時は1988年7月頃。
俺達はバンドに「ハウス」と名づけた。
オレが昔好きだったゴダイゴというバンドの、ハウスというレコードを持ってたことを思い出し、また最近ハマッてた「バウハウス」のこともあり、ふと口にした名前をジョリーが気に入ったのだ。
(ハウスミュージックをやるグループと、よく勘違いされ閉口したが…。)
しかし彼が決まったからと言って、ハウスとしてすぐに活動に移ったわけではなかった。
風間が合宿で免許をとるとか何かの理由で、実際スタートしたのはそれから更に一ヶ月後、1988年8月くらいのことである。
その一ヶ月の間、俺はジョリーの家に度々顔を出して、更に曲を聴かせてみたりした。
だが彼とは、一緒にいてどうも心地が良くないというか、距離が縮まる感じがしなかった。
こちらが馴れ馴れしく近づこうとしても、なんだか妙に距離を置きたがると言うか、こちらに対する警戒感みたいなのがひしひしと感じられ、「大丈夫なのか?こいつこんなんで…」と内心感じたが、でもまだお互い十代だったし、当時はそれで長々と気にやむことも無かった。
また俺は他にこの時期、ある企画の手伝いみたいなことをしていた。
ちょうど「ルーズ」が潰れ、一人ぼっちになってしまった頃、とある友人からタイミング良く、
「知り合いの女ボーカルが、バンドやりたいらしいから、作曲とかスタジオを手伝ってあげてくれ!!」
という話しがあり、俺はそこに参加していた。
もちろん、完全に遊びグループだったし、メンバーは俺以外全員女の子!
おまけになぜか毎回、「遊びにきちゃった~!」というメンバーの友達が一人、二人と増えてゆき、バンド活動というより、毎日合コンみたいな遊び三昧の日々となっていた…。
俺はこれら取り巻きの女の子にチヤホヤされ、ルーズ解散以来、毎日ばかみたいに遊びほうけていた。
後で思えば、この時期こそ真剣に、バンドに前身全霊を注ぐべきだったかもしれないが、ルーズ最後のゴタゴタで、バンド活動だけを考えることに嫌気がさしていた。
それに、まさかここですぐバンドが蘇ることになろうとは夢にも思っていなかったので、バンドなんてそういえばあったなぁ~、と思うほどこの刹那的状況を楽しんでいた。
俺、風間、マッさんにジョリー。
楽器の三人はそこそこ長いつきあいで、気心も知れていて問題は無かったが、活動開始してしばらくしてからも、相変らずジョリーはよくわからないヤツだった。
誰にでも気さくでこだわり無い風間に対してだけは、少しずつ気を許しはじめた様で、たまに軽口たたいたりする場面もあったが、俺やマッさんに対しては、ホント、必要最低限しか話さない。
話さないどころか、時折、敵視しているかのような態度を見せることすらあった。
だが、せっかく決まりかけたバンドをダメにしたくないので、オレは細かいことにはこだわらず、適当な態度で受け流していた。
しかしある日…、彼に対する不満が頂点に達し、喧嘩寸前の事態に陥る事件があった。
そのきっかけは、ジョリーが書いてきた歌詞について、オレが感想を言ったことだった。
今までずっと、ティアーズにしてもルーズにしても、俺が曲を作ってきたが、そこには俺、もしくは鶴間が書いた歌詞がセットで乗っかっていた。
俺は曲だけでなく、歌詞にも大きな思いやこだわりがあった。
そもそもこのバンド自体が、そうした俺の詩を含めた作品世界を表現したいがために作ったものだ。
なのでボーカルには、優れた歌唱力でそれらを上手く伝えてもらう事だけを求めていたし、ただそれだけに集中してほしかった。
だが最初のスタジオで、ジョリーが、
「歌を歌うのは俺なんだし、他人の詞では表現し切れない。」
などと言ってきた。
俺は不服だったが、でもまあ、それもわからんでもないなと思い、そこまで堂々と主張してくるのならば、よほどいいものを書いてくる自信があるのだろうと、一度思い切って彼に全てを任せてみることにした。
そしたら彼の書き替えてきた歌詞というのが、
「セパレイツいかしたお前 シュミレーターみたい セピア色に光るドレスもメイビ~♪」
とか、
「デリカシーだらけのセレイションー やらせなロコモーションね~♪」
みたいな。
明らかにBOOWYの氷室京介や、今の流行をまねたとしか思えない、上っ面だけのしょうもない歌詞ばかり。
彼のこうした歌詞に替えられてしまったことで、自分にとって意味のあったリアルで大切な歌たちが、どうでもいい消耗品に成り下がってしまったみたいな…。
そんなやり切れない、ガッカリな気持ちばかりがもたげて来て仕方が無かった。
それでも俺は、もしかして彼なりの言い分や、込めた思いがあるのかもしれないと考え「これは見た感じ意味が解らないんだけれど、どう言う事が言いたいの???」と事あるごとに彼にしつこく尋ねてみた。
だがジョリーはそのたびに、いちいち面倒くせぇな~、という顔して、
