必死に生きる | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 将来、私はがんで死ぬだろうと思っている。明確な根拠はない。ただ、ぼんやりとそう思っているのだ。

 がんの家系かというと、父方に若干、その傾向がみられる。だが、そうだとまでは言い切れない。母方は、どちらかというと血管系、つまり血管が詰まったり破れたりする方の色合いが強い。

 最近、周囲で、がんになったという話をよく耳にする。

「ねえねえ、〇〇さん、すい臓がんだってよ。気の毒に……」

「〇〇ちゃん、乳がんだってさ。会社の健診で引っかかって、それでわかったみたい」

 おおむね、このようなものである。六十歳を過ぎてから、その頻度が明らかに増えた。聞くたびに、ゾッとする。次は自分か、と。神様が上空から一本釣りを楽しんでいる、そんな構図が脳裏をよぎる。

 高血圧に肥満、高脂血症や糖尿病が重なってくることを「死の四重奏」という。五十代半ばを過ぎたあたりから、私にも肥満傾向が現れ始めた。太りだすと肝機能や中性脂肪、コレステロールなどの脂質代謝の数値が上がってくる。六十代になってからは血圧の薬も飲み始めた。糖代謝もギリギリのラインをうろついている。だが私は、健康に気をつけていないわけではない。二十七歳から現在までの健康診断の数値を、エクセルで管理している。三十六年にわたる壮観なデータだ。さらに、長い間、ジョギングをして体調を整えてきた。

 私がジョギングを始めたのは、十九歳からである。京都の大学に進学した五月、あまりにも体調が悪くて近所の病院にかかったことがあった。私の遠隔地保険証に記された「北海道」の文字を目にした老齢の医師が、

「夏バテやな。これからやでぇ、夏は。今からバテてたら、あかんがな」

 一刀両断である。以来、走っている。結婚して子供が生まれてからはしばらく中断していたが、その後再開している。東京の夏を乗り切るためだった。だが、五十一歳で北海道に再び戻ってからは、冬場のジョギングをやめた。雪と氷点下十度を下回る寒さの中では、とてもじゃないが走る気になれない。

 ここ数年、いくらジョギングやウォーキングをしても、体重がビクとも落ちない。下腹に脂肪が蓄えられ、体重もジリジリと増加している。そんなわけで、走る意欲がすっかり失せてしまい、今は何もしていない。痩せない原因は、加齢による代謝の低下なのだ。

 

 どれほど健康に気をつけて頑張っても、私たちは必ず死ぬ。それは〝決まり〟なのだ。一人の例外もない。悲しもうが落胆しようが、泣き叫んでも、これだけはどうにもならない。覚悟を決めるしかないのだ。とはいえ、家族との死別は、辛く悲しく、耐えがたい。自分の死もまた、底なしの闇に一人いるような怖さがある。

 トンボは、幼虫のときはヤゴとして水中生活をしている。ある時期になると、水草の茎をよじ登って上の世界にいってしまい、二度と戻らなくなる。そんな仲間の姿を見ながら、自分も上にいきたいと思い茎をよじ登るが、水面でガーンと頭が弾かれ、押し戻されてしまう。ある一定の年齢に達しないと、その上にはいけないのだ。水中から出たヤゴは、やがてトンボとなり大空を飛び回る。ヤゴの大好物のボウフラだって、時期が来たら上へいって蚊になって飛び回るのだ。私たちも本当はヤゴやボウフラと同じなのではないか。思わず天を仰ぎ見る。

 年齢を重ねるということは、人生の持ち時間が刻々と減っていくことを意味する。だから誕生日は、死をカウントする目盛りにほかならない。おめでとうなどといわれ、喜んでいる場合ではないのだ。

 現在、私は六十三歳である。ここまで生きられるとは思ってもいなかった。致命的な病気を持っているわけではないが、短命で終わるだろうと勝手に決め込んでいた。現に私の父は、五十一歳で他界している。六十歳まで生きられたのだからもういいだろうと言われれば、そういうことにはならない。七十歳まで生きたいとか、八十歳まで何とかやっていきたいと、次第に欲が出てくるものだ。何より私には相棒のえみ子がいる。これから結婚して二人で楽しく暮らしていかなければならない。死んでなどいられないのだ。

 三十センチの物差しを手にしてみる。その一センチの目盛りを一年とすると、これまでの六十三年と合わせ、九十三歳までの長さになる。五センチごとの数字は、人生の節目の印だ。私の場合、三十センチの物差しですら、もう全(まっと)うするのが困難な長さになっている。すでにそういう年齢に達しているのだ。どおりで周りがポロリポロリと上へいくわけだ。冷酷な現実が突き付けられる。

 〝未病〟という言葉がある。病気とは言えないまでも、なんとなく身体がだるい、疲れやすい。頭痛や肩こり、めまいがする。このような症状を指す東洋医学用語である。未病とは、健康と病気の間にあるゆらぎの状態だという。高脂血症、糖尿病、高血圧なども未病だというから、私もその分類に入ることになる。

 眠くて読書もままならないのは、良質な睡眠がとれていないからで、加齢による現象だと思っている。当然、身体もだるくて重い。死ぬためにはある程度の予兆が必要で、未病はそんな領域なのだろう。友達にそんな話をすると、

「ミビョウ? ビミョーだなぁ」

 すかさずダジャレの餌食(えじき)になった。長生きの秘訣は、能天気に生きることである。ストレスのない生活ができれば、間違いなく長生きする。彼は、そちらの領域にいる。私とは対称をなす。私はちょっとした言葉にも傷つき、小さなことにいつまでもクヨクヨしている。ストレスを一身に背負ってしまうタイプである。人生を謳歌するとか、楽しんで生きるということが、どうしてもできない。グラスのウイスキーを眺めて、「まだ、半分ある」とは思えないのだ。どうしても「もう、半分しかない」と思ってしまう。損な性質(たち)である。だから短命で終わると勝手に思っているのだ。

 必死に生きる、という言葉がある。字面だけ眺めるとヘンテコな言葉だ。「必ず死ぬ」+「生きる」=「必死に生きる」なのだから。単に「生きる」ではなく、「必死」を冠して、「人は必ず死ぬ。でも、死ぬ直前まで懸命に生きる」、そういうことなのだろう。

 親しくしている親類が、六十歳の定年退職を機に、札幌郊外に自分たちの墓を建てた。

「子供たちに迷惑、かけられないからさ」

 という。奥さんも傍らでニコニコしている。そばにいた子供たちに、

「お前たちの父さん、死ぬ気満々だな」

 というと、皆、一様に変な顔をしていた。しかもこの夫婦、一人二二〇〇〇円もする帯状疱疹のワクチンを打ってきたばかりだという。半年後にもう一度、打たなければならないらしい。計八八〇〇〇円だ。これで十年以上は安心だという。

「そう考えると安いもんだべよ。お前たちもヤレ!」

 できるものならやっておきたい。だが、八八〇〇〇円は、躊躇する金額である。それだけあれば、贅沢な小旅行ができる。死ぬまで健康でいたいという気持ちはわかるのだが……。

 えみ子にその話をすると、

「私は、いらなーい」

 と、ニベもない。必要性をまったく感じていなかった。だが、私には必要だよなと思う。

 必死に生きるのも、たいへんだ。

 

   2023年11月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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