落ち葉に埋もれて ~ 様似・観音山 ~ | こんけんどうのエッセイ

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  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 北海道の南部、太平洋に面した様似町(さまにちょう)が私のふるさとである。その西方の海岸沿いに、かまぼこ型の小高い山がある。アイヌの人々からソピラヌプリ(崖滝の山)と呼ばれていたこの山は、和人の進出とともに円山と称されるようになり、明治中期以降は観音山として親しまれている。

 様似漁港を見下ろすこの観音山は、標高一〇〇メートルほどで、パンチパーマをかけたように山全体が柏の木で覆われている。強い海風の影響で、そのすべての木が海とは逆方向に枝を伸ばしているのだ。真っすぐ生えている木は一本もない。

 観音山の頂上には、パンチパーマの頭頂部が円形に禿げたような空間がある。その広場を取り囲む雑木林の中に石仏が点々と祀(まつ)られている。観音山と称される所以(ゆえん)である。

 私が幼いころは、この広場で幼稚園の運動会が行われていた。桜の季節には、人々が待ちかねたようにドッと繰り出す。桜まつりのピンクのボンボリ(花見提灯)が坂道に沿って飾られ、あちらこちらにところ狭しと茣蓙(ござ)が敷かれた。大人も子供もみんなが楽しそうにご馳走を食べている。誰もが桜の花を待っていた。今では想像も及ばない賑わいだった。

 かつてはこの観音山の下が、様似の中心であり、本様似(ほんさまに)(現・本町)と呼ばれていた。観音山を背に右が西様似(西町)、その反対側が東様似(大通)で、現在の中心街となっている。

 また、この観音山はカタクリの群生地でもある。春先にはエゾエンゴサクなどの山野草が一斉に咲き乱れる。だが、今では訪れる人も少なく、人知れず咲き、散っていく花々である。

 もう五十年以上も前のことになる。私が小学生のころは、この山でよく遊んだものだ。西町の公営住宅にいた私は、西側の斜面から山に登っていた。

「おい、桑の実、採りにいぐべ」

 子供たち三、四人が連れ立って、獣道のようなジグザグの急峻な山道を登っていく。登りきったところに石が幾重にも組まれたチャシ跡があった。チャシとは、アイヌ語で「柵囲い」という意味で、砦(とりで)や祭祀(さいし)場、見張り場といった多目的な用途で使われていた場所だという。私が幼いころは、アイヌの古戦場跡と教えられていた。当時は、そんな急勾配の山道を苦もなく小走りに登っていた。

 頂上には大きな桑の木が何本かあった。桑の木が見えてくると、皆、我先にと飛びついた。真っ黒に熟れた桑の実を、次々と口に入れていく。

「うめぇー」

「あんめぇ(甘い)!」

 口の中いっぱいに甘さが広がる。桑の実は金平糖を一回り小さくしたような形状で、赤い実が熟れると真っ黒になる。実はとても柔らかく、触るとすぐに潰れ、赤紫色の汁が出る。手も唇も派手に紫色にしながら、一心不乱に食べていた。

 

 冬が近づいてくると、足もとにはふかふかの枯れ葉が積もる。その落ち葉を蹴散らし、漕ぐように走り回る。子供の膝が隠れるほどだったので、二、三十センチは積もっていただろうか。その落ち葉に頭から飛び込んでいく。全身がスッポリと落ち葉に埋もれる。ガサガサと盛大に音をたてながら、落ち葉の海を泳ぐ。これほどまでに葉の積もっているところは、ほかにはなかった。おそらく強い風の影響で、この一帯に枯れ葉の吹き溜まりができていたのだろう。

 落ち葉の中は静かである。まわりの音が消えてなくなる。だが、少しでも身体を動かすと、ガザガサという音が耳元に伝わってくる。枯れ葉の乾いた匂いが鼻腔(びくう)を衝く。それがなんとも言えない、いい匂いだった。落ち葉の中はふんわりとして温かく、体が浮遊しているような感覚に陥る。いつまでもこの中に埋もれていたい、そんな心地よさがあった。

 私は東京で就職し、そこで二十八年間を過ごしてきた。再び北海道に戻ったのは、十二年前である。大都会での生活を離れることは、後ろ髪の引かれる、名残り惜しいものだった。都会は嫌いではなかった。むしろ都会の雑踏に好んで身を浸していた。

 電車と地下鉄を乗り継ぐ通勤は、酷なものだった。電車が途中の駅に着いても、車内の超満員の人の圧力でドアが開かない。そのドアを外から開けて人が乗り込んできた。乗客の背中を押す駅員がホームを走り回る。両足が浮いたまま、次の駅まで運ばれていた。

 そんな朝のラッシュだったが、慣れてしまうとそれも‶普通〟になっていった。若いころは、毎日が残業だった。午前七時に家を出て、寝るためだけに自宅に戻る。そんな生活が当たり前のように続いていた。

 そういった中で、ふとした拍子にふるさとを思い出す。満員電車に押し潰されながら、落ち葉の匂いに抱かれて眠る自分を空想していた。胸いっぱいに広がるあの懐かしい枯れ葉の匂い……。そんな記憶が、都会で暮らす力になっていたのかもしれない。

 

 観音山の落ち葉の季節は、そう長くはなかった。雪が落ち葉を押し潰し、腐葉土となってふたたび土に還っていく。春には新たな芽吹きが始まって、緑に覆われてしまうのだ。落ち葉で遊べるのは、晩秋から初冬にかけての、ほんのひと時のことだった。

 札幌―様似間の距離は、片道一九〇キロである。たやすい距離ではない。また、あの落ち葉の中にスッポリと潜(もぐ)り込んでみたい。そんなことが、今の私にできるだろうか。いざとなったら、虫が気になって尻込みするかもしれない。子供のころは、背中に虫が入ろうが、クモが首筋で蠢(うごめ)こうが、お構いなしだった。

 あの落ち葉を、また蹴散らしてみたい。枯れ葉の匂いに抱かれたい。そして、あのころの自分に、また戻ってみたい。そんな思いが密かに擡(もた)げている。

 

  2023年10月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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