「別に、おまえらに説明する気もないし、それより演奏のことだけ考えてろやボケ!」
と逆切れ調子で返してくるばかり。
ある日の練習後、とうとう俺はぶちきれた。
「オメーいつもうるせー、関係無ぇー!とか言うけどさ、いい加減オレの質問に答えろよ!!この歌詞、聴いてる限りじゃあきらかにまずいだろ? いかにも氷室だし、意味わかんないし、この調子でライヴやったら俺ら単なる、完全なBOOWYもどきじゃん。
オメー、あれだけ俺に任せろってデカイこと言ったんだからさ、もっとおまえならではの、意味のある歌詞を見せてみろよ!」
俺の激しい言いぐさにメンバー驚いた様子だったが、マッさんは即座に俺に賛成した。
ジョリーはキッと顔色を変え反論してきた。
「自分の曲に思い入れあるのは分かるけど、歌いもしないお前があれこれ余計な事言うな!」
「歌いもしないから黙れとは何だ!、メンバーは何か言っちゃいけないのか?! あ? おまえだって俺のギターどうこう言うじゃないか!」
「じゃどう変えてほしいんだよ!」
いきなり険悪になった俺達の口論に、風間がまあまあと口をはさんだ。
「せっかくこうして始められただけでも幸せなんだからさ、喧嘩しないで仲間同士楽しくやろうよ。それに俺は詞のこととか良くわからんけど、ジョリーくんの詞はこれはこれでかっこいいと…、そう思っちゃうんだけどなぁ!」
風間に明るくそう言われ、俺達は言葉を失った。
ジョリーはやや勝ち誇ったような顔つきで俺を見た。
この一件により、ただでさえ微妙な俺とジョリーの間には、より大きな壁が出来てしまった。
俺は「これはまずい、何とかもっと簡単に話せる間にならなきゃ…」、と思ったが、ジョリーは「おまえらなんか、東京で出世するために、仕方なく利用してるだけで、友達でもなんでもないんやから、この程度で丁度ええんや!勘違いするなやボケ!」みたいな感じで、どうにも手の付けようがなかった。
またこの頃は、俺以上にマッさんとジョリーの仲がより悪くなってしまっていた。
ある時彼のベースの弾き方を、歌う前はベース弾いていたというジョリーが、思い切りバカにしたように、いつまでもしつこくなじり続けたのだ。
それに対しマッさんが、「黙れこの中身無しのモノマネいなかっペ野郎!」などと暴言を吐いて反撃した。
ジョリーはシーンと黙ってしまったが、言われたことをよほど気にしていたのか、その表情は見たこと無いぐらい激しい怒りと屈辱に満ちていた。
そんな始める前から問題山積みだった俺達だったが、これを何とか精神的に結び続けたのは、明るく楽しく前向きな風間の存在だった。
一緒にいるだけで安心して楽しくなる!
彼の存在がなければバンドはスタート以前にとっくに潰れていただろう。
場所は新宿にあった、とある名の知れたライブハウス。
例の俺の遊び仲間や、高校時代のバンド「ビフォアー」からのファン達、また他の対バンのファンで満員の中十曲近くやった。
何やかんや言い合っても、この瞬間を目指していただけに感無量だった。
おまけに出演バンド中、予想外に一番の盛り上がりをみせた事もあり、俺達は今までのいさかいも忘れ有頂天になった。
「俺達なかなかいけてるのかもしれないな!」
「うん、あの盛り上がりようはまちがいないね!」
だが、そんな盛り上がりも束の間…、俺達は翌月続けて出演した、同じライブハウスのイベントで、早くも軽い挫折を味わうことになる。
その日トリで出た、このホール一番の人気バンド、「キッドナップ」の素晴らしいステージを、これでもかと見せ付けられたのだ。
その日ライブハウスの楽屋に入ると、二人の背の高い男が余裕たっぷりに座っていた。
二人ともえらいかっこいい連中で、特にうちの一人は絵に描いたようないい男だった。
一人は、後にハウスにベーシストで参加することになるカツミ。
特にいい男の方は、じゅる君といい、あまりにかっこ良すぎてよだれがたれるというので、女の子にジュル君といわれている。
高度な曲を書き、ギターもうまく、学校も六大の法学部か何かに行っているらしい。
俺は、世の中にはこのように、(本人はそれなり一所懸命なのかもしれないが)軽々と決めてしまえる男というのがいるんだな、と感心せずにはいられなかった。
このあまりに出来すぎたジュル君の影で薄められているが、カツミも単独でみれば長身で、ポール・ウェラーにそっくりな、端正な顔立ちのかっこいい男だった。
ステージは俺達ハウスも健闘したが、明らかにキッドナップに食われた。
まあナンバーワンバンドなので無理も無かったが、悔しかった。
ライヴ終了後彼らが、ライブ前とはうってかわって感じ良く、「一緒に打ち上げやろうよ!!」と誘ってきた。
俺達は完全やられた気でいたが、奴らのほうでも俺達をなかなかのグループと認めたらしい。
特にカツミやドラマーが、「ギターの君がかっこよくてすごくよかった!」と俺をえらく誉めてくれた。