~星の王子さま~
サン=テグジュペリの『星の王子さま』の、
本を読んだことがあるか否かは置いておいて、
名前は知っている、という人たちは多いでしょう。
この本は寺子屋アテネでも先生たちが熱心におすすめをしてる本で、
アテネの創業者の西塚茂雄が大変気に入っていた本でもあります。
私はこの本を先生に薦められて小学生の時に読もうとしてみましたが、
全く面白さが分からずに途中で読むのをやめてしまいました。
そうやってこの本を読まないまま大人になって、
本を読む習慣もすっかり薄れてしまっていましたが、
もう一度本を読む習慣をつけよう、と最近になって思い、
その習慣化の1冊目として、この本を選びました。
というのも、塾長が去年中1の子にこの本をおすすめしているのを見て、
あ、もう一回読んでみよう、という気になったからです。
訳者あとがきに、
『この訳本は、だいぶたくさんの人の手に渡ったようです。
もちろん小さい人たちが、おもな読者でしょう。
しかし、二十代のひとたちの間にも、これを何度も読み返している人が、すくなくないようです。』
と書いてあったように、
この本は、大人になってからの方が味わえる本ではないかな、
というのが本を読んだ感想でした。
ことばや世界観がきれいで品が良く、
童話らしい教訓も、
まるで大切な宝物のように素敵な言葉で書かれています。
最近、星の王子さまの一節を引用している読み物に出会ったのですが、
思わず引用したくなる気持ちが分かるほど、
その言葉はきらきらしていて、魅力的です。
例えば、わがままなバラの花の要望に振り回されて自分の星を離れた小さな星の王子さまが、
地球に来て主人公と出会った時に、その花とのことを振り返って、こんなことを言います。
『ぼくは、あの時、なんにもわからなかったんだよ。
あの花のいうことなんか、とりあげずに、することで判断しなけりゃあ、いけなかったんだ。
ぼくは、あの花のおかげで、いいにおいにつつまれていた。
明るい光の中にいた。だから、ぼくはどんなことになっても、
花から逃げたりしちゃいけなかったんだ。
ずるそうなふるまいはしているけれども、根は、やさしいんだということを
くみとらなけりゃいけなかったんだ。
花のすることったら、ほんとうにとんちんかんなんだから。
だけど、ぼくは、あんまり小さかったから、あの花を愛するってことが分からなかったんだ。』
また、キツネとの会話で、その花の話になった時に、
王子さまはキツネにこんなことを言われます。
『さっきの秘密を言おうかね。なに、なんでもないことだよ。
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ。』
『あんたが、あんたのバラの花を大切にとてもたいせつに思っているのはね。
そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ』
『人間っていうのは、このたいせつなことを忘れてるんだよ。
だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。
めんどうをみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。』
世の中にも、なかなか素直になれず、
憎まれ口ばかりたたく人がいるかと思います。
表面の言葉ばかりに気を取られるのではなく、
行動や、その背景にある思いをくみ取り、
その人の本質を見ること。
また、人のために使った時間が長い分、
その人を大切に思う気持ちは強くなり、
時間をかけてめんどうをみた相手(=大切に思う相手)には、いつまでも責任があること。
少し古臭い、堅苦しい考えに思えるかもしれませんが、
このような「清廉に生きようとする姿勢」や「責任感」が
きっと昭和の人たちに共通した「背骨」となる精神だったんじゃないかと思います。
清廉すぎても、責任感が強すぎても、
固くなり自分も周りも息苦しさを感じるもののですが、
少しの清廉さと、責任感は、
むしろ今の背骨無き時代にこそ大切な精神ではないかと思っています。
全ては理解はできませんが、
大人になり、社会で色々な経験をしてきた今だからこそ、
少しだけ理解し、咀嚼し、嚥下し、自分の精神の一部にしたい考え方が、
この本のなかに、素敵な世界観と表現で、宝物のように大切に描かれている、
という風に感じました。
物語自体も短く、読みやすく、時間もかからず読めますので、
ぜひ気になる方は読んでみてください。
<告知>
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