というわけで、新たなベーシスト、カツミの加入で、ようやく全てが回り始めた俺達!
そんな新生ハウス最初のライブが、満を持して行われた。
時は1989年の夏頃。
場所は、今はもうなくなってしまった、浦和のポテトハウスというライブハウスだった。
 
ここでは、後に俺がジャグノイズというグループを立ち上げる時、ドラムで参加する須藤ヨッチーと出会った。
彼がいたバンドを含め、対バンたちと、本番前から楽屋でかつてない大盛り上がりになった。
社交性に人一倍長けているカツミと風間が、ジャックダニエルズのボトルに烏龍茶を入れ、グビグビやってみせたのだ。
度肝を抜く他のバンドに種明かしし、いきなり皆仲良くなった。
 
ライブ本番では観客に彼らも混じって大盛り上がり。
客も今までの奴らに加え、さらに新しい熱狂的なファンを獲得した。
俺達はその後、そこで三度続けてライブを決行し、そしてこんな田舎のライブハウスとはおさらばだとばかり、新たに作ったデモテープを持って新宿や渋谷など、トップクラスのライブハウスを訪れた。
当時はバンドブームで、掃いて捨てるほどのバンドがひしめいており、一流と言われていたライブハウスはどこも厳しい出演審査があったのだ。
俺達は何と、奇跡的にその全てより出演許可をもらった。
そしてそれらのライブハウスで、その後プロデビューする数多くの優秀なバンド達と、凌ぎを削ることになる。
 

 

その一流ライブハウス進出と同時に、俺達はいくつかのイベントに出演した。
一つは学園祭ツアーで、風間がどこからとなくその話しを持ってきて話しが決まった。
もう一つは、首都圏のスタジオとライブハウス、音楽事務所、レコード会社が協賛し、それぞれの地区から代表一バンドを選出。
業界人が集まりオーディションを兼ねた野外イベントという企画で、俺達は中国地方出身のジョリー以外、それぞれ板橋と中野、赤羽に籍をおいた生粋の東京城北出身者なはずなのに、何故か埼玉県浦和発のロックバンド!!としてイベントに参加することになった。

 

学園祭ツアーは、バンドブームに火をつけた深夜番組出身の、つまらないバンドと組まされた。
どれもなかなか楽しかったのだが、俺たちが妙にウケ、盛り上がったのが神奈川県で、その中でも特に一番印象深く覚えてるのが相模女子大学のライブだった。
学園祭のゲストは広い教室と弁当と、なかなか良いギャラが出て、非常においしい事が多いのだが、この日もオンボロワゴンで朝から神奈川くんだりまで出かけた甲斐はあった。
だが何故か出番がこの日に限り凄く遅くて…、退屈がてらためしにステージを見に行ったら、普段以上に全く盛り上がっていない。
まあつまらないバンドばかりだったのでいたしかたがないが、それにしても大丈夫なのか…という雰囲気だ。

 

やがて日も沈みようやく俺達の番が来た。
ステージにあがり、いつもの様に演奏を始めると、何と盛り下がっていた会場が一変しはじめた。
どこからともなく客が湧き出し、今まで感じたことのない…大げさに言えばスタジアム級の、爆発的な大熱狂ぶり。
多分今までは、演奏は上手いがつまらない踊れないバンドばかりが続き、皆ノリに飢えていたのだろうと思う。
俺達は意外なこの急展開に目を合わせ、お互い戸惑いながらも嬉しさは隠せなかった。
帳の降りた相模の空に、俺はギターを向け手をあげた。
会場は大いに沸き、ギターに触れようと、俺の前に集まる多くの観客。
思えば俺の長いバンド人生で、この時が最高潮で、最も気持ちの良い瞬間だったように思う。
カツミは興奮のあまり一拍早く演奏に突入。
ジョリーも大ハシャギで、最後に、「東京に出てきて君達に会えて、本当によかったぜ~!」という、笑ってしまう台詞を叫んだ。

 

その湘南のライブが、カツミ加入以来良いことずくめだったハウス…、いや、繰り返すが、俺自身のバンドキャリアの頂点だったかもしれない。
その後いくつかライブを繰り返した後、続いて出演したのが、先ほど言った、オーデイションを兼ねた公開イベント企画だった。
時は1989年11月頃、場所は某航空公園の野外ステージ。
 
この日も俺達はいつもの調子で出かけた。
今回もまた俺達がいただくぜ!
だが、その日はいつもと空気が違っていた。
周りを取り巻いているのは、カーニバルの如き奇抜なカッコしたグループや、おかしな音楽性をもったグループばかり。
ちなみに、それらの多くのバンドがやはり、当時一世を風靡していたバンド勝ち抜きテレビ番組、イカ天に出ていた。
ちょうどバンドブーム最高潮の頃で、レコード会社も芸能事務所も、そういうインパクトの強い、学園際バンドみたいなのを青田買いしていた時期だ。
 
俺達は「なんだくだらねぇ奴ら、俺達が硬派なロック魂で全てもらってやる!!」と息巻いた。
だが、俺達はしょっぱなでいきなり敗退してしまった。
お客の盛りあがりでは決して負けてないはずだったが、でも場違いな空気に圧倒されたのか、この日はなんだか調子が悪かったのかもしれない。
 
審査していたプロや業界の人たちからは、
「君たちは、まあ音楽は悪くなかったし、良く言えば正統派と言えなくもないんだけれど、なんて言うのかな・・・、今世の中を賑わしているバンドとか、今日の他の出演バンドなんかと比べると、個性やインパクトに欠けると言うか・・・。ルックスやスタイルもバラバラで、いまいちまとまりがないし、おまけに何を魅せ、何を訴えて行きたいのかがまるで伝わってこない・・・。正直このままでは先が非常に厳しいと思う。」なんてケチョンケチョンに言われてしまう始末。
 
ライブを見に来ていた高校時代の親友で、かつてのバンドメイトのアキオからも、「今日の演奏はなんだか良くなくて、いつものハウスらしさが感じられなかった・・・」と指摘されてしまった。
(ちなみに、このコンテストで確か上位にランクしたのが、にわの薬局とコンドームスとか言うイカ天バンドだった。)
この出来事は、今まで行け行けで順当にきた俺達に、いきなり冷や水を浴びせた。
だがそれでも、まだこの時点ではさほど気にやむまではいってなかったと思う。

 

続く新宿アンティノック公演では、プロデビューしている「ザ・モデルガン」や、「ムーンドッグス」というロックンロールバンドと共演した。
楽屋で「ムーンドッグス」のリーダーが、「モデルガンは生意気にリハこないらしいけど、あいつら最近これだぜ!」と親指を下にしてみせた。
それは落ち目というポーズらしい…。
しかしそのモデルガン、本番でいきなりステージに来たかと思うと、適当にササッと音作りし、驚くべきクオリティーのバカ上手な演奏を聴かせはじめた。
おいおい、まともにリハ無しでこれかよ…。
落ち目とはいえ、さすがスタジアムでシナロケやスライダーズなどと共演しただけはある…。

 

続くムーンドックスも負けてはいなかった。
素晴らしくファンキーな演奏に、計算では出来ないかっこいいステージ。
それに、似た年齢とは思えない素晴らしすぎる歌。
世の中は、本当に深く、いろんな凄いヤツがいるものだ…。

 

内容的には、俺達ハウスが最も動員数多くて盛りあがっていた。
だが演奏、力量すべてにおいて彼らに完敗だった。
帰りの俺達の足取りは重かった。

 

俺達はその後も更にライブを続けた。
新宿アンティノックや高円寺20000ボルトなど、下北沢屋根裏グループをメインに、五つくらいのハコをレギュラーで、月に三、四本はやっていたか…。
お金もチケットは毎回売れに売れ、下手なバイト代よりいい稼ぎになっていたが、しかし…
それなりの一流ライブハウスは、やはり出演バンドのレベルが予想外に高く、それになによりも皆個性的だった。
中でも特にショックを受けたのが、新宿ロフトで見た、後にマイ・リトル・ラバーというメガヒットバンドを組む、藤井謙二さんがいたザ・バレットというバンドだ。
年齢は同世代くらいだったが、もう完全に才能とセンスが違いすぎていた。
ダメだ、俺たち、あんなのに到底かなわない。
なんだかライブを重ねれば重ねるほど、自信は失われてゆくばかりで、ひたすら負の連鎖に落ちて行くみたいな感じになってしまった。
(ちなみに、当時のライブスケジュールを見ると、新宿アンティノックでゆらゆら帝国と出演しているようだが、まるで印象に残っていない。)

 

俺は、加入以来リーダーシップを発揮し、あれこれ意見豊富だったカツミと、よく会っては行く先を真面目に話し合った。
だがジョリーと風間は、これらのことをあまり何とも思っていない様子で、しょっちゅうファンの子を引き連れては遊んでばかりいた。