添 削 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 エッセイの添削を始めたのは、二〇一四年からである。所属する同人誌会員の添削指導に携わって十年近くになる。これまでに一〇〇名超、一〇〇〇本近い作品を見てきた。

「添削で、そんなに赤字を入れちゃダメよ」

「あなたは、手を加えすぎなのよ」

 先輩講師から、何度、そんなふうに言われてきたことか。それは私にもよくわかっている。現に、プロの作家や脚本家などの原稿には、明らかな誤字脱字がない限り、朱筆を入れない。その辺のバランス感覚はわきまえている。

 添削を始めてしばらくすると、私への指名が増え出した。添削希望原稿は、東京の事務局にて振り分けられ、私のもとに送られてくる。

「添削者の指定は受けられません」

 事務局がいくら言っても、次々と‶ご指名〟がかかる。そのうちに、私自身も手が回らなくなった。会社から帰宅後の作業である。先輩が引退した後、私一人で対応しなければならない時期もあった。今では、優秀な添削指導者が増えて、安心できる状況になっている。

 私は三十五歳のとき、つまり一九九五年からの一年間だが、校正の勉強をしていたことがあった。通信教育であったが、そのときの勉強が、四半世紀を経た今になって役立っている。

 私が所属している同人誌には、一〇〇名ほどの会員がいる。四十代、五十代は若い方で、年配者が圧倒的に多い。七十代は平均値で、八十代の後半から、九十歳を超える方もいる。元大学の先生から現役のお医者さんに専業主婦と多岐にわたり、日本各地から原稿が送られてくる。時には海外からもメールで原稿が届く。感心するのは、入所している老人施設から原稿が送られてくることだ。

 死に直面する病の中で書いている人がいる。難病を患っている人。精神のバランスを崩し、ギリギリの状況の人も。認知症が進行し、体をなしていない作品もある。皆、それぞれに思いがあり、作品を綴(つづ)ってくる。

 自分の思いを言葉に乗せるという作業は、生やさしいことではない。発した言葉が、書き手の意図した方向から大きく逸(そ)れていたり、読み手に伝わりにくい表現になっている場合が往々にある。そんな文章を丁寧に解(ほど)いて、仕立て直していく。筆者の溢(あふ)れる思いを汲(く)んで、熱伝導率をよくして読み手に渡していく。私が行っているのは、そんな作業だ。

 原稿用紙五、六枚の作品を添削するのに、数日を要する場合もある。そこまでする必要があるのかと自問しながら、結局は、自分が納得するまで向き合ってしまう。だから朱筆が多くなる。私の思いが筆者に伝わるよう、同封するコメントに腐心する。ただ、一つだけ肝に銘じていることがある。それは、相手を過剰に褒(ほ)めない、ということだ。自分が思っている以上に褒めると、簡単に見破られてしまう。

 相手が真剣勝負なら、こちらもそれを正面から受け止める。がっぷり四つに組む。時には厳しい注文を出す。だが、七十代半ばを過ぎた方に、厳しいことを言っても仕方がない。プロを目指しているわけではないのだから。まずは、書いてきた思いに敬意を表する。八十歳になった自分が原稿やパソコンに向えるかと問われたら、そんな姿は想像ができない。とうに死んでいるよ、と内心では思っている。

 書くということは、孤独な作業だ。

「○○様には筆力があります」

「とてもいい題材です。○○様なら、この素材を生かすことができるはずです」

 どんなに嬉しいアドバイスをもらっても、書いているときは、たった一人だ。誰もいない静かな部屋で、一人、原稿用紙やパソコンに向かう。自分と向き合い、自分の底から漏れ聞こえてくる声にじっと耳を澄ます。先立たれた夫を思う。優しかった声が聞こえてきて、思わず涙する。振り返ると写真の夫が微笑んでいる。母親と二人で蒸かしイモを食べている。一本のイモを半分にして。早く食べ終わった私に、自分のイモをさらに半分にし、笑顔で渡してよこす。そんな戦時中のひとコマが甦(よみがえ)る。

 書きたいことが何も出てこない日が続き、何日ももがき苦しむ。そんな日々の中で、「これだ、書きたかったのは!」という覚醒にも似た思いが飛び出してくる。それを逃さず捕まえる。ストーリーが動き出す瞬間である。

 作品のネタは、自分の内側にある。それをいかに見つけ出すか。ふだん目にしていても、気づいていないのだ。そんな模索が、辛く孤独な作業に繋(つな)がる。それは同時に、‶救い〟でもある。ほんの小さなアドバイスが、書くという意欲に繋がっていく。

 あるとき、会員の作品に、「生きていく傍らに書くことを置いてみる」という言葉を見つけた。「これだ!」と思った。私が長年探し求めていた言葉である。私はたまらず手紙を書き、「ぜひ、使わせてもらいたい」とお願いした。わざわざ電話をいただき、快諾をもらった。札幌市在住の九十歳の女性である。

 添削原稿のコメントの最後に、

「言葉を紡ぐことは、あなたのよき伴走者になってくれるはずです。生きていく傍らに書くことを置いてみる、一緒にやっていきましょう」

 まるで、自分の言葉のように記している。だがそれは、自身に対する激励でもある。

 

  2024年1月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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