかる。

 写真は?芸術じゃないという意見があるかもしれないけど、一応芸術と考える。写真はカメラという道具の寄与がけっこう大きい気がする。デジタルであればCCDの性能、レンズの性能。芸術の道具が電気で動いて、半導体が入っている。もちろん他の前衛的な芸術もハイテク機器を使う場合があるかもしれないけど。

 書いててよくわからんくなってきたし、眠いし、英語の勉強やらないといけないからまた今度考えよう。
【選んだ理由】
 土門拳の写真集を図書館で探していたが、これしかなかった(別な場所に沢山あった)。
土門拳に興味を持ったきっかけは忘れた。きっと、誰かの本で読んだんだろう。


【内容】
土門拳の代表作やエピソードを集めて編集したもの。


【感想】
 掲載されている写真に圧倒された。まさに「鬼」である。写真への執念が半端ではない。土門拳には人に視えないものが視え、それゆえに凄まじい写真が撮れたのではないだろうか。つまり我々は土門拳の写真を通して土門拳の「視た」ものを「視て」いるんじゃないだろうか。本にもあったように、対象の内面や背後にあるものをあぶり出しているように感じられる。写真によっては思わず涙が出るものも…。図書館にけっこうあったので鑑賞していきたい。買うと高いし、重くてでかいからね。
 
 1909年生まれということで、ドラッカーや太宰治と同い年。ジャンルは全く異なるけれど、自分には熱い世代だなー。他にも1909年生まれを調べようとしたけど、数が多すぎて諦めた。


* * *


写真集はでっかいメディアじゃないと勿体無い。

★★★★☆


土門拳 (別冊太陽)/著者不明

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