人生の彩(いろどり) | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 高校に入るまで、私はまったく読書をしてこなかった。夏冬の休みの読書感想文に、どれほど泣かされてきたことか。そのツケは、現代国語の点数に如実に現れた。

 どんなに頑張っても六十点台しか取れないのだ。いくら漢字を覚えても、微々たる点数にしかならない。高校生になってから小説に目覚め、読書を始めた。日記もつけ出した。だが、読解力と作文力は、一朝一夕には身につかない。メインエンジンである現代国語を補うためには、古文・漢文という両補助エンジンの出力を上げるしかなかった。

 だが、古文も漢文も「とてもじゃないが、やってられねーなー」と思うほど、取っつきにくいものだった。だが、やるしかなかった。虎の巻を買ってきて、とにかく読み込んだ。漢文などは、レ点や返り点なしで読めるほど読んで読んで、書きに書きまくった。意味も丸暗記である。力づくで頭に擦(す)り込んだ。

 その甲斐あってか、予備校生の春に受けた北海道模擬試験で、七十三だったか七十八か忘れたが、そんな偏差値を出したことがある。東大も射程圏内の数値だ。だが、それも一度切り。飛んできた球を大振りしたらたまたまホームランになった、それだけのことだった。

 ただただひたすら、修行のように擦り込むことに専念した。それしか方法がわからなかったのだ。

 受験で京都に滞在したときのこと。東山にかかる月を目にし、得もいえぬ強い感銘を覚えた。古文の中で幾度も目にしてきた、「あの同じ月だ」と思ったのだ。それが大学を京都に選ぶ理由になった。

 京都でのアパートは伏見区の深草で、師団街道を隔てた斜め向かいに大学があった。深草というだけで、もう嬉しくてたまらなかった。

  夕されば野辺の秋風身にしみて鶉(うずら)鳴くなり深草の里

 藤原俊成の代表作である。定家の父親だ。この歌は『千載(せんざい)和歌集』にあり、『伊勢物語』を本歌取りしたもの。元歌の一部を拝借して新たな歌を作ることを本歌取りといい、いわばオマージュ。この歌を口ずさむだけで、魂の震えを覚える。

  ひとつとりふたつとりては焼いて食ふ鶉なくなる深草の里

 こちらは、江戸時代の狂歌師太田南畝(なんぽ)である。俊成のパロディー版だ。太田南畝と四方赤良(よものあから)、そして蜀山人(しょくさんじん)が同一人物だと知ったのは、何年か前のこと。私の知識は、そんなレベルである。

 大学時代の仲間が集まるというので、東京から京都へ出かけたことがあった。私は東京の会社に就職していた。京都駅に降り立ち、向かったのが仁和寺(にんなじ)だった。約束の時間まで半日も空けていた。それまで仁和寺とは縁が薄く、この機会に、ぜひ訪ねてみようと思ったのだ。

「仁和寺にある法師、年よるまで石清水(いわしみず)を拝まざりければ、心うくお覚えて、あるとき思ひ立ちて、ただ一人、徒歩(かち)よりまうでけり……」

 「仁和寺にある法師」の冒頭である。この作品も読み込んだものだった。吉田兼好の『徒然草』の一節なので、鎌倉時代後半の作である。仁和寺自体は、平安初期の創建だから、一一〇〇年あまりの歴史がある。

 仁和寺をぐるりと巡った後、聳(そび)えるほど大きな二王門(におうもん)の石段に腰かけ、長い時間そこで身体を休めた。背後に平安時代からの息吹があり、目の前には現代の往来があった。そんな静と動の狭間に自分がいた。心地よいひと時だった。結局、半日をこの寺で過ごしていた。贅沢な旅である。

 私は通信教育で校正の勉強をしていた時期があった。三十代半ばのことである。一度だけ参加したスクーリングで、「読書の幅を横に広げるのもいいが、縦に広げることも大切です」そんな主旨の話を聞いた。岩波書店の相談役だという品のある老講師だった。以降、私は意識して明治の文学にも触手を伸ばすようになった。

 泉鏡花(きょうか)、森鴎外(おうがい)、島崎藤村(とうそん)、田山花袋(かたい)、幸田露伴(ろはん)、谷崎潤一郎、国木田独歩(どっぽ)、永井荷風(かふう)……。そんな中に高山樗牛(ちょぎゅう)の『滝口入道』があった。

「やがて来む寿永(じゅえい)の秋の哀れ、治承(ぢしょう)の春の楽しみに知る由もなく、六歳(むとせ)の後に昔の夢を辿(たど)りて、直衣(なおし)の袖を絞りし人々には、今宵の歓会も中々に忘られぬ思寝(おもひね)の涙なるべし……」

 平家滅亡の哀史(あいし)で、滝口入道(斎藤時頼)と横笛の悲恋の物語である。

 大学四回生の十一月、嵐山を歩いていて、滝口寺と書かれた小さな案内板を目にした。それは案内板というより、古びた板の切れ端に墨書されたものだった。今、改めてネットで検索してみると、立派なお寺であることがわかる。私の記憶が別の場所とすり替わってしまったのかもしれない。四十年前に私が訪ねたときは、廃寺の雰囲気が漂っていた。訪ねたのが誰もいない夕暮れ時だったせいもある。

 濡れ縁から中を覗くと、正面奥に古色然とした小さな木像が二体見えた。そのとき「あがっておくれやす」という嗄(しわが)れた声が中から聞こえた。不意の出来事だったので、飛び上がるほど驚いた。暗がりに目を凝らすと、部屋の端に端座する老女がいた。

 言われるままに木像の前に座らされた。歳月を経て黒ずんだ木像は、仏像ではなかった。老女は、滝口入道と横笛の像であることを説明し、何やら吟じ始めた。それは平家物語の一節だった。「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色……」朗々とした声が薄暗い本堂に低く響いた。まるで幽玄の世界に紛れ込んでしまったような、そんな感覚に陥(おちい)っていた。京都の寺では、様々な場面に出くわしてきたが、このときのことは、鮮烈な記憶として残っている。

 この寺が、しっかりとした輪郭で立ち現れたのは、高山樗牛の『滝口入道』によってである。衝き抜けるような悲恋の物語に、味わったことのない深い感銘を覚えた。滝口寺を訪ねてから十五年ほどの時を経て、突然、両者が結びついたのだった。あのとき老女が吟じていたのは、「平家物語」と、この『滝口入道』の一節だったのだろうと思う。樗牛は子規や漱石と同時代人である。

 

 現代国語の出来が悪かったばかりに、なりふり構わず古典を擦り込んだ。そんな古文や漢文の一節が、折に触れて泡沫(うたかた)のように浮かんでは消えていく。他人には理解され得ない、自分だけが満たされる世界である。

「故人西のかた黄鶴楼(こうかくろう)を辞し、煙花(えんか)三月揚州(ようしゅう)に下(くだ)る。孤帆(こはん)の遠影(えんえい)碧空(へきくう)に尽き……」

「渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう)軽塵(けいじん)を浥(うるほ)す、客舎(かくしゃ)青青(せいせい)として柳色(りゅうしょく)新たなり。君に勧む……」

「水を渡り、復(ま)た水を渡り、花を看、還(また)花を看る……」

 大袈裟な言い方になるが、これらの古典が、今の私の人生に彩(いろどり)を添えてくれている。移ろう季節の中で、不意にふわっと立ち現れるフレーズだ。当時は気づくことのなかった味わいを、一人静かに噛(か)みしめる。

「ああ、オレも年を取ったんだな」と、遠いところで考えながら。

 

  2023年8月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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