彼らに大いに刺激された俺達は、更に気合を入れた。
そのお陰か、次の高円寺20000ボルトやACBホールでのライブは、かつてない盛りあがりをみせ、身内ではない他のグループ目当てだった客も面白いように取り込んで行った。
やがて次第に毎回総立ち、踊りまくりのライブへとなっていった。
ファンクラブも結成され、バンドの人気が上昇していることが手に取るようにわかった。
そして、お金を掛けて本格的にスタジオでレコーディングする予定も決まった。
そんな全てが順調となった矢先…。
突然マッさんから電話があった。
彼は開口一番、バイク事故で腕を骨折してしまい、ベースをプレイすることができなくなったと言う。
まあ電話でも何なんで、すぐ彼とマクドナルドで落ち会うと、確かに腕に包帯を巻き痛々しい姿だ。
「ああ、それじゃ無理かぁ…」
「だから言ったでしょ。」
録音も決まった矢先なのに、本当に何てタイミングが悪いんだ。
マッさんは続けて言った。
「で、ずいぶん考えたんだけどさ、いい機会だし、俺これを最後にもうバンド辞めさせてもらいたいんだ…。」
俺はいよいよそうきたかと思った。
以前から何か予感はしていたのだ。
彼は元々半ば無理やり頼んだメンバーだったし、本当はギタリストだ。
音楽的趣味だって、ニールヤングや民族音楽など、全くロックンロール系ではなかった。
それに彼自身、ジョリーとの不仲が今やもう決定的になっていて、これ以上お互い一緒にやるのは無理があった。
俺はそうとはわかりながらも、あてもないので一応強く説得した。
しかし彼の決意は変わりそうになかった。
とりあえず録音は、元ベースプレイヤーだったジョリーが演奏する事で、何とか急場を凌いだ。
早稲田にあったスタジオで五曲。
コントロールブースやでかいミキサー卓など、今までテレビや写真などでしか見たことが無かった場所で演奏するのは、感動的な出来事だった。
オレたちは、エンジニア兼プロデューサーみたいな、なんだか偉そうな態度の人の指示にしたがい、レコーディングをした。
本当はパート毎に時間をかけて録音したかったが、料金がべらぼうに高くなるので、まず三人でベーシックを一気に、そしてギターのイントロなんかをダビング。
最後は歌を入れ、コーラスなどでは仲良く肩を組みながら三人で叫びまくった。
そしてひととおり演奏が終わるとミックスダウン。
テープやレコードなどにして、一般機器で聴ける状態にする。
もう時間がないのに俺が細かい音量やバランスなどにこだわるので、プロデューサーはややイライラしながら「別に悪くないと思うけどなぁ…」と言っていた。
だが終わらせてしまうとやり直しがきかないので、こだわらずにはいられない。
かくして、ハウス初の録音が出来あがった。
聴いてみると、それなりの本格的なレコーディングだったので、音も良く、なかなか満足な仕上がりではあった。
ただ…、やはり、プロデューサーとか第三者が入ると、音の好みが少し変わってしまうもんなんだなって、そこは少し、モヤモヤしたものはあったけど…。
この録音は、カセットでファンの子たちに販売したり、デモ音源として、ライブハウスに持ち込んだりした。
音源も出来て、俺達はライブ活動を続けたかったが、ベースがいないのでは話にならない。
募集をかけても数ヶ月先になるし、ライブの予定もいくつかたっていた。
この先どうしたもんかと悩んでいると、ジョリーが、
「俺の後輩が田舎から出てきてな、ギタリストなんやけど、とりあえずしばらくベースやってもええわ言うとるんよ。」
と言ってきた。
ジョリーの後輩・・・、ってところで微妙だったが、あてもなく予定も決まっている今としては、文句も言ってられない。
探す手間も省けるし、考え様によっては願ったり適ったりである。
ジョリーは早速次のスタジオにその男を連れてきた。
彼の名前は森岡、通称モリコブと言う男だった。
同郷の気を許せる親友同士、ジョリーとモリコブはスタジオでも案の定べったりだった。
何か意見してくる時も「俺達としては」とニ人徒党を組む形で言ってくる。
元々俺とジョリーの関係が微妙なだけに、この雰囲気にはいきなり先が案じられた。
だが救いだったのは、モリコブが純粋にイイヤツだったことだ。
jagさん、jagさんと、普段は弟みたいに慕ってくれ、曲もセンスがいいと認めてくれたし、音楽の趣味もミック・ロンソンを敬愛していて、あきらかにジョリーより俺と近い。
それに、彼に言わせると、おれは「憧れのシャケさんみたいな雰囲気。」なんだそうだ。(笑)
まあ根は同じギタリストだし。
ただ、それでもやはり、立場上彼は同郷の先輩ジョリーに「こうだよなあ」と言われたら、そうだと言うしかなかったのだろう。
それに、そのジョリーが毎回言ってくる意見と言うのが、なんだか程度の低い、イラッとさせられるものばかりだった。
特に俺が詩の事でああだこうだ批判してからは、仕返しとばかり、いちいち癪に障る事を言ってくるのだが、その内容と言うのが、例えば、
「今ウケてるのはBOOWYの布袋さんなんだからさ、もっと布袋さんのギターフレースとかセッティングの勉強を真剣にやったほうがいいよ!」みたいな、なんかそういう事ばかりを言ってきた。
実際ジョリーは、誰かをテクニック的にコピーするという点においては、もの凄く器用で、ドラムを叩かせてもギターを弾かせても、技術的な意味でとても要領よく、上手にコピーした。
だが、俺は誰かみたいになるために、バンドをやっている訳じゃない。
確かに俺だって、技術面ではいろいろ磨くべき部分があるのは間違いないが、音くらい自分の好みで出したいわけで、なんで好きでもない布袋のギターを、今流行っているからという理由だけでいちいち勉強しなきゃならないんだと思う。
俺はストーンズが好きだからといって、日本版キース・リチャーズになりたいとか思わないし、俺には俺のやり方がある。
それよりもっとバンド全体…、たとえばいつも揉めていた歌詞やメッセージ、全体のパフォーマンスや個性、そういったものをまず追求すべきではないのかと思った。
このままありきたりのビートバンドで終わらないためにも。
だがいつもこう言ったことを言い出すと、まるで理解を得られないまま険悪な空気になる。
俺はもう議論するのも面倒になり(したところでわからないし、聞かないし)、その点について触れることを極力やめるようになった。
やがてすぐに1989年になり、俺達はライブをいくつかこなした。
あいかわらずファンになりましたという人は増え、楽屋に花束が増えていった。
毎回ライブで配っていたチラシの電話番号は、うちの番号になっていて、終わるたび次の予定を聞いてくる電話が次々と鳴った。
だが、せっかく好調だったにもかかわらず、 結局モリコブが四、五回ライブが終わると、やはりギタリストとして自分のグループやりたい、と言って辞めていってしまった。
たまたま以後のスケジュールがなかったので良かったが、バンド活動はまたまた暗礁に乗り上げてしまった。
「とりあえず募集を出して、その間新曲の構想でも練ろうか…」
当時俺とジョリーは、ストラングラーズやクラッシュ、そして、日本のARBやルースターズというグループに、ややはまっていた。
その影響なわけでもないが、ポップな女性客をターゲットにしている曲もいいけれど、もっと男っぽい硬派な部分も加えようということで、珍しく意見が一致した。
というのも俺達は、どちらかというと結成以来、そんなつもりは全然ないのに、なぜか女性客にばかりアピールしている感じになっていた。
次の予定を聞いてくる電話も、ほぼ例外なく女の子で、男は皆無だった…。
面白いように客がつきはじめ、ライブでも他のバンドを凌駕するようになっているとはいえ、その人気は、ハッキリ言ってアイドルみたいな人気だった。
来るお客さんに、普段は誰のファンなの?と聞くと、ジャニーズの「男闘呼組」とか、フミヤとか、「少年隊のヒガシとハウスのみんなが大好き、キャーー!!」とか…、ライブ中も、「ジョリ~さん素敵!」「jagさんかわいい~!」キャーキャーという感じ。
(オレは不本意にも、何故かかわいいとばかり言われてた。ガクッ…)
ふたをあけてみると、ハウスはいつもこんな調子だった…。
まあ、全然反応がないよりかはマシだが、ライブハウス側からは、
「かろうじてロックな香りはしなくもないから、一応ロックバンドとブッキングするよ。」
とか言われるし、硬派な対バンからはいつも白い目で見られていた。
オレはこれには非常に不満というか、納得がいかなかった。
というのも、元々「ハウス」というバンドは、ブームに乗って人気が出ればいいみたいな、ミーハーなつもりで作ったバンドではなかったからだ。
ハウスは何度も言っているように、俺の詩世界を表現するために、俺のサウンド全般に共鳴してくれるメンバーを集めて作ったバンドだった。
非常に自己中な考えだったが、でも正直やりたいことはそういうことで、それ以外に理由はなく、誰かに触発されたとか、ああいうバンドみたいになりたいとかいうのもあまりなかった。
元々俺はいろんな音楽をゴタマゼに聴くのが好きだったから、おのずと音の幅は広くなってしまうし、音的には、あくまで雰囲気にあったいろんなタイプの曲を柔軟にやりたかった。
しかし、こういう目的だったから、メンバー募集が難しく難航したのも事実だ。
何も好みを上げないとわからないから、一応ダムドとか、ポリスが好きですなんて無理やり書いて募集をするものの、こちらはそもそも、そういうサウンドばかりがやりたいわけではない。
なので始めて見るとすぐ、イメージと違うとなってしまった。
おまけに、そんな洋楽のマニアックなバンド名を挙げて募集をかけると、そういうマニアックなヤツが来る上、数が圧倒的に少なく、ほとんど誰も応募してこないということさえあった。
そんな状況に悩んでいた俺は、あまりいちいちマニアックにうるさくないヤツに沢山応募してもらって、オーディションするくらいの状況がいいと考えるようになった。
そこで例のジョリーが来た募集では、「BOOWYとか、日本のビートロックバンド好きも可です」、などと書いてしまった。
音楽的レベルがどうであろうと、きっと面白いヤツは面白いだろうし、とにかくジャンルにこだわるより、沢山のボーカリストを見て選んでみたかったのだ。
その後、風間と再合流し、ハウスを立ち上げる時は、若かったこともあって、「やっぱりやるからにはまず人気が欲しいよね!」みたいな話になった。
そこで、メインの曲を入れ替えて、ポップなメロディーの曲を中心に置くようになった。
そしたら、丁度そこにタイミングよく、その募集広告が載ってしまったのだ。
まあ、そんな訳で、元々「俺の詩世界を表現する深く聴かせるバンド」という構想だったのが、ハウス結成後は、かなりポップビートな雰囲気に変化していた。
そこに、BOOWY、サザン、ハウンドドッグ好きのジョリーのキャラが加わったことで、こちらの狙い以上に、よりポップな路線ばかりが強調される結果になってしまった。
俺たちのライブに毎回来てる多くの女の子は、こうしたキャッチーな雰囲気と、メンバーの顔や姿ばかり見に来てるだけのような気がして仕方なかった…。
それに、気持ちが乗っている時は熱心に通いつめてくるが、ある時からパッタリ来なくなるとか、ミーハーな女の子ファンにはそういう部分が見受けられ、あまりあてにならないと思った…。
対バンとかでたまに、男性客が多くついているバンドを見ると、どこか本格感があるような感じがして、いつも内心うらやましく思っていたもんだ。
俺は、ちょっとハウスは、あまりにポップな面ばかりが強調されすぎた!と反省し、長く続けるには音楽的にもっと硬派にしないといけないと考えはじめていた。
オレがこの頃再び髪を、背中までの長髪にしたのも、好きだからやりたくてが勿論一番だけど、そういうアイドル状態に一線を置こうという思いもあった。
オレは、募集を待ちながら、ひたすら新曲を作った。
そうやって、ハウスの再開準備に心血を注いでいたのである……。
…と言うのは少し嘘なのだが